基本的に主人公視点は日記形式、それ以外の視点では一人称で進みます。
タイトルにある通り日記はあくまで憲兵である主人公の時のみ。
今日、この鎮守府に新しい憲兵がやってくる。
憲兵と言えば鎮守府内の秩序を維持する自治組織。けれどここ、十九渕鎮守府では憲兵はその機能を発揮していない。
暴力行為、違法労働や横領等の不正およびそれらの隠蔽、そして淫行。
艦娘が逆らえないのをいいことに憲兵、そして提督は私達に悪逆の限りを尽している。
新しい憲兵もすぐ彼らと同じ色に染まってしまうんでしょうね。今までの憲兵がそうだったように。
午前9時半。定刻通りに1台の車が鎮守府前に到着する。
スーツケースひとつ片手に降り立ったのは、赤銅色の憲兵服に身を包んだ身長180センチほどの青年。
彼はわたしの存在に気付くと海軍式の敬礼を見せた。
「本日より十九渕鎮守府に就任する
「長良型2番艦・軽巡洋艦の五十鈴よ。よろしく」
「よろしくお願いします」
好青年。そうとしか言いようのない第一印象。
でも、吾川も人間で、男だ。彼も一皮剝けば
そんな風には思いたくないが、あの男が提督になってからというもの、ここに来る外部の男は例外なくあっち側だ。
「案内するわ。ついて来て」
「はい。ありがとうございます」
考えていてもしかたない、と思考を切り替えて吾川を憲兵長――藤田のところへ連れて行く。
……わたしはあいつが嫌いよ。
鎮守府において絶対的な権力を持つ提督。その提督の抑止力となるべき憲兵の長。その二人が鎮守府内で堂々と癒着関係にある。そうなれば彼らを止められる者は存在しない。
その振る舞いはまさに傍若無人。これまで何人もの仲間があいつの毒牙に掛けられてきた。
それでもあいつを無視することはできない。この鎮守府では艦娘の立場が何よりも下だから。
心を殺して吾川を憲兵の詰め所へ連れて行き、そこから提督の執務室まで案内する。予想通り藤田もそれに同行して来て、執務室に到着するとわたしは廊下で待たされる形になった。
提督と藤田、そして新任の吾川だけになった執務室。その中から微かに漏れ出る会話に耳を澄ます。
「君は艦娘が好きかね?」
「はい。彼女達を尊敬しています」
……尊敬、ね。そう言っていた憲兵は何人もいた。
けれどそのこと如くが2人に毒され、結局は腐り落ちた。きっと吾川もそうなる。
最初から期待はしていない。だって分かり切っていることだから。
思い出されるのは、いつだったか提督が得意げな顔で語っていた言葉。
『普段敬っている女を自分の物にできる悦びに抗える男など存在しない。いくら綺麗事を並べようと、穢せる機会を与えてやればみな飛びつく』……と。
忌々しい言葉よね。そして悔しいけど、それは真実だった。わたし達はそれを身を以て知っている。
沈みそうになる気持ちを振り払い、その後は午前中いっぱいを使って吾川を案内した。
吾川も不思議そうに首を傾げていたけど、本来なら同僚になる憲兵の仕事よね、これって。
「五十鈴さんって艦娘ですよね」
「ええ、そうよ」
「憲兵の仕事もしてるんですか?」
もっともな疑問。答えはノー。
「いいえ、違うわ。憲兵は憲兵で忙しいのよ」
主に仕事以外のことで。ここの実態を知らない吾川には嫌味としては伝わらなかったけど。
吾川はそうでしたか、とだけ答えてその口を閉じた。
それ以降、他愛もない世間話をぽつりぽつりと交わして役目を終える。
わたしが戻ると名取が一目散に駆け寄ってきた。そしてわたしの体をなで回しながら上から下まで視線を巡らせる。
「大丈夫!?変なことされなかった!?」
「大げさね。ただ案内をしてきただけよ」
精々提督と藤田の前に立って不快な思いをした程度。言い換えればいつも通りのことね。
けれどいつも通りだと思っていたその日、その夜。
「五十鈴、来い」
消灯時間間近の午後9時過ぎ。藤田がそう言って私を呼び止めた。
泣きそうな顔の名取にこれくらい平気よ、とだけ告げて藤田について行く。
ああ、ついに自分の番がやって来たのだと覚悟を決める。いずれ誰かの慰み者になることは分かり切っていた。
だから願わくば、名取やまだ幼い駆逐艦の子達はどうか無事でいられますように。
それさえ叶うならわたしはどんな辱めにだって耐えてみせる。絶対に屈したりなんてしない。
私が連れて来られたのは憲兵の詰め所。憲兵達の下卑た笑いに晒されながらたどり着いた一室の前で藤田が中に声をかける。
扉を開けて顔を出したのは今日この鎮守府に来たばかりの吾川だった。
いまいち状況が飲み込めていなさそうな彼に藤田は言い放つ。
「就任祝いだ。
「……えーっと、どういう意味でしょう?」
「察しの悪い野郎だな。それとも分かってて惚けてんのか?」
相手の了承を得ることもせず、藤田は部屋の中にずかずかと上がり込む。そしてあとを着いてきたわたしの胸を、いきなり鷲掴みにした。
「おほ、やっぱでけぇな」
全身に虫酸が走る。今すぐこいつの手を払い除けたい。
でもそれはできないようにされている。そして嫌がる素振りを見せるのも相手を喜ばせるだけ。
だから何事でもないように意地でも無反応を貫く。
「ちょ、ちょっと憲兵長。それはまずいですって!」
「大丈夫なんだよ。ここでは
今度は背後から抱きつくように両手でわたしの胸を揉みしだく。
そこまでされても無言で拒絶する様子を示さないわたしを、吾川は訝しげに見つめる。
「……どうして五十鈴さんは抵抗しないんですか?」
「できないようにしてあるのさ。だから何をしたって全て受け入れる。ここじゃ艦娘を自分の好きなように弄べるんだよ」
「つまり、就任祝いというのは……」
「そういうことだ。こいつをどうしようがお前の自由ってわけよ。ああ、まだ未使用だからそこも安心しな」
ようやく藤田の手が離れる。一刻も早く体を洗い流したい。
「……なるほど、そういうことでしたか」
「おうよ。で、どうする?」
「受け取りません……なんて言うと思いますか?」
好青年の仮面を脱ぎ捨て、嗜虐心に満ちた笑みを湛える吾川。
ああ、彼もやっぱりそうだった。落胆は感じない。これは当然の反応なんだから。
「はははは!いいねぇ!お前とは楽しくやれそうだ」
「俺もですよ。この鎮守府に来れたのは幸運でしたね」
吾川の返答に上機嫌な笑い声を上げる藤田。彼はひとしきり笑ったあと、わたしのお尻を撫でて出て行った。
バタン、と扉が閉まる。これで部屋の中にはわたしの吾川の二人だけ。
「改めて自己紹介……は必要ないかな」
「ええ、そうね」
吾川がわたしの方へ歩み寄ってくる。そしてわたしを押し倒す――こともせず素通りしていった。
彼はそのままデスクの上に転がっていたペンを掴むとメモ帳に走り書きをし、それをこちらに見せる。そこに書かれていたのは『話をあわせて』の文字。
「まあでも、一応お礼は言っておこう。今日は助かったよ」
「不要よ。仕事だから」
「つれない女だ」
「元から釣る気もないでしょう?」
「確かに。釣られた上に捌かれて盛り付けまでされた状態で渡されたわけだからな」
「だったら早く食べなさい。さっさと済ませて戻りたいんだけど」
「憲兵長が言っていたが初めてなんだろう?せっかくムードを作ってやろうと気を利かせてやってるというのに……」
声だけを聞けば険悪な男女のやり取り。でも吾川はこっちを
そのまま数分が経過した頃、吾川はようやく腰を落ち着けた。はあ、と特大のため息をひとつ吐き出す。
「もう普通にしゃべっていいよ。ああ、なんか飲む?」
「……その前に今の説明をしてもらえないかしら?」
「盗聴器とかし掛けられてないかと思ってな。とりあえずこの部屋にはそういう類のものは無い」
「どうして分かるの?」
「設置できそうな箇所に見当たらなかったのと、ああいった機械が発生させる電波が感じられないからな」
「何、あなた電波を受信できる人間?電探ついてるの?」
「んなわけあるか。ここに来る前にそういう感知訓練を受けてきたんだよ」
何それ、そんな訓練聞いたことないんだけど……。
「とにかく盗聴も盗撮もされてないから遠慮なく本音でトークができるぞ」
「……あなたと語り合うことなんてないんだけど」
「じゃあ俺の質問に答えるだけでもいい」
椅子に腰かけた吾川はその身を乗り出すようにしてわたしの目を真っ直ぐ覗き込む。
その瞳には下心も、嫌悪も、嗜虐も宿ってはいなかった。そして懇願するように吾川は言葉を吐き出した。
「教えてくれ五十鈴。ここは……この鎮守府は一体どうなってんだ?」