吾川の質問に答えてあげる義理はなかった。でも隠し通す意味もない。
だからわたしは律儀に応答することにした。覚悟を決めてきたとはいえ、これで済むなら抱かれるよりは何倍もマシだもの。
「まずさっきは何で抵抗しなかった?」
「しないんじゃなくてできないの。そういう風にプログラムされてるから」
「プログラム?」
「そう。建造された時にね」
十九渕鎮守府では建造、またはドロップした艦娘にとある装置を取り付け、その行動パターンを脳波で識別し事前に指定された禁止行為に該当する言動はできないように制限している。
大まかに言えば提督及び憲兵に対して反抗的な態度や危害を加えるといった、彼らに対して不利益になるような行動を起こせなくされている。だから体を触られても拒否できないし、いかなる手段でも鎮守府内での出来事を外部に伝えることは不可能。
そう説明すると、吾川は何かに思い至ったような顔をする。
「……それ
「確かにそんな名前だったかしら?新人の割りに物知りなのね。もしかして提督志望?」
「いや、普通にサラリーマンになる予定だったんだけど会社がなくなったから憲兵になった」
「ずいぶん無軌道な人生ね」
「おかげさまでな。にしてもSebicとは思ってた以上にヤバいものが出てきたもんだ」
吾川が唸るそうにそんな言葉を漏らす。
「口で言うほど驚いてはいないようだけど」
「……日本を含む先進国の大半でSebicの使用は禁止されている。だが裏を返せば禁止されていない一部の国では未だに使用も開発も認められているって情報は知ってた」
「でもそれが自分の就任した鎮守府で横行してるとは思わなかった?」
「そういうことだ」
大きなため息を吐きながらこめかみを押さえる吾川。頭が痛い、という心の声が漏れ聞こえてくるかのようね。
「……ねえ」
「なんだ?俺は今現実逃避の真っ最中なんだけど」
「それをするのにちょうどいい存在がここにいるわよ?」
「シャレにならないから止めとけ」
「気が引ける?でも本当に何をされても五十鈴は受け入れるのよ?」
「……震えながら言うセリフじゃないな」
完全なあきれ顔で吾川はそう言った。
どうやらわたしを抱くつもりは本当にないらしい。そう分かった途端、情けないけれど緊張が解けて体から力が抜けていく。
体が崩れそうになるのを堪えて、今度はこの吾川という青年を観察する。
今も椅子に腰かけてどんよりと沈み込む様から悩みの深さが窺い知れる。ここまで思い悩むのは自分の保身のためか、それともわたし達艦娘のことを想ってくれてのことかしら?
後者なら嬉しいわね。まあここでわたしに手を出さないだけでも提督や他の憲兵よりましだけれど。
でもこれが彼の素顔なのだとしたら……。
「……藤田への対応は演技だったのね」
「藤田……ああ、憲兵長か。まああそこでごねてたら面倒事になりそうだったからなぁ」
「迫真の演技だったわね。騙されたわ」
「そりゃどーも。ちなみにこういう行為はここじゃ常習化してるのか?」
「最悪なことに、ね」
「……そうか。とりあえずしばらくゆっくりしてから戻ってくれ」
「あら、五十鈴と二人っきりでいたいのかしら?」
「言ってろ。そんなに早く戻ったら俺が早漏で淡白だと思われるだろ」
「ふふ、冗談よ。あんまり早いと怪しまれるものね」
げんなりした表情の吾川には悪いけれど思わず笑みが漏れる。
好青年然とした顔も悪くないけど、こっちの砕けた雰囲気の方が親しみやすくていいわね。
そんなことを考えながらしばらく取りとめのない会話を続け、2時間ほど暇を潰してから部屋を出る。そして戻ってきたわたしを見るなり、泣き出した名取に抱きつかれて少し困った。
こんなに心配させて申し訳ないと思う一方、吾川のことを考えると素直に今日あったことを話すのもためらわれる。憲兵に対する不信感が募っている状態じゃ、話しても信じてもらえない可能性があるのよね。
逆にそう言えと脅された、なんてさらにひどい勘違いを招く危険もあるし。
吾川からも「襲われた態でよろしく」なんてお願いされてるし、心苦しいけど嘘をつき通すほかない。
なので翌日、わたしよりも傷心している名取を励ますことに1日を費やした。その甲斐あって少々持ち直したのだけれど、次の日の朝、わたしの苦労も吾川の気遣いも台無しにする事態が起こる。
提督や憲兵達の優雅な朝食を尻目にいつも通りの質素な食事を無心でお腹に収めていた時のこと。
食堂を訪れた藤田は吾川を見かけるなり、周りに聞こえるような声量で言い放った。
「おお、吾川。五十鈴の具合はどうだった?あの鉄面皮を上手く鳴かせられたか?」
空気が凍る、というのはまさにこの状況のことだった。わたし本人は元より、まだ幼い駆逐艦達も近くにいるというのに全くのおかまいなし。
……いえ、たぶんわざとなんでしょうね。
わたしが傷物になったということを明るみに出して辱めつつ、吾川を完全に自分側の人間にするために。
そこまで思い至って、嫌な予感がよぎる。藤田に疑われないために吾川が返す答えは決まっている。でもそれをここで言ってしまったら……!
「それが中々強情でしてね。ですが近い内に手懐けてみせますよ」
「ははは、そりゃ結構!まあアイツに飽きたら俺にも回してくれや」
「ええ。ですが体は申し分ないですし、飽きる時が来るかどうか分かりませんよ?」
「あんなのに執心するとはお前も好き者だな。アイツ以外にも満足できる女は多いのによ」
「時間をかけてじっくり楽しむのが私の好みなので」
一昨日の夜に見せた、演技とは思えない醜悪な表情。あれが嘘だと分かっているのはわたししかいない。そしてあれを初見で見抜ける人物もまずいないだろう。
つまりこの瞬間、吾川は無実でありながら自分から冤罪を被って艦娘に敵視される立場に陥ってしまった。
「あの人が五十鈴ねえを……!」
名取が聞いたこともないような低い声を絞り出す。吾川を睨む視線は、普段気弱で引っ込み思案な性格からは想像できないほど恐ろしいものになっている。
ああ、今度はわたしが頭を抱える番なわけね。
決して吾川が悪いわけではないけれど、他にもっとスマートな躱し方もあったんじゃないかしら。そう思うと嘆息せずにはいられない。
「あの、バカ……」
これから先、吾川に訪れるだろう地獄を想像して、わたしは誰にも聞こえないような小さな声でそう呟いた。