【凍結】ドラゴンクエスト 勇者アベルともうひとつの伝説   作:しましま猫

28 / 43
世界樹に迫る脅威を退けたヒカルとアン。彼らは無事に世界樹の力を手にすることができるのか?ルナの運命やいかに?


第26話 裁かれる者たち 裁く者たち

 砂漠のオアシスはほぼ年中夏であるが、昼夜の温度差が激しい。数値で表現すると何十度も違うことは珍しくないのだ。従って、場合によっては火をたいて暖を取らなければならないこともある。

 暖炉にくべられた薪がパチパチと音を立て、炎が赤々と燃える1室で、ベッドに横たわり目を覚まさない少女と、その傍らで彼女を見守る少年の姿があった。外は宵闇に包まれ、子供はとっくに眠らなければならない時間だ。しかし、少年はしっかりと目を見開き、浅く弱々しい呼吸を繰り返す少女、自らのたった1人残った家族である妹から目を離さない。

 

「まだ起きていたの? さすがにもう寝た方が良いよ? 代わりに私が見て奥から。」

「大丈夫です。」

「そんなこと言って、昨日から一睡もしていないじゃない。あなたまで倒れちゃったら大変だよ?」

 

 部屋のドアが開き、入ってきた女性はピンクの紙をツインテールに結び、白いフリルの着いた黒いメイド服をまとっている。容姿は12~14歳前後か、下手するともっと幼く見えるが、彼女、ミミがエルフで、自分より十倍以上長く生きていることを、少年、トビーは先日聞かされて知っていた。動く様子のない彼に小さなため息を吐きながら、ミミはベッドに眠る少女、ルナに目をやり、彼女の小さくなっていく呼吸音を聞いて顔をしかめた。モモと教会の者たちが施しているその場しのぎの治療の効果は次第に薄れ、もはやルナはいつ死んでしまってもおかしくない状況になっていた。

 

「お、にい、ちゃん……。」

「ルナ! 大丈夫だ、俺は、俺はここにいる!」

 

 不意に、うっすらと目を開けて自分を呼ぶ妹の手を握りしめ、トビーは大声で彼女に呼びかける。その声が聞こえたのか、ルナは小さな唇を動かし、本当にかすかな声で言った。それは傍らにいるトビー以外のものにはおそらく聞き取れないだろう。超感覚を持っているミミですら、彼女が兄に書けた言葉を完全には聞き取れなかったのだから、トビーがこれを聞き分けられたのは、ひとえに「家族だから」ということなのだろう。

 

「ありが、とう、おにい、ちゃん……。さきに、行くね……。」

「……! だめだ、ルナ、行くな、お前がいなくなっちまったら俺は……!」

 

 必死で呼びかける兄の手を握る妹の力は、次第に弱くなり、その瞳は閉じられようとしている。「先に逝く」などという言葉が幼子から発せられること自体が違和感を感じさせるものだが、命の終わりとはそういうものなのかもしれない。その現実を受けいれたくなくて、トビーは声を限りに叫ぶ。ミミはうつむき唇を震わせた。敬愛する主人を信じていないわけではない。しかし、今、現実にルナの命は尽きようとしている。だめだったか、間に合わなかったのか、そんな考えが頭をよぎり、握りしめた拳に力が入る。ルナの手から力が完全に抜け、トビーが茫然自失となり、その目から涙が溢れる。彼が絶望に支配されかけたその時、大きな大人の手がその手に重ねられた。

 

「まだ、逝かせねえよ……! お前は生きるんだ! ルナ!!」

「は、伯爵さま……?!」

「世界樹の葉よ、その力を示せ!!」

 

 アンの叫びと友に、彼女の手にしていた緑色の葉が淡い光を放ち、ひとりでにルナの上に舞い落ちた。仰向けに寝かされた少女の胸元に、その葉が落ちたとき、放たれる光がいっそう強くなり、それは部屋全体を覆い尽くした。あまりの光量に、その場の全員が目を開けていられない。しばらく後、ヒカルがゆっくりと目を開けたとき、ルナの進退の上で、みずみずしい緑色だった世界樹の葉は、干からびて茶色く枯れ果てていた。

 

「う……ん。あれ、ここは……?」

「?! ルナ? あ、ああっ……!!」

 

 聞き慣れた声に、トビーは恐る恐る目を開けた。そこには、上半身を起こして、きょとんとした顔でこちらを見つめる妹の姿があって……。その先は、もう何がどうなったか、彼は覚えてはいない。ただただ、頬を熱いものが伝い落ち、それは衣服を、ベッドを濡らしていく。何か言葉を発しようとしても言葉にはならなかった。妹の手を握りしめ、彼はただ、泣き続けることしかできなかった。

 結局、トビーが落ち着き、別室で眠りにつくまでしばらくの時間を要した。ルナの方は状況がよく分かっていないようで不思議そうな表情をしていたが、その顔色はもはや病人のものではなく、世界樹の奇跡が確かに効力をもたらしたと確信できる状態だった。

 

「あの……えっと、わたしどうしたの? おにいちゃん、なんで泣いてるの?」

「……その話はまた今度に使用。お腹はすいていないか?」

 

 アンがそう尋ねたタイミングで、ぐうとかわいらしく腹の鳴る音が聞こえ、まるで計ったかのように部屋の入り口から新たな人物が顔をのぞかせた。よく見ると彼女、モモの手元には手押しワゴンがあり、その上に乗せられた鍋から湯気が上り、スープの良い匂いが漂っている。

 

「はは、相変わらずモモはタイミングが良いな。」

「そろそろ、お戻りになる頃だと思っていました。温かいものを召し上がって、ゆっくりお休みください。……ルナも食べられますか?」

「あの、ええと……。」

「大丈夫だ、とりあえず急に食べるとお腹がびっくりするからな、少しずつ食べると良い。」

 

 ルナはまだ状況があまり良く飲み込めていないようだが、とりあえず空腹を感じているらしい彼女の元までワゴンが運ばれ、モモは手早く鍋の中身を器に移す。ルナは戸惑いながらも空腹には勝てず、おいしそうな匂いを立てているスープを一口、口に運んだ。

 

「おいしい……。」

「そうか、少し手が震えているな。どれ、こぼすといけないから、私が食べさせてやろう。ほら、あーん。」

 

 目の前の女性が自分に害をなさないと分かったためか、あるいは極度の空腹のためか、ルナは戸惑いながらも言われたとおりに口を開け、アンは自分の手元で冷ましたスープを彼女の口へ運ぶ。そんなことを繰り返している内に、具だくさんのスープはあっという間に完食された。

 

「なかなか言い食べっぷりだな、おかわりするか?」

「ううん、大丈夫、です。」

 

 彼女が小さなあくびをしたのを見届けたアンは、その体を再びベッドに横たえさせ、毛布を掛けてやる。ルナの紙を何度か撫でてやり、彼女が落ち着いていることを確認したアンは、ヒカルとモモの方を向いて言った。

 

「ゆっくりと寝かせてやろう。私達は食堂で夕食を頂くとしようか。」

「かしこまりました、では、こちらへ。」

 

 食器をワゴンに乗せ、ドアの方へ向かうモモに続いてミミとヒカルが、それに続いてアンが立ち上がって部屋を出て行こうとしたとき、小さな声がそれを呼び止めた。

 

「おかあさん、行かないで……。」

 

 少女の目には涙が溢れ、不安でいっぱいの表情をしている。アンを母親と間違えて呼んでいる当たり、どうやら少し混乱しているらしい。アンはベッド脇の椅子に座り直し、ルナの手を握って優しい声で語りかけた。

 

「わかった。お前が眠るまで、私がここにいてやるから、安心してお休み。」

「一緒に、寝て……。」

「ん? 1人では眠れないのか?」

「抱っこ、して……。」

 

 アンは一瞬迷うようなそぶりを見せたが、上着を脱いで肌着だけになると、ルナの隣に横になり、彼女と自分に毛布を掛けた。そして振るえる少女をその旨に抱き、安心させるように背中をトントンとたたいたり、頭を撫でたりし始めた。そして、その状況を見守っているヒカルたちに、先に食事をしているようにと促し、ほどなくしてこの部屋はルナとアンの2人だけになった。

 

「なんてことだ、身体は世界樹の葉で回復したが、心の傷があまりにも深すぎる。いったいどうしてやれば良いんだ……。」

 

 かすかな声でつぶやかれたアンの言葉は、静かな寝息を立て始めたルナに届くことはなく、心室の静寂に溶けて消えていった。温かなぬくもりが、ようやくルナに静かな眠りをもたらすだろう。しかし、幼いその心には、容易には消えない傷が残ってしまったのだ。勇者、などと呼ばれながら、皆を守るなどと公言しながら、自分は何て無力なのだろうと、アンは唇をかみしめた。

 

***

 

 世界樹の中に広がる、まるでもうひとつの世界であるかのようなその場所は、精霊神の住まう神殿を中心とした広大な空間である。世界樹の大きさを考えても、その中にこれほどの空間が存在するのは物理的には不可能で、何か超常的な力が作用しているのは明らかだ。神殿はほぼ白一色で統一されており、光源もないのにどの部屋も均一の明るさに保たれている。そればかりではなく、温度や湿度などの環境も最適な状態が保たれており、さらには空間内の生物の生命力を時間と共に一定量ずつ回復するという特殊なフィールドとなっている。これらはもちろん、この神木に宿る存在、いやこの世界樹の木と同一の存在といってもいい彼女の力によるものである。

 

「なぜ、なぜですか精霊神様、なぜ人間などに世界樹の葉を……!」

「いいかげんにしてください兄じゃ、彼らがいなければこの世界樹はともかく、森は焼き払われ、いかに精霊神様の力といえども修復にどれだけ時間がかかったか判らないのですよ?」

 

 レイアスは元々美しいはずのその顔を憤怒にゆがめ、鬼のような形相を浮かべている。それでも、さすがにその表情を真正面から神に向けるのは不敬だと感じているのか、やや目線を下げてうつむいている。しかし、体はわなわなと小刻みに震え、握りしめた拳は自らの爪が手のひらに刺さり血がにじんでいる。彼の双子の弟、エリアスはため息を吐きながら兄をたしなめるが、そのような言葉が今の彼に届くわけがないことを、誰よりエリアス自身がよく分かっていた。

 

「レイアス、あなたが人間を毛嫌いする理由は分からないわけではありません。しかし、彼らの歩んできた道、これから歩む道は、あなたが思うよりはるかに過酷な道です。そもそも、ヒカルとアンは世界の意思によって選ばれた者、そしてそのことは彼ら自身の意思とは関係ありません。」

「ええっ?! ちょっと待ってください精霊神様、じゃあ、ヒカルとアンはその、強制的に連れてこられた、ってことなんですか?!」

 

 今まで黙って彼らのやりとりを聞いていたミニモンは、驚いた様子で手に持った小ビンを落としそうになり、慌ててしっかりと持ち直した。小ビンには透明な液体が満たされており、その中に緑色の植物の葉のようなものが浸されている。精霊神はミニモンをゆっくりと抱き上げ、その頭を軽く撫でながら、部屋の窓から見える空を見つめて、また悲しそうな表情をするのだった。

 

「私は世界のゆがみによって生まれた邪悪なる存在、デスタムーアからこの世界を守ってくれる存在を願いました。世界の意思はそれをくみ取り、そして自らのゆがみを正すという本来の目的に従い、修正される前の歴史を物語にして、ある世界に顕現させました。」

 

 精霊神によれば、本来の歴史では古代エスタークの怨霊ゾーマの意思により生み出された大魔王バラモスが、竜伝説に記される勇者の力を受け継いだアベルという少年と、同じく聖女の力を受け継いだティアラという少女により倒されるという。そして伝説の龍の力で汚された水は元に戻り、世界は平和を取り戻す。だが、その後何者かが歴史をやり直すために大量の「時の砂」を行使し、現在の状況に至っている。術者が誰で、何故時間が巻き戻されたのかを含め、バラモス打倒後の詳しい歴史は、結局、異世界に顕現させた物語からは読み解くことが出来なかったそうだ。さらに、物語の中でも結末が2通りになっており、本来の歴史でも何らかのゆがみが生じていたらしい。

 

「世界の意思は物語を広めていく中で、それに惹かれてくる者たちの中から、邪悪な存在を打ち倒す力を持つ者、勇者の波動を持つ者を見いだし、何らかの方法でこの世界に転送しました。それがヒカルと、アンです。彼らは元の世界では戦う力など持ち合わせていない普通の人間ですが、こちらでは彼らの魂と世界の波動が同調し、彼らに強大な力を与えています。ですが……。」

 

 強制的な異世界転移など、彼らが望んだものではない。ヒカルはたまたま強い心を持っていたため、魔法という強大な力を受け入れ、難なく行使することができた。しかしアンの方は、そのままでは強大な力に心が押しつぶされてしまう状態だった。彼女の力は自らの防衛本能のため転移後も発言せず、そのままであれば力に気づくことなくスライム島で過ごしていたことだろう。しかし、彼女が自ら力を得ようとしたことは精霊神にとっても予想外だった。転生の儀式によって彼女は人ではなくなり、強大な力を得た。そのとき、それと引き換えに自らの経験と記憶の大部分を封印された。彼女の皆を守りたいという強い意志のみを残したことで、精神のバランスがようやく保たれ、彼女は剣を撮って戦えるようになったのだ。つまり、記憶が戻ってしまえば彼女は戦えなくなる可能性が高い。ムドーに石化されて魂が肉体から分離したとき、1度記憶が戻っているが、スライムナイトの身体に魂が戻ったことで、その記憶は再び、心の奥底に封印されている。この記憶喪失の本質は彼女の防衛本能によるものであり、儀式によるデメリットではない。そもそも、生命を慈しむ精霊神の力を借りる儀式に、「代償」として失うものなど本来は存在しない。古文書に書かれていた内容は儀式の方法以外はかなりの部分が間違っており、方法だけが完全に正しかったのはもはや奇跡としかいいようがない状況だったのだ。ただ、儀式自体もそれを受ける者に負担がかからないように、よほどの条件が揃わなければ成功せず、なおかつ転生する者の肉体と精神を最大限に保護するよう術式がくまれている。それらの相乗効果により、何万分の一にも満たない確率で発動した結果が、今のアンなのだ。

 

「そん……な、なんで、あの2人じゃなきゃいけなかったんですか?!」

「勇者と同等の波動を持つものなど、そう簡単に見つかるものではありません。彼らしかいなかったのです。彼らでなければ、この世界を救うことはできません。この世界に定められた勇者たちの力だけでは、デスタムーアを倒すことはできないのです。」

 

 ミニモンは先ほどの戦いを思い出していた。まるで神話の英雄のように凶悪な敵に立ち向かっていく2人の姿を。しかしその力はただの人間でしかない彼らの運命を狂わせ、本来は無縁であった、命を賭けた戦いに身を投じさせてしまっている。そんなことが、神や世界の意思だとしても、許されて良いのか? 考えてもミニモンにはわからない。

 アンの失われた記憶について、力を与えたガワである精霊神はすべてを知っている。彼女がヒカルと同じ世界から転移した存在であると言うことを彼が知れば、今以上に心の支えになることだろう。しかしそれは出来ない。なぜなら、万が一にも、彼女に記憶を取り戻させてしまう可能性を与えることになりかねない危険をはらんでいるからだ。

 

「ふん、この世界を救う勇者に選ばれるなど名誉なことではないか。世界のために戦うのは当然のことだ。」

「……じゃあ聞くけどさ、レイアス、君の故郷が人間たちに滅ぼされたのも運命、そう思ってあきらめるんだね?」

 

 吐き捨てるようなレイアスの言葉に、ミニモンがいつもは見せないような険しい表情を浮かべ、明確な敵意を持って彼をにらみつけた。その様子は普段のミニモンからはおよそ考えられないようなもので、レイアス、エリアスばかりでなく精霊神でさえも一瞬驚きの表情を見せたほどだ。しかし、普段は優しく臆病な小さなモンスターのそのような変化を見せられてもなお、レイアスはたじろぎながらも反論せずにはいられない。

 

「な、何を言う?! それとこれとははなしが別……。」

「何も違わないでしょ、レイアスが言ってるのは結局の所、与えられた運命は理不尽でも受け入れろってことなんだよ? それとも君の運命は受け入れがたくて人間を恨む正当なもので、彼らが強制的に連れてこられて、望んでもいない運命に振り回されるのはあきらめろって? ホントふざけてるね君。まあ彼らは何があっても、誰かさんみたいにことあるごとに敵を作って、人のせいになんてしないだろうけど。」

「そうですね、ミニモンのいうとおり、彼らはこの世界の事なんて放っておいても良かったはず。誰にも彼らに戦いを強制する資格なんてありません。もともと彼らはこの世界の住人ではないのですからね。でも、彼らはそうしなかった。」

 

 ミニモンだけでなく、エリアスもまた、口調こそは穏やかだがレイアスを冷たい視線で見つめている。居心地が悪くなったのか、レイアスはチッと舌打ちをして、そのまま黙り込んでしまった。精霊神はミニモンを抱いたまま窓際に立ち、空を流れる雲を、やはり憂いげな瞳で見つめながら、ふたごの翼人の方を振り返ることなくつぶやいた。

 

「彼らが成そうとすることが、誰かを助けようとする行いである限り、私は助力を惜しみません。たとえ失われた生命をよみがえらせる禁忌の法を使うことになったとしても。……最終的に世界の意思によって彼らが選ばれたのだとしても、彼らの人生を奪い、見知らぬ土地へ連れてきてしまったその責任は、間違いなく私にもあるのですから。」

 

 一輪の風が精霊神の長い銀髪を揺らし、彼女の瞳からこぼれ落ちた一筋の涙をさらっていく。それは彼女の後ろ姿を見つめているふたごの従者の目に映ることはなかった。

 

***

 

 世界樹の葉が奇跡を起こしたあの日から、3日ほどが過ぎ去っていた。邸宅の居間で、赤々と燃える暖炉の火で身体を温めながら、食後の紅茶を楽しんでいる貴族の夫婦がいた。同じテーブルには桃色の髪を持つエルフの姉妹と、黒髪の少年が座っている。

 

「ようじ、たいこう?」

「ああ、ちょっと難しい言葉だったな。赤ちゃん返りとか、他にも言い方はあるんだが、要するに、今の歳よりも小さな子供のようになってしまうことだな。」

「ルナは、その、赤ちゃんみたいになっている、ってことですか?」

 

 ここには少年、トビーの妹ルナはいない。先ほどアンが寝かしつけたところで、今はヒカルとアンの心室の大きなベッドで眠っている。世界樹の力で、身体の傷が完全に回復したばかりでなく、いくつか抱えていたと思われる病気もすべて治癒していた。ゲーム的にいえば、1度死んで生き返ると状態異常がすべて解除されるのと同じ状況だろう。

 しかし、心の方はそうはいかなかった。柄の悪い大人たちに受けた仕打ち、病に苦しんでいる自分とそれを支える兄を嘲笑し、暴力を平然と振るうその姿は、彼女に拭い去れない恐怖を与えてしまったのだろう。

 

「自分のことは自分で出来ていますし、聞き分けも良いので、完全に赤ちゃんになってしまったわけではないですね。けれど、お父さんやお母さんを失ってすぐに、あんなひどい目にあわされたんですもの、誰かに寄りかかっていたくなったとしても、仕方ないことだと思います。彼女はまだ子供なのですから。」

「そういう意味じゃ、トビーがタフすぎるんだよね、無理してるんじゃないの? 今日からミミが一緒に寝てあげよっか? ほらほら、ぎゅー、しよ?」

「え、ええ? 良いですよ、1人で寝れますってば、ちょ、くっつかないでくださいっ!!」

 

 抱きついてくるミミを引き剥がそうとするトビーをおかしそうに眺めながら、ヒカルとアンはルナについて、もう少しこのまま様子を見ようと決めた。トビーの方も、今は大丈夫かもしれないが、何かのきっかけで心の問題が表出することも十分考えられる。2人を教会が管理する孤児院へ預けようかという考えも最初はあったのだが、あの日以来夜になるとルナがアンから離れないため、引き離すのはルナの心に良くないだろうと結論づけた。しかし、今後この幼い兄弟の処遇をどのようにすべきか、ヒカルとアンは決めかねていた。そもそも親になったことがない彼らには、子供の行く末を考えることになるなど想像もしていなかっただろうから、無理からぬ事だろう。とりあえず、ルナの精神が落ち着くまで、幼い兄妹を傍らに置いて見守ってやることくらいしか、2人にはできなかった。

 

***

 

 ドラン王城の1室、簡素だが管理の行き届いた部屋で、2人の男がテーブルを挟んで何やら話している。1人は大柄で、立派な口ひげをはやし、仕草の一つ一つに気品と威厳が感じられる。対するもう1人は小柄で、どこにでもいるようなごく普通の男である。

 

「そうかい、やっぱり思っていたより厄介な組織みたいだな。」

 

 小柄な男、ヒカルは顎に手をやって、口をへの字に結んで不快感をあらわにしている。しかしその表情すらもどこか愛嬌があり憎めないと、対面に座る男、この国の王であるピエールは思うのだった。

 

「うむ、しかしなんとかしなければならぬな。こともあろうに子供を中心に取引をするなど、人の親としてまず許せぬ。」

「俺ぁ親になったことはないけど、同感だね。多少時間がかかっても、徹底的にぶっ潰さないと、魔物や魔王の前に、同じ人間にやられることになりかねないからな。」

 

 人間の強欲、憎悪、嫉妬などといった悪意に基づく行動が活発化しているのはおそらく、デスタムーアの計画の一端なのだろうと、ヒカルは当たりを付けていた。人間の負の感情が力となっていることが確かな以上、犯罪組織の台頭などを見過ごしておけば、後々取り返しのつかないことになるのは目に見えている。しかし、容易に対策が取れないというのも又、まぎれもない事実であった。

 

「簡単に行かぬのはわかっている。それでも、各国の王に書状を送り、我が国が捜査摘発に全面的に協力する故、人身売買組織の駆逐に力を入れてくれるように依頼している。……いろいろ忙しいとは思うが、ヒカルとアンにも手を貸して貰いたい。」

「ああ、もちろんだ。あんな連中生かしちゃおけねえ。」

 

 ヒカルは冷めた紅茶を一気に飲み干すと、なんとしてもこの事件を解決するのだと、決意を新たにした。ピエール王はそんな彼の様子に満足そうに頷くのだった。

 

「あ~あ、こんなところをアルマンの奴に診られでもしたら、ま~た何言われるかわかったもんじゃないな。」

「ふふ、そうだな。……無理を言って悪かったとは思っているのだ。しかし、これから相手にしなければならないのは魔王、対抗するためには今までと同じではだめだ。だからこそ、お前には余……私の傍で力を振るって貰わなければならぬ。そのためには……古い身分制度やしきたりなど、邪魔になるだけだ。」

 

 ヒカルのこの場での言動は、とても一国の王に対するようなものではない。しかし、何よりピエール王自身が、2人だけで話すときに限り、それを望んでいる。最初にこの提案をされたとき、さすがのヒカルも驚愕で言葉が出なかったほどだ。

 

「私に今、本当に必要なのは、身分を超えて同じ場所に立ち、共に助け合う存在だ。我が側近たちは皆、有能だ。そのことは疑ってはおらぬ。しかし、王に権力を集中したこの国の政治(まつりごと)では、どうしても私の考えが最優先されてしまう。それではダメなのだ。想像を絶するような敵と戦わなければならないとき、本当に必要なのは、共に考え、力を合わせて立ち向かえる対等の存在……。私はお前に私の友になってほしかったのだ。」

 

 王様に友だちになってくれと言われて、はいそうですかと答える一般人なんていないだろうと、自分がこの世界においてはすでに「一般人」ではない事実を棚に上げてヒカルは考える。ピエールが何を思って、この国の貴族からしたら「よそ者」である自分をそばに置こうとするのか、後妻も撮らず妾も侍らせず、ただひたすら政務に取り組むのか、ヒカルにはよく分からない部分も多かった。しかし、妻の死後も悲しみを押し殺し、国民のためにと仕事に励む姿は、ヒカルの元いた世界の政治家たちにはまず見られない姿勢なのは確かだ。悩み苦しみながらそれでも歩みを止めないこの王の力になりたいと、いつしか彼は本気で思うようになっていた。ドランにとどまったのは目的を果たすためのバックボーンを得るためであったが、知らない間にヒカルも大多数の国民がそうであるように、ピエール王のもつ魅力に惹かれていたのかも知れない。

 

***

 

 男は驚き、怒り、また焦っていた。今までも、どこからか情報が漏れ、アジトにしていた場所を襲撃されることは幾度かあった。しかし、裏社会に張り巡らされたネットワークを介し、それを上手く煙に巻いてきたのだ。いつも、役人が踏み込んでくるのは彼と部下たちが逃げた後だった。しかし、今回は違う。逃げだそうとしたときにはすでに、アジトにしている宿屋は武装した者たちに包囲され、自分たちの目の前にはその集団の長らしき、全身鎧(フルプレート)の騎士が立ちはだかっていた。どういうわけか、他の者が馬に乗っているのに対して、この騎士だけは緑色のぷるぷるとしたゼリー状の物体に騎乗している。それは形から見て、どう考えてもモンスターであるスライムそのものであったが、男たちは誰も、人を乗せられるようなサイズのスライムを見たことなどなかったから、実際にはモンスターとおぼしきそれが何であるのか、明確に知っている者は独りもいなかった。スライムから下りた騎士は、ゆっくりと彼ら……人買いを生業とする集団の元締めとその直属の部下たちに向かってくる。その体格は小柄ながら、圧倒的な強者の雰囲気をまとっており、裏社会で命のやりとりをしてきた彼らには、この騎士が自分たちが束になってもまるで歯が立たないということが、いやが上にも判ってしまうのだ。

 

「貴様らが人買いの一味だと言うことは調べがついているおとなしくして貰おうか。」

「くっ、どうせ戦っても勝ち目なんかねえ、好きにしやがれ。」

 

 この集団の元締めタル、スキンヘッドのいかめしい男は悔しさをかみしめながら、しかし決して抗えない実力の差に打ちひしがれた。貧しい農家に生まれ、大きな商家で奴隷同然に働かされ、着る物や食事も満足に与えられず、気がつけば城下町で盗みを働き、生きるために悪行を積み重ね、裏社会のとある組織で頭角を現し、元締めと言われる立場にまでなった。そんな人生の中で彼が最も頼りにしたものは、純粋な戦闘力である。熟達した専業の戦士にも勝るとも劣らない実力は、荒事を生業とするこの業界において彼の身を守り続け、他者に一目置かせる材料となった。それ故に彼は、自分の力に自信を持っていたし、実際彼に対抗できる存在は人間社会の中では非常にまれだろう。だからこそ、目の前に立ちはだかる圧倒的な強者の存在は彼の自尊心を粉々に打ち砕いた。強者である男には、弱い部下たちよりもさらに鮮明に、目の前の存在の驚異的な実力が、理屈ではなく感覚で分かってしまうのだ。磨き上げてきた自分の力で目の前の障害を排除したくとも、体が動かない。気をしっかりと持っていなければ、この場から一目散に逃走してしまいそうになる。それだけの恐怖を与える存在に、彼は今まで遭遇したことは無かった。

 

「……なるほど、お前がこの国の人買いをまとめ上げている、グレゴとかいう奴か。」

「ほ、ほおぉ、オレの名前を知っていてくれるとは光栄だな。しかし、そういうあんたは何者だ? この国にはあんたのような腕の立つ奴はいないはずなんだが。」

「そういえば名乗りがまだだったな。私はラナリー=アン=アスマ=シャグニイル、ドラン王国騎士団の二番隊隊長だ。この国の国王陛下の依頼を受け、人買いなどと言う不届きな輩を捕らえて回っている。」

「なっ……てめえやっぱり人間じゃ……。」

「連れて行け。」

「はっ!!」

 

 驚きの声を上げる男の言葉を遮るように、アンは部下たちに命令を下す。あっという間に縛り上げられた男たちはなすすべもなく引き立てられていく。この騎士たちですら、グレゴなど相手にならないほど強い。それが判ってしまった彼にはもう、戦意など残っているはずがなかった。しかし、引き立てられていく彼の耳に届いたアンの言葉は、そのすさんだ心を深くえぐるものだった。

 

「……確かに私はモンスター、しかし、自分より弱いものを平気で食い物にするような輩に、人間でないからと言ってとやかく言われる筋合いなど無い。」

「く、くそぅ、だが俺たちを捕まえたところで無駄なことだ、この国には、いや世界には、俺たちみたいな奴はゴマンと……。」

「だからどうした。」

「な……に?」

 

 男が最後の抵抗をするかのように吐き捨てた言葉を、騎士は即答で切り捨てた。そんなことは関係がない、そう言いきるように発せられた言葉は、先ほどのものよりも鋭利な刃となって、深く深く、グレゴの心を突き刺した。

 

「どんなに時間がかかっても、どんな手を使っても、人買いなどという組織は私が、いや私達が残らず叩き潰してやる。可愛い子供たちに絶望を与えるような奴は、精霊神様の生み出された同胞として認めることはできないからな。」

 

 アンと名乗った騎士の姿が遠ざかるのを、焦点の定まらない視界に移しながら、グレゴは考える、自分のしてきたことは何だったのかと、悪事と分かって、悪党になりきると決めて、様々な思いを振り切って、それでも自分は生きるためにこの道を選んだ。それを後悔はしていない、断じて、後悔など、しては、いない……。

 

「お疲れ様、ほんっと手間のかかる仕事だよねえ~、人間ってほんっと面倒くさいわあ。」

「そうだな。しかし、ルナやトビーのような子供たちをこれ以上増やさないためにも、根気よく続けていかなければならない。ドラみのおかげでずいぶんと手間が省けた、ありがとう。」

「まあ、子供は種族関係なく、世界の宝だってうちのばあちゃんも言ってたしね~。役に立ったのなら良かったよ。」

 

 ドラみが透明化を駆使して人身売買組織の情報を密かに集めているため、アンたちは組織が動く前に手を打てている。そういう意味では、捕縛の手柄はほとんど彼女1人のものだ。まだまだ、世界的には人間の敵として討伐されることの多いモンスターが、人間の子供たちのために東奔西走しているというのだから、皮肉な話だ。

 全世界に張り巡らされた人買いの組織網が崩壊し、この世界に人身売買が台頭しなくなるまで、この後さらに数年の時間を要する。グレゴという男がその後どうなったのか、知るものはいない。

 

to be continued




※解説
人買い:原作中では実は魔王より極悪なのではないかという組織。このお話の中では、若い女性や子供など弱いものをさらって売り飛ばすという最低の連中です。しかし、人身売買などと言う悪逆非道がまかり通っているということは、人間の負の感情あふれまくりでデスタムーアさんがウハウハではないですか。何とか阻止しなければ、ということで今回の話になりました。

さて、ルナは無事に一命を取り留め、トビーの闇落ちは阻止されたようですが、果たしてルナは年相応の元気な女の子に戻ることができるのか?
原作が遠いって? 知らんな(すっとぼけ)。

ちなみにこの物語は、トビーとルナの物語でもあります。アベルとティアラ中心ではない物語を目指しています。原作のお話はダイジェストどころか、こちらの話に必要がなければ出しません。改めて、その点をご了承の上お読みください。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。