部活と言うのは青春への第一歩である。
例え何部であろうと、ある集団に属することは己の見識を広め、輝かしい未来を近づかせる。
だがその一歩を踏み外したものはただ落ちていくのみである。それは学内ヒエラルキーでもあるだろうし、自らの人間性でもあるだろう。しまいには暗くよどんだ空気を内に宿し、楽しげに笑う輩にあらぬ憎しみを向け、男女交際に至った者どもには嫉妬の炎を燃やす、そんなしみったれた学生生活を送る羽目になる。
そうなってしまった戦友を、俺は何度も目にしてきた。そのたびに思った、こうはなるまい、と。
回避するにはどうすればよいか。簡単である。
「周囲と迎合せず己を貫き、何があっても動じない強い精神を持て」
「その言葉好きよね」
「俺のお気に入りだ。真似するなよ?」
「絶対にないから安心して」
放課後の屋上は、一人物思いに耽るのに最適である。今日も世界は平和だぜ、とか、ふう、学生生活も楽じゃあないな、とか、何かそれらしいことをモノローグで語っていると、不思議と落ち着いてしまうのだ。
そんな折に出会ってしまったのが彼女、若狭である。
園芸部である彼女は度々屋上に出没する。その都度姿を隠したり気づかれずに帰ったりしていたのだが、先日運悪く見つかってしまった。彼女は俺と会話しながらも水やりをしたり草を抜いたりとせっせと働いている。こういう小さいことをこつこつとやれる人間は、将来大成するのだろう。俺には到底無理だ。ビッグな男だからな。
「それで、何の話だった?」
「吉野君はなんでここに入り込んだりしたのかって話よ」
「ああ、そうだった」
なんで、と問われると途端に恥ずかしくなってくる。理由などないも同然である。
と言うかないと答えたほうが格好がつく分なお悪い。
格好良く物思いに耽って気持ちよくなるためです。
端的に言えばこうなのだ。それから逃れるためにいろいろ策を弄し、あの言葉をぶち込んだのである。
「そうだな、一言で表せば精神を成長させていた」
嘘である。
「どういうこと?」
最もな疑問だ。俺も意味が分からん。
「屋上から世界を見渡すことで自らの矮小さを再確認し、今ある悩みやストレスを吹き飛ばすのだ!」
真っ赤な嘘である。
「毎日やってるの?」
「毎日だとも。そうしてこの強靭な精神が育まれたのだ!」
赤が重なりすぎて黒く見えるほどに真っ赤な嘘である。
大体、精神の成長と屋上の景色とでどんな関係があるのかと。何の関係もないわい。
若狭はふーんと気のない返事をして黙り込んでしまった。世話の方に集中し始めたのだろう。
彼女にとってはそこまで興味を惹くような話ではないようであった。こちらにとってもそれはありがたい反応である。これ以上この話を引っ張られようものなら、もう一度あの言葉をぶち込まざるを得ない。
静かな時間が過ぎていく。放課後とはかくあるべし、と言った雰囲気だ。
太陽は地平線の向こうに消えゆこうとしており、その後を追って夜が近づいている。
「ねえ」
不意に若狭が俺を呼んだ。
「何だ?」
「学校、楽しいと思ったことある?」
これは嫌みだろうか。こんなところで暇している時間があったらもっと有意義なことに使え、と言外に言っているのか。それとも手伝え、と言うアピールか。俺は呻く直前になり、何とか受け流した。
「と、突然なんだ?」
「別に深い意味はないわよ? ちょっと聞いてみただけ」
興味本位と言ったところだろうか。少し安心した。
こちらに顔を見せてくれないから、何を考えているのかいまいち掴めないのが怖いところだ。
「楽しいと思ったことはないな」
「……そう」
「だが、詰まらないと思ったこともないぞ」
そこで若狭は振り向いて俺を見た。意味が分からない、と言いたげな顔だ。
「何かと面倒なこともあるが、かと言って嫌になることもないってことだ。俺の強靭な精神力によるものだがな」
真面目に答えている自分が無性に気恥ずかしくなった。
夕焼けに照らされているから、顔が赤くなっていることは伝わっていないと思いたい。
「ふふ、吉野君て変な人よね」
「む、会ってからそう時は経ってないだろう。変人と認定するには早計ではなかろうか」
すると若狭はくすくすと笑った。口元を手で隠して、上品な仕草である。同い年なのに年上のようだ。
「そういうとこ、普通じゃないわ」
「くっ、堂々と貶すとは、何て奴だ」
にやにやと見つめてきた若狭は、また世話に戻った。言いたいことだけ言っておしまいか。
思ったよりは子供っぽいかもしれない。
お返しに俺もその丸まった背中をにやにやと見てやった。傍から見たら不審者に見えるに違いない。
「――のかしら?」
「ん?」
くだらないことを考えていたら、何と言ったのか聞き逃してしまった。
「すまん、何て言ったんだ」
「また、来るのかしら、って」
「まあ、迷惑じゃなければな。俺は勝手に使ってるわけで、強く出られた立場じゃあない」
「変人だけれど、常識はあるのね」
「変人は余計だ。……迷惑だったか?」
少々心配になってしまった。精神は他の追随を許さぬものと自負しているが、人とのコミュニケーション能力が低いことも自負している。そのせいで相手に何かを強いてしまうのは避けたいところだ。
「いいえ。話し相手がいたほうが私も楽しいわ」
「そうか。では、また来てもいいのか? 来たところで景色を見て過ごしているだけだが……」
「好きにしたらいいんじゃない?」
「なるほど。ならばそうさせてもらおう」
そうこうしていたら、もう太陽は見えなくなって、夜の帳が下りてきた。グラウンドが照明で照らされている。部活に勤しむ連中は、遅くまでご苦労なことだ。あれもまた、俺には真似できん。
若狭は未だ黙々と作業をしている。俺には何をしているのか分からんが、園芸と言うのもいろいろやることがあるのだろう。そうすると、こう、申し訳なさが湧いてくる。場所だけ使わせてもらって全く手伝わない、と言うのは、人並みの良心を持っている俺には肩身が狭い思いだ。
「ああー……若狭」
「何?」
「何だ、その、えー……」
「いきなり歯切れが悪くなったわね」
人を手伝う、と言うのは俺のキャラではない。言い出すのが難しいのだ。
「こ、交換条件と行かないか?」
「何と何の?」
「ここを使わせてもらうから、代わりに俺はお前を手伝う……どうだ?」
すると若狭は立ち上がって振り向いた。にやにやとした笑みが張り付いている。
俺は失敗を悟った。
「あらあら」
子供を見るような瞳だ。
「ええい、やめい! 俺をそんな目で見るな! いいか、俺はお前を手伝うからな!」
「今日はもう終わったわ」
「な、なら次からだ! 分かったか!」
「はいはい。思ったよりも子供っぽいのね?」
言い返したところで丸め込まれる思いしかせず、俺は口をつぐむことを余儀なくされた。それを見て若狭は更に笑みを深くする。怒るに怒れず、俺は苦笑した。
――こうした日常は、なくなって初めて価値を知る。