【凍結】ドラゴンクエスト 勇者アベルともうひとつの伝説   作:しましま猫

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同時執筆していた最後のお話です。
ヒカル君がこれから活動していくための基盤を作るために、これまで長い話を書き続けてきました。
冗長な文章にお付き合いくださった方々に、深く感謝です。
あと数話で、ムドー編は終了になります。
今更ですが、第4話を少し加筆修正しました。
それから、プロローグの前に注意事項等を追加しました。それにともなって、あらすじを簡素なものに変更しています。

※2018/5/6 誤字を修正しました。トッシー様、ありがとうございました。


第20話 永遠の別れ、届かない手

 誰もが、身動きすらできなかった。多少、魔法の扱いに優れているといっても、衰弱しきった身体に無理をして気力だけでその場に立っているような人間が、なにゆえこれだけの圧倒的なプレッシャーを放てるのか、それを理解できる者など、この場には誰もいなかった。それは彼女が左手に持つ杖の力か、ジュリエッタ自身の希薄化、知る者はいない。

 

「魔王よ、お前の思い通りになど、断じてさせません、ストロスの杖よ、勇者をむしばむ邪なる呪詛の力を打ち払い給え!」

「ば、バカな……ストロスの、つ……。」

 

 息も絶え絶えな魔王の言葉は最後まで続かない。王妃の持つストロスの杖から白く清浄な光が放たれ、石像と化した勇者、アンと彼女が騎乗するスライム、アーサーの身体を包み込む。そして、灰白色の石の塊は、次第に生物らしい鮮やかさと生命の躍動を取り戻してゆく。

 

「お、の、れ……ぐはぁっ!」

 

 そしてついに、魔王が力尽き、その身が塵となって消えたのと同時に、杖から発せられる光も収束し消えていった。

 

「はっ、私は、いったいどうしたのだ?! ムドーは、皆はどうなった?!」

「アン、元に戻ったのか?!」

「ヒカル……? いったいこれは、ムドーの、奴が放った光を浴びて、その後真っ暗な闇に落とされて、ヒカルの声が聞こえて……?」

 

 混乱するアンは状況をなんとか整理しようと頭を回転させるが、ムドーに述をかけられた後のことが、もやがかかったようにぼんやりとしか思い出せない。しかし、彼女が状況を整理し終わる前に、悲痛な子供の声が室内に響き渡った。

 

「お母様!!」

 

 ドサリという音がして、そちらを振り返ったアンは言葉を失った。そこには、床に倒れ服す王妃の姿があり、駆け寄ったサーラが必死に声をかけている。傍らには、奇妙な形状をした杖が転がっていた。

 

「こ、これはいったい? ヒカル! いったい何があったんだ?!」

 

 そう聞かれても、ヒカルにだってこの状況を正確に他人へ伝える手段などない。わかっていることといえば、王妃が瀕死の体にむち打ち、ストロスの杖の力を解放して石化の呪いを解いたという、この場に居合わせ、状況を目撃したものであれば誰でも分かることだけである。

 

***

 

 結局、それから半日以上経ち、城内の者たちが目を覚ますまで、状況は何も動かなかった。衰弱しきった王夫妻はしばらく眠っていたが、ピエール王は城内が慌ただしくなった頃に再び目を覚ました。そして、彼は疲弊した身体にむち打ち、自分たちの恩人へと刃を向ける家臣たちを、必死で止めなければならなかった。

 

「し、知らぬ事とは申せ、国王陛下を救って頂いた恩人に、なんたる無礼を……!」

 

 この部屋に最初に駆けつけた衛兵たちの中で、真っ先にアンに剣を向けた者が、青ざめた顔で跪き許しを請う。しかし、アンは気にした風もなく、それが職務だろうと軽く流した。実際、魔王ムドーはその死体すら残さず消えてしまっている。衛兵たちが駆けつけたとき、部屋の惨状と、倒れ服す王妃と、剣を持ったスライムナイトを目撃したのなら、彼らが王を守るという職務のためにアンに剣を向けたとしても、それはやむを得ないことであろう。王の一言でその場が収まったのは、彼らの主君に対する忠誠がどれだけ厚いかを物語ってもいた。いずれにしても、長く覚めない眠りについていた国王が目を覚ましたことで、事態はゆっくりと収束の方向へ向かっていったのだった。今後、王が回復すれば、滞っていた国政も徐々に動き出し、ほどなく国内は平穏を取り戻すだろう。城の者たちは皆、ほっと胸をなで下ろしたのだった。

 ヒカルたちは王夫妻を救ったことで、国賓として迎えられ、城内の一区画に滞在を許可された。慣れない場所に戸惑いながら、彼らは国を救った英雄として、惜しみない称賛を送られたのである。

 しかし、すべてがうまく収まったのかというと、そういうわけにはいかなかった。ムドーが所持していた暗黒の宝珠は、いつの間にかその場から消えており、どこを探しても見つけることができなかった。また、何台も前からドラン王家に仕え、国の支えとなってきたサリエル公爵家の現当主、この国の筆頭大臣を務める男が、突然行方をくらませた。しかし、王が床に伏しており、事件の後始末が住んでいない現状で、これ以上深入りできないと判断されたため、サリエル公爵の捜索は保留された。そのほかにも、眠ったままになっていた子供たちのことがようやく王宮に情報として伝わり、事態の確認が行われようとしていた。これは後に判明したことだが、眠っていた子供たちのすべてが目を覚ましたわけではなく、衰弱してそのまま息を引き取った者も数名いたそうである。良いことも悪いことも含め、この慌ただしい状況はしばらく続きそうである。

 

***

 

 魔王との戦いから一昼夜が過ぎ去り、ヒカルたちは王夫妻の元へ呼び出されていた。昨日の戦いで半壊した部屋とは別の部屋がすぐさま用意され、夫妻は無事、ひとまずゆっくりと身体を休めることができる環境を手に入れたのである。

 

「このような格好ですまぬな。王妃が、妻がどうしても、お主らに話しておきたいことがあると、そう申すのでな。」

「いや、それ事態は別に構わないんですが、その、そんな状態で大丈夫なんですか? もう少し体を休めて、後日ゆっくり聞きますよ?」」

 

 ピエール王は一晩ゆっくりと眠ったためか、ベッドから体を起こして普通に会話できるくらいにはなっていた。おそらく、モモが衛兵たちが来る前に飲ませた薬草のエキスが効果を発してきているのだろう。魂に受けたらしいダメージは回復呪文(ホイミ)ではあまり回復せず、後でやってきた神官たちがその無力を嘆いていたほどだ。モモの能力はこの世界ではとても珍しく、貴重なものなのである。しかしながら、なぜか王妃は同じ薬を飲んだにもかかわらず、ベッドから起き上がることができない。それでも話したいことがあるなどと言われれば、ヒカルには嫌な予感しかしなかった。

 

「良いのです、ヒカル。……今、きちんと話しておかなければ、もうじき私は、声を出すことすらできなくなるでしょうから。」

「……! やっぱりか、あのとき無茶な呪文使ったり、魔王の呪いを解いたりしたから……!。」

「そうですね、……けれど、私は城の皆と、あなた方が戦うところなど見たくありませんでした。魔王の策略で、戦わなくても良い者たちが戦い、傷ついていくのを、どうしても見たくなかったのです。それに、……アンは罪のない兵士たちを切り捨てることなどできないでしょう?」

「お、王妃様、まさか……?!」

 

 アンは驚いてジュリエッタの方を凝視してしまう。確かにアンの性格であれば、この城の兵士たちと戦闘になった場合、命を取らないように手加減して戦う可能性が高いだろう。それではいくら彼女が強いといっても、数百人以上に上る手勢を相手にするのでは時間がかかってしまい、速やかに目的を達せられなくなる。

 

「魂は、肉体から離れて長時間は存在できません。夢の世界で幽閉されていた場所は、私たちを動けなくすると同時に、すぐには死なないようにする特殊な術式が組まれていたようです。だから眠っている間の私たちの衰弱は、非常にゆっくりしたものだったのです。」

「……なるほど、呪いを解いて魂は束縛から解放されたが、逆に一刻も早く肉体に戻さないと危うい状況になっていた、ということか。何で黙ってた。」

「おいヒカル、王妃様にその口の利き方は……!」

「……ごめんなさい、けれど知ればあなたたちの心を乱してしまう。あなたたちだけなら大丈夫でも、サーラが不安になって取り乱せば、心優しいあなたたちは少なからず迷い、行動に遅れが出る……。」

「つまり、あんたにとっても賭けだった……ということか?」

 

 ヒカルの拳は硬く握られ、体は小刻みに震えている。これでうまくいくと思ったのだ。王夫妻を助け出し、魂を肉体に戻し、魔王を倒せば、すべてうまくいくと……。しかし現実は、ゲームのイベントをクリアするようには行かない。ハッピーエンドの物語のようなきれいな終わり方をする話など、存外に少ないのかも知れない。

 

「そんな顔をしないでください、お願いヒカル。私は夫を、ピエールを助けるために、そしてサーラとこの国を救うため、あなたたちに駆けたの。そして、私は勝ったのです。これでこの国はまた、元通りの美しく穏やかな国に戻るでしょう。」

「だからって……、なんであんたが死ななきゃならないんだ……!」

「ヒカル?! 待て、それはどういうことだ!」

「王妃の……ジュリエッタの体は、回復を受け付けない状態になってるのさ。特別な状況で魔法を行使すると、まれにそういった状態に陥ることがある。通常は時間がたてば回復するんだが、彼女の場合はその力も残っていない。王様はまだ、魂のダメージが少なかったみたいで、目に見えて回復しているけどな。」

 

 身体の回復能力はその者の持つ内なる力によってコントロールされている。HPは生命力で、これは誰もが持っている生命のエネルギーであり、食事、睡眠などで回復できるほか、呪文や特殊なアイテムでも回復することができる。MPはこの世界では特殊能力を発動させるために必要な力で、イコールではないが精神力と深い関わりがある。この力は時間経過である程度回復するほか、深い睡眠や精神的なリラックスなどで大きく回復させることができる。ただし、MPを回復させるアイテムはこの世界ではめったにお目にかかれるものではないらしく、魔法の聖水、祈りの指輪、エルフの飲み薬などのゲームでおなじみのアイテムを、ヒカルはまだ目にしたことはなかった。そして、これらよりさらに根本を成しているのが「魂」だ。魂は精神を入れるための器のようなもので、肉体と精神をつなぎ止めている。この力を失ってしまうと、精神と肉体は分離子、人は死ぬ。即死呪文(ザキ)が残りHPに関係なく効果があるのは、魂に作用し肉体から強制的に切り離すためである。力を失い肉体から離れても、魂自体が消滅してしまうことはめったにないが、魂の衰弱が激しい状態で肉体から離れると、たとえこの世界の基準では奇跡に近い存在である蘇生呪文(ザオラル)を用いたとしても、よみがえらせるのはほとんど不可能らしい。

 

「……確かに、魂の力が弱りすぎている私は、おそらくエルフの秘薬であっても回復することはないでしょう。わかっています、いえ、あのときから分かっていたのです。」

「……旦那に力を分け与えていたから、か。そんなことが本当にできるのかと思っていたけど、どうやら嫌な予想の方が当たりやすいらしい。」

「なっ、それはどういうことなのだ?!」

「……そこまでわかっていたのですか。ヒカル、あなたはすごい人ですね。私は誰にもそのことを、一言も話していなかったのに。」

 

 ピエールは驚きで言葉を詰まらせ、ヒカルはやっぱりかとさらに表情を曇らせる。ほかの者たちも概ね、沈痛な表情を浮かべているが、その中にあって、ジュリエッタだけは違っていた。ヒカルの言葉を肯定するジュリエッタは、多少の驚きを見せてはいるが穏やかな笑みを浮かべており、弱々しくはあるが見る者の心を落ち着かせる。夫婦になったとき、サーラが生まれた時、それから5年……。変わることのないそのえがお が、消えてしまいそうなのにそこにあるそれが、ピエールにはたまらなく愛しく、そして、悲しい。。

 

「……あんたたちは同時に眠りについて、同じ場所に幽閉されていた。魂に施された処置もたぶん同じものだろう。なのに、夢の世界で目覚めてからの王妃の衰弱は目に見えて早かった。何らかの方法で、自分の力を王様に分けてたんだろ? 俺は魂とかについてはあんまり詳しくはないが、魔法に秀でた者なら魔力や精神力のコントロールの要領で、魂の力もある程度制御できるらしいって師匠んとこの本に書いてあったからな。」

「はい……、夫は魔法の力をほとんど持っていませんので、私より早く魂の力を使い切ってしまう可能性がありました。ミミのペンダントに入る直前に、私の力を半分ほど、夫に分け与えました。当然初めてのことだったので、うまくいくかどうか自信はなかったのですが。」

「そうか……。」

 

 ヒカルはそう言ったきり、彼にしては珍しくうつむき、黙り込んでしまった。一行のリーダーであり、ムードメーカーでもある彼の沈黙により、他の仲間たちも言葉を発することができない。ややあって、再びジュリエッタが口を開いた。

 

「……そうそう、来て頂いたのはこのような話をするためではないのです。ヒカル、あなたにお願いがあって、ここへ呼んだのです。」

「俺に……ですか?」

 

 ヒカルはようやく顔を上げ、少し困惑したようにジュリエッタの顔を見つめてしまう。病床にあっても美しい彼女の容姿は、床に伏していても異性の目を引きつける。しかし、それよりも、彼女のまっすぐで澄んだその瞳は、まるで見るものを吸い込むかのようだった。

 

「ヒカル、あなたが、おそらくほかの皆さんも、束縛されることがお好きではないだろうということは、ほんの短い間でしたが接していてなんとなく分かりました。これから私のするお願いは、あなたたちを悩ませ、苦しめてしまうかも知れません。ですが……。」

 

 ジュリエッタはヒカルの後ろに控えている仲間の3人に順番に視線を向け、それからわずかばかり、申し訳なさそうにしたが、すぐに何かを決意するように表情を引き締め、再びヒカルに視線を戻した。

 

「それを承知の上で、あえてお願いします。この国に、ドランに居を構え、私亡き後のこの国……いいえ、夫と娘のことを、あなたにお願いしたいのです。」

「へ?」

 

 思わず間抜けな声を出してしまうヒカル、何を言われたのかよく分からないという顔をしている。仲間たちも同じようなものだ。しかし、ピエール王が何の反応も示さないところを見ると、すでに2人の間では話されたことなのだろう。どう答えて良いか分からないという様子のヒカルに、ジュリエッタはさらに続ける。

 

「ヒカル、あなたの魔法の才能と知識は、すでに、少なくとも人間の間では世界に並ぶもののないレベルまで到達しています。ですが、あなたや、アンがいくら強くても、個人でできることには限界があります。今回のような強大な力を持った魔物が大群で押し寄せてきた場合、人間の国などはあっという間に滅ぼされてしまうでしょう。」

「……確かにそうですね、俺たちが個人的にいくら経験を積んで強くなったところで、大群には太刀打ちできない。それは嫌と言うほど思い知らされましたよ。」

 

 ヒカルは1つ長い息を吐いて、苦笑いを浮かべながらそう答えた。突拍子もない提案をされたことで、1度頭の中がリセットされたのか、いつもの様子に戻っている。一見、軽薄そうな笑みは、その裏にある彼の後悔を隠すためだろうか。

 

「ですから、この国で、魔法使いや戦士を教育する事業を興してみたらどうでしょう? 私はどちらかというと、ヒカルは人を導くのに適していると思いますよ。」

「え? 俺が? あ、いやすんません。実を言うと、魔法を広めて腕の立つ魔法使いを育成すれば、魔王への対抗策になるかと思って、今まで旅してきたんですが、まさか王妃様がそんなこと言うとは思いませんでしたよ。」

「まあ、それでは私たち、同じ事を考えていたのですね。」

 

 ジュリエッタの嬉しそうに微笑む姿を見て、ヒカルはどう反応したものかわからない。彼女の考え方は、この世界においては異端と言って良く、特に古い慣習に重きを置く上流階級の人間としてはあり得ないくらいに先進的なものだ。

 

「久しぶりに、本当に楽しい気持ちになりました。ヒカル、アンやミミ、モモ、みなさんともっと早く出会えていればよかったのに。」

「王妃様……。」

「ねえヒカル、私はきっと、近いうちに死ぬでしょう、けれどね……。」

 

 再び、周囲に立ちこめはじめた暗い雰囲気を吹き飛ばすように、身体を横たえたままの彼女は、優しい笑みを崩すことなく、眼前の青年を見据えて、柔らかな口調で言った。

 

「夫と娘、この国の人たちを大切に思う私の思いは、きっと消えないから、だからヒカル、まだ旅の途中だというなら、それが終わってからでも構わないから……。」

 

 ……なぜだろう。彼女の姿は痩せ細っていて、顔は一目見て病人のそれと分かるほど蒼白で、実際、身を起こすこともできない。なのに、その表情は苦痛や悲嘆にゆがむことがなくて……。

 

「この国の人たちを、あなたの大切なものに、加えてはくれないかしら。」

 

 窓のない、少し湿った空気が漂うその部屋で、煌々と灯るランプの明かりが照らす、彼女の表情は、やっぱり笑っていた。

 

***

 

 城内にある、国賓をもてなすための部屋、ヒカル一行はそんな最高級宿屋もかすむような空間に、滞在を許可されていた。しかし、その豪華さに感嘆するわけでもなく、贅をこらした歓待にうつつを抜かすわけでもなく、男は1人、あてがわれた部屋の1室で、おそらく一生使うことなどなかったはずの巨大なベッドに腰を下ろし、ぼんやりと天井を眺めていた。

 

「大切なもの、か。」

 

 自分にとって大切なものはなんだろうか。仲間か、自分の信念か、それとも……。いや、それが明確に分かったところで、彼にはそれらを「守る」などということが、自分にできるとは思っていない。そんな人間が、王族と国を託されるなんて、スケールが大きすぎて頭が付いていかない。それに、なぜ王妃は笑っていられるのか。自分の命が付きようと言うときに、なぜ取り乱さないのか。最初は演技かとも思ったが、彼女の様子を見ているとどうもそうとは思えない。ならば彼女は、どうしてあんな風に笑っていられるのか。上位者としてそのように教育されているからなのか、彼女自身がそういう気質であるのか、考えてみてもヒカルには分からない。

 

「おい、ヒカル。」

「……?! おわっと、なんだアンか、脅かすな。」

「ご挨拶だな、思い悩んでいるようだから、その、私でも傍にいれば少しは、違うかと思って、だな……。」

 

 なぜか、徐々にうつむき加減になり、声が小さくなっていくアン。そんな彼女を見て、ヒカルは少し苦笑する。鎧を脱いだ彼女は、今は城下町で購入した旅人の服をまとっている。それは、一般的な布の服を多少丈夫にしただけの、戦士の装備としては頼りないものであった。今は、相棒のスライム、アーサーも傍らにはいない。心配そうにヒカルを見つめる彼女の瞳は、蒼く、どこまでも澄み切った空のようで……。

 

「ん? どうかしたのか?」

 

 ついつい、じっと見つめてしまうヒカルであった。そんな彼の胸中など知るはずもない彼女は、少し小首をかしげて不思議そうにしている。普段からあまり明確に表情を変えることのない彼女のそんな様子は、ヒカルに彼女を意識させるには十分だった。

 

「……いや、さ、俺にとっての大切なものって、なんなのかな、ってさ。」

 

 だから、彼は自然と、自分が漠然と抱えている思いを吐露していた。普段から、周囲にあまりそういったことをしたことがない彼のそんな様子を見たなら、ごく親しい友人以外は驚きの表情を見せただろう。もっとも、今はそんなリアクションをするだろう彼の友人たちは、誰1人この場にはいないのだが。

 

「なあ、アンにとって、守るべきもの、とか、大切なもの、って何なんだ?」

「う~ん、そうだな、私は島のみんなと、一緒に旅をしてくれているモモやミミをいつも、守りたいと思っているが……、私が一番に守りたいのは、君だよヒカル。」

「へ? 俺?」

 

 いつになく、柔らかな笑みを浮かべてそう言い切るアンに、ヒカルは戸惑いながら返答することしかできない。彼女が一番に守りたい者が、何故自分なのか見当がつかなかったからだ。

 

「……やれやれ、無意識だったのか? それはそれで女として傷つくぞ。あのとき、あんなに必死に私に呼びかけてくれた君のことを、特別に意識しないわけがないだろう?」

「え? いや、あれは、確かに今までに無いくらい大声で叫んでたが……夢中で、アンが戻ってくることだけを考えて、必死で……?! え、いや、あれ、う、うわあっ、今考えると、むちゃくちゃ恥ずかしいことしてんぞ俺?!」

 

 今更になって、ヒカルは気がついた。人目もはばからずに大声で、声がかれるまで女性の名前を連呼するなど、考えてみれば彼の人生の中で一度もなかった。アンと出会って、まだごく短い時間しかたっていないはずだ。夜になるとよく、彼の部屋を訪ねてくる彼女と話をしていたのは確かだが、それにしてもまだ、ほんの短い時間しかたってはいない。にもかかわらず、なぜあんなに必死になって、ヒカルはアンに呼びかけたのだろう。

 

「どうも、石にされていた間の記憶があいまいで、未だに思い出せないんだが……。私は真っ暗な世界に閉じ込められて、絶望しかけて泣いていた。でも、そのときヒカルの声がした。それから皆が私を呼んでいるのが聞こえた。だから私は戻ってこられたんだと思う。おそらくだが、あの杖の力だけでは、私の石化は解くことができなかっただろう。……まあ、根拠はないがな。でも、私はヒカルが呼び戻してくれたと、そう思っているよ。」

 

 何故だろう。彼女は、いや彼女だけじゃない、モモやミミ、果てはこの国の王妃まで、何故彼女らは、自分をここまで信じてくれるのか? ヒカルには分からない。今だって、自分の無力さを突きつけられ、こうしてまとまらない思考に悩まされているというのに。

 

「……俺は……結局王妃を、サーラの母ちゃんを助けてやれなかった。そう約束したのにな。俺は、臆病で弱いだけの男だ。そんな奴に自分の家族の、ましてや一国のことを頼むなんて、俺はジュリエッタが何考えてんのかさっぱり分からねえよ……。」

 

 再び、ヒカルの胸中に大きな後悔が押し寄せる。幼いサーラのために、両親を助けてやりたいと、そう思っただけだった。結果は、ドランの国が救われ、肝心の王妃、サーラの母親には、伸ばしたその手は届かなかった。

 

「ヒカル、もういいんだ、君は君のやれることを、精一杯やったじゃないか。だから、そんなに1人で思い詰めないでくれ。」

「?! アン……。」

 

 ふわりと、頭全体が柔らかく温かいものに包まれる感触に、うつむいていたヒカルは顔を上げて、驚いた。いつの間にか、自分の傍らに並んで腰掛けていたアンが、その胸元へ彼の頭を抱き寄せていた。それはヒカルを多少混乱させたが、それよりも、アンの鼓動が、体温が、包み込んでくるその感触が、徐々に彼の心を落ち着かせていく。それは、アンが暗闇の中、ヒカルの声に安心したのと同じ感覚であったが、彼はそのことを知るよしもない。

 

「どんなに、助けたいと思っていても、助けられない者がいる。どんなに伸ばしても、この手が届かないこともある。それでも……。」

 

 アンの手が、ヒカルの頭を、背中を撫で、不器用で優しい言葉が、彼の心に落ちてゆくたびに、それは張り詰めた心を、少しずつ緩めてゆく。

 

「君は、手を伸ばし続けるんだろう? いつも、私に、皆にそうしているように。自分が傷ついても、誰かのために……だから……。」

 

 今まで感じたことのないような、胸の中にこみ上げてくるような気持ち、それが何であるのか、ヒカルにも明確には分からない。ただ、この安らぎに身を委ねてしまいそうになる。それでも、彼の心はまだ、寸前のところで踏みとどまっていた。このままでは女性の胸に抱かれて、ひどい醜態をさらしてしまうことになるだろう。それだけは避けなければ……。しかし、それは何のためだろうか? 男としてのプライドなのか、もはや、まとまらない思考に答えは出ない。

 

「君が倒れそうなとき、何かに潰されてしまいそうなとき、私が傍にいよう。その苦しみは私が一緒に受け止めてやる。忘れるな、君は1人じゃない。私は、あのとき暗闇から私を呼び戻してくれた君を、ずっと信じている。」

「なん、でだよ、お前も、モモやミミも、王様やお妃様まで、なんで俺みたいな奴を、そんなに信じられるんだ……! こんな、何の力も無い、俺なんかを……。」

「……ほかの者はどうか知らないが、私は君の力なんか、信じていないぞ。たぶん私の方が強いし、な。」

 

 アンは手の力を緩め、解放されたヒカルは彼女の顔を見つめる。からかうような言動とは裏腹に、その蒼い瞳はまっすぐに彼を見つめていた。

 

「私は、私みたいな人間を、いや、最早力のために人すらやめてしまった私のことを、ほかの誰でもない私として見てくれる、出会って間もない私のことを信用してくれる、そんな君の心のあり方を、信じているだけだよ。」

「アン、俺は……泣いてるサーラが、父ちゃんや母ちゃん、助かったら笑ってくれるかなって、そう思っただけなんだ。悔しいよ、あんな小さな子が、不安なのを我慢して、あんなに頑張ったのによ……。母ちゃん、もうすぐ死んじまうんだぞ……5歳だってよ……。そんなの、認め、られっかよぉ……!」

 

 吐き出される言葉は迷走し、流れるように言葉を紡ぐいつもの彼のものではない。そのなかにある、子供の願いを叶えたかったという、その思いこそが、彼の根本を那須ものであった。優しさなどと言うありふれた言葉で表現するのは簡単だが、純粋に他者を思いやれる心を持って、何のためらいもなく行動に移せる者は、それほど多くはない。だからこそ、停まっていたエルフたちの時間は再び動き出し、思い出を失ったスライムナイトの心は満たされたのだ。それが分かっているからこそ、ヒカルの周囲の者たちが彼に寄せる信頼は揺らぐことがない。

 再びうつむいてしまった男に手を伸ばし、女はその身体をしっかりと抱きしめた。彼の後悔を、悲しみを、全部、その身で受け止めるかのように、モンスターとなってしまった手で、彼の存在を確かめるかのように。

 

「私が、全部受け止めてみせるから、だから、誰かを思って流す優しい涙を、どうか偽らないでくれ。」

 

 なんて回りくどい、堅苦しい言い回しなのか、と、アンは心の中だけで自分に悪態をついた。ただ、泣いてもいいんだと、短く一言言えば、それで良かったはずなのに。今の彼女にはそれができない。思い出を失った故か、スライムナイトという人ならザル存在となった故か、それは誰にも分からない。

 

「う、ぐっ、うわああっ。」

 

 しかし、彼女の言葉は、その真意は、委中の相手には確かに届いたようである。自分の腕の中に、暖かい体温を感じながら、アンは子供のように泣きじゃくる、ヒカルの姿をただ、じっと、優しいまなざしで見つめていた。

 きっと、明日になったら、彼は又いつもの調子で、笑ってくれるだろう。今日のことを恥ずかしがりながら、それでもまた1歩、進んでいくだろう。そして、また傷つきながら、誰かのためにその手を伸ばすのだろう。そんな彼が、アンはたまらなく愛おしい、そう思った。

  いつの間にか、部屋の小さな窓からは赤く染まった夕日の光が、ベッドの上の2人を照らしていた。優しい太陽の光に祝福されるように、アンとヒカルの穏やかな時間は過ぎてゆく。互いのことに思いをはせる2人には、ほんのわずかに開いたドアの外で、すすり泣く者の存在が映ることは無かった。

 

「ぐすっ、お姉ちゃん……。」

「ミミ……。」

 

 ドアの外で、よく似た桃色の髪を持つエルフの姉妹が、お互いをしっかりと抱きしめ、涙を流していた。敬愛する主の落ち込みように気がついた彼女たちは、彼のことを心配し、また力になろうともしていた。いつものように少し過激なスキンシップを取り、それに慌てふためきながら、彼女たちの主は立ち直ることができたかも知れない。今、部屋の中で彼を抱きしめている女性がいなければ、の話だが。

 

「……私、たち、ふられ、ちゃったね。」

「そうね。でも……。分かっていたんだわ。私たちではあの人の、本当の支えにはなってあげられないって。」

「うん……でも、ご主人様、ずっと、大好き、だよ……。」

 

 ミミは声を殺しながら、大声で泣きたいだろう衝動を必死で押さえ込んでいた。しかし、頬を伝う涙は止めどなく溢れ、押さえることができない。姉のモモは妹の頭を撫で、いつもと同じように彼女の感情を受け止めている。普段と違うところは、姉も妹と同じように、溢れる涙を抑えることができていないことだろう。王宮に敷き詰められた最高級のカーペットに落ちたその滴の訳を、この姉妹のほかに知るものはいない。

 

to be continued




※解説
ストロスの杖:Ⅴで登場した、石化の呪いを解くためのアイテム。ちなみにFFと違い、DQには「石化」という状態異常はない。したがって石化した場合、通常の呪文やアイテムでは元の姿に戻すことはできない。ストロスの杖はⅤ主人公の石化を解除できたが、より強い力で呪われているビアンカ(フローラ)は元に戻せなかった。
魂と肉体の話:完全な独自解釈です。あまり説得力を持たせられた気はしませんが、原作が原作ですからこんなもんでしょう(おい)。魂に一定以上の力が無いと、肉体にとどまることはできない、みたいな感じにしました。

いつも、文章構成やプロットの作成に手を貸してくれている、リアルの友人に、「登場人物が過酷な運命をたどるのは君の小説の醍醐味だよねえ」みたいなことを言われました。……すんません、今回も過酷なことになっちまいました。ごめんよサーラちゃん。原作で父親しか出てこなかった(よね?)ので、そこから解釈してこんな話になっちまいました。5歳児になんて運命を歩ませてんだ俺のバカ!!

はあはあ、失礼、取り乱しました。
じ、次回もドラクエしますわよ?(錯乱)

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