【凍結】ドラゴンクエスト 勇者アベルともうひとつの伝説   作:しましま猫

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どうも、しましま猫です。
主人公視点で物語を書き進めるのに行き詰まったため、第三者視点に変更して書き直しました。また暇つぶしにでもお付き合い頂けますと幸いです。
リメイクに当たって、プロローグを加筆しました。要望があったあの人を登場させています。さて誰なんでしょうね(すっとぼけ)。

※2018/12/30 誤字脱字、文章表現等を修正しました。
※2017/9/24 後半に新しいエピソードを追加しました。
※2017/4/9 誤字脱字等を修正しました。


プロローグ

 神々が世界を支配していた遙か昔、()き神々と悪しき神々の間に大いなる戦いが起こった。戦いは果てしなく続き、大地は裂け、森は焼かれ、大海は干上がった。そのとき、全能なる神は激しく(いか)り、地上に(りゅう)を遣わした。竜はたちまちにして戦いを鎮めた。だが、その後も竜は暴れ続け、その大いなる力によって世界は滅亡の危機に瀕してしまった。そのとき、善き神々は赤と青のふたつの(たま)を造り、その力を合わせ竜を封じ込めた。

 その後、善き神々は赤と青のふたつの珠にそれぞれ、別の力を与えた。赤き珠には竜を蘇らせる力、青き珠には竜を封印する力を。

 赤き珠は竜を蘇らせるとともにその力を制御することができるようになり、青き珠は役目を終えた竜を再び長く安らかな眠りにつかせることができるようになった。しかし、ふたつの珠に力を与えたため、善き神々の神としての力は失われた。彼らは人間(ひと)となり、自分たちの子孫をふたつの種族に分けた。愛と知力をもって赤き珠を守護するボーン族と、勇気と慈悲をもって青き珠を守護するグロウ族である。

 そして、世界に危機が訪れるたび、ボーン族の子孫の中から選ばれた聖女と、グロウ族の中から選ばれた勇者によって、竜はよみがえり、その強大な力で災いを沈めたという。そして、そのような時代から、また気の遠くなるような時間が流れた……。

 今から数千年の昔、豊かな自然の中で超古代文明を築き上げた民族があった。その名をエスタークといい、都は栄華を極め、人々は享楽と陶酔の中で(おご)り高ぶり、世界制覇の野望を抱いた。だが、その野望は自らが招いた水の汚染により、すべてを崩壊させてしまった。そして今、微生物一つ存在しない死せる水の底に沈んだ都、エスタークで、かつての世界制覇の夢を捨てきれず、さまよい続けた人々の残留思念が、とてつもない闇の帝王を誕生させた。その名を「大魔王バラモス」……!

 

※以上、「勇者アベル伝説」作中より一部引用。

 

 また、竜伝説の地とは異なる、遙か光の彼方では、人間たちが高度な文明を築き上げていた。しかし、反映と享楽の中で、人の心はすさみ、争いは絶えず、憎しみと欲望が世界を取り巻いていた。人々は心から笑うことを忘れ、この世界の有り様を嘆き、数多くの伝説や物語の中に、心の救いを求めていた。

 青年は何の変哲もない「人間」であった。しかし、神々のいたずらか、悪魔のささやきか、彼は見上げる夜空の星々よりも遙か彼方の世界より招かれてしまう。そこは、彼が物語の中に見た、伝説の舞台。「勇者」と「魔王」が、竜の伝説を巡って相対する世界であった。

 なぜ、彼は呼ばれてしまったのだろうか? 彼の心にある空虚が、何か異質な力を呼び寄せたのか? いや、救いを求める人々の心が、遠い世界から彼を呼んだのか、彼自身にもわからない……。

 今、もう一つの「伝説」が紡がれる……。

 

DRAGON QUEST THE HERO OF ABEL -ANOTHER LEGEND-

 

 賑やかな駅前の通りを、1人の男が重い足取りで歩いていた。日が落ちかけ、周囲はこれから夜の街に繰り出そうとする者、家路を急ぐ者などであふれ、露店の呼び込みや交通整理などの声が騒がしい。ついこの間もこの周囲で通り魔騒ぎがあったばかりなのに、街の賑わいは衰えを知らない。誰も彼も、今、目の前のことしか見えておらず、悪化した治安によって明日は我が身が(おびや)かされるかも知れない現状を、正しく受け止めようとはしていない。そんな人混みの中を歩く男も、明日の世界がどうなるかなどと言うこととは、全く無縁の人間であった。

 季節は秋から冬へ移りはじめ、朝夕の冷え込みも厳しく、吐く息は白く濁り、肌を突き刺すような寒風が吹きすさぶ。そんな中を、ダウンコートの裾を握りしめながら、男は一層重くなっていく足を叱咤するように、歩幅を大きくし、速度を速めていく。今日は非常に珍しく仕事が早く片付き、明日は滅多にない休みだ。こういうときに体を休めておかないと今後に響く。病気で何日も休もうものなら減給はおろか、即刻解雇である。労働基準法などというものは彼の勤める会社では遵守などしておらず、労働者を守るものはほとんど何もなかった。このご時世、優良企業に就職できなければ、雇用者にまるでコマのようにこき使われる、いわゆるブラック企業に勤めるしかなく、彼の勤める会社を含めて、そういう所は存外に多かった。

 男が駅にたどり着く頃には、あかね色の空が夕闇に落ち始め、ネオンや街灯があたりを照らし出していた。いつもの通り、地下通路へ向かうため駅の3番出口の階段を降りようと、コンビニの前の路地を右折する。

 

「ん? 何だあれ? テント……?」

 

 路地に入ってすぐ、見慣れないテントのようなものを目にした男はふと足を止めた。普段なら足早に通り過ぎてしまう怪しげなその入り口に、何故か今日に限って彼は足を踏み入れてしまった。疲労のせいで判断力が鈍ってしまったのだろうか? このご時世、たちの悪い商売で人から金を巻き上げる者など数多いというのに。

 

「ようこそ、占いの館へ、お待ちしておりました。」

 

 テントの中は薄明かりしかなく、布をかけたテーブルに水晶玉が置かれている。それを前にして、フードを被った人物がこちらを向いて座っている。光量が足りないのとフードを被っているせいで、顔はよく分からないが、声からして女性のようだ。その風体からして、怪しさ満載なのだが、その声は不思議と人を優しく包んで癒すような、そんな感じがする。まるで旧知の仲であるような親しみさえ感じさせる声に、男は彼女とどこかで会っただろうか、そんなことをぼんやりと考えていた。

 

「相当お疲れのようですね、無理して体を壊しては元も子もありませんよ?」

「はは、まあそうなんだけどね、このご時世じゃたとえブラック企業でも、収入があるだけマシさ、辞めても再就職先なんてないからね。」

「……どこも大変なのですね。……失礼しました。それではあなたの運勢について、占ってみましょうか。」

 

 占い師の女の声から、悲しそうな、寂しそうな感情を感じ取った男は、わずかに眉をひそめた。労働者の雇用環境悪化などは、昨今珍しいことでも何でもない。本当にどこにでもある日常だ。誰かが過労死した、上司に逆らって解雇されて路頭に迷った。労災が通らない、運良く裁判を起こせたとしても確実に負ける……等々、数え上げればきりがない。皆、内心は憤っていても、すべてを諦めていて、そんなものかと無感情を装っている。そうでもしないと見かけだけでも平穏に生きていくことができない。今の社会はそういう社会だ。だから、さっきのような言葉は占い師としての営業トークとしてはありだとしても、本気で相手の身を案じ、休養を勧めてくるような態度は違和感を感じる。

 

「タロットカードよ、この者の運命を見通し、道を指し示せ。」

 

 いつの間にか占い師の手にはタロットカードが握られており、銀色に光るそれはわずかに光を反射している。彼女はカードを両手でシャッフルし、テーブルに並べていく。徐々に場の雰囲気が変わり、何者も立ち入れないような清浄(せいじょう)な空気が立ちこめていく。それは占いや宗教というものをあまり信じていない男にとっても分かるほど、はっきりと感じられる者だった。故に、男は口を閉ざし、ただ話を聞く姿勢に入る。もっとも、男にはタロットの知識などはないから、ただ黙って女のすることを眺めている以外にはなかったのだが。

 やがて並べ終わったカードをひとしきり眺め終わった後、彼女はおもむろにうなずき、静かに口を開いた。

 

「……近いうち、あなたの一生を左右する大きな出会いが訪れます。同時に大きな困難があなたを待ち構えているでしょう。」

 

 女の声は不思議と、男の心に違和感なく入り込んできた。被っているフードのために表情を感じることができず、占いの結果も朗々とした声で紡がれている。今日はじめてあった人間の話す内容をぼんやりとだが受け入れている自分に、男は内心驚いていた。そんな男の心情を置き去りにして、女はなおも言葉を続けていく。

 

「あなたの周りに、いくつもの光が見えます。今はまだ小さな光ですが、やがて大きくなり、一つとなって世界を……いえあなた自身を救う力になるでしょう。出会った人たちと交わした言葉が、築き上げた絆が、あなたとあなたの大切な人たちを、きっと守ってくれることでしょう。」

 

 そこまで話し終えると、女はいったん言葉を切って、ふうと一つ息を吐いた。同時に周囲を取り巻いていた清浄な空気は霧散し、テントの中はタロットカードを広げる前の、薄暗い明かりが支配するだけの粗末な空間に戻っていた。

 

「ずいぶんと抽象的だな。」

「そうですね。けれどもあなたの心には届いたはずです。私は星の導きを人々に伝えるだけの者。占い師は予言者ではありません。道を切り開いていくのはいつも、その人個人の力なのですから。」

 

 男の少し皮肉めいた言葉にも、女は何でもないように返して見せた。そしておもむろに立ち上がり、男のすぐそばまでやってくる。こうしてみると、女性としてはなかなかに長身であることが見て取れる。

 

「少し具体的な話もしておきましょうか。……ええと、この先女難の相が出ていますから、女の人の誘惑には気をつけてくださいね。」

 

 男の手を取って、女は先ほどに比べると少し高めの、しかし変わらずに柔らかな口調でそう告げた。思ったよりも大きな、しかし柔らかく暖かな感触に、男は少しドキリとしたが、こちらもかすかな笑みを浮かべて切り返した。

 

「女難? ないない、そもそも原因になる女なんていないしな。……それとも、あんたがはじめの女難になってくれるのかい?」

「……いいえ、私にはその資格はありませんから。けれど女難と言っても、決して悪意のあるものではないので、その辺は安心していただいてかまいません。俗に言うハーレム状態というものでしょうか。」

「はあ? なんだそりゃ。ますます訳が分からん。」

 

 先ほどタロットカードを使ったときの言葉とは全く違った俗っぽい表現に、男は困惑した。そんな彼にかまうことなく、女は一方的に言葉を続ける。

 

「あ、それとこれを差し上げます。どうぞお持ちください。」

「ん? 何この袋? 中身は……、箱?」

「ラッキーアイテムです。どうぞ、開けてみてください。」

 

 女はどこにでもあるレジ袋を渡してきた。薄明かりの下、袋にプリントされた店名らしきロゴが見える。「TATSUYA(たつや) 神戸駅前通り店」と書かれているようだ。中にはそこそこのサイズの箱が入っており、取り出した男は少し驚いた。

 

「DVD-BOX? ええと、あれ? こりゃあ懐かしいな、このアニメのBOXなんてあったんだ。」

「お気に召しましたか? あ、ちゃんと国内正規品ですから大丈夫ですよ。後でゆっくり見てくださいね。」

「ああ、ありがと……って、こんなん買うだけの金がないよ、占いのお金だってまだ……。」

 

 ここへきて、ようやっと男は多少現実に引き戻された。DVD-BOXひとつ、安い物でも数万はする。ものによっては十数万、入手が難しい物であれば数十万することさえあるのだ。そんなものをラッキーアイテムとか言って売りつけられても、払える金など持ってはいなかった。

 

「あら、私は、差し上げますと言ったはずですが……。あ、占いの代金でしたら10ゴ……いえ100円頂きますが、それでいかがですか?」

「はあ? それってDVD-BOXが100円ってことだぞ? 何言ってるのか分かってるのかあんた??」

 

 男はさすがに混乱の極みにいた。占いに見せかけて商品を売りつける悪徳商法化と思ったら、100円の占い料だけで、DVDをくれるというから、それはもう意味がわからない。女は少し首をかしげるような動作をしてから、何かを思いついたかのように手を軽くぽんとたたいて、こんなことを言ってきた。

 

「それでは、このようにしましょう。実は、あなたがこの占いの館に来てくださった1000人目のお客様です。その袋の中身は、記念としてお持ち帰り頂くと言うことで、どうでしょうか?」

「は、はあ……??」

 

 ますますもって、何を言っているか分からない。先ほどの様子から見て、1000人目の客云々は、今思いついたことだろう。いったいなぜ、自分は100円で、昔見たアニメのDVDを売りつけられようとしているのか? いや売りつけるといっても、相手に何かメリットがあるとも思えない。商品には厳重な封がされた上、TATSUYAの正規販売品を示すホログラムシールが貼られている。おそらく模造品の類いではないだろう。

 

「本当にいいのか? これ、100円で買えるような品物じゃないんだが……。」

「はい、問題ありません。どうぞ持って行ってください。」

 

 男は少しためらったが、女に押し切られる形で100円の代金を占い料として女に払い、レジ袋入りのDVD-BOXを受け取ってテントを後にした。

 

***

 

 男が出て行った後、テントの中には先ほどの女が、水晶玉の前に座っていた。しかしその頭にはもうフードはかぶせられていない。褐色の肌と、このあたりではまず見ないだろう紫色の髪を腰まで垂らしている。頭部にはやはり見慣れない装飾品が銀色に輝き、その額の部分に緑色の石がはめ込まれている。

 

「少し、強引すぎたかしら。」

 

 誰に聞かせるでもなく、彼女は1人そうつぶやいた。その理知的な瞳は、先ほど男が出て行った入り口の方を見つめている。その表情はどこか悲しげで、見る者が見れば崩れ去ってしまいそうなくらいに儚く映ったかもしれない。しかしその瞳だけは、何か強い決意を秘めたように、この薄暗い空間にあってもなお、失わない光をたたえていた。

 

「あれでよかったの?」

「姉さん。」

「迎えに来たわよ。」

「ありがとう。」

 

 いつの間にか、先ほど男が出て行ったテントの入り口に、一人の女が立っていた。占い師の女とよく似た肌と髪の色、しかしどこか小悪魔的な、妖艶な美貌を感じさせる。だが、そのような全体像とは裏腹に、姉と呼ばれた彼女の瞳は深く憂いを帯びていた。

 

「運命を決めるのはあの人です。私は占い師、星の導きに従い、その言葉を伝える者です。」

「あんたがそういうなら、もう何も言わないわ。さあ、行きましょうか。」

「ええ。」

「天の精霊よ、翼をもたぬ我の翼となりて、かの地へ導け、我を待つ者のもとへ、我の帰るべき場所へ誘え。」

 

 その言葉はまるで異質な者、この世界には存在せず、あってはならないもの。言霊に呼応するように、テーブルの上の水晶が青白い光を放ちはじめ、それは次第に強くなっていく。

 

「リリルーラ!」

 

 その一言が終わると同時、一段と強い光がテントの中を覆い、そして消えた。開け放たれていたテントの入り口からも、外へ一瞬強い光が漏れ、薄暗い路地を照らしたが、偶然か必然か、そのときこの道には誰もいなかった。

 その日、いつの頃からか駅前に現れて、よく当たると評判だった占いの館は、店舗にしていた薄汚れたテントもろとも、この町から姿を消した。一部の人々の間で噂になっていた、フードを深く被って、顔がよく分からない謎の占い師のことも、いつの間にか忘れ去られていった。しかし、ここを訪れて彼女の言葉を聞いた者たちの心の中に、告げられた言葉だけが残り続けていた。その、占いの結果を示す言葉だけが、彼女がここにいた証であった。

 そう、男がもっと注意深かったのなら、あるいは疲労困憊でなかったなら、時間が昼間だったなら……結果は少しばかり変わっていたのかも知れない。そう、テントの前にある看板のひとつも見ていたのなら、変わっていたのかも知れなかったのだ。しかし、それはすべて、起こらなかった運命の話。現実に「もしも」はあり得ない。

 彼女らとともに合流呪文(リリルーラ)の光に包まれ、消えていったテントには看板が掲げられていた。それは発光もせず、周囲を電球で飾ったりもしていなかったから、夜になると読むのは難しかった。なにせ、木の板に子供が書いたようなたどたどしい黒文字で書かれていたのだから。

「占いの館、MINEA(ミネア)」と。

 

***

 

 木製のログハウスのような家の、寝室であろうと思われる部屋で、二つ置かれたベッドの間で椅子に腰掛け、1人の老婆が一冊の本を開いて朗読していた。ベッドにはそれぞれ、黒髪の男の子と女の子、彼らに寄り添う緑色と橙色のスライムが1匹ずつ老婆の語りを聴きながら眠りに落ちようとしていた。老婆が読み聞かせているその本は、かつてこの世界を救った「勇者」と呼ばれる若者と、その仲間たちの冒険譚(ぼうけんたん)であった。

 子供たちが寝入ったのを確認すると、老婆はリビングに戻り、窓から見える漆黒の空に目をやった。彼らにせがまれて最後まで読んでしまったが、その物語の結末はいつも彼女の心を悲しみで満たしてしまう。大魔王バラモスとの戦いからすでに50年以上が過ぎている。それでも、そのすさまじい戦いの渦中にいた彼女の心からは、その戦いで失ったものによってぽっかりと空けられた穴が、今でも残り続けているのだった。

 五十年前のあのとき、勇者と聖女により邪な力は払われ、伝説の竜の力で水の汚染はなくなった。だが、歓喜に沸く民衆を背に、勇者アベルは何処へともなく姿を消し、二度と人々の前に姿を現すことはなかった。

 人々は少なからず混乱した。魔王の脅威が去ったとはいえ、それがもたらした被害は甚大であり、無残な爪痕は各地に未だ多く残っている。そんな人々の希望の象徴として、「勇者」という存在はまだ必要とされていたのだ。

 しかし、勇者である彼が失ったものはあまりに大きかった。共に背中を預けて戦った女戦士デイジィ、幼い頃からの友人モコモコ、パーティの頭脳であった魔法使いヤナック、モンスターで有りながら人間たちを守って戦ったドドンガ。バラモスとの戦いで、仲間のほとんどが帰らぬ者となってしまったのだ。彼が最も好意を寄せていた幼なじみが無事だったことは不幸中の幸いであったのだろう。しかし、心優しい彼は、自分が生き残ってしまったことを悔やみ、幼なじみである少女、聖女ティアラの元を去った。その後、彼は一生を仲間たちの供養に費やしたと伝えられているが、その後どこでどうしているのか、もはや帰らぬ人であるのか、知るものは誰もいなかった。

 失踪した勇者に変わり、人々の希望の象徴として表舞台に立たされたのは聖女ティアラであった。彼女と勇者アベルが幼なじみで、恋人であるというのは近しい者たちにとっては公然の事実であったが、彼らが正式に交際していた記録はない。様々な公の場に引っ張り出され、人々を励ます象徴としての役目をこなしながら、ティアラは必死にアベルの捜索を続けたが、再会することはかなわなかった。そのことに絶望したからとも、人々からの大きすぎる期待の視線に耐えかねたからとも伝えられているが、ある式典の出席を最後に、彼女もまた公の舞台に姿を見せることはなくなった。

 世界はまたも動揺したが、そのとき、ようやく復興を果たしたドランの王ピエールが世界の先頭に立ち、王族の私財までも(なげう)って各国を援助し、その姿勢に心打たれた人々は聖女の喪失を乗り越え、再び復興へ向けて歩き出した。世界は徐々に平和で穏やかな本来の姿を取り戻していったのだった。

 老婆が何故「勇者アベル伝説」を読むたびに心を痛めるのか、それを知る者はこの村にはいない。それどころか、つい数年前にふらりとやってきた彼女の名前を知る者さえ全くいない。そのような人物は警戒されてしかるべきだが、そんな必要がないほどに世界は平和で有り、のどかで少々退屈な1日を繰り返すこの村の住人には、老婆の素性を気にするような者は誰もいなかった。勇者たちは多大な犠牲を払い、確かにこの世界を守ったのである。

 今、老婆が住んでいるこの家は、数年前まで腕の良い猟師の男が住んでいたそうだ。彼はもはや老人と言って差し支えない年齢であったが、銛(もり)一本でどのような魚も捉え、木の矢一本でどのような大型の獣も仕留めたという、村一番の腕の持ち主だった。そんな彼も、流行病にかかって帰らぬ人となり、この家は数年間空き家になっていたのだ。

 老婆はこの家に住み着くと、村の子供たちに読み書きを教えはじめた。また、不思議な魔法の道具(マジックアイテム)を多数作り、村に提供もした。それらは村人の生活を徐々に裕福にしていったから、彼らは次第に老婆に感謝するようになり、村の子供たちがいっそう彼女の家に頻繁に出入りするようになった。先ほどの2人も普段からこの家に出入りし、時には今日のように泊まってゆくこともあった。老婆はこの村で、平穏で満ち足りた生活を送っていたと言えるだろう。

 

「はっ、いけない……!」

 

 突然、老婆が立ち上がると同時、何かが大量に羽ばたくような音が周囲に響き、次いで何か大きなものがいくつも落ちてきたような、ズシンズシンという振動が地面を揺らす。次いで蹴破るような勢いで扉が開け放たれ、壮年の男が血相を変えて部屋に飛び込んできた。

 

「おお、婆さん、無事だったか、子供たちは?!」

「隣の部屋で寝ているよ、何があったんだい?」

「ふあぁ、どうしたのおばあちゃん。」

 

 男が入ってきたのとは反対側にある扉がゆっくり開き、男の子が眠そうな顔をしながら暖炉の方へ歩いてくる。老婆は一瞬迷うようなそぶりを見せたが、やさしく男の子に話しかける。

 

「ちょっと大きい地震があったみたいでね、なにこの家は私が特別な細工をしてるから大丈夫さ。安心しておやすみ。」

「うん……。」

 

 男の子は少し不思議そうな顔をしたが、眠そうな目をこすりながら元の部屋へ引き返していく。その姿を見つめる男はなるべく動揺を悟られないように無言を貫くのが精一杯だった。

 

「もう、逃げ場がないようだね。」

「ああ、化け物が襲ってきて、リックもマーフィーも、強い奴らはみんなやられちまった。一瞬だ。もう俺たちにゃあどうにもできねえ。それによ……。」

 

 男はごくりとつばを飲み込み、震える体をなんとか押さえつけながら言葉を続ける。村人の中では心身共にずば抜けて強い彼のこんな姿を、一体誰が想像しただろうか。

 

「あのモンスターはやべえよ。なんとか羽が生えた蜂の化け物みたいなやつを1匹倒したんだが、光になって消えちまいやがって、代わりに、こいつが……。」

 

 男の手には赤く美しい光を放つ石、宝石が握られていた。手を開いてそれを見せる男の顔面は蒼白で、彼がこの宝石の持つ意味を正確に理解していると分かるものだった。その美しい石を核として作り出される『宝石モンスター』の存在を彼は知っていたからだ。そして、それが意味することも正確に頭に浮かんでいることだろう。

 

「そうかい、あれだけ犠牲を払ったのに、まだ血が必要だというんだね……。」

『婆さん?」

「あたしゃねえザック、この世界が憎いよ。あんなに人が傷ついて、それでもようやくここまで持ち直したんだ。それなのに神様はまた、あたしたちから奪おうとするんだ。」

 

 老婆は憎々しげに吐き捨て、暖炉の横に据え付けられている柱時計に描かれている奇妙な模様に手をかざした。ゴリゴリと何かが動くような音がして、柱時計がゆっくりと右にスライドしていく。その裏には地下へ続く階段が隠されていた。

 

「……レミーラ。」

「おい、婆さん!」

 

 混乱して叫ぶ男、ザックに背を向け、老婆はいつの間にか手に持っていた水晶に魔法の光を灯し、それを掲げながら階段を足早に下ってゆく。よく分からないまま小走りで後ろからついてくるザックを気にかけることもなく、彼女はほどなくして最奥部の部屋にたどり着いた。

 そこには、巨大な砂時計が鎮座していた。優に成人男性の倍はあろうかというそれは、どうやってこんな大きなものを作ったか分からないガラスの器に、これまたどうやって作られたのかわからない七色に輝く不思議な砂がぎっしり詰め込まれていた。

 突如、ズガアァン!! というものすごい破壊音がして、地下室の入り口に近い天井が崩れ落ちる。幸い老婆には細かい岩の破片が降りかかる程度だったが、真下にいたザックはおそらく即死だろう。崩れ落ちがれきと化した地下室の天井の下から、何かの液体が染み出ているのが分かるが、レミーラの光が心許ないために色までは分からない。おそらく人間の血液であろうそれが流れ出す様を見ても、老婆の表情は動かない。動かずにただ、巨大な砂時計の一点のみを見つめていた。

 

「変えてみせる、変えてみせるともさっ!」

 

 老婆はそう叫ぶと、持っていた水晶玉を砂時計めがけて叩きつける。年老いた彼女の力ではさほど大きな衝撃は与えられないはずだが、水晶が割れると同時にわずかにできた亀裂は、瞬く間に砂時計全体に広がっていく。そしてそのひび割れから七色の光が漏れ出し、部屋を明るく照らしていく。老婆が安堵のため息を漏らしたとき、その目は驚愕に見開かれた。

 

「うぐっ!」

 

 続いて、その胸部から鋭利な爪が飛び出し、老婆は口からがはっと血を吐き出した。後ろを振り返ることもできずに、その頭はがくりとうなだれた。彼女の体を貫いた爪は、ほどなくしてずるりと引き抜かれた。それは巨大なこうもりの爪であった。動物のこうもりの爪としては長すぎるそれは、こうもりの顔が猫という異形の化け物が持つ鋭利な武器であった。にやりと邪悪な笑みを浮かべたこうもり猫……キャットバットがその場を離れようとしたとき、部屋を照らしていた光は急激に強さを増し、モンスターもろともあたりを七色から白一色に染め上げた。その光は地下室にできた天井の穴から、家屋が崩れ去って何も邪魔するものがない夜の空へ放たれ、そして――。

 まもなく、この世界のすべてを包み込んだ――。

 まるで、すべてを、塗り替えるかのように――。




※解説
女の占い師:原作でも割と人気のあるあの人です。この世界で顔バレするとまずいので、隠してます。トレードマークの水晶玉ももちろん持ってます。
タロット:なぜか打撃武器にもなる銀色のやつです。
占い:DQ4第5章のオマージュです。占い料は10Gで、その結果で勇者であることが分かり、ミネアとマーニャが仲間になります。
リリルーラ:某少年漫画に出てきたルーラの派生呪文で、いかなる場所からでも仲間の元へ合流する。ルーラとは何かが違うらしく、天井のあるところで唱えても頭をぶつけたりはしないらしい。ルラムーン草を媒介にすると次元を隔てても移動できる。
老婆と子供たち:原作の打ち切りエンドの方に出てきた人物です。老婆はティアラの年老いた姿であるような描写がされていますが、作中ではっきりとは言及されていません。

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