「うーん………、どこもちょっと高いかな……。 ネム、悪いんだけど、もう少し他の店も見てみるね」
「お姉ちゃん、もう三軒目だよ……? どこも、そんなに変わらないと思うけど……」
「あともう少しだから! そうだ、あそこの店にも行ってみようか」
現在エンリは、ネムを連れて朝の店屋街へと買い物に来ていた。
一昨日の夜、エンリは錬金術油を使い墓地から湧き出してくるアンデッドを倒したが、当然のことながら、その際に服は酷く焼け焦げて、とても着れる状態ではなくなってしまっていた。
今は替えの服を着てはいるが、実はエンリが村から持ってきた服は、たったの二着に過ぎない。
機械などが存在しないこの世界において、服とは紡績から布織り、仕立て……と大変な手間をかけ全て手作業で作られている。
その為、一人で何着も服を所有出来るのは一部の富裕層だけであり、エンリのような村娘は一着しか服を持っていないという場合も多い。
とは言え、これからは客商売の店で働く以上、身だしなみには気を使わなければならない。
その為には着替えの服はあった方がいいと判断し、古着店を回っている。
幸いにして、村から持ち出してきたお金には余裕があるし、質素な古着ならば、そこまで痛い出費でもない。
とは言え、エンリの感覚では、年に一度か二度の大きな買い物であり、薬品店が休みで暇だからとついて来たネムが退屈する程に複数の店を回って、商品を吟味していた。
新しい店に向かい通りを歩いていると、エンリはふと青臭い草の香りを感じた。
村では嗅ぎなれた匂いではあるが、周囲は草むらなどは無い街の中。
違和感を感じ辺りを見回したエンリの目に、少し前から歩いてくる、木の皮で編まれた籠を背負った一人の女性が写りこんだ。
癖の強い赤毛の髪を無造作に肩まで伸ばしており、背はエンリよりも少し高い。 頬には多少のそばかすがあるが張りのある肌を見るに、まだかなり若いだろう。 鼻は低めで、眉毛も整えられておらず洗練された美人とは言えないかも知れないが、健康的で凛々しさを感じさせる顔立ちをしている。 強い意思を秘めているような、印象的な鳶色の大きな瞳は、エンリが村で大人の女性たちに感じていた逞しさを宿しており、彼女が恐らくエンリよりは年上であると直感させた。
装飾より機能性を重視した、飾り気のない焦げ茶色のローブを着ている様子を見ると、この街の人間ではなく周辺の村人だろう。
(あの籠に入ってる草は見たことがある………、確か去年ネムが病気になって薬代を稼ぐために、お父さんが森の奥地で採ってきた、ラクレスっていったっけ。 あの時は一壺三銀貨で売れたって言ってたかな。 あの籠は六壺分は入りそうに見えるから、大体十八銀貨……。 結構な儲けだなぁ)
エンリも付近にまともな医療機関が無い村で生まれたため、薬草について幾らかの知識は持っている。
ただ、それは人里の近くで取れる薬草を使った民間療法の域を出ないものであり、街で高く売れるような希少な薬草に関しては、そこまで詳しくは無い。
市場に出回る量が少ないということは、それだけ採取のリスクが高いということ。
ただの村人には、完全にモンスターの領域である森の奥地での採取などまさに命懸けなのだ。
エンリは命を懸けて家族を救おうとした父の姿を思い出し、胸が締め付けられるような郷愁に駆られた。
思いがけず昔を思い出したことで、つい女性の姿を目で追っていると、彼女は一軒の店の前で足を止めた。
「ここか。薬草を買ってくれる店というのは………」
彼女はローブの裾から一枚の紙を取り出し、それと店の看板を交互に見比べる。
エンリにも馴染みがある仕草。 恐らく文字が読めないために、文字を図形として見て、書かれている言葉が同じかどうか判断しているのだろう。
やがて得心がいったのか、扉が開け放たれている店の入口を潜っていった。
ただ見ていただけだったが、ラクレスを売りに来た、自分と同じような生まれであろう女性が気になったエンリは、彼女の交渉の様子を見てみることにした。
入口の近くから目立たないように中の様子を覗く。
なんだか盗み見しているみたい、とも思ったが、薬草店ということはこれからも関わる機会があるかもしれない。その為の見学だし………、とエンリは自分で自分に言い訳をした。
「お姉ちゃん。服は買わなくていいの?」
「あー、うん。ちょっと休憩っていうか、なんというか………。 後で屋台で何か買ってあげるから暫く待ってて」
「え、ホント! やったぁっ」
関心が、エンリの服のことから食べ物へと移ったネムと手をつなぎながら、エンリは耳をそばだてた。
中から彼女と男性の店主のものらしい声が聞こえてくる。
「ラクレスがこの量………。 重さでは六壺分ってとこか。 これお前さんが採ったのか?」
「いや、違う。 わた……余の家の近くで採った物で、磨り潰せばいい傷薬になると友人から聞いたのだ。 売れば金になるともな。 幾らくらいで買ってくれるだろうか?」
「……まて、家の近くで採れた? 冒険者に護衛を依頼して、採取したんじゃないのか?」
「冒険者? ………ああ、腕自慢の奴らがやっているアレか。 余はそのようなものに依頼したことはないな」
「へ、へえ………」
傍から聞いていただけのエンリも、何となくそわそわしてきた。
彼女の言葉遣いも、エンリの予想であるエ・ランテル周辺に住む村人という出自と比べてちぐはぐだが、今エンリが気になっているのは、そんなことではない。
先程から、あの女性が何かと正直すぎるのだ。
こういう交渉の場では、田舎から来たと見られると、くみしやすしと思われてしまうことがある。
店主というのは世間話の振りをしてこちらの手ごわさの程度を図る。 こういう場合に重要なのは、不自然にならない程度に自分が十分な知識を持っていると相手に思わせ、足元を見られないようにすること、とエンリは父に聞いたことがあった。
その点あの女性は、初めからラクレスの価値を理解した上で、入念に準備をして採集した訳ではないと打ち明けてしまっている。
自分も交渉に慣れているわけでは無いけど、これはまずい流れなんじゃ……とエンリが危惧していると、店主がついに核心に触れてきた。
「まあ、この量なら、一壺十八銅貨ってとこだな。 やはり人里近くで取れるような薬草だしそこまで高くはねえ……。 まあ色をつけて一壺一銀貨でどうだ」
「おお! おまけしてくれるのか。 すまぬな。 じゃあ、それで……」
もう、ダメだ!
とても黙って聞いていられる心境では無くなったエンリは、思わず店の中へと飛び込んでいった。
「あの、失礼ですがお二人の会話を聞いていました。店主さん、一壺一銀貨っていうのは安すぎではないですか? 去年の相場は一壺三銀貨だった筈です。 薬草の相場も年によって多少変化するのかもしれませんけど、一年で三分の一になるのは有り得ませんよね?」
「なっ」
思わぬ闖入者に驚愕し、鼻白んだ店主がエンリを睨みつけた。
「お嬢さん。 いきなり飛び込んできたと思ったら適当な事を………。 こっちは薬草に関してはプロなんだ、それを分かってて、そんな聞きかじりの知識をひけらかしてるのかい?」
「………」
思わずひるみそうになったエンリだが、その時にふと店主と目があった。
(目が怒っていない………)
怒っているように見えて、その実、冷静にこちらの様子を伺っている。
ここで隙を見せれば押し切られる………!
そう気がついたエンリは発言をする前に、一度心を落ち着けた。
「私にも薬草のプロの友人がいますし、適当な事を言っている訳ではありません。 なんでしたら他の店に行けば直ぐに分かることですよ?」
「………ちっ、若い癖に肝が据わってるな。……負けた負けた、お嬢さんの言うとおり、一壺三銀貨で買うよ。 姉さんもそれでいいだろ?」
何とか勝てた。
エンリはほっとして、薬草を安く買い叩かれそうだった女性の方を見る。
……しかしそこにあったのは、目を鋭く細め、怒りの形相で商人を睨んでいる彼女の姿だった。
「其方には感謝する。 話を聞いたところ、つまり、この者は余を騙そうとしていた訳だ。 余を見くびって詐欺のカモにしようと……。余は馬鹿にされるのが一番嫌いだし……、罪には罰をが、どの種族の社会でも不変のルールだ」
「んっ? おい姉さん何を……」
赤毛の女性は息を大きく吸い込むと、口を開け何かを叫ぶような……動作をした。
そう、動作だ。 少なくともエンリには、彼女が何か声を発したようには聞こえなかった。
だが、その直後に薬草店の店主は急に意識を失ったかのように崩れ落ち、カウンターに突っ伏してしまった。
「えっ……だ、大丈夫で」
一体なにが起こっているのか。 エンリには全く理解できなかったが、それでも店主を心配して声を掛けようとしたところ、店主は倒れた時と同じような唐突さでカウンターから頭を上げた。
「女王さま……詐欺を働き申し訳ありませんでした。 どのような償いもいたしますので、どうかお許しを」
「そうか。 では判決を申し付ける。 詐欺を働き不当に金をだまし取ろうとした咎を償うべく、お前が持つ金を全て余によこせ。 それで許そう」
「はい……」
なんの躊躇いもなく、赤毛の女の言うことを承諾した店主は、カウンターの内側へと手を伸ばした。
そこから小さな金庫を取り出すと、懐から鍵を取り出し蓋を開けた。
その中には、多くの人の手を経てきたことが分かる、数十枚の黒ずんだ銀貨、銅貨が詰め込まれていた。
「では、まずこれをお納めください」
「ほう……えーと、一枚二枚……数えるのが面倒だな。 全部でどのくらい入っているんだ?」
「はい、全てで金貨二枚分ほどにはなるかと。 もちろんこれだけではありません。 家の床下に隠してある財産が金貨十枚分ほどありますので、それもすぐにお持ちいたします」
「うむ、急ぐように」
「はっ」
あまりの事に呆然としてことの成り行きを見守るしか出来なかったエンリを尻目に、店主は店の奥へと向かっていった。 そして、その数秒後。 床板を剝がしているであろう音が聞こえてくる。
「ちょ、ちょっとアンタ。 何やってんだい!?」
「黙れ、邪魔するな」
「いや、邪魔するなって……、ほ、本気なのかい? それは娘の嫁入り費用や、私達の老後の為に貯めてきたお金じやないか。 一体どうする気……」
「黙っていろ」
店へも聞こえてくる言い争いの声にやっとエンリは驚愕の金縛りから抜け出した。
何が起こっているのかは、まだ理解できていないが、少なくも分かっていることが一つ。
この不可思議な事態を引き起こしたのは、この非常事態においても、すました顔をして当然のように店主を待っている赤毛の女性だということだ。
そういえばンフィーレアから聞いたことがる。 魔法の中には、相手の精神に作用して、あたかも自分を親しい友人のように錯覚させる魔法もあると。 ならば、もしかしたら相手に自分の言うことを聞かせられるような魔法も存在するのではないだろうか。
「あ、あの……これってもしかして、あなたが使った魔法で店主さんがおかしくなってしまっているんですか……?」
「ん? ……まあそうだな。 まともに言ってもあの店主が進んで罰を受けるとは考えにくいし、強制的に執行するしか無いだろう?」
「い、いや……、でも……」
店の奥からの声は更に大きくなっており、揉みあうような物音さえ混じり始めている。
エンリは、これは下手をすれば、とんでもない事故を引き起こしかねないと感じた。
「あ、あのですね。 流石に財産を根こそぎ持っていくっていうのはやりすぎかなと。 たとえ相手が悪くても、私的な制裁は法律で禁じられているはずですし、こういった取引の場合、さっきの店主さんのようなことは、一概に悪いこととは言い切れないらしいですから」
「……どういうことだ? 嘘偽りを吐いて、金を巻き上げるのが悪くないこととは」
女性の目が不機嫌に細まり、エンリを睨みつける。
(う………)
今更ながらエンリは、女性に意見したことを後悔した。
ンフィーレアから魅了の魔法について聞いたとき、このような事も言っていた気がする。
この魅了の魔法は、厳しい修行を積んだ、相当に力のある魔法使いしか使えない魔法だと。
ならば、目の前にいるこの女性が使う、相手を自分の望み通りに動かせると思われる魔法はどれほど高位のものなのか。
思わず冷や汗が額を伝い、エンリはネムを守るように自分の背中に回した。
だが、ここで黙り込むのは相手を余計に不快にするだけだ。 かなり厄介な事に巻き込まれてしまったという後悔を一度飲み込み、エンリは言葉を続けた。
「あ、あの、商いって結局、どれだけ安く物を仕入れて、どれだけ高く売るかですよね。 当然知識が無ければ、安く物を買い叩かれたり、高く売りつけられたりもします。でも、そのことで失敗して痛手を負ったとしても、それは相手に騙されたっていうよりは、ただ商売という闘いで相手の方が上手だっただけだと思うんです。 買い手も売り手も、隙あらば少しでも得をしようと考えているのは、おあいこですから……。 だから、たとえ今日は負けたとしても、次はちゃんと準備をして、自分が得をしてやろうって考えればいいというか……。
まあ殆ど親の受け売りですけど……。とにかくどんなに怒っても、魔法で無理矢理に財産を取り上げるのはやり過ぎ……かなと」
一気に言い終わった後、女性の機嫌を損ねたのでは無いかと、エンリは恐る恐る彼女の顔色を窺う。
だが、彼女はそんなエンリの視線にも気が付かず、下を向いて呟きながら考え込んでいた。
「ふむ……詐欺ではなく、駆け引きか。 ……まあ社会が複雑になれば、そういう文化も生まれるのかも知れないな。より知恵の働くものが儲けるという……。善い行いではないとは思うが、これも社会を発展させる為の活動と思えば簡単に否定することは出来ん。 ならば、単純に悪行とは断定できないかも知れん……」
奥から聞こえてきた物音が一瞬止んだ後、何かが倒れる音が聞こえてきた。
「ちょ、ちょっとアンタ。 いきなり倒れて……大丈夫なのかい⁉」
店主の妻の物らしき焦った声が聞こえてきた。
どうやら女性に操られて、床板を剥がしていた店主が動きを止めたようだ。
その後、女性は金庫の中から、銀貨を十八枚数えてつまんだ。
「これが人間社会のルールなら仕方ない、今日は一壺三銀貨だけ受け取るとするか。 其方の話、なかなか興味深かったぞ。 しゅぞ……国が違えば文化も違うのが当然だものな。 うっかり過ちを犯すところだった。 礼を言おう」
「い、いえ、どういたしまして……」
「そうだ! 感謝の印として、何か奢らせてくれ。 そういえば、外の屋台で美味そうな焼き菓子を売っていたな。 あれはどうだ?」
「そ、そんな気を使っていただかな「お菓子⁉ ホントにいいの?」……ネム……」
幸い悪人では無さそうだが、素性が謎すぎる上に、強大な魔法を使う女性とこれ以上関わると、更に気疲れする羽目になりそうだ……。
そう判断したエンリは、申し出を丁重に断ろうとするが、それより先にネムがお菓子に飛びついてしまう。
「ははは、勿論だ。 金なら、たった今受け取った分がある。 遠慮せずに食べてくれ」
「ありがとう! ね、早くいこ、お姉ちゃん」
「あなたは……もう。 えーと、それじゃあ有難くごちそうになります」
三人は連れ立って、店の外へと出る。
暫く薄暗い店内にいたせいか、朝の陽ざしがエンリの目に染みた。
ふと、エンリはある事に気が付き、女性に語り掛ける。
「あの、まだ、あなたのお名前も知りませんでしたね。 私はエンリ・エモット、こちらは妹のネムで……、最近この街で暮らし始めました。 あなたは?」
「わた……余はプーカだ。 苗字は無いから、そのまま名前で呼んでくれ。 今日は買いたい物があってこの街へ出てきたが、普段は……森の奥で暮らしている。 よろしく頼む」
エンリとプーカは、屋台を目指して先頭を行くネムを追いかけて、朝日に照らされた通りを歩いて行った。