翌朝。
案の定、リノは起こしに来てくれなかった。あいつは今日、委員会はない筈だ。これはとことん嫌われたな、と思う。目覚ましを掛けておいて正解だった。
早めに起きた俺は机に向かい、引き出しからノートを取り出す。
ぱらぱらとページを捲り、辿り着くのは一つの魔法式が書かれている場所。そこには『惚れ魔法』の魔法式が載っていた。
指でなぞりながら、オリジナル魔法の効果を確認する。
失敗は無いはずなのだ。この魔法式ならば、絶対に相手が俺を嫌いになる事は無い。
だとすれば、魔力の展開、変換を間違えた? それとも、誰かに効果を書き換えられた? ……いや、効果を書き換えるなんて言うのはごく一部にしか使えない。
逆転魔法。効果は知っているが、絶対に俺やリノさえも使えない代物だ。
姉と父は使えたハズだ。もう居ないから分からないが、彼らはごく一部の人間なのだから。
さて、今日からはリノへとアタックしなければならない。張り切っているフェオとロキの応援を受けているし、昨日は二時間ほどバイキングのお店で作戦会議もした。二人は親身になって案を沢山出してくれたし、少しだけ立ち直る事も出来た。
まだ、彼らには『惚れ魔法』の事を言えていない。
だからこそ、俺は頑張るのだ。あいつらの思いを無駄にしないために、一人罪を増やして抱え込んで。机の上に置いてある鍵を取って、首に掛ける。上から制服を着て鍵を隠すと、キッチンへ。
リノが居ない朝も勿論あったため、簡単な料理なら出来る。早速食料を入れてある籠から卵とパンを取り出して、魔法を起動。火が点き、そこにフライパンをかける。
しっかりと温まってから卵を二つ割って入れて、パンを切ってこっちも焼く。
段々と香ばしい匂いが漂い始める中、どうしても考えてしまうのはリノの事。あいつは今何をしているのだろうか。俺の事を考えたりはしているのだろうか。
……近々ある中間試験。そこでは基本五教科と魔法歴史、魔法学の筆記試験が行われる。入学して初めての試験で、生徒たちも段々とピリピリして来た。そして筆記試験だけでなく、中間試験では実技のテストが課される。
魔法戦闘。一チーム三人で組む実技テストで、文字通り魔法を操って戦う。
冷静な状況判断、魔法の技能、最善手を見極める力。魔法を扱う上でも重要になってくる技能を伸ばすためのテストであり、魔法で成り立っているこの世界に置いてかなり得点配分が高い。
リノは勿論、ロキも強い。フェオも、あれでいて中堅くらいの実力はある。
しかし、俺はこの四人なら一番下だろう。
そして、一番上だろう。
焼けていく卵を見ながら、パンを皿に乗せる。火を水魔法で消すと、パンの上へと目玉焼きを乗せた。
……俺が、もし、とある物を使ったら。俺しか使えない物を使ったら。
使う事は絶対に無いが、学年一位は容易い。止められるのは、きっと世界の王族だけだろうか。
焦げた目玉焼きを黒いパンで挟み、塩と胡椒の簡素な味付けをして頬張る。
お世辞にも美味いとは言えないだろう。リノの作ってくれる朝ごはんの方が、断然美味しかった。
少しテンションの低い状態から始まった俺の朝は、学校で消し飛ばされる事となる。教室に入ると、そこには女子だけ。じろじろと見られる中で、窓際の後ろの席へ。バッグを横に掛けて、椅子に座る――――ところで、突然知り合い程度の女子に話しかけられた。
「ねえ、ティーク君」
「……えっと」
「あ、私はリノちゃんのお友達だよ。で、どうしたの? 喧嘩したの?」
喧嘩と言いますか。何と言いますか。
「朝からすっごく機嫌悪いの。で、リノちゃんにティーク君の話題振ると……その、すっごい睨まれて。あんなにイライラしてるリノちゃんも珍しいな、って思ってて。何かあったのかな、と」
十中八九俺の所為だろう。昨日の告白がそんなに嫌だったのだろうか。
それとも、今までの不満が爆発したのか。良く分からないが、それでも目の前の女子生徒はリノの事を気遣っていた。
ぞんざいに扱うのは失礼だ。幼馴染として、俺はしっかりと真実を言おうと口を開く。
「それなんだけど、」
実は、告白して振られたんだ。
……そう言おうとした瞬間に、教室のドアが開かれた。自然と目が行き、そのまま体が固まる。女子生徒はびくっと肩を跳ね上げるも、笑顔で挨拶をした。
「やっほー! リノちゃん!」
「……やっほー! セベット、ちょっと良い?」
少しの間の後、リノはいつも通り明るく答えた。厳しい所もあるが、基本こいつは優しい。大抵どんな事を言っても反応してくれるし、同じテンションで会話をしてくれる。友達も多い訳だ。が、そんなリノの愚痴や怒っている時を見続けてきた俺は分かる。分かってしまう。
リノは今、とてつもなくイラついていた。
声の微妙な高さ、指先にこもった力。一見綺麗でいて、引きつっている笑み。
右手に魔力をうっすらと感じるあたり、どうやら魔法の起動をしたらしい。恐る恐る立ち上がって、リノの元へ。無言で踵を返した彼女に付いていくと、人気の無い廊下へと連れてこられた。
先ほどちらっとボロボロの男子の山が見えたのは絶対に気のせいだ。うん。
足を止めたリノは、流麗な金髪を翻して振り向いた。碧い目が鋭く細められて、刹那、魔法が起動される。
突如、風が俺を吹き飛ばした。対応すらも出来ず、壁に強く叩き付けられる。
一瞬何が起きたか分からなかった。状況の把握と同時に、酸素が一気に肺から飛び出る。手足の先が痺れ、次いで氷の槍が頬を掠めて壁へと突き刺さった。
「……いきなり、なんだ」
言葉を練ってる暇もなく、単純な思いが口から吐き出される。
リノは右手を俺に向けたまま動かず、魔法式を更に起動しようとしていた。が、流石に思い直したのか中断。魔力が残滓を残して消えて、重い雰囲気が濃密に漂う。