叩き落とされたラナーが、突入した建物から濛々と石材の粉塵が上がっている。
強欲の魔将は手応えを感じながら、しかし油断はせずに、その様子を見下ろしていた。
突如として都市を包み込んだ巨大な網目状の結界。
一瞬にして凄まじい突風が発生したかと思うと、その直後には呼吸が出来なくなっていた。
恐らくあの結界の正体は、どのような仕組みによるものか内部の空気を抜いてしまうもの。
人間諸共に自分たちを皆殺しにしようとする、純然たる殺意の顕現だろう。
そして突如現れた、見たことのない装備をした人間………、ナザリック内でも階層守護者など規格外の実力者を除けば、トップクラスの力をもつ自分達二人をこうまで圧倒して見せるとは何者なのだろうか。
この世界の人間は脆く、愚かで罪深い下等生物の筈。 ……もしかしたら、かつてナザリックへと侵攻した大罪人達と同じような存在かも知れない。
この都市で当初、自分達が任された作戦はンフィーレア・バレアレの確保だったが、それは予想に反して速やかに成し遂げることは出来なかった。
強襲ではなく、ゆっくりと都市に潜入してンフィーレアの所在を確認してからことに当たれば、こうまで手こずることは無かったかもしれない。
しかし、ナザリックのかつての主、モモンガが直ぐにでもンフィーレア確保に当たるだろうと、デミウルゴス様から告げられており、悠長な作戦をとる心の余裕が自分達には無かった。
そして、その結果がこれだ。
ンフィーレアは未だ見つかっておらず、正体不明の人間、いや、人間らしき存在の介入により、都市は全滅。
既に都市外へと運びだした者達の中にンフィーレアが含まれていなければ、街に転がった死体の中から捜索することになる。 ……いや、既に死んでいるならバレアレ薬品店からンフィーレアの毛髪を探して蘇生させればいいことか。
「……しまった」
そこまで考えて、強欲の魔将はある可能性に思い至ってしまった。
あの女が初めに居た場所はンフィーレアの住む家だった。
もしかしたら、あの女もンフィーレアの確保を目的としていたのかも知れない。
だが自分達に先を越されていたことを悟り、一か八かで都市内の人間を皆殺しにし、蘇生魔法を利用してンフィーレアを確保することにした。
だからこその、あの魔法。
あれは自分達、悪魔を殺すためでは無く、ンフィーレアを対象にしたものだったのではないだろうか?
このまま女を逃がしてはまずい。
何としてでも彼女を確保して、ンフィーレアを勝手に蘇生されないようにしなければならないと強欲の魔将は認識した。
それに、あの強大な力を持つ女を確保出来れば、このエ・ランテルでの失点も多少は取り戻せるかも知れない。
強欲の魔将は、既にポーションを使い体力を回復させた嫉妬の魔将へと合図を送り、女を確保するという意思を伝える。
だがその時、建物の屋根に空いた穴から、直径一メートル程の雷球が飛び出してきた。
煌々と白い光を周囲に放つ高密度の雷。
それはまともに喰らえば、例え魔将といえども大きなダメージを受けることは先程の戦いで確認済みだった。
しかし……。
(ふん、このような距離から誘導もしない攻撃を放ったところで当たるか!)
高速で飛び回る相手に、遠距離攻撃を当てるのは至難の技。
ましてや、相手を直接目視もしていない状態では尚更だ。
二体は余裕を持って上空へと放たれた雷球を躱すと、建物の側面へと回り込み、木窓を壊して内部へと突入した。
(人間共の宗教施設のようだな)
そこは、並べられた椅子の列と信仰対象と思われる石製の紋章が置かれている広間だった。
……そして彼女もまたそこにいた。
女は紋章が置かれている台の前で、右に持った斧槍を魔将達の方へと構えていた。
体には所々に擦り傷が出来、左腕に至っては原型を止めない程に損傷し、ただの肉塊と化している。
だが、その傷は彼女の戦意を完全に奪うには至っていないようだった。
両者の間に、最後の決戦を前にした緊張が走る。
……だが、女は極限の緊張状態を打ち破る思わぬ行動に出た。
(なに! 武器を捨てただと!?)
女は手に持っていた斧槍を地面に投げ捨てると、何やら右手だけでジェスチャーを始める。
そして、その顔には、もう戦意の欠片も残っていないというような怯えが張り付いていた。
あまりのことに、魔将達は直ぐに反応することが出来ない。
先程まで、たった一人で我らに挑んできたこいつが、今更命乞いでもしようというのだろうか?
その凄まじい違和感に互いに攻撃を仕掛けるでも無いまま、十数秒の時間が流れた、いや、流れてしまった。
魔将が困惑する前で、女は急に動きを止めた。
……そして次の瞬間、教会を激しい閃光と共に衝撃が蹂躙した。
(! まず……)
急速に壁が、屋根が崩れ落ち石材が雪崩のように一人と二体へ降りかかる。
石煙に視界を閉ざされる強欲の魔将が最後に見たものは、女が浮かべる不敵な笑みだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
地上では豪風が吹き荒れている。
結界が解除されたことで、外部と内部に凄まじい気圧差が生まれ、大量に流れ込む空気が爆発的な突風を生み出しているのだ。
だが、現在地下を移動しているラナーは、その風をまともに受けることは無い。
下水道特有の悪臭に顔をしかめながらも、ラナーは生き延びたことに安堵の息を吐き出していた。
そう、自分の命をかけた最後の賭け。 その勝敗の天秤は辛うじて自分の方へと傾いたのだ。
ラナーは自分が逃げるために取った作戦に思いを馳せる。
まず、教会へと突き落とされたラナーが思い出したのは、この建物の地下を走る下水道のことだ。
クレマンティーヌ、デイバーノックの二人とエ・ランテルでのアンデッド実験の計画を練る際、この下水道を利用してエ・ランテル内部にアンデッドを送り込もうという計画が浮上したことがある。
その計画は結局、細長い下水道内では、デイバーノックのアンデッド達の誘導が機能しなくなる恐れがあること。墓地からの自然発生を装った方が、後々問題になりにくいことを理由に却下されたが、ラナーはその時にエ・ランテル内の下水道分布図を見ており、それを今日までかなり正確に覚えていた。
その情報と、ラナーが落とされた建物が都市内ではかなり大きな教会という建物であった事の二つを踏まえてラナーは瞬時に作戦を組み立てたのだ。
まず、初めに放った雷の球は直接相手に命中させ攻撃を行う為のものではない。
あの技の本来の効果は、上空高くへと打ち出して、地上へと雷の雨を降らせるというもの。
ラナーは一つ目の賭けは、その攻撃の効果を相手に見抜かれないことだった。
ラナーの構想としては、結界が崩れるタイミングと同時に、ケルベロスの雷を教会へと落とし、雷と突風で教会を倒壊させる。
そして、その時までに教会内に相手をおびき寄せておき、相手を瓦礫の中に埋めてしまい、自分だけは床を打ち抜き下水道から逃げるというものだった。
幸い、相手は雷の正体には気がつかずに、思い通りに教会内へと踏み込んできた。
だがそこで問題がひとつ生じる。 相手の突入が思っていたよりも早過ぎたのだ。
まだ、結界が解除されるまでに二十秒近くあり、その時間さえあれば悪魔達の攻撃が自分の命へと届きうることは明白。
しかし、結界が解かれるまで地下へと潜るわけにはいかない。
ダンタリオンの極大魔法の制限として、術者が結界の最下部、即ち地面の高さよりも下へと下がってしまうと魔力の逆流により、術者の命が危険にさらされるのだ。
その時間を稼ぐためにラナーが選んだ方法は、臨戦態勢からいきなり投降し相手の猜疑と困惑を誘うという手段。
多少不格好ではあったが何とか作戦は功を奏し、時間を稼ぐことに成功したラナーは、逃げることに成功した。
(イビルアイとデイバーノックを回収して逃げないと……、ンフィーレアも無事殺せているといいのだけど)
ラナーは記憶を元に、下水道の中を駆け抜けていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
魔将達は、瓦礫を押しのけ地上へと這い上がった頃には、教会が崩れてから既に一分以上が経過していた。
石の雪崩に包み込まれようと、魔将達の頑強な肉体を傷つけるには到底及ばないものの、自らの上に降り積もった瓦礫を押しのけるのには多少時間を必要としてしまった。
そして、一緒に埋もれたはずの女の行方を探している内に、地面に空いた大きな穴を見つけるまでに更に一分。
魔将達はラナーの策により、二分間の時間を稼がれてしまった。
「短時間ではそう遠くへは……今すぐに追えば追いつけないかしら?」
「……無駄だろうな。 どうやら匂いからして下水道を通っていったようだ。 当然内部で無数に分岐しているだろうし、逃走の痕跡を見つけるには優秀なレンジャーが必要だろうが、我々にはその力は無い。 人海戦術をとろうにも、連れてきた悪魔は全滅してしまったようだ」
二人の間に重い沈黙が走る。
この後に確実に待ち受けているであろうデミウルゴスからの罰を恐れていたのだ。
「後は、バレアレ薬品店でンフィーレアの体の一部を探し蘇生を試みて……それが失敗すれば既に運び出した男達の中にンフィーレアがいることを祈るしかないか。 確認はお前がやってくれ」
「ええ……」
吹き荒れた爆風により、倒壊した建物は多数に上っていた。
道路に散らばった石片を踏み砕き、二人はそれぞれの役目を果たす為に別れていった