俺ガイル ふもっふ?   作:まーぼう

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どうしてこんなことになってしまったのだろう。

わかっていたことだった。いずれこうなるであろうことは。
わかっていながら抜け出せなかったのは、単に自分の弱さに過ぎない。
後悔は先に立たず、今目の前には、私が裏切ってしまった大切な友人たちが、呆然と立ち尽くしている。

全てが白日に曝された時、雪ノ下雪乃は涙とともに懇願する。


「お願い……私を見ないで……!」


彼も彼女も快楽に抗うことはできない

 その日はたまたま私一人だった。

 由比ヶ浜さんも比企谷くんも、家の用事で部活を休んだのだ。丁度そこに依頼が舞い込んだ。

 依頼人は三浦さん。彼女の話では、最近葉山くんの様子がおかしいそうだ。それでその原因を探ってほしいとか。

 奉仕部は便利屋でも探偵事務所でもない、と突っぱねようとしたのだが、彼女の気弱な態度についつい受諾してしまった。あのように下手に出られると断り切れない。

 ともあれ受けてしまった以上は仕方ない。本格的な調査は明日二人に話してから、と解散した。そしてその帰り道でのことだ。

 

「……葉山くん?」

 

 まったくの偶然だった。街中で件の葉山隼人を発見してしまったのは。

 彼はキョロキョロと周囲を伺いながら、人通りの無い裏路地へと入っていく。

 明らかに挙動不審だった。

 

(確かに、おかしいわね……)

 

 葉山隼人という人間は、光に祝福されたような人物だったはずだ。私個人は彼に対して良い印象を持っていないが、彼の能力の高さと、それに付随する周囲の人物評価は認めざるをえない。

 そんな彼が、人目を避けるようにしてコソコソと。三浦さんが気にかけるのも頷ける。

 私は彼の消えた路地に歩を進めた。

 由比ヶ浜さんと比企谷くんに相談するにしても、情報は多い方が良い。それにここで見失ってしまえば、次に発見できる保証もない。

 

 ……いや、正直に言おう。私はただ、好奇心に負けただけだ。それが致命的な過ちであったのにも気付かずに。

 

 葉山くんは私の尾行に気付いた様子もなく、慣れた調子である寂れたビルディングに入る。

 

「クラブ・C&J……?」

 

 そのビルに取り付けられた蛍光ピンクの看板を、思わず声に出して読み上げる。

 どう見てもいかがわしい店だった。まさか彼はここに通いつめて……?

 予想外の展開に、判断に迷う。やはり二人に相談するべきか、それともこのまま追うべきか……

 暫く考えた末に、一人で踏み込むのは危険かもしれないと考え引き返すことにする。私は振り返って

 

「動くな」

「!?」

 

 突然だった。

 気配も感じさせずに私の背を取っていたその男は、後ろから私の口を塞ぎ、もう一方の手でもがく私の腕を捻り上げる。動くなもなにも、声すら立てられない。

 私は合気道を修めているが、このように組み付かれてしまうとその技能は発揮できない。しかしそれ以前に、まともに勝負したところで歯が立たないのは目に見えていた。

 力のかけ方などで解るが、この男の技量は桁が違う。おそらくは姉さんでも相手にならないだろう。

 私と大して歳も変わらないように見える、頬に十字傷のあるその男がゆっくりと口を開く。

 

「何者だ?あの店を監視していたようだが」

「……」

「話すつもりはないか。まあ良い、俺も久々に寄ろうと思っていたところだ。店長も交えて貴様の処遇を決めるとしよう」

「……!」

 

 思わず抵抗する。が、まるで相手にならない。

 

(助けて、比企谷くん……!)

 

 男は暴れる私を意に介することもなく、件のビルへと引きずっていった。

 

 

 

「やあ、隼人くん。また来たのかい?」

「はい、もうすっかり病みつきですよ。あ、いつものお願いします」

「ハハッ、気に入ってくれたならなによりだ」

 

 そう言ってどこにでも居そうな中年の男性ーー店長は愛想よく笑った。自分がこの店に通うようになってまだ一週間ほどでしかないが、すっかり顔馴染みになってしまった。

 

「それと君が提供してくれたアイディアなんだけど、すごく評判良いよ?」

「! 本当ですか!?」

 

 この店でのプレイが気に入ってしまった俺は、より大きな快感を求めて店長に自分のアイディアを取り入れてくれるよう頼み込んでしまったのだ。

 ただの客でしかない自分には、本来経営に口を出す権限など無いのだが、店長はその辺がかなり柔軟な人間らしい。ものは試しと試験的に実行してくれたのだ。

 このアイディアというのは、実は自分の実体験からくるものだった。正直あまり良い思い出ではなかったのだが、こうして他人に認めてもらえるとそれもプラスに転化される気がする。そういう意味でも非常にありがたい。

 店長は機嫌良く頷くと話を続ける。

 

「うん、大人気だよ。あんなプレイよく思い付くよね。今も総武の子がアレで遊んでるよ」

「うちの?」

「うん。そろそろ終わる時間のはずだけど……」

 

 そう言って店長が通路の奥に視線をやると、丁度プレイを終えたらしい総武校の制服を纏った男が現れた。

 

「やあ、お疲れ様」

「けぷこんけぷこん。店長、いつもながら素晴らしい体験であった……はは、葉山某!?何故ここに!?」

「ざ……材木座くん!?」

 

 現れたのは同じ二年生の材木座義輝くん。あまり話したことはないが、彼の特徴的な姿を見間違えるのは難しい。

 

「おや、お友達だったのかい?」

「え、ええ、まあ」

「と、友達……我が……!?」

 

 えっと、なんで驚いてるんだろう?

 それはともかく材木座くんは、巨体に見合わぬ素早さで俺のそばまで駆け寄ると、コソコソと声をひそめる。ここに居るのはこの三人だけなので意味が無いと思うのだが。

 

「葉山氏よ。かなり慣れた様子だが、もしやここの常連なのか?」

「……まあ。と言っても通い初めたのは最近だけど」

「そうであったか。……その、なんだ。できれば我がここに通っていることは……」

「解ってるよ。俺だって進んで他人に話したいような趣味じゃないからね」

「そ……そうか!では、我らがここで出会ったのは無かったことに!ウム、さすがは友よ!」

「クスッ……OKだ。俺達はこの店には来なかった」

「二人ともヒドイなあ。それじゃあまるでウチが恥ずかしいお店みたいじゃないか」

 

 店長の言葉に三人で笑い合う。

 学校で普段つるんでいる友人たちとではあり得ない、秘密を共有する者同士でのみ成り立つ弛緩した空気。

 しかしその心地好い時間はすぐに砕かれることとなる。

 

「残念だがその契約は無効だ」

 

 突然の闖入者は、頬に十字傷を持った同世代の男。やはりここの常連で店長とも親密らしく、俺にこの店を紹介してくれた人物でもある。

『彼』は一人の少女を後ろ手に拘束していた。その少女は……

 

「葉山、この女は貴様の学校の生徒だな?」

「雪ノ下さん!?」

「知り合いか。この女に話を聞かれた以上、お前たちが黙っていたところで情報はすぐに広がるだろう。機密を保持したいのであれば口を封じる必要がある」

「~っ!?~っ!」

 

 初めて出会った時もそうだったが相変わらず発想が物騒だ。雪ノ下さんも『彼』の言葉に、口を塞がれたまま身をよじって抵抗する。無論、その程度で拘束を緩めるほど甘い男ではないが。

 

「ムウ……随分と物騒な御仁よ……。この気配、修羅か……」

「よく分からんが肯定だ」

 

 材木座くんのよく分からない呟きに、『彼』がよく分からないままに同意する。このあたりも相変わらずだ。

 

「しかし困ったな……。説得が通じるような相手でもないし……」

「葉山氏よ。我に考えがあるのだが」

「どんな?」

「我らはここでのことを他人に話されると困る。しかし雪ノ下嬢にそう頼んでも聞き入れてはもらえまい。ならば、雪ノ下嬢にも話せない理由を作ってやれば良い」

「……つまり?」

「なに、簡単な話よ。雪ノ下嬢にも我らと同じ立場になってもらえば良いのだ」

「なるほどな……」

 

 材木座の案を聞いた『彼』が得心したように頷いた。同時に俺も、その言葉の意味を理解する。そして、おそらくは彼女も。

 

「~~っ!~~っ!」

 

 この先に起こることを想像してか、雪ノ下さんが激しく暴れる。しかし『彼』はびくともしない。

 

「なるほどね。それじゃあ、せっかくだし僕も参加させてもらおうかな」

 

 そんなことを言いながら、店長が立ち上がる。『彼』が店長に驚いたような視線を向けた。やはり珍しいことのようだ。

 

「店長?」

「実はそろそろ新規顧客を開拓しようと思っていたんだよ。それでどうせなら女の子も楽しめるシチュエーションを色々考えてたんだ。それを試させてもらおうと思ってね。どうかな?手伝ってくれるなら今日の分はサービスしとくよ」

「勿論我は参加させてもらうぞ!」

「俺も異存はない。ツイているな、女。初日で店長のプレイを味わえる者など中々居ないぞ」

「~~っ!?」

「そ、そんなに凄いのか……?」

「肯定だ。アレをやられて今まで通りの自分を保てる者など、おそらくこの世に存在しない」

「いやぁ、恥ずかしいなぁ」

 

 拘束された雪ノ下さんを真ん中に置いたまま、三人は談笑を始める。中々にシュールな絵だ。その雪ノ下さんが、目尻に涙を溜めた目を俺に向ける。

 一縷の望みをかけて、というところだろうか。彼女のこんな気弱な態度は見たことが無かった。

 

 

「大丈夫、安心して雪乃ちゃん」

 

 

 幼い頃の呼び方に、少しだけ彼女の気配が弛緩するのが解った。よほど不安だったのだろう。俺にこう呼ばれて安心するなんて。

 その彼女に、できるだけ優しく告げる。

 

 

 

「君もきっと、すぐに虜になるから」

「~~~~~~っ!?」

 

 

 

 絶望に見開かれた彼女の瞳。

 涙に滲んだそこに映った俺は、他の三人と同じような顔をしていた。

 

 

 

「ゆきのん、どうしちゃったんだろ……」

「……わかんねえ」

 

 最近、雪ノ下が部活を休むようになった。今日も俺たちに一言だけ断って先に帰っている。

 ただ用事があると、しかしそれ以外の説明はなく、由比ヶ浜も何も聞かされていないらしい。

 何かがあったのは間違いないとは思うのだが、はたしてそこに踏み込んで良いものかどうか……

 俺と由比ヶ浜がそうして悶々と時間を浪費していると、不意にノックが響いた。

 

「どうぞ」

 

 簡潔に言うと戸が開く。入ってきたのは三浦優美子だった。彼女は部室をキョロキョロと見回している。

 

「優美子、どうしたの?」

「……雪ノ下さんは?」

「ゆきのんなら今日は帰ったけど」

「そうなん?依頼がどうなってるのか聞きたかったんだけど」

「依頼?」

 

 思わず声に出すと、三浦は不安げな視線をこちらによこす。

 

「うん。隼人がなんかおかしいから調べてくれって。アレ、どうなってんの?」

「は?なんだそりゃ?」

「依頼したじゃん。雪ノ下さんもあんたたちに相談するって言ってたけど」

「いや、聞いてねえんだけど。由比ヶ浜?」

「あたしも何も聞いてない……。ね、ねえ優美子。その依頼したのっていつの話?」

「先週だけど……え、なんで知らないの?」

 

 先週……。俺と由比ヶ浜が部活を休んだ時か。雪ノ下の様子がおかしくなった時期とも一致する。

 

「済まん三浦、その時のことをできるだけ詳しく……」

「三人とも、居るか?」

 

 俺のセリフを遮るようにして戸を開けたのは、この部活の顧問の平塚先生だった。

 

「……二人とも、雪ノ下は?」

「ゆきのんは今日は帰りましたけど……」

「そうか……三浦は、もしかして葉山のことで相談に来たのか?」

「……なんで分かったんですか?」

「ちょっとな……くそっ、確認しないわけにはいかなくなったな……」

「……先生、何があったんですか?」

 

 深刻な様子の平塚先生に先を促す。先生は大分迷った末に、覚悟を決めたように口を開いた。

 

「このことは他言無用で頼む。三浦、君もだ」

 

 俺たちはその言葉に顔を見合せると、先生に向かって頷く。

 

「実は先ほど、最近ウチの生徒らしき者が数名、繁華街のある店に入り浸っているという連絡があった。バイトか客かまでは分からんがな。それでだな……どうもその中に雪ノ下と葉山も含まれているらしい」

 

 一瞬、先生の言っていることが理解できなかった。それは由比ヶ浜と三浦も同様だったらしく、三人して固まってしまった。

 

「あ、あり得ないし!」

 

 その硬直からいち早く脱したのは三浦だった。

 

「隼人がそんな、その……変な店にハマるとか、そんなの、あるわけないし!」

「そ、そうだよ先生!ゆきのんがそんなお店行くわけないじゃん!」

 

 由比ヶ浜も三浦に追随して先生に食って掛かる。先生はその反応を予測していたのか、特に慌てることもなく二人をなだめていた。

 

「落ち着け二人とも。私とてあの二人がそんな真似をしているとは思っておらん……と、言いたかったのだがな……」

 

 先生のセリフは尻すぼみに力を失っていった。本当はこの場で雪ノ下本人に否定してほしかったのだろう。

 

「……先生、雪ノ下らしき生徒が目撃されるようになった時期とか分かりますか?」

「正確なところは何も分からん。だが、女生徒の姿を見かけるようになったのは先週かららしい」

 

 先週……。

 三浦の話と重なる。重なってしまう。

 だからといってそれが雪ノ下だと確定したわけではない。しかし否定する材料が何も無いのもまた事実だった。

 全員が黙り込んでしまった。その沈黙を打破したのは由比ヶ浜だった。

 

「先生……そのお店の場所とか分かってるんですか……?」

「ああ、もちろんだ。……なんだ、まさか教えてほしいとか言うつもりか?」

「えっと……はい……」

「悪いが却下だ。そんな店に生徒が近寄る可能性をわざわざ作るわけにはいかん」

「でも……!」

「でもも何もない。駄目なものは駄目だ」

 

 取り付く島もない言い草に、由比ヶ浜も黙ってしまう。

 今度こそ発言する者が居なくなったのを確認してか、先生はポケットから一枚のプリントを取り出して言った。

 

「今日の部活は終了としよう。私はこれからこのプリントに書いてある例の店まで行って話を聞いてくるつもりだ」

 

 先生はプリントを見せ付けるようにヒラヒラさせて続ける。

 

「ことがことだけに他の事案にかまけている余裕は無い。よって、寄り道などを見かけても注意してやることはできん。全員くれぐれも道草などせずまっすぐ帰るように」

 

 ……!

 

「では私はもう行こう。ああ、私は職員室にはいないから、もし私の落とし物なんかを見つけた場合は明日にでも届けてくれたまえ」

 

 ……先生、ありがとうございます。

 スタスタと出て行く先生の背中に、心の中で礼を言う。本当カッコいいよなこの先生。

 

「~~ったく!なんなわけ!?融通利かないにもほどあるし!」

「ホントだよね。こっそり教えてくれたって良いのに」

 

 なんでやねん。

 思わず関西弁(エセ)で突っ込んでしまった。

 

「いや、あれ見ろよ。ホレ」

「あ……?」

 

 言って先生の出ていった入り口を指差す。そこの床には一枚の紙。先ほど先生が見せた、件の店名と住所が書かれたプリントが落ちていた。

 

「なんであれで落とし物できるし」

「平塚先生ってそそっかしいよね」

 

 だからなんでやねん。(二回目)

 

「あのな、先生言ってただろ。今日はもう学校に居ないから明日届けろって。あと道草してても注意できないって。これがどういう意味か分かるだろ?」

「別に机に置いといても良いのにね?」

「つーかメンドくさかっただけじゃね?」

「ていうかこんな時に寄り道なんかしないのに」

「んな心配しなくても迷惑かけたりしねっつの」

 

 ピュアか。こんな状況で要らんボケ挟むなよ。

 

「いやだから、先生って立場じゃ直接教えることはできないから、落とし物って形で店のこと教えてくれたんだろ?見かけても注意できないってのは俺らをその店で見かけても見逃してくれるって意味だし、今から向かえばタイミング的に先生と一緒になるだろうから守ってもらえるしな」

「ああっ!」

「ヒキオ冴えてんじゃん!」

「いや気付けよ。とにかくもう出るぞ。先生の気遣い無駄にすんなよ」

 

 

 

「やあ、いらっしゃい。雪乃ちゃん」

 

 愛想良く微笑む店長に、ペコリと頭を下げる。

 もはや見慣れてしまったカウンター。そこのモニターを覗いて部屋の使用状況を確認する。……良かった、目的の部屋は空いている。

 同時にモニターのある部屋に、使用中を示すランプが点灯しているのが目に入る。ここは確か葉山くんのお気に入りだったはずだ。彼も来ているのだろうか。

 ボンヤリとそんなことを考えていた私に、店長がまた声をかけてきた。

 

「それで、今日はどうする?」

「その……いつものを……」

「うんうん、ずいぶん気に入ってくれたみたいだね。そんなに気持ち良かったかい?」

「っ…………………………は、い…………」

 

 悔しさに唇を噛みしめ、顔を俯かせながらか細い声で答える。

 顔を真っ赤に染め、全身を細かく震わせ、それでも肯定するしかない私に、店長が気の毒そうにため息を吐く。

 

「そんなに恥ずかしがることないのに。人間はみんなこういうのが好きなんだから」

「…………失礼……します」

 

 私は逃げるようにロビーをあとにした。

 この狭い廊下を通るのは何度目だろう?

 この店に通うようになったのは先週からだから、そう回数を重ねているわけではないはずだ。

 しかし私にとって、ここはもはや手放すことのできない場所になってしまっていた。

 そう。初めこそ無理矢理ではあったが、そのあとこの店に足を運んだのは全て自分の意思だった。

 その事実に自己嫌悪に陥り、思わず壁を殴りつける。拳の痛みと情けなさに涙が滲んだ。

 分かっている。これはただの逃避だ。

 ここで味わえる感覚は、確かに何物にも換えがたいほどに心地良い。

 しかしそれは全てまやかし。このビルから出れば何も残らずに消えてしまう幻。

 私が、私たちが嫌悪した、ニセモノでしかない。

 だというのに。

 

 

 顔を上げると目的の部屋。

 元々大して広いビルでもない。普通に歩けば一分もかからずたどり着く。

 そのドアノブを捻ると、微かに軋んだ音を立ててドアが開く。その向こうにはーー

 

 

 こんな行為に意味は無い。意義も無ければ価値も無い。

 人に知られればろくなことにはならず、いつまでも隠し通せるものでもない。それも理解している。それなのに。

 

 私はもう、この快感から逃れることはできない。

 

 

 

「ちょ、ちょちょちょ、何するんですか!?」

「何をするだと?貴様こそウチの生徒たちに何をさせている!?」

 

 その建物に踏み込むと、先生がカウンター越しにオッサンの胸ぐらを掴み上げているところだった。

 

「先生!?」

「来たか、お前たち……」

 

 先生は俺たちを見て気まずげに目を伏せる。

 

「先生、もしかして……?」

 

 先ほどの剣幕に、嫌な予感が膨れ上がる。

 否定してくれることを期待して先生に声をかけるが、返ってきたのは無情な肯定だった。

 

「ああ……残念ながら、噂は本当だったようだ」

「そんな……!」

 

 由比ヶ浜が信じたくないといった風に口元を押さえ、三浦に至っては声すらなくへたりこんでしまう。

 俺は俺で、事態を直視することを拒むように部屋の隅へと視線を向けーーそこに見知った顔を発見してしまった。

 

「ざ、材木座!?」

 

 材木座は頬を赤く腫らし、大の字になって伸びていた。

 慌てて近寄りその巨体を揺する。

 

「お、おい、どうした材木座!?」

「比企谷、そいつは放っておけ」

「いや先生、何言って……」

「雪ノ下をここに引き込んだのは、そいつと葉山らしい」「は、はぁ!?」

 

 い、いったいどういうことだってばよ?いやボケてる場合じゃなくて。ダメだ、全然頭が働かねえ。

 

「混乱しているみたいだな……今は無理に理解しなくて良い。葉山も雪ノ下も、今この店にいるらしい。二人を保護してやってくれないか?私はこの男に話がある」

「は、はい……」

 

 もう何がなんだかわからない。

 俺は先生に言われるまま、奥の通路にフラフラと歩き出す。由比ヶ浜と三浦も俺に続いた。

 後ろから先生と、受け付けのオッサンの会話が聞こえてくる。

 

 

「と、とにかく落ち着いて!あなた何か誤解してますよ!?」

「誤解だと?この期に及んで何を……!」

「まずは話を聞いてください……!」

 

 

 そんな声をBGMに、由比ヶ浜が自失したままポツリと漏らす。

 

「何が、どうなってるの……?」

 

 今の俺たちの心境を端的に現したセリフだった。驚くとか悲しむとか以前に、展開に理解が追い付かない。

 しかし、理解できずとも行動しなければならない時もある。それができる人間もいる。

 

「隼人……!」

 

 三浦は葉山を求め、俺たちを置いて奥へと駆け出す。

 会ってどうすれば良いか、会ってどうにかなるのか、それを分かっているわけではないだろう。それでも確かめずにいられなかったのだ。

 

「優美子……」

 

 ただ呆然と呟くだけの由比ヶ浜に、少しだけ正気を取り戻す。

 俺も、彼女に倣うことにしよう。

 

「雪ノ下を、探そう」

「……うん」

 

 俺の言葉に、由比ヶ浜はどうにか頷いてくれた。

 

 

 

 

 俺の胸ぐらを掴んだそいつが、唸るように吐き出す。

 

「少し、黙れよ……!」

「……はっ」

 

 皮肉げに笑う俺と視線がぶつかり、数秒睨み合う。

 凍りついた空気に固まっていた女子が、焦った様子で止めに入った。

 

「もういい、もういいから!そんな人ほっといてもう行こ!ね!?」

 

 懇願するような彼女に、そいつは俺の胸ぐらを離すと背を向けた。

 

「……早く戻ろう」

 

 そして立ち尽くす俺を尻目に、二人は部屋から出ていく。

 そいつが扉を閉める間際、独り言のような言葉が耳に届いた。

 

「……どうして、そんなやり方しかできないんだ」

 

 一人取り残された俺は、壁に背をつけずるずると座り込んだ。

 先ほどまでのやり取りを思い出し、誰に向けたものでもない声を漏らす。

 

 

「ほら、簡単だろ。ーー誰も傷付かない世界の完成だ」

 

 

 ガチャ

 

 そのセリフと同時に、今しがた二人が出ていった扉が開いた。

 

 

 

「…………何してんの、隼人?」

 

 

 

 そこからひょっこりと顔を覗かせた優美子は、壊れたオモチャを見るような眼で俺を見下ろしていた。

 

 

 

カレッジ(C)ジャスティス(J)?」

 

 おうむ返しに言った私に店長、そして復活した材木座が頷く。

 

「そ、この店の名前。意味は『勇気と正義』ね」

「左様。つまるところ、ここは正義の味方ごっこを楽しむための施設である」

「あ、頭痛い……!」

 

 何この馬鹿馬鹿しいにも程がある展開。

 二人は頭を押さえる私を気にせずにカラカラと笑って続けた。

 

「最初はリアル路線というか、現実にありそうなシチュエーションのプレイばかりだったんですよ。医者の癒着とか政治家の汚職をテーマにしたやつ」

「我のお気に入りは傭兵のやつだな。我欲のためにゲリラと無関係な村の虐殺を命じる上官に、軍法会議を恐れることなく逆らう。たぎる……!」

「あなたは生活指導の先生なんですよね?だったらこれとかどうです?学校の都合で退学させられそうな生徒を庇う役とか」

「これは生徒の設定が細かくて実に良い。友達いないひねくれ者、しかし実は純粋で心優しい少年と。八幡とはまるで違うなw」

 

 その設定は正直ちょっと心惹かれる、じゃなくて。

 もしかしてと思い、店長に恐る恐る聞いてみる。

 

「それ、店長さんが考えたんですか?」

「それが違うんですよ!このシナリオは隼人くんが考えてくれたんです!」

 

 やや興奮気味に答える店長。ああ、やっぱり。

 

「隼人くんが考えたシナリオはどれも人気なんですよ。正義とはちょっと違うんですけど、自己犠牲っていうんですか?己を捨てて他人を救う。カッコいいですよねぇ」

「ウム、ぶっちゃけマジで憧れる。シチュエーションも凝っていてモデルが居るんじゃないかと疑うレベル」

「はっはっはっ、現実にこんなことできる人間居るわけないじゃないか」

「然り、その通りであるな店長。モハハハハッ!」

 

 いや、うん。案外すぐ近くにいるかもしれませんよ、モデル。この店の中とか。

 

「まあそれもあって、リアルさにこだわる必要も無いかなと思ったわけですよ。それで色々と考えてみたんですけど、女の子用のシナリオを雪乃ちゃんに試してもらったんです」

「幸いなことに雪ノ下嬢も気に入ったようでしてな。今日もプレイに耽っておられましたぞ?」

 

 脱力してどうでもよくなっていた私の耳に、何か致命的な言葉が聞こえた気がした。

 

 プレイに、耽っている?

 

 途端、事態を理解する。雪ノ下が危ない!

 

 

 

 

「例え母と言えど、姉さんの仇を赦すわけにはいかない!私は伝説の雪ノ下、アンダースノウ・ザ・レジェンド!私は今こそあなたを超え……!」

 

 ガチャ

 

「ゆき…………のん…………?」

 

「何…………してんだ、雪ノ下…………?」

 

「ぃ……いやああああああああああああっ!?」

 




※冒頭シーンの1週間ほど前


 夜闇の中、塁々と横たわる男たち。
 その骸たち(死んでないけど)の中心に立つその男は、俺と大して歳も変わらないように見えた。

「片付いたか。怪我はないか?」
「あ、ああ。ありがとう、助かった」
「問題ない。この程度は準備運動にもならん」

 頬に十字傷のあるこの男は、事も無げに言ってのけた。

 部活で遅くなった帰り道、ウチの学校の女子達が質の悪いナンパに絡まれているのを目撃してしまった。
 俺は彼女達を知らなかったが、彼女達は俺を知っていたらしい。結局見捨てることもできずにそのDQNを引き付けることになった。
 ケンカなどするつもりはなかった。
 大して経験があるわけでもないし、問題を起こすわけにもいかない。
 体力には自信があったので逃げ切れるとも思っていた。
 だが、彼らは想像以上に執念深かった。加えて恥の概念を理解できない手合いだったらしい。マドハンドのように仲間を呼び、その数はいつの間にか二桁になっていた。
 そして俺はこの公園で追い詰められた。そこにたまたま通りかかったのが彼だったわけだ。
 そこから先はあっという間だった。
 彼は十人以上で武器まで持っていたDQNたちを、瞬く間に『鎮圧』していった。
 俺はその手並みに感心し、端的に感想を述べる。

「すごいな。何か格闘技でもやっているのか?」
「大したことではない。俺より優れた使い手など腐るほどいる」
「そうかもしれないけど、君みたいな人を見かけると、やっぱり少し羨ましくなるよ……」

 自分にはできないことを軽々とやってのける。
 別に特別なことではないはずだった。自分が万能だなどとは思っていないのだから。
 なのに、それがどうしても気に障る。あいつの腐った眼がちらつく。

「何を落ち込んでいる?」

 思わず顔を上げる。初対面の相手にまで見抜かれるなんて、最近の俺は本当にどうかしている。

「よく分からんが、貴様も卑下するような人間ではないと思うぞ。見ず知らずの相手を助けるために自分を囮にできる者などそう多くない。大したガッツだと思うが」
「……見てたのか?でも、やっぱりダメだよ。結局自分の身も守れていない。俺は、あいつには敵わない……」
「フム……」

 彼は少し思案すると、俺の今後を決定付ける提案をしてきた。

「俺には貴様の悩みは理解できん。だが、多少の気晴らしくらいはさせてやれるかもしれん」
「……?」
「貴様を良いところに連れていってやる。無論断るのは自由だが」

 俺は、正直どうかしていたのかもしれない。普段なら、例え恩人の言葉だろうとこんな怪しい誘いに乗ったりしない。
 だけどその時の俺は、その言葉に頷いてしまっていた。
 彼は満足気に首肯すると、くるりと背を向けて歩き出す。少しだけ呆然として、すぐに着いてこいということなのだと気付く。
 どうも重要なところで言葉の足りない人物らしい。まるであいつみたいだ。
 俺は声かけようとして、いまだに名前すら聞いてなかったことに気付いた。

「君は……何者なんだ?」
「俺か?」

 彼は立ち止まって肩越しにこちらを振り返り、端的に名乗った。



「所属部隊は陳代高校2年4組、出席番号42番。相良宗助ーー軍曹だ」

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