思わず叫び返しても、女の子は止まらない。ばかは風邪を引かない、じゃなくて、気づかないんですよ! と言ったり無駄な知識を繰り広げている少女の言葉を聞き流す。早く帰りたいんだ。……いや、帰ったら隣にリノが居るのか。
なら、帰らなくても良いかもしれない。家には母親もそんなに帰ってこないし、野宿しても誰にもバレたりはしない。
最悪、学校に行けば良いだけなのだから。
そう考えていると、突然遠くから声が聞こえた。俺と女の子が反応してそっちに顔を向けると、女の子が口を開く。
「おねーちゃーん!! こっちだよー!」
再び聞こえる、声。
「どっちだー!」
拡声魔法だろうか。やけに響く大きな声を聞いた女の子は、ぴょんぴょんと跳ねながら呼び続ける。傍観する事数十秒、傘を差して肩を落としている女性が墓地へと入ってきた。手に袋を持っているのを見ると、王国に買い物に行ってたんだと思われる。
とすれば、俺の通っている学校には来ていない筈。何故ならあの学校はこの墓地と真反対、俺の家の方面にある。ここから毎日通うには、欠かさず10kmのジョギングをする事になる。流石に毎日それは辛いだろうし、俺と同い年に見える身長と体格的に近くの学校へ通っているのだろう。
俺たちの前に立った女性は、大きく息を吐いてから傘をくいっと傾ける。
隠されていた顔と全身が露わになり、さっきまでの予想が全て覆された事を知った。
「もう! 勝手に先行かないの――――って、君は確か……!」
俺を見るなり驚く女性。腰まである黒髪に、透き通った青い瞳の持ち主。唖然とする両者は、同時にお互いの名前を呼んだ。
「セベット……だよね?」
「お前、確か月夜野……だったよな?」
クラスは違う。だが、学年は同じ。知り合いでは無い。
しかし、お互いは名前が広く知れ渡っていた。俺は学年一のリノと仲が良い唯一の男子として。そして目の前の美少女、月夜野梓はリノの真逆。
学年最下位、スクールカースト最底辺の生徒として有名なのだ。
「ど、どうしたの? 墓地で……って、お墓参りか」
「お前こそ。どうしたんだよ、こんな王国の反対側まで来てさ」
あの学校に通っている以上、少なくとも家はあっちにある筈だ。わざわざここから通うよりも、向こうで下宿先を見つけたほうが早い。
案の定、月夜野は家に帰る、という訳では無いらしい。手に持っていた袋を掲げると、
「私は、昔お世話になった人に会いに来たんだ。……というか、ちょっとコミュニケーション能力が高すぎないかい? どうしてほぼ初対面の女子にそこまで話しかけれるんだ」
「いや、同じ学校だし。お前有名だし」
「君もね。ま、学年最下位ってのも特徴無しよりは良いだろう」
飄々と言う月夜野は、ごく自然に俺の腕へ袋を持たせる。何かを言うよりも早く袋の紐を握らせた彼女は、すっと俺を傘の中に入れた。雨音が響く中で、ぽたぽたと髪から水滴が落ちる。
「荷物持ちをしてくれたら、傘に入れてあげるよ。じゃ、行こうか」
「俺に拒否権は無いんだ……」
「うん。無い」
お前こそほぼ初対面に良くこんな事が出来るな、と思うも黙って着いていく。墓地を出て、向かうのは王国の反対側、深い深い森の方へ。何かで斬られたのか、草が薄い場所を迷いなく歩いていく。後ろから女の子が付いてくるのを感じながら、折角だから話しかけた。
「月夜野が昔お世話になった人はどんな人なんだ?」
「梓、で良いよ。んーとね、静かで凄く強い。真面目だし冷静だし家事万能だしで、私の世話役……じゃなくて! お母さんの代わりみたいな人だよ」
そう言って微笑む梓。リノの華やかな美しさとは違って、梓には可憐で静かな綺麗さがある。
「へえ……強いんだ」
「うん。だけど、接近戦だけかも。遠距離は苦手だって言ってた。まあ、今のご時世に拳で殴る人なんて居ないと思うし」
「……そうだな」
今の魔法戦闘は、遠距離戦がメインだ。
近くに行けば、被弾率が高くなる。確かに確実に魔法を当てる事が出来るが、それ以上にリスクがでかい。
昔は魔法剣士等も多く居たが、今はもう殆ど居ない。遠くから『メテオ』や極太のレーザーを撃ち出す『カノン』等を使い、防御魔法等を駆使しながら魔法を撃ち合うのが現代の戦い方。
確かに、接近戦をする人は居ないだろう。余程の事情が無い限りは。
森の奥へ奥へと進む。濡れている若草を踏みしめ、曇り空の下で黙々と歩く。リノの事が悶々と渦巻く中で、やがて目の前に一軒のログハウスが現れた。森の少し開けた場所にあるそこの玄関へと行き、屋根の下で傘を畳む。
傘置きに梓と少女は傘を入れて、木の扉を三回ノックする。すると扉の奥から小さな足音が聞こえて、扉が目の前で開かれた。
中から出てきたのは、俺よりも少し身長の高い女性。
鋭い瞳に、細いが筋肉が付いている全身。黒髪を上で括り上げている女性は、重みを感じさせる無表情で呟く。
「……良く来たな。で、その男は誰だ?」
「学校の同級生。雨が降ってたのに傘持ってなかったから連れてきちゃった」
「そう。まあいい、上がると良い。タオルを用意する」
「ありがとう、ございます……」
「やったね! これでバカだけど風邪引かないね!」
「うっせえ!」
上げてもらい、玄関で靴を脱ぐ。梓と少女が先に中へ入っていく中で、俺は女性が持って来てくれたタオルで全身を拭いた。靴下を脱いで上がろうとしたその時に、小さく声が紡がれる。
「……古代魔法の使い手か?」
訝しげに眉を潜めた女性。靴下を片手で持ったまま、一瞬固まってしまう。
どう返答すべきか、と悩んだ瞬間。しかし女性は首を振って、何でもないと呟いた。
「梓と雰囲気が似ていたからな。……私は楓。色々悩みがありそうだが、聞くぞ」
「セベット、です。上げてくれてありがとうございます……」
どこまで見透かされているのだろうか。
楓さんの紫紺の瞳。その奥底は、俺には到底見えなかった。