LORD Meets LORD(更新凍結)   作:まつもり

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第四十七話 空の外

「なんだ……あれは?」

 

無数の悪魔による蹂躙が繰り広げられるエ・ランテルの上空に、突如として浮かんだ巨大な八芒星。

都市中央部の一際高い建物の上から、それを見上げた強欲の魔将は思わず呟いた。

 

「ナザリックから連れてきた悪魔達にあのようなスキルは無いはず……。 だとすれば、現地の存在が何らかの魔法かスキルを発動したのか? ……いや、しかしあのようなものは知識に無いが」

 

強欲の魔将は戸惑いながらも、横にいる嫉妬の魔将に視線を向ける。

 

それは、昨日エ・ランテルを偵察したという彼女が何か情報を持っていないかと期待しての行動だったが、嫉妬の魔将もまた、何が起こっているのか分からずに、空を見上げるだけだった。

 

「いえ、私もあんなものは知らないわ。 だけど……、念の為防御系のスキルを展開しておきましょう」

 

光で描かれた八芒星に不穏なものを感じ取った嫉妬の魔将がスキルを発動すると、二人の周囲に、澱んだ黒い靄が表面を漂う半透明の膜が展開される。

 

このスキルは、発動中は、使用者が移動不可能になる代わりに、スキルや魔法による遠距離攻撃のダメージを軽減するというもの。

 

全く未知の現象を目の前にした二人が選んだのは、ひとまず防御行動に移るという選択。

あの中から強大な召喚獣が出てくるのか、それとも何らかの儀式魔術なのか。 情報が何もない状態で、こちらから行動を起こさずに、様子を伺おうとした二人は、至って妥当な行動をしたと言えるだろう。

 

 

ただ………もしも、この八芒星が超位魔法の発動時に展開される魔法陣と同じような働きをすると二人が知っていたならば、他の手も打てたかもしれない。

 

 

誰にも邪魔されること無く、発動の準備を終えたラナーは、遂に極大魔法を発動させた。

 

「あれは……、光の球体?」

 

八芒星の中心部が輝いたかと思うと、突如として直径一メートル程の光球が出現する。

そして次の瞬間、光の球は勢い良く弾け飛び、空中に無数の小さな光点を撒き散らした。

 

何かが起ころうとしている。

二人はそう感じつつも、結界の中で黙ってその様子を見守ることしかできない。

 

四方八方に散らばった無数の光点は、エ・ランテルの街を覆い尽くすかのように、城壁の外周部と都市の上空で停止し………、数回不規則に点滅した後、隣合う光点同士で光の線を伸ばし合い、次々に連結していく。

 

その現象は高速で進行して、瞬く間にエ・ランテル全域は、星屑のような光点が連結した、網目状の結界に覆い尽くされてしまった。

 

「一体、あれは……何が起ころうとしているの?」

 

脆弱な人間相手の任務ということで、多少の油断があった嫉妬の魔将は、今や警戒と戸惑い、そして確かな恐怖を感じていた。

 

真昼の空を埋め尽くす星達が、一斉にその輝きを増したかと思うと、エ・ランテルに突然、強烈な風が吹き荒れる。

 

その風は、初めは石づくりの建物を軋ませる程の強さだったが、徐々に弱くなっていき、やがては完全に途絶えてしまった。

何の比喩でも誇張でもなく完全に。

 

エ・ランテルを照らす太陽が不気味なまでに明るく大地を照らす。

 

あの突風の前までは、大地を駆け抜け、人々の頬を撫でていたはずの筈の風の音が……聞こえない。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

(音が聞こえない……?)

 

イビルアイが、今このエ・ランテルで起こっている現象を理解できずに混乱する。

 

あの網目状の結界が展開された後に吹いた突風が収まった時、一切の音が聞こえなくなってしまったのだ。

 

隣にいるデイバーノックやラナーに質問をしようと声を出そうとするも、開かれた口からは何の音も出てこない。

 

まさか、結界内にいる存在の聴覚を麻痺させる魔法なのだろうか。

 

しかし、そのような魔法を今使ったところで大きな意味があるとは思えない。

 

その時、イビルアイの元に《メッセージ/伝言》の魔法が掛かって来た。

 

『混乱しているようだな、ヴァンパイア』

 

頭の中に響くその声に、イビルアイは横をみる。

 

《メッセージ/伝言》を発動したのは、デイバーノックのようだった。

 

『どうなっているんだ。 なぜ、音が聞こえなくなっている?』

 

『音、か。 それはあやつの魔法の一側面に過ぎない。 ……今起こっている現象を何と説明したものか、これを短時間で理解させるのは難しいと判断したから、将軍も事前に殆ど説明をしなかったのだろうが……。 分かりやすく言うと、普段空中には風や音を伝える何かが有るらしいのだが、まあ風の元としておくか。 この街を覆う結界内には、今それが存在していないのだ』

 

『風や音を伝える何か……?』

 

確かにデイバーノックの説明を受けても、イビルアイには何のことか理解することは出来ない。

 

そもそもイビルアイの認識では、風や音とは何もない空間を伝わるものであったはずだ。

 

『あの網目の一つ一つが、この空の外と繋がっていて……、そこには音も風も無い。

全ての生ある者は、その風の元に満たされた空間で呼吸しなければ生きてはいけないらしく、今このエ・ランテルにいる生ある者は、呼吸が出来ずに窒息することになる。

影響を受けないのは命なきアンデッドや、ダンタリオンの力で保護されている将軍のみだ』

 

その言葉にイビルアイが、ラナーを見ると,先程の姿を解除しいつもの彼女に戻っていた。

額や頬からは夥しい汗が滴っており、胸が忙しなく上下しているところを見れば、かなり息が上がっていることが伺える。

 

吹き出た汗が、水滴となりラナーの頬を伝う。

 

そして床に滴り落ちた汗は、少しの間だけ床を黒く濡らし、瞬く間に蒸発していった。

イビルアイは知らないことだが、真空空間の中では水の沸点が零度へと達し、体外に出た水は瞬く間に蒸発してしまった。

 

ラナーの体の周囲は極大魔法発動時のダンタリオンの魔法補助により、通常時の状態を保っているが、生身の人間が真空空間に放り出されれば、減圧症、窒息、汗の急激な気化による凍傷で一、二分で死亡してしまう。

 

水中や溶岩地帯、密林など様々なフィールドが存在したユグドラシルですらも、宇宙空間は設定されていなかった。

 

ありとあらゆる生命を拒絶する、静寂の世界。

その宇宙とエ・ランテルは今、同じ状態にあった。

 

『この魔法は発動時、魔神使いが結界内に入っている必要があるが……、発動した後、三分間は解除することが出来ないし、使用者が外に出ることも叶わない。 まあ普通であれば、この空間内で生きていられる者など存在しないが……、将軍は今回の相手が普通ではないと判断したらしいな。 これからの三分間を生き延びる為に、私やお前を同伴させたのだろう』

 

デイバーノックの説明の最中、極大魔法直後の反動からようやく息を整えたラナーは、今度はポーチから飾り気のない短剣を取り出す。

 

極大魔法を発動した後は、それ以上の戦闘が不可能になるほどに魔力と体力を消耗する。

それは他者と比べ、かなり魔力の多いラナーでさえ例外ではなく、もう一度極大魔法を使うことは勿論、普通に戦闘を行うことも困難な程に消耗していた。

 

しかし、ある方法で魔力を回復すれば、三分程度なら持ちこたえられる。

その確信があったからこそ、ラナーはこの危ない橋を渡る決意をしたのだ。

 

革製の鞘を取り外したその剣の刀身には、金属器であることを示す八芒星が刻まれていた。

 

ラナーはそれを胸元で構えると、声の響かない、口と喉の動きだけの詠唱を開始する。

 

『苛烈と妖艶の精霊よ……汝に命ず。

我が身に纏え、我が身に宿れ……我を大いなる魔神と化せ、ケルベロス!!』

 

自身が持つもう一つの金属器を発動したラナーは、先程とは全く異なる姿へと変化を遂げていた。

 

上半身は小さな金属製の胸当てで僅かに胸の先端付近を覆い、羽飾りの着いた金色の腕輪をつけているのみ。

腰から下も、身軽さを重視した腰鎧と短い布を巻いているだけで、大胆に太腿を露出させていた。

 

何よりも目を引くのは、ラナーが背負っている互いに背中合わせになった二体の像。

 

ラナー自身を模したらしい、その黄金の像は、それぞれ異なった表情を浮かべている。

 

悲痛に顔を歪めた像は両手に赤い宝石の着いた三鈷を装備しており、激しい憤怒の表情をした像は、金属製の弓を持っている。

 

本体のラナーは、赤い宝石で作られた穂先の両隣に黄金の斧身がついた斧槍を装備していた。

 

その姿を一言で表すならば、『黄金』の名が相応しいだろう。

ケルベロスの魔装はまさに、ラナーの二つ名を体現するかのような姿へと彼女を変身させていた。

 

ラナーがデイバーノックへ向け、手を招くように動かすと、デイバーノックはそれを見て頷いた。

 

『将軍はケルベロスの魔装状態において、炎を自身の魔力に変換することが出来る。 この結界内では、なぜか自然の炎は燃えることが出来なくなるが、魔法による炎はその限りではない。 私とお前の役目は、敵に発見される前に、出来るだけ多くの火の魔法を将軍へと放つことだ。

……しかし、この作戦はもしもの時に打ち合わせておいたが、本当に使う事になるとはな。

しかも相手は悪魔数千体を使役するという圧倒的な存在。 余程報酬を受け取っても割に合わん。 とは言え、逆らうと……』

 

《メッセージ/伝言》の最後の方はイビルアイへの言葉というより独り言のようだった。

デイバーノックはラナーから少し距離を取った後、手を向けて魔法を詠唱する。

 

とは言っても、風の元とやらが存在しない為、音は響かないのだが……、それでも魔法は発動できるようだ。

 

「《ファイヤーボール/火球》」

 

デイバーノックの手から、赤々と燃え盛る炎の球がラナーへと迫るが、彼女に命中する直前、解けたように炎は形を崩した。

 

炎はそのままラナーの持つ斧槍の、赤い穂先へと吸い込まれて、金属器へ魔力として蓄えられていく。

 

その様子を見て、自分のすべきことを把握したイビルアイはデイバーノックに習って魔法を発動した。

 

「《ファイヤーボール/火球》」

 

二人分の火球が、次々にラナーへと放たれ、店内を赤々と照らす中、イビルアイの心は恐ろしい程に寒々しく、冷え切っていた。

 

ラナーの魔法により、今、数千人の無辜の民の命が絶たれた。

そして、自分もそれに加担しているのだ。

 

どの道、死にゆく運命だった者達だ。

こうするより他に方法が無かった。

悪魔に弄ばれ無惨に殺されるより、急に息ができなくなって死んでしまう方が、ずっとましな死に方ではないのか。

 

イビルアイは魔法を詠唱しながらも、心の中で自分自身に向けて言い訳を繰り返す。

しかし、自分の心は、その言い訳を肯定してくれる優しい言葉を掛けてくれはしない。

 

アンデッドでありながらも、人類の為に、人類の中で生きることを望んだヴァンパイア。

その心は、深く暗い煩悶へと突き落とされていた。

 

アンデッドの精神沈静化が、全ての苦しみや悲しみを忘れさせてくれるものだったなら、どんなに良かっただろうか。

しかし、それは現実には、我を失う程の強い感情を抑制してくれるだけ。

 

イビルアイの心を覆う、暗雲を晴らしてくれそうには無い。

 

いっその事、激情のままに取り乱すことが出来たなら、少しは気が紛れるかも知れないのに、とイビルアイは命ある人間を羨んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、人間も悪魔も多くの者達が死に絶える中、敵意に目を光らせる者達がいた。

 

例え呼吸ができなくても、骨を凍てつかせるほどの冷気に晒されても、決して止めることの出来ない強大な存在。

 

二人の悪魔が、静まり返った都市の一角から伝わる魔力の波動を捉えた。


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