インフィニット・ストラトス -Supernova- 作:朝市 央
その後、俺たちは畳道場で向かい合っていた。
一夏と楯無先輩は白胴着に紺袴という古武道のスタイルだ。
一方俺はそんなもの用意していないのでいつもの黒TシャツにカーゴパンツのISスーツスタイルである。
「さて、勝負の方法だけど、私を床に倒せたらキミの勝ち。逆にキミが続行不能になったら私の勝ちね。それでいいかな?」
「え、いや、ちょっと、それは……」
「楯無先輩、ハンデ足りないんじゃないですかー?」
「紫電、そこまで言うか!?」
「ふふふ、私に不利すぎるって言いたいのかな?どうせ私が勝つから大丈夫」
一夏はムッとした表情で構えをとると、楯無先輩に掴みかかりに行った。
◇
結局一夏では歯が立たなかった。
それどころかこの楯無先輩、中々強いようだ。
古武道の型をベースに、マーシャルアーツやカポエラなど様々な格闘技の動きが見て取れる。
「……っ」
「一夏、その辺でいいか?まだ俺の番があるんでな」
「……っ!わ、わかった……」
「うん、やっぱり一夏君はまだまだ弱いね。鍛えがいがありそう」
片や地に倒れ疲労困憊、片や余裕綽々といったところか、楯無先輩の方は息すら切れていない。
「見たところ全く疲れてなさそうですね。一夏はウォーミングアップってところですか」
「うーん、そう見えるかな?」
「まあ、今度は俺の番ですね。じゃこれを着けてください」
俺が楯無先輩に渡したのはヘッドギアとオープンフィンガーグローブだった。
そして俺は既に両手にボクシンググローブを着けている。
もちろん安全面を考慮し、最も厚みのあるやつだ。
「……!何か格闘技をやっていそうな体つきとは思ってたんだけど、キミ、ボクサーだったんだ」
「まあ柔道とか空手とかなら多少やったんですけど、一番しっくり来たのがこれなんで」
「確かに、キミと素手で勝負するのは危ないかも。このグローブとヘッドギアは着けさせてもらうわ」
「リングじゃないのがもったいないですが、畳でも十分動けますんで、遠慮せずに来てくださいよ」
そういって俺は楯無先輩の前に立つと、両手をだらんと下げ、爪先でステップを刻み始めた。
◇
一方、楯無はほんの少しだけ苛立っていた。
(私と一夏君の勝負を見た後で「遠慮せずに来てください」とは、随分私も舐められているようね)
しかしそんなことで気を荒げたりすることはせず、すぐさま冷静になって目の前の相手に集中する。
(爪先でステップを刻む典型的なアウトボクサータイプの戦い方……上半身がノーガードなのが気になるけど)
ボクシングは数ある格闘技の中でも最もメジャーな格闘技なため、楯無も十分に知識を持っていた。
故に紫電のステップを見た瞬間、足を使って巧みに距離感を操り、どちらかというと威力よりも手数やスピードで攻めてくるタイプの相手だろうと察していた。
(遠慮せずに来てください、ってことはカウンターを狙ってるってことかしら。その手には乗らないわ)
「あら、遠慮する必要はないわよ?おねーさんに気を使わず、がんがん来なさい?」
「……そうですか。それじゃ遠慮なく」
紫電君は言い終わると同時に一気に距離を詰め、左のジャブを打ってくる。
(……距離を詰めるのが速い!そしてこのパンチスピードは……っ!)
バシンッと乾いた音がして互いのグローブが弾ける。
「お見事、今のジャブを防御しましたか」
「ええ、これくらい簡単よ」
口では簡単と答えて見せたものの、楯無の内心は真逆の疑念が浮かび上がっていた。
(さっきの左ジャブ、かなりのパンチスピードだったけどまったく力が込められていなかった。……こっちの実力を測ってるわね)
そう考えているうちに再び左のジャブが飛んでくる。
今度は頭を動かして回避するも、すかさず追撃の左ジャブが頭部めがけて放たれていた。
(ちょっと、パンチスピード早すぎるんじゃないかしら……!?)
今度は両腕を顔の前に出してジャブをブロックする。
今まで様々な格闘技を学んできた楯無は、もちろんボクシングも学んできていた。
それこそどこかの国のチャンピオンと言われるような人とも打ち合える自信があった。
それが今目の前にいるたった一人の後輩の前で崩れ去りそうになっていた。
これほど早く距離を詰め、素早くパンチを繰り出せる人間は間違いなく初めてだった。
(でもこのパンチは軽い。おそらく力を込めてないんでしょうね。でもそれは本当に打撃力が無いからではなく……こっちが測られているからでしょうね)
目の前の後輩は何食わぬ表情で変わらずステップを刻んでいる。
残念なことに表情からは何を考えているかは見破れなかった。
「紫電君は中々やるみたいね。今度はこちらからいかせてもらおうかしら」
「いつでもどうぞ」
紫電君の表情は何一つ変わらない。
楯無にとってこれほど戦い辛い相手も久方ぶりであった。
今度はこちらから古武道の技術「無拍子」を使って距離を詰め、右手で掌底を放つ。
(狙いは……顎!)
顎は比較的狙われやすい急所である。
顎への打撃は脳を揺さぶり、一時的に脳震盪を引き起こすことができるからだ。
「無拍子」のタイミング、掌底のタイミング、共に完璧だった。
それは間違いなく紫電の顎にクリーンヒットしたかのように見えたが――
(……頭が消えた!?)
実際は紫電が大きく上体を仰け反ることで掌底を回避していたのだが、楯無の眼には突然紫電の頭が消えたように見えた。
そしてそのまま掌底が空を切る。
そして次の瞬間、楯無の右脇腹めがけて強烈なリバーブローが炸裂していた。
「……っ!」
楯無の口から無理やり息が押し出される。
今度は力を抜いたものではない、しっかりと力のこもったパンチだった。
しかし、なんとか畳を踏み直し、体勢を整えた楯無の眼に入ったのは右手でのストレートだった。
(やばっ……避けなきゃ!)
頭で瞬時に危険を察知した楯無だったが、思うように足が動かない。
先ほどのリバーブローのダメージが想像以上に足に来ていたのだった。
やがてパアンッと乾いた音が響くと、楯無の体は後ろに大きく吹き飛び、畳へと叩きつけられていた。
◇
「やばっ、綺麗に決まりすぎた!」
「……まじかよ、簡単に倒しやがった……。俺、全然相手にならなかったのに……」
一夏は呆然としているが今はそれどころではない。
ヘッドギアに守られており、一番頑丈な額を狙って振りぬいた右ストレートだったが、文字通りクリーンヒットしてしまったようだ。
楯無先輩は大きく後方へと吹っ飛んでしまった。
「楯無先輩、大丈夫ですか!?すいません、ちょっと力込めすぎました!」
「……う、大丈夫。でもまさかあの掌底を回避されるとは思わなかったわ」
なんとか楯無先輩は立ち上がってきた。
一応あれでも力は加減して打っていたんだが、リバーブローの直撃はきついはずだ。
「キミは生身の戦いの方は問題ないってわかったわ。でもISに関してはまた別よ。わかったわね!?」
「え?まあ、はい」
「分かったら第三アリーナへ行きましょうね!」
そういうと楯無先輩はしっかりとした足取りで歩いていった。
……あのリバーブローを受けてもまだ歩けるなら結構鍛えているんだろう。
ひょっとしたら俺とまともに渡り合える人なのかもしれないな――
すっかり疲れ果てている一夏に肩を貸しながら、俺はそんなことを考えていた。
◇
第三アリーナでは箒とラウラが訓練をしていた。
「嫁よ、どうした?随分疲れているようだが」
「一夏?それに紫電も一緒か、今日は第四アリーナで訓練しているのではなかったのか?」
「ああ、ちょっと生徒会長に腕試しを挑まれていてな……俺はまだ良かったんだが一夏は結構やられてしまってな」
「大丈夫だ、まだやれるって!」
一夏はそういうが、その状態でISの操縦は無理だろう。
大人しく休んでおけ。
「まあまあそう無理はしないこと。一夏君は私が専属コーチすることはもう決定済みなんだから」
「「っ!?」」
突然現れた生徒会長に箒とラウラが驚く。
「二人とも、その人が生徒会長の更識楯無さんだ。覚えてるか?今日の朝、挨拶してたろ?」
「そう言われればそうだったな」
「……ですが、一夏の専属コーチというのはどういうことですか?会長」
箒の表情が明らかに不機嫌になる。
「言葉通りの意味よ?さっき一夏君と勝負して、負けたら言いなりっていう、ね」
「「一夏っ!」」
箒とラウラの声がハモって一夏を呼びつける。
「まあそう一夏を責めないでやってくれ。一夏は全力で勝負して生徒会長に負けたんだ」
「む……ではなぜお前たちはここに来たのだ?」
「それは――」
「紫電君のISの戦闘能力を測るため、かな?」
皆が楯無先輩の方を見る。
「生徒会長が直々に紫電の腕を見る、だと?」
「む、確かに紫電は我々の中でも一つ抜けた強さだが……本当なのか、紫電?」
「……ま、そんなところかな。んで俺も一夏みたいに弱いって判断されたら生徒会長の専属コーチが付くってわけさ」
「そういうこと。じゃ、早速始めましょうか」
楯無先輩は早速ISを展開する。
そのISはアーマー部分が全体的に小さかったが、周囲をカバーするかのように透明の液状のフィールドが展開されていた。
「これが私のIS『ミステリアス・レイディ』よ。覚えておいてね」
「へえ……そうですかではこれが俺の『フォーティチュード』です。つい最近プロトを卒業した機体なんで、お手柔らかに」
俺もフォーティチュードを展開し、両手にアサルトライフル「アレキサンドライト」とマークスマンライフル「エメラルド」を構える。
「……すげえ、まだ戦ってないのに二人ともすごい威圧感だ……」
「むう、紫電のやつはまだ本気を出しきっていなかったのか?外野から見ている我々ですら圧迫感を感じるぞ」
「……あの生徒会長、只者では無いと感じていたが、紫電のやつからもまた強烈な気迫を感じるな……」
それぞれ一夏、ラウラ、箒の感想であった。
実際のところ、勝負自体は始まっていたのだが両者ともに様子見から入っているせいか、動きは全くなかった。
(更識楯無、ミステリアス・レイディか。見たところ「水」を使う機体のようだな。……面白い!)
俺は先に仕掛けることにした。
マークスマンライフル「エメラルド」で最速の弾丸を楯無先輩目がけて放つ。
一瞬命中したように見えたが、楯無先輩は動じない。
それどころか次の瞬間には楯無先輩の姿をしていたものがバシャリと音を立てて崩壊した。
「何ッ!?」
「うふふ、残念でした。本物はこっち」
背後からの声ではなく、気配に反応した俺は振り向くと同時にスイッチブレードを飛び出させた。
するとガキン、とスイッチブレードが楯無先輩のランスと直撃する。
「って今のに反応するんだ……お姉さん困っちゃうなー」
俺はランスと鍔迫り合いしている最中でも手を緩めず、肩部レーザーキャノン「ルビー」の照準を楯無先輩に合わせ、発射した。
「わわわっと!」
あと数センチ、といったところで被弾は免れたようだ。
なるほど、いい腕をしていると俺は思っていた。
「ISの操縦もなかなかやるみたいね。じゃあこれはどうかしら?」
楯無先輩の持つランスからこちらに向かって弾幕が放たれる。
――また弾幕か、ここ最近の俺はどうも弾丸に対して強くなっているらしい。
弾がとてもゆっくりに見えるのだ。
俺に向かって弾丸が撃ちだされているこの瞬間、時間がゆっくりと進んでいるかのように弾丸は俺の横をゆっくりと通り過ぎて行く。
そんなゆっくりとした弾丸に当たるわけもなく、結局俺が一発も被弾しないまま楯無先輩は弾幕を張るのを止めた。
◇
(……今の動きは一体?あの弾幕をあんなちょっとした動きで全て避けるなんて人間には到底不可能なはず……!?)
楯無は困惑していた。
四連装ガトリング・ガン内蔵ランス『
まして、先ほどの弾幕も一切手を抜いたつもりはなかった。
それがまるで分身でもしているかのような驚異的な素早さで弾丸の一発一発を回避して見せたのだ。
様々な相手と戦ってきた楯無といえど、これには驚かざるをえなかった。
「そちらが弾幕勝負というなら、こちらも弾幕といかせてもらいますよ」
(しまった、先ほどの回避に驚いたせいでこちらの回避が間に合わないっ!)
咄嗟にアクア・ヴェールを張り、弾幕に備えると、ギリギリのタイミングで弾幕の防御に間に合っていた。
「くうっ、なんて弾幕なの……!」
片手に持ったアサルトライフルからはフルオートで大量の弾丸が降り注いでくる。
さらに嫌らしいのはもう片方の手に持ったライフルがアクア・ヴェールの隙間を狙ってくることだ。
そのせいでじわりじわりとシールドエネルギーが削られていく。
「きゃあっ!……あのライフル、ビームも撃てるの!?」
突如アクア・ヴェールを赤紫色の弾丸が突きぬけてきた。
このアクア・ヴェールは実弾の防御には最適だが、ビーム系の兵器に対しては有効な防御策ではないのだ。
肩部にあるレーザーキャノンばかり警戒していたが、ライフルからもビーム弾が飛んでくるとは思っておらず、もろに直撃を受けてしまった。
気付けばシールドエネルギーも底を尽きかけている。
(このままじゃジリ貧……反撃に転じるしかないわね)
楯無は横方向に加速しながら蒼流旋のガトリングで砲撃を返す。
しかし、その反撃はあっさりと高速移動で回避されてしまう。
(本当に速い機体ね。っていうよりあんな速度で機動してたらパイロットへの負担は相当なもののはず……?)
楯無がフォーティチュードの高速機動を疑問に思っていると、そんなことはお構いなしに再びアレキサンドライトのビーム弾幕が襲い掛かってきた。
おまけに今度は肩部レーザーキャノンの砲撃まで一緒に放たれている。
(弾速が速すぎて避けきれない……!これほどの機体を自分で開発したっていうの!?)
流石の楯無もこれほど高性能な射撃能力と機動能力を兼ね備えた機体を相手にしたことはなかった。
その射撃は広範囲に弾幕を形成するだけでなく、瞬時加速するこちらを正確に狙撃できるだけの精密性も兼ね備えている。
楯無の決死の回避と反撃もむなしく、遂には弾幕に押されてシールドエネルギーは底をついてしまった。
――試合終了。勝者、千道紫電――