LORD Meets LORD(更新凍結)   作:まつもり

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第五十二話 魔獣の背の上で

「がぁっ……、はぁ!」

 

インキュバスの右手が、偃月刀ごとハムスケの尾に切り飛ばされた。

戦いが始まり間もない内に彼我の実力差を知ったインキュバスは、一旦逃走してンフィーレア発見の報を魔将達に伝えるべく動いていたが、それは未だに成功していない。

 

本来ハムスケは森の中に住んでいた魔獣であり、立体的に入り組んだ地形での戦闘は得意分野に入る。

 

二十メートル近くの射程を持つ尾で一方的に攻撃を加えつつ、その巨体を使い、巧みに逃げ道を塞いでくるハムスケは檻の中に入った獣を追い詰めるように、確実にインキュバスにダメージを与えていた。

 

(くそっ、身体能力を頼りに逃げるのは無理か。 ならば……)

 

「《パラライズ・ミスト/麻痺霧》」

 

「む?」

 

インキュバスの突き出した左手から、大量の黄色い霧が吹き出し、周囲を覆った。

 

第三位階魔法、《パラライズ・ミスト/麻痺霧》。

この呪文により発生する霧は毒性を持っており、吸入したものはダメージこそ負わないが、四肢の麻痺により行動が阻害される。 

多人数を同時に無力化することも可能な魔法ではあるが、霧を吸入しなければ抵抗は容易な為、知識さえあればそれ程の脅威とはならない。

 

ハムスケも知識こそなかったが、敵の魔法により現れた霧に警戒し、咄嗟に息を止める。

 

最も、まともに吸い込んでいてもハムスケに対し効果があったかは疑問だが。

 

この魔法は霧の毒性自体はそれ程強くは無い為、レベルにおいて自分より優っている相手には効果は薄く、この世界においては大勢の格下を相手にするときは強力な魔法という評価だった。

 

 

だが、インキュバスの狙いはハムスケを麻痺させることではない。

 

「消えた……、でござるか?」

 

魔法で突如現れた霧が、一瞬で晴れたとき、既にそこにはインキュバスの姿は無く、先程までの戦いの痕跡として地面に黒々としたインキュバスの血痕が残るのみであった。

 

「これは……」

 

ハムスケは幾つかの可能性を考える。

 

これまでの二百年近くの生の中で得た経験と今の状況を照らし合わせ、最適な行動を導き出す。

ハムスケが森の賢王と呼ばれ、過酷な生存競争の場であるトブの大森林で長い時を生き延びてきたのは、血に飢えた魔獣には無い、優れた知能がある故だったのだから。

 

(転移魔法というものがあると聞いた事があるでござるが……、その線はないでござるな。 話に聞けば、伝説に語られるような魔法使いしか扱えない高位魔法だった筈でござるし、某の相手はそれ程強くはない。 とすれば地面に潜行して逃げた……、いや、そんなことが出来るならもっと早くに使っている筈でござる。 あの青肌の男は早々逃げ腰でござった。 とすると、恐らく……)

 

「逃げられたようでござるな。 仲間を呼ばれると厄介だし、ンフィーレア殿を回収して早くこの場から逃れるでござるか……ん? ンフィーレア殿?」

 

ハムスケは倒れているンフィーレアに近づくが、彼の四肢が細かく痙攣していることに気がついた。

 

(あの青肌の男の放った魔法を吸い込んだでござるか。 切られた右足からの出血も酷く、意識も失っているようでござる。 これは直ぐに治療しなければ助からないでござるが……)

 

ハムスケが扱う魔法は全て魔力系の魔法。

回復は基本的にはドルイドや神官の領域であり、ハムスケに回復魔法を扱うことは出来なかった。

 

(遠からず死ぬのなら、別に運ぶ必要は無いでござるな。 せめて、意識が無い内に楽に殺して進ぜるでござる)

 

もし、これが人間や亜人の友同士ならば、たとえ助からないと分かってはいても、まだ生きている相手を見捨てられずに共倒れする危険もあっただろう。

 

しかし、ハムスケとしてはンフィーレアには命を救われた義理がある為に、都市から逃げ出そうとする途中で見かけた彼の窮地を見過ごさずに助太刀をした。 だが、それは言うなれば義理を重んじるハムスケの主義からくる行動であって、昨日出会ったばかりのンフィーレアと個人的に深い友情がある訳ではない。

 

森の中での生存競争で培われた理性は、ンフィーレアにこれ以上してやれることは無いと判断していた。

 

(一瞬で殺すなら、心臓、首、頭のいずれかでござるが……、心臓か頭を潰すと、体が大きく損傷してしまうでござる。 恩人に、あまり無残な死に様をさせるのも気が引けるでござるし……、首の血管を斬るでござるか)

 

準備の為に、ハムスケはンフィーレアの首に掛かっていた邪魔な髪の毛をかきあげ、首を露出させるが、その時に独特の刺激臭がハムスケの鼻をついた。

 

「これは……薬草? そうか! もしかして……」

 

ハムスケは、手でンフィーレアが着ている服を探る。

 

アインズ達の印象が強くつい忘れていたが、ンフィーレアは薬師だと言っていた。

だとすれば、応急手当が可能な薬品を所持している可能性もあるのではないかと、思い至ったのだ。

 

「……あったでござる!」

 

それはンフィーレアが付けていた前掛けのポケットの中。

青色のどろりとした液体が詰まった瓶が、数本詰め込まれていた。

 

本来、ンフィーレアが貴重なポーションを街中で持ち歩くことはないが、今回に限ってはエンリとネムが怪我をしていた時の為に、薬草と魔法で作った数本のポーションを持ち出していた。

 

ポーションの種類など分からないハムスケだったが、瓶の中身はすべて同じ身体的な傷を治癒する薬品。

適当に一本を選び、爪の先を器用に使いポーションの蓋を開けると、半分程をンフィーレアの傷口へと振りかけ、残りを口の中へと押し込んだ

 

すると、回復魔法程に急速ではないものの、徐々に血が止まりだし、青ざめて居た顔にも仄かに血の気が戻り始める。

 

それを確認したハムスケは残りのポーションを頬袋に入れると、尻尾を使いンフィーレアを背中に乗せ、曲がり角へと消えていった。

 

 

人気の無く、物音一つしない裏道での出来事。 

………だが、ハムスケとンフィーレアが去る様子をを見ていたものが一人だけそこに居た。

 

「ふぅ、ふぅっ」

 

極度の緊張が途切れたことで、息を切らして地面へと膝を着く存在。 それは霧を発生させた後に姿を消したインキュバスだった。

 

彼は、今まで息を殺し物音を立てないようにしながら、ずっとハムスケ達の近くに潜伏していた。

 

何故ならばインキュバスの使う《インヴィジビリティ/透明化》の呪文は、姿を消すことは出来ても、それは視覚情報だけの話。

 

当然、歩いた際に立てた音は聞こえてしまうし、臭いも消すことは出来ない。

仮にあのまま、道を走って逃げようとしても直ぐに位置を補足されてしまうと判断したインキュバスは、あえてその場に留まることにより、ハムスケが去ることをを待つ選択をしたのだ。

 

そして、その作戦は功を奏したらしく、インキュバスは生き残った安堵に震える。

獣は鼻が非常に聞く場合が多い為に、例え動かなくても臭いで、インキュバスの位置が露見する可能性もある。

 

その場合は一か八かで、強引に逃げるしかないと思っていたのだが……。

 

(さて、魔将様にご報告をしなければ。 ンフィーレアは僕の手では確保出来なかったが、その動きを封じ、位置も特定した。 あのデカブツに運ばれているなら、否応もなしに目立つだろうし、捕獲は容……い……?)

 

だが、インキュバスの思考は途中で中断されることになる。

胸を突如として衝撃が襲い、肺の空気を強引に押し出したからだ。

 

「なっ……んで?」

 

視線を下ろすと、左胸に何かに貫かれたような大きな穴が空いている。

 

何かを投擲され、それが胸を貫いたのか、と思うが直ぐにそれが間違いであったと理解した。

 

不可視の霧が晴れるように、うっすらと胸を貫いたものの正体が姿を現す。

それは、先程まで闘っていた大魔獣、ハムスケの尾だった。

 

インキュバスが再び視線を前に戻すと、十五メートル程離れた場所に先程立ち去った筈のハムスケがンフィーレアを背に乗せたまま、確かに存在していた。

 

「お前、は……、去ったはず……」

 

自分の命が失われつつあることを自覚しつつも、問いかけるインキュバスにハムスケが口を開く。

 

「透明化がバレていないと思っていたでござるか? 音はしなくても、血の臭いを嗅げばお主が立ち去ってなどおらず、近くに留まっていることは明白でござった」

 

その言葉にインキュバスは目を見開く。

透明化が最初からバレていた? だとすれば、どうして奴は直ぐに攻撃をしなかったのだろうか。

 

インキュバスの疑問を察したハムスケは更に語る。

 

「とは言え、臭いだけでは正確な位置は測れぬでござる。 もし攻撃を外して、透明化したまま強引に逃げられれば、仕留めきれずに仲間と合流される可能性もある。 その為に、一旦気がつかぬ振りをして離れた後、自分達に透明化を使い再び戻ったのでござるよ。 安心したお主が物音を立てる瞬間を狙う為に。 ………自分が隠れることに気を回しすぎて、相手の行動を予想し損ねたのがお主の敗因でござるな」

 

「そっ……か。 そういえば、最初に、君ほど大きな魔獣に不意打ちされるまで気がつかなかったのは……君が……透明化の魔法を使えたから、か」

 

インキュバスの視界が徐々に暗くなっていく。 まるで深い水底に沈みながら、海面から差し込む太陽の光を見上げるように。

 

負けた。 力においても、そして知恵においても。

 

相手はただの力が強い獣では無かった………。

 

「頭いい……ね。 き、み……」

 

インキュバスは、その言葉を最後に意識を完全に手放した。

役目を終えたその体が、光の粒子となって天へと登っていく。

 

その様子を見ていたハムスケはこれからの行動について、考えた。

 

(さて、アインズ殿達も何故かいないし……。 これから、どこへ行くとするでござるか。 

ンフィーレア殿も、一先ず命は取り留めたものの、全快には程遠いようでござるが、助けてしまった以上途中で放っておく訳にもいかないでござる。 ……気は進まないけれど、もう一度森へ戻って体勢を立て直すでござるか。 一日森を空けただけならダークエルフ達も煩いことは言わないでござろうし、ンフィーレア殿なら自分で薬草を採取して薬を作ることも可能でござろう。 ………森に人間を勝手に入れることについては、何かと文句を言われるかも知れないでござるが)

 

ハムスケ……、森の賢王と呼ばれ恐れられる大魔獣はンフィーレアを背に乗せ、再び透明化を使った後に、城門へと歩き出した。

 

 

 

 


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