【凍結】ドラゴンクエスト 勇者アベルともうひとつの伝説   作:しましま猫

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3話同時執筆していた2話目です。これは、本来は外伝にして本編終了後に投下しようとしていた、アン側のプロローグを含んでいます。やはり、勇者の冒険の始まりを、これを読んでいる皆さんだけには知っておいて頂きたく、第19話として本編に組み込む運びとなりました。
今まで言及してきませんでしたが、このお話のテーマは「強い思いが変える運命」です。大切なのは、理不尽にあらがう強い意志、誰かを守りたい、誰かと一緒にいたいという強い思い、それらが合わさるとき、きっと、邪悪なる者たちが信じる力とは違う、本当の「力」を手にすることができるでしょう……!

※2017/4/14 ソフィア様、誤字報告ありがとうございました、修正しました


第19話 もうひとつの、プロローグ

 激しい戦闘によってすっかり荒れ果ててしまった王夫妻の寝室にあって、それはあまりにも異質な存在だった。銀色に輝く剣を構え、今にも動き出しそうな全身鎧(フルプレート)の騎士の石像が、力を使い果たし身動きの取れなくなった巨大な魔物の傍らに佇んでいた。騎士が騎乗しているスライムもまた、美しく丸みを帯びた石に変わっている。それを見届けると、息も絶え絶えの魔物、魔王ムドーは誰に語るでもなく、荒い息を吐きながらつぶやいた。

 

「こ、これで良い、スライムナイトよ、貴様を葬るだけの力は無いが、永遠に覚めぬ石化の呪いをかけてやったぞ……。ぐうっ!! がはっ!! た、魂を別次元に送る力さえ、今のこのムドーにはないというのか……! はあ、はあ、この場の全員を始末できぬのは無念だ……、こやつだけでも封じられたのが不幸中の幸いか……。申し訳ありません、我が主よ……!!」

「野郎! アンに何をしやがった!?」

「グハハハハ……がっ、うぐっ、せっかくだから教えてやろう。まあ、……大まかには今話したとおりだがな……。せ、石像となって永遠の時を苦痛と共に過ごすが良いわっ! がふっ!」

 

 それはあまりにも、絶望的な通告だった。石化はゲームでは「状態異常」ではない。したがって解除する手段が非常に限られてくる。そもそも、この世界に解除方法が存在するかどうかさえ不明なのだ。呆然とするヒカルたち。その様子を眺め、魔王ムドーは体中から黒い体液を垂れ流し、同じ物を口から吐き出しながら、満足げに笑みを浮かべるのだった。

 

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 これから語られるのは、誰も知ることのない物語である。後に、竜伝説に記される伝説の勇者と並び立ち、世界の危機を救ったもう1人の「勇者」であるとまで称された1人の戦士の「知られざる物語」。このお話は、どうかこの「もうひとつの伝説」がすべて終わるまで、之を読んだあなたの心の中にだけ、そっと、しまっておいていただきたい。

 

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 彼女は、裕福な家に生まれたことを除けば、何の変哲も無い、年相応の女性であると言って差し支えなかった。ただ、彼女の父親は世界でも有数の富豪であったため、その生活水準は一般人とはかけ離れた物であったのは間違いない。それでも、アンジェリカが男女や貧富を問わず、多くの友人知人に囲まれていたのは、彼女が親しみやすく優しい性格だったからだと言って良いだろう。

 

「アンジェリカ、早くしないと遅れるわよ。」

「いっけない、もうこんな時間、それじゃあママ、行ってきます!」

 

 女性、アンジェリカは小走りで階段を駆け下り、少々慌てた様子ながら玄関で手早く靴を履くと、振り返って母親に軽くキスをし、それから勢いよくドアを開けて駆け出していった。

 

「まったくせわしない、あれじゃあいつになったら一人前のレディになることやら。」

 

 母親は困ったような笑みを浮かべ、しばらく娘の走り去った後を見つめていたが、ふと思い出したように廊下の壁掛け時計に目をやり、それから開いたままの玄関のドアを閉めると、そろそろ洗い終わる洗濯物を片付けるため、洗濯室の方へと足早に歩いて行った。

 

***

 

 朝の通勤・通学時間帯のメインストリートを、長く美しい金髪を風にたなびかせながら、独りのうら若い女性が駅へ向けて走り抜けていた。一目見て日本人ではないとわかるその容姿は道行く人々の足を止めさせ、同性でさえも思わず振り向いてしまうほど注目の的だった。そんな視線には全く築かず、アンジェリカは長い髪の毛が顔にかかってくるたびに、やや煩わしそうにそれを手で払いのけながら、ひたすらに駅への道を直進していた。

 まもなく20歳になる彼女は、その金髪や青い瞳が示すように、日本人ではない。彼女の父親は元々、アメリカで小さな旅行代理店を営む個人事業主だったが、ふとしたことからゲーム開発に手を広げ、それが講じてゲーム会社を設立して現在の地位の基盤を築いた。元々日本のアニメなどに強い興味を示していた彼は、自らの会社が自国で十分に成長を遂げたところで、あろうことかその会社の経営を知人に任せ、新たな事業を始めるために日本へとやって来たのだった。

 結果として、日本人の仲間たちと少数で立ち上げられた小さな会社は、最初は動画投稿サイトを運営するだけの零細企業に過ぎなかったが、時代の波に乗り、人気コンテンツの配信や登録者によるネット生放送番組の放映など、テレビやラジオに取って代わる新しいメディアとして急激に成長し、アンジェリカの父の名声は日本においても隅々まで轟くようになったのである。

 アンジェリカも、13歳になる年に母に連れられて来日し、それからずっと日本で生活をしている。父親の影響からか、日本のアニメやゲーム、特撮などをこよなく愛するいわゆる「オタク女子」になってしまっており、容姿端麗であるにもかかわらず恋人の1人もいないというのが、彼女の母親のもっぱらの悩みであった。もっとも彼女の方は、得意分野であるコンピュータ関係のスキルを活かして、IT企業でシステムエンジニアとして勤務しており、余暇は好きなアニメを見るなどしてすごしていたから、仕事もプライベートも共に充実しており、母親のそんな懸念など気にもとめていなかった。

 そうこうしている間に目的地にたどり着くと、アンジェリカはいつもの改札口を踊るように通過し、ホームへの階段を一段飛ばしで駆け上がる。快速電車の閉じかけのドアにギリギリで滑り込み、彼女の1日が今日も始まるのである。

 

***

 

 その日は、どうも気分が優れなかった。特に理由などは思い当たらなかったが、近頃、たまにそういうことがある。アンジェリカは退勤時間を告げるチャイムが鳴ると、そそくさと帰り支度を整え、自宅への帰路についた。

 秋から冬にさしかかるこの季節は、夕方から夜に駆けて急激に気温が低下する。秋用の少し薄手のコートでは、身震いしてしまうこともある。震える足を叱咤しながら、風でも引いてしまったかと内心ため息をつき、今日はもう早く休もうと、アンジェリカはさらに駅への道を急ぎ足で進んでゆく。構内にさえ入ってしまえば、そこそこ空調が仕事をしてくれているので、外にいるときほどの寒さは感じないだろう。いつもの通り、地下通路へ向かうため駅の3番出口の階段を降りようと、コンビニの前の路地を右折する。しかし、路地に入っていつも通り階段までまっすぐに向かおうとした彼女は、雑居ビルと雑居ビルの間の狭い空間にぽつんと、薄汚いテントを発見した。看板にはあまり美しいとはいえない黒文字で、店の名前と占い1回100円と書かれていた。「100」と「円」の文字の間に、なぜかアルファベットの「G」が挟まれる形で存在しており、上から「×」印で消されている。上に書かれた店名と併せて、何かのジョークだろうか? とにかく、理由はよく分からないが占いの店であろうそのテントに興味を持ったアンジェリカは、ゆっくりとその中へと足を踏み入れた。

 

「ようこそ、占いの館へ。お待ちしておりました。」

 

 テントの中は薄明かりしかなく、布をかけたテーブルに水晶玉が置かれている。それを前にして、フードを被った人物がこちらを向いて座っている。顔はよく分からないが、声からして女性のようだ。初対面にもかかわらず心にすっと入ってくるようなその声音は、アンジェリカを多少、緊張させる物であった。

 

「そんなに警戒しないで頂けると嬉しいのですが……。私の占いはあなたに害を与えるようなことはありません。」

 

 そう言われても、今まで富豪である父の莫大な財産をかすめ取ろうとやってくる、その手の怪しい人物は何人も見てきた。詐欺師の類いが自分は危険DEATHなどと口走るわけがなく、人当たりの良い態度や、先ほどのような自然と他人の心に入り込んでくる技術を駆使して、あの手この手で他人を陥れるのだ。だから、目の前の占い師を怪しむのは、アンジェリカにとっては当然のことだった。

 

「大丈夫です、私はここで、星の導きを皆さんにお伝えするだけです。道具はこのタロット以外には使いませんし、何かを追加でお売りしたり、あなたの身元を特定するようなことも一切しません。あ、それと占い量は10ゴ……いえ100円です。税込み価格ですので追加で料金を頂くことはありません。

 

「100円? 安すぎないそれ?そんなんじゃ暮らしていけないでしょう?」

「いえいえ、1日で結構なお客さんが来てくれますので……。物は試しですから、1度、占っていってください。」

 

 女性はおだやかな口調を崩さず、テーブルを挟んだ向かい合わせの椅子にアンジェリカを誘導する。気がつけば、いつの間にか水晶玉を間に挟む形で、二人の女性は向かい合っていた。アンジェリカが何か言葉を発する前に、占い師の女性は自分と水晶玉との間にタロットカードを広げはじめた。それは銀色に光る珍しいもので、なんだかよく分からないが細かなデザイン画のような物が微細な線で書き込まれている。カードが1枚めくられるたび、場の雰囲気が変わり、何者も立ち入れないような清浄な空気が立ちこめていく。それは何ら特殊な感覚を持たないアンジェリカにも、はっきりと分かるほど異質な物だった。故に、彼女は黙って聞く姿勢に入る。理由は分からないが、ここで自分が何か言葉を発するのは、ひどく場違いな気がしたからだ。

 

「……近いうちに、あなたは今までに無い過酷な選択を迫られることになるでしょう。そして、選択如何によっては、大きなものを失うことになります。」

 

 告げられた内容は抽象的な言葉を使ってはいるが、あまり良い内容とは言えない物だった。こういった不安をあおる方法で金を巻き上げるような輩を、アンジェリカは腐るほど見てきた。しかし、目の前の彼女からは悪意のような物は感じられない。その言葉は朗々と紡がれ、一言一言にはどこか近寄りがたい神秘的なものさえ感じられるほどだ。だから彼女は、次の占い師の言葉を、ただ黙って待っていた。

 

「ですが、どんなときにも希望を失ってはいけません。あなたの周りに、いくつもの光が見えます。今はまだ小さな光ですが、やがて大きくなり、一つとなって世界を……いえあなた自身を救う力になるでしょう。出会った人たちと交わした言葉が、築き上げた絆が、あなたとあなたの大切な人たちを、きっと守ってくれることでしょう。」

 

 その言葉が終わると同時に、占い師はふうと息を吐き、同時に周囲の清浄な空気は霧散し、その空間は元の粗末なテントの中に戻っていた。

 

「ずいぶんと抽象的だけど、なんかあまり良い内容じゃないみたい。意味の分からないところもあったし。」

「そうですね、ですがあなたの心には届いたはずです。私は星の導きを伝えるだけの者、その先の運命がどうなるのか、私にはわかりません。占い師は予言者ではないのですから。」

 

 悪い運命を提示して、金をだまし取るよくある手口かと思ったが、そんな訳でもないらしい。アンジェリカの少し険のある言葉にも、占い師は何でも無いように穏やかな口調を崩さずに答えた。このご時世では珍しいことだが、どうやら本当に、彼女は純粋に占いの結果を伝えているだけであるらしい。そういえば、駅前によく当たる占いの館があると、同僚の誰かが話していた気がするが、ひょっとするとここがそうなのだろうか?

 

「もう少し分かりやすい話もしておきましょうか。ええと、近い未来に、あなたにとっての運命の男性が現れます。……ですが、その方に思いを寄せる女性が多く、ゲットするには多少、積極的なアタックが必要でしょう。」

「はぁ?」

 

 思わず、間抜けな声が口から漏れてしまう。先ほどの言葉とは打って変わった俗っぽい表現に、アンジェリカはなんと帰したら良いか分からない。そんなアンジェリカをよそに、占い師は大きめのレジ袋に入った何かを差し出してきた。

 

「何? これ。」

「ラッキーアイテムです、差し上げますのでどうぞお持ち帰りください。」

「はい? ええと、結構大きいね。中身を確かめてみても?」

「ええ、もちろんです。どうぞ開けてみてください。」

 

 言われるまま、アンジェリカはレジ袋の中から中身を取りだした。そのときに袋にプリントされている店名のロゴマークが、彼女の視界に入ってきた。そこには「TATSUYA(たつや) 神戸駅前通り店」と書かれていた。

 

「DVD-BOX? けっこう重たいな……?! こ、これはっ……!」

「お気に召しましたか?」

「いや、これ、欲しかったけどもう売ってないから、オークションか中古品でも探そうと思っていたんだけど……って新品?!」

「はい、そちらは未開封の品になります。落とさないように気をつけてお持ち帰りくださいね。」

 

 アンジェリカはあんぐりと口を開けて固まってしまった。確かこの、国民的ゲームを題材にしたアニメのBOXは限定生産で、かなり昔に発売されたと記憶している。現在では中古品ですら入手困難となっている。それが新品ときたら、いったいどこで手に入れたものなのか……。

 

「いや、いやいや! こんなの買うお金、今持ち合わせてないからね?! 新品なんてそれこそ、数十万円するって聞いたし、いやそりゃ、私だって欲しいと思ってるけど?!」

「あら、私は差し上げますと申し上げたと思いますけれど……。あ、占いのお題でしたら100円です。」

「いや、あの、意味分からないからね?! それってDVDが100円っていうことなんだよ? 何言ってるかわかってるのあなた?!」

 

 アンジェリカの反応に、占い師はちょっと困ったように考えるようなしぐさをした。そして、手をぽんとたたいて、こんなことを言い出した。

 

「ええと、それではこういうのはどうでしょう? あなたがこの占いの館にいらっしゃった50人目のお客様です。そちらのDVDは記念品として差し上げますので、お持ち帰りください。」

「は、はあ……。……これ、どう考えてもコピー品じゃないよね。はっ、まさか盗品?! って、あれ、こんなところにレシートが……TATSUYAのレシート、あそこでこれ、売ってたんだ? ええと、あれ……?」

 

 レシートの「合計金額」の右横に視線を移そうとしたアンジェリカは、急にふらついて倒れそうになり、あわてて踏ん張って体勢を立て直した。しかし、やはり体調不良がたたったのか、意識は急速に落ちていく。こんなところで倒れたら迷惑がかかると、必死に意識を保とうとしたが……無理だった。彼女は、自分がその場に倒れたのかどうかすら知ることなく、その意識を手放した。

 

「ごめんなさい、細かいところを追求されるわけにはいきませんので、ごく軽くラリホーをかけさせて貰いました。けれど、これで道は開かれました。どうかお幸せに、アンさん。」

 

 どこかで、何かを後悔するような、それでいて自分を励ましてくれるような女性の声を、アンジェリカは聞いたような気がした。

 次に彼女が気がついたとき、そこは先ほどまでの場所ではなかった。濃紺色の制服に同色の帽子を被った中年の男性が、彼女を揺さぶっていた。

 

「お客さん、お客さん、ちょっと起きてください、もう終点ですよ。」

「ううん……、はっ! あれ? ここは……。」

「ああ良かった。何度呼んでも起きないんですから、困りますよ、電車の中でそんなに熟睡されちゃあ。ほら降りた降りた。」

 

 訳も分からないまま客車から追い出されるように降車し、辺りを見渡してみるといつもの最寄り駅ではない。どうやら眠って乗り過ごしてしまったらしい。彼女は眠い目をこすり、未だぼんやりする頭を無理矢理働かせ、その後なんとか自宅へ帰り着いたのだった。

 

***

 

 真っ暗な、何もない空間の中、1人の女性が、緑色のスライムを胸に抱き、呆然と立ち尽くしていた。先ほど、とどめを刺そうと魔王に斬りかかったまではよかったが、その後何かをされたらしく、気づけば何かうっすらと見覚えのある風景が、目前にスクリーン投影されたかのようにぼんやりと浮かんでいた。それが、自分が失った記憶だと、アンが気づくのにさほどの時間はかからなかった。幼い頃、母がいつも、末っ子で甘えん坊な彼女を優しく抱きしめてくれたこと、父にせがんで、たくさんの日本のアニメを見せて貰ったこと、兄や姉たちにゲームで遊んで貰ったこと……。そんな始まりの頃の記憶から、13歳の頃に日本に引っ越してきて、日本人のたくさんいる中学に入学して戸惑ったこと、父の友人だという青年が、文化の違いに悩む自分をいつも助けてくれたこと、気がつけば、たくさんの大切な人たちに囲まれて、笑顔に包まれていた、幸せな、大切な記憶……。幸か不幸か、ムドーの呪いにより石化させられたことで、アンはアンジェリカとしての記憶をすべて、取り戻していた。

 

「ど、どうしよう、真っ暗で何も見えない、さっきの私の記憶の再生? みたいなのも、終わっちゃったみたいだし……。ねえアーサー、どうしたら良いと思う?」

「ピキー。」

「??? え? 何? 何言ってるのか分からないよ? ちゃんと答えてよ。」

「ピ、ピキキーッ!!」

「うそ……アーサーの言ってることが、全然わからない……?! ど、どうしよう、どうしようどうしよう?!」

 

 誰もいない空間に閉じ込められ、相棒のスライムとは会話ができない。すべての記憶を取り戻したことで、何の変哲も無い19歳のアンジェリカに戻ってしまった彼女に、事態を切り抜ける策など浮かんでくるはずがなかった。

 

「はっ、そうだ、ヒカル、ヒカルと連絡が取れれば、なんとかなるかもしれない、あ~、でも、いったいどうしたら???」

 

 どこを見渡してみても、何もない真っ暗な空間である。真っ暗といっても、何故かアンジェリカ自身と、スライムのアーサーの姿ははっきりと見えているから、ここはおそらく現実の世界ではないのだろう。しかし、混乱する彼女は事態を冷静に分析することなどできない。しばらく辺りをうろついたり、ヒカルの名前を叫んでみたりしたが、その程度で状況が変化するわけもなく、やがて彼女はその場に座り込んでしまった。

 

「ピ、ピキー!!」

「心配してくれてるの? ありがとう。 ……そうだ、そういえば、あのときも、こうやって途方に暮れていたっけ……。」

 

 アンはアーサーをぎゅっと抱きしめ、ぼんやりと、漆黒の空間を見つめる。そうすると、先ほどと同じように、何かが空中に映し出された。それは次第にはっきりとした映像となって彼女の目に飛び込んでくる。真っ青な空と海、その中間にぽっかりと浮かぶ小さな島が見える。まるでどこかの映像作品のようにズームインされてゆく景色は、やがてその中心に小さな人影を映し出した。

 

***

 

 ゾイック大陸の南に浮かぶ島、小さく弱き者たちが住まうスライム島に、アンと呼ばれるその人間がやってきたとき、最初に彼女を発見したのは小さなスライムだった。小さな彼らは人間を怖がっているところもあったが、知らない場所に迷い込み、途方に暮れて森の入り口でへたり込んでいた彼女を見捨てておけず、結局助けることになるのである。

 モンスターたちから見て、アンは少し変わった女性だった。スライムやドラキーといったモンスターの種族は知っているのに、この世界の地理などについて全く知らなかった。発見されたときの服装も粗末な布の服だけで、難破した船などから流れ着いた割にはどこも濡れたり汚れたりして折らず、不可解な点が多かった。この島で一番の知恵者であるドルイドは、彼女がどこか「別の世界」から来たのではないかと推測を立てていたが、彼女が自分のことをあまり語らないせいもあって、結局の所真実はわからなかった。それでも、明るく優しいアンは島のモンスターたちに徐々に受け入れられ、彼女たちは世界から隠れ潜むようにひっそりと、しかしそれなりに幸せな日々を過ごしていた。アンは自分の素性を周囲の物に話すことはなかった。同じ世界にいても、国が違うだけで意見や価値観のずれが生じて、うまくいかないことが多い。ましてやここは異世界、相手はモンスターである。真実を話した場合に返ってくる反応が予測できない。そういったことを考えて、彼女は周囲の者が自分を呼ぶときに使う「アン」という通称のみを名乗り、どこか遠いところから飛ばされてきたことのみを説明した。その方が問題がないだろうと判断したためだ。

 実際は、アンの素性をこの島の者たちが知ったところで、何か問題が起こるのかといえば、まず起こらないだろう。それどころか、彼らは彼女を元の世界に帰すために、喜んで協力してくれただろう。そんなことは彼女、アンが一番分かっていたはずである。彼女はその快活な外面とは裏腹に、心の内では他者と違うことで忌避されるのを恐れていた。そんな臆病な自分を隠すため、明るく親しみやすい人物の演技をしているというのが本当のところなのだが、彼女の元いた世界でも、臆病で繊細、甘えん坊で泣き虫な素の彼女を知るものは非常に限られていた。

 アンがこの世界とアニメの世界の類似性を見いだしたのは、ドランの都へ買い物に出かけていたキメラのメッキーが帰ってきたときに、島の外の話を偶然聞いたときだった。メッキーは島の外のことをそれほど多く知っているわけではなかったが、彼の話すドランの都の情報から、彼女は今いる世界がこの島に来る前に見ていたアニメ「ドラゴンクエスト」とよく似た世界であることに気がついた。しかし、俗にいう「異世界転移」など本当にあり得るのだろうかと、彼女は考え、いろいろな推論を立ててみるが、結局の所それらは実証のしようがなく、現在自分が置かれている状況を正確に知ることはできなかった。彼女に分かっているのは、ドラゴンクエストのゲームでおなじみのモンスターたちが動き、意思表示をしてくるという事実だけであった。だから彼女は、この島でモンスターたちと戯れながら、元の世界に、DVDを再生していた自分の部屋に戻る方法をゆっくりとあせらずに探すつもりでいたのである。しかし、そんな穏やかな日々は、長くは続かなかった。やがて島に凶悪なモンスター、魔王の配下であるという「魔物」が侵入してくるようになった。初めは数えるほどしかいなかった魔物たちは、次第にその数を増し、とうとう城の兵士であるさまよう鎧だけでは対処が難しくなってきた。この世界において、魔王、バラモスが送り出してくる魔物、宝石モンスターの力は、低レベルであっても非力な人間や弱いモンスターを簡単に殺しうる、非常に危険な存在だったのだ。

 この島の住人たちはいずれも、ゲームでいえばレベル一桁台で遭遇するような弱いモンスターばかりで、バラモスの手下を相手にまともに戦える者などほとんどいなかった。また当然、アメリカ生まれだが平和な日本で生活し、命のやりとりとは無縁であったアンも、戦うすべなどは持ち合わせていなかった。ヒカルがザナックと出会い、彼に師事し魔法の力を手に入れたのは、まったく幸運なことだったのである。

 

***

 

 目の前で再生されていく、自分がスライム島にたどり着いてからの日々の映像を眺めながら、アンジェリカは自分の心の中が、言い知れぬ恐怖でいっぱいになっていくのを感じていた。彼女は自分が今の姿、スライムナイトになる決意をするまでの苦悩を思い出してしまったのだ。同時に島のモンスターたちと過ごした暖かな時間が脳裏によみがえり、全く生理のつかない、ごちゃごちゃとした感情が心の中をうねるように這い回っているのを感じていた。

 今からそう遠くはない過去、小さなスライムやドラキーの子供を抱きしめながら、一緒に震えていたこと、もたついて転びそうになりながら、つちわらしたちと逃げ回ったこと、いっかくウサギたちの巣穴で、身を寄せ合って夜を明かしたこと……。彼女は怖かった。それでも、寄り添う彼らの、人間とは違うけれども、それ以上に暖かい命の鼓動を確かに感じたから、彼らと過ごす日々は彼女にとって、かけがえのないものになっていった。だからこそ恐怖に震えながら、皆のために何かしたいと、彼女はそう思うようになっていったのだ。

 島を守る方法を探して、ドルイドのルイドと徹夜で城内の蔵書をあさり、見つけ出した1つの古文書には、大きな力を手に入れるための「転生」という儀式の詳細が記されていた。それによって手に入る力はすさまじく、スライム島を襲撃しているモンスターを簡単に退けることができると、アンは確信した。ルイドはその考えにやや懐疑的だったが、アンには確証に至るだけの根拠があったのだ。古文書の内容を要約すると以下のようになる。

 

【この儀式によって転生を果たすことができたならば、身体能力に恵まれれば一流の戦士をも凌駕し、あらゆる武器を使いこなせる。もし、魔法力に恵まれたのであれば現在この世界に存在が知られている呪文の中でも、最高と目される力を振るうことができるだろう。儀式により転生した者は、たとえ生まれたてであろうとも、魔王の右腕とされるような強大な魔物にも遅れは取らない。ただし、いかなる姿に転生するか、それはわからない。また、たとえ転生に成功したとしても、その代償として自分の大切な物を、何か1つ失うだろう。】

 

 元々ドラゴンクエストのナンバリングタイトルをほぼすべてプレイしてきたアンは、古文書の内容から転生後に手に入る力が、少なく見積もってもレベル20以上は軽くあると踏んでいた。ゲームで中ボスクラスと対等に渡り合うならば、その程度は必要になるからだ。しかし、冷静に分析している頭脳とは裏腹に、最後の一文が心に引っかかっていた。儀式の代償として「失うもの」とは何であるのか、彼女は言い知れない不安を覚えた。だが、時間は待ってはくれない。侵略者たちに対する対策を何一つ満足に打てないまま、時間だけが無慈悲に過ぎ去っていった。

 

「そうだ……、私は……怖かったんだ。でも、みんなと一緒にいたくて、今の時間を壊されるのがたまらなく嫌で、だから私は恐怖を押しのけて、あの儀式を……!」

「 ピキーッ?」

「アーサー、キングスはそれが分かっていたから、私を止めたんだ。いつか、私の心に限界が来たとき、心が折れてしまうかもしれないって思ったから。いつもそうなんだ、私は、何か1つのことだけを考えることで、ほかの嫌なことを押さえ込んでしまうんだ。だから、あのときだって、私は自分の恐怖や、不安を押さえ込むために、みんなのためって建前を作って、キングスが止めてくれるのも聞かないで、1人で突っ走って……。」

 

 アンジェリカの瞳から大粒の涙がこぼれ、彼女の頬をぬらしていく。それを拭うこともせずに、彼女は虚空に向かって自分の不安を、迷いを、恐怖を吐露していた。それは、ヒカルが彼女に漠然と感じていた危うさそのもので、まっすぐすぎるが故の心の弱さ。もし、彼女が記憶を失わないまま力を得ていたのならば、あまりに大きすぎる力に押しつぶされ、たやすく心が折れてしまっただろう。ヒカルが炎の戦士と戦い追い詰められたとき、エルフ姉妹を守るために力を振るえたのは、ひとえに彼の並外れた精神力のたまものである。それを持っているという時点で、彼は特別な存在だったのだ。通常の人間であれば、命のやりとりを常にしなければならない状況下にあって、平常心を保ってなどいられない。それはこの世界に住まう者であっても基本的に同じなのだ。なんの力も持たないレベル1の一般人が死と隣り合わせの恐怖に立ち向かえるかと言われたら、答えは否である。アンジェリカの精神は、今まさに孤独と不安で押しつぶされそうになっていた。

 

『アン、しっかりしろ! 死んだわけじゃないんだろ?!』

「え?」

「ピキ?」

「アーサー、今の声……!!」

『目を覚ましてくれ、アン!! お前はこんなことに負ける奴じゃないはずだろ?! 戻ってこい!!!』

 

 一瞬、幻聴かとも思った。しかし、反応からしてどうやらアーサーにも聞こえているらしいその声は、彼女がこの世界で、そう、スライムナイトのアンになってから、出会った不思議な男性で……。

 

「ヒカ……ル?」

 

 その名前を呼ぶと、どうしてだろう、心の中が少しずつだが穏やかになっていくのを感じる。その声で、何度救われただろう。強さと引き換えに、空っぽになってしまった心を何度、満たしてくれただろうか。彼の部屋に行って、他愛のない話をするようになった。部屋から出て別れるのが、次の朝になればまた会えるって、分かっているはずなのに寂しくて……。出会ってからの時間はまだ、ごく短いはずなのに、前から傍にいてくれたような錯覚さえ覚える。それはどうしてだろう。

 

「ヒカル!! ここだよ! 私は……、私はここにいる!!!」

 

 気がつけば、彼女は声を限りに叫んでいた。帰りたい、彼の元へ、この感情がなんなのか、アンジェリカにはわからない。けれど、帰りたい。彼女を呼ぶ優しい、声のするところへ。彼と、彼と自分の、大切な仲間たちのいる、その場所へ……!

 

「つっ……! これは……?!、」

 

 そのとき、暗闇の中に再びぼんやりと何かが映し出された。アンジェリカはその中に、確かに見たのだ。石像となってしまったスライムナイトに、必死に呼びかける男の姿を。背の高いエルフと背の低いエルフ、幼子が同じように声を張り上げているのを。そして、倒れ服しながらも彼らをあざ笑っているのだろう、醜くゆがんだ笑みを浮かべる魔物の姿を。彼女は行かなければならない。それが氏名だから? 勇者としての? 騎士としての? いや、違う、そうじゃないだろう。

 

「……まだ迷いは消えないか? アン。」

「!! アーサー、どうして……!」

「私はずっとここから君に呼びかけていたぞ。どうやら、まだ運命は潰えてはいない。道は開かれた。……行くのだろう? 彼が、皆が待っている。」

「うん、私、行くよ!」

 

 帰るんだ、みんなの所へ、この世界に来てから、大好きになった、彼の所へ! その思いが一段と膨れ上がり、アンジェリカが虚空に浮かぶ自分の石像に視点をあわせたとき、。

 彼女の世界は、真っ白な光に塗りつぶされた。

 

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 それは、後の伝説には書き記されない1ページ、しかし、彼女にとって大切な心の欠片。なぜなら、人は悲しみや苦しみなくしては、決して本当の強さを手に入れることはできないからだ。彼女が気づいた大切な思いが、再び記憶の奥底に埋もれ、日常から忘れ去られるのだとしても、それは決して消えてしまうことはない。なぜなら、それは……。

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 もはや物言わぬ石の像と化したそれに向かって叫び続ける者たちを、魔王ははじめ、嘲笑と侮蔑を込めた笑みを浮かべながら眺めていた。もはや己の身は不完全な自動回復では修復できないほどのダメージを負っている。攻撃のための力も、先ほど石化の呪いをかけたことで、すべて使い果たしてしまった。まもなくこの肉体は塵と化し、滅びるだろう。しかし、これだけの絶望を与えられたのならば、悪くはない、屈辱だが、決して悪くはない、魔王はそう思うことにした。しかし、だ。おかしい。先ほどから暗黒の宝珠の力が弱まっており、この部屋に漂っていた負の感情が薄れてゆくのを感じる。

 

「……! 聞こえた! アン、生きているんだな?! 俺たちはここだ! 戻ってこい!!」

 

 人間の男が声をからしながら、なお叫ぶその姿は、端から見ればこっけいで、無様で……。それなのに何故か、その姿は魔王をいらだたせ、焦燥させ、そして、恐怖させる。2人のエルフと、1人の幼子も、彼に引っ張られるように、ピクリとも動かないスライムナイトの像に向かって叫ぶ。

 

「グハッハハハ、愚か者め、そんな呼びかけで、何が変わるものか、何も、何も変わりはしないっ!!」

 

 魔王は笑う、呼びかけただけで呪いが解けるなら、苦労はしない、と。しかし息も絶え絶えなその姿は、どこか、頼りなく、先ほどまで、敗北したとは言え放っていた威圧感のようなものは、すでになく……。

 

「いいえ、道は開かれました。魔王よ、おまえの企みは今、ここに潰えるのです。」

「じゅ、ジュリエッタ?!」

「おかあ、さま?」

 

 皆が振り返ると、いつの間にかベッドの脇に左手の杖を支えにして立つ王妃の姿があった。長い間夢の世界に幽閉されたことで、その体は衰弱して痩せ細り、顔には精気がなく蒼白だ。にもかかわらず、りんと透き通ったその声は、とても弱り切っている人間のものとは思えず、魔王でさえも、その姿に釘付けになってしまう。

 

「サーラ、その杖をこちらへ。」

「は、はい。」

 

 サーラは訳が分からないという顔をしながら、母の言葉に従い、ベッド脇に立てかけてあった杖……、母の持っている、魔道士の杖と全く同じものを取り、しかしその後どうすればよいのかわからずに、母親の前で立ち尽くしてしまう。そんな娘の様子に、ジュリエッタは柔らかな微笑みを浮かべ、1歩歩み寄る。杖を支えにしているとは言え、意外にもしっかりとしたその1歩は、周囲を驚かせるのには十分であった。

 

「現実と夢の世界に分かたれし杖よ、今こそ1つとなりて、邪なる呪いを打ち払う力とならん。」

 

 その言葉が終わると同時、サーラの両手に握られていた杖が光り輝き、ジュリエッタの左手に握られた、同じ外見をしたもうひとつの魔道士の杖に吸い込まれていく。そして、一層強い光が放たれ、全員が気づいたとき……。

 そこには、今まで見たこともないような神々しい光を放つ、一本の杖を携えた、王妃ジュリエッタの姿があった。

 

to be continued




※解説
占い師と占いの館:はい、プロローグのアレと同じです。占い師も同じ人です。彼女は同じ場所で占いをしながら、ある人を待っていました。プロローグではその役目が果たされたため、店舗もろとも元の世界へ帰還しています。彼女の発言から察しが付いた方もいるかと思いますが、アンジェリカが転移したのはおそらく、ヒカルより前になります。文中ではサクッと流していますが、彼女がスライム島で過ごした期間は、それなりに長いということになります。
転生の儀式:別種族に生まれ変わることができるという儀式です。失う大切な何かは、人によって違いますが、それを持っているために強大な力が逆にデメリットになるようなものが失う対象になります。アンの場合は、アンジェリカとしての記憶を持ったままだと、強大すぎる力に心が負けてしまうため、それを回避するために記憶喪失になっています。
ムドーの呪い:ゲームでは肉体と精神を分かち、肉体は石となり、精神は夢の世界へ飛ばされました。肉体の方が意思を持って活動していたⅥ主人公は例外らしいです。このお話では、不十分な力のためゲームのようなことにはなりませんでしたが、肉体は石化し、精神はどこかに幽閉されたようです。

さあ、王妃様はいったい何の杖を……って、杖って時点でバレバレな気もしますけど。
それはそうと、無理して大丈夫なんでしょうか……? なんか無茶な魔法を行使してかなり衰弱してるらしいことを、前話でヒカル君が言っていたような気がしますが……?
アンの運命は?! 次回もドラクエするぜ!!

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