憲兵さんの日記   作:晴貴

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14話 十九渕鎮守府の長い1日・肆

 

 

 声が聞こえる。まるで身を切るような泣き声。

 覚めたばかりのぼんやりとした意識が徐々に明瞭になるにつれ、泣きじゃくっているのが誰なのか、そしてなぜ泣いているのかを思い出す。

 あの川内が、人に弱さを見せてこなかった彼女が、まるで赤子のように声を上げて泣いている。その事実が私に重くのしかかった。

 

 ……やっぱり、あれは現実なのね。

 砲撃の感触が、未だ手に残っているような気がする。吾川を撃ち殺してしまったあの感触が。

 見慣れない天井の一点を見つめたまま、目尻からつうっとこぼれた落ちた涙が枕元を濡らす。

 吾川を殺してしまったという自責の念。吾川を失ってしまったという悲しみ。吾川を助けられなかったという後悔。それらがない交ぜになって涙はとめどなく溢れ続ける。

 

「い、五十鈴ねえ!気が付いたの!?」

 

 唐突に声がかかる。わたしが目覚めるのを待っていたのか、そこには名取がいた。

 

「……名取」

 

「大丈夫?泣いてるけどどこか痛い!?」

 

 ……痛い、か。

 そうね、痛いわ。胸が張り裂けそうになるくらい。

 でもわたしにそんな泣き言を口にする資格なんてない。吾川の命を絶ったわたしには……。

 袖口で涙を(ぬぐ)う。今はまだ堪えるのよ、五十鈴。泣くのは1人になってから

にしなさい。名取に心配をかけてはダメ。

 

「……大丈夫よ。それよりも――」

 

 鎮守府はどうなったの?とそう続けようしたところでサーッと勢いよく、わたしを囲っていたカーテンが開かれる。

 そこに立っていたのは川内だった。

 

「い、いすずぅ……」

 

 ひっくひっくと嗚咽を漏らしながら、舌足らずにわたしの名前を呼ぶ。まだ泣き足りないのかその目からはボロボロと涙がこぼれていた。

 そんな川内を見て、またわたしの中から涙が込み上げ、鼻の奥がツンとしてくる。それでも泣くことだけは堪えた。「川内……」と彼女の名前を呼んだ声は震えていたけれど。

 名前を呼ばれた川内は、体を起こしたわたしの膝辺りにすがりつくように駆け寄ってきた。

 

「五十鈴!吾川さんが……吾川さんがぁ……!」

 

 川内が泣き腫らした目でわたしを見上げる。かける言葉が見当たらない。わたしも涙を堪えるのが精いっぱいだった。

 だからせめて少しでも落ち着けるように彼女の頭を撫でる。

 慰めているのは川内か、それとも自分自身かも分からないまま。

 

「ごめんなさい……」

 

 気が付けばそんな言葉が口をついていた。

 けれど川内はわたしの言葉を、そしてわたしの惨痛(さんつう)を振り払うような一言を放った。

 

「違うの……!吾川さんが、生きてたの……!」

 

 …………………………。

 

「え?」

 

 たぶんそれはとても間の抜けた反応だったと思う。それほどまでに川内の言葉は驚かざるを得ないもので、意味を理解するのにかなりの時間を必要とした。

 

「……吾川が、生きてる?」

 

「そうだよ……!」

 

「う、嘘よ……だって、そんな……」

 

 思い出したくもないけれど、記憶には鮮明にこびりついている。吾川を狙い撃ったあの瞬間の映像が。

 距離、砲弾の速度、人間の回避能力。様々な要素を加味し、さらには経験から裏打ちされた直感が、あれで助かっているわけがないという答えを導き出す。

 だからそんな都合のいい現実なんて……。

 

「人の生存を嘘呼ばわりとはひどいなお前」

 

 ――声がした。心にぽっかりと空いた穴を塞いでくれるような声が。

 川内が開け放った薄手の白いカーテン。その隙間から顔を覗かせたのは紛れもなく、わたしが撃ったはずの吾川だった。

 

「な、なんで生きてるの……?確かにわたし、撃ったのに……」

 

「避けた」

 

 単純明快、たった3文字の回答。外れたでもなく、あれを避けた?

 見ればどこかに怪我を負った様子もない。五体満足でピンピンしている。

 

「本物……?」

 

「五十鈴が俺の部屋に持ち込んでる私物でも言えばいいか?」

 

「……いいえ、必要ないわ」

 

 確かめるまでもなく本物の吾川だ。いつも通りの、とうに聞き慣れた軽口。

 傍に立つ吾川の手に触れる。温かい。血が通っている。

 本当に生きている。生きていてくれた。

 視界が滲んで喉が震える。そして今度こそ堪えきれずに感情が溢れ出した。

 

「うっ……うわあああああん!」

 

 堰を切ったように泣いた。

 姉の面目とか周囲の目とか、そういうのはすべて頭から飛んでいた。ただただ吾川が無事だった安堵と喜びを感じながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……で、いつまでそうしてんの?」

 

「う、うるさいわね!」

 

 五十鈴ねえがまるで子どもみたいに泣くことしばらく。落ち着きを取り戻した五十鈴ねえは、泣いたのが恥ずかしくなったのか布団を頭からかぶって動かなくなっちゃった。

 

「川内もさ」

 

「……」

 

 川内さんは泣きつかれて吾川……さんに抱き着いて、寄りかかったまま眠ってしまった。

 こんな状況に陥ってもうすぐ5分になる。

 耐えきれなくなった吾川さんが私と那珂ちゃん、そして神通さんの方を見る。その目は明らかに助けを求めていた。

 

「なんとかしてくれない?」

 

「えーっと……」

 

「むしろ那珂たちがお邪魔かなって」

 

「あ、あはは……」

 

 どこからどう見ても五十鈴ねえと川内さんが吾川さんのことを憎からず思っているのは明白で、それはつまり2人にはひどいことなんてしていなかったということ。

 提督を捕まえた時に言っていたのは本当のことなんだって納得できた。それに大本営の加賀さんや青葉さんからも吾川さんが無実で、それどころか私達を助けるために行動していたんだってことを教えてもらって、今の私の心は感謝と申し訳なさでいっぱいです。

 

 やれやれ、と首を振る吾川さん。

 とても銃弾を弾いて目にも止まらない速さで提督達を鎮圧した人と同一人物には思えません。

 というかさっき避けたって言ってたけど、それって五十鈴ねえと川内さんの砲撃をって意味だよね……?この人、本当に人間なのかな……?

 

「ったく、いい加減出てこい五十鈴。川内も起きろ」

 

 右手で川内さんを揺すりながら、左手で五十鈴ねえのかぶっている布団を引きはがしにかかる吾川さん。

 なんか五十鈴ねえと川内さんが妹みたいに見えてくるよ。2人とも普段はしっかり者で頼りになる姉なのになぁ。

 

「そろそろいいかしら?」

 

「ひゃあ!」

 

 突然背後から聞こえた声に思わず飛び上がる。そこに立っていたのは加賀さんでした。

 私の驚きは気に留めず、加賀さんは話を続ける。

 

「起きたのならひとまず食堂に集合してもらいたいのだけど」

 

「他の艦娘の皆さんももう集まっていますよ~」

 

「どうして食堂なんです?」

 

「ここの艦娘全員が集まれる場所が食堂しかなかったので」

 

 加賀さんによれば作戦会議室では手狭すぎ、大会議室は提督達が立て籠もっていた建物の中にあるから現場保存の一環で封鎖されているから別棟の食堂しか適した場所がない、ということだった。

 

「了解しました。ほれ五十鈴、川内」

 

「わ、分かったわよ……」

 

「う~ん……ふわぁ……」

 

 あ、ようやく2人が再起動した。

 

「それでここの艦娘を集めたってことは……」

 

「もちろん状況の説明です。貴方のことを含めて」

 

 吾川さんのことも含めて。その一言に場の空気が少しだけ重くなる。

 ついさっきまで私や那珂ちゃんがそうだったみたいに、他の艦娘も吾川さんのことを良く思っていない。というかむしろ嫌っている。

 だ、大丈夫かな……?私は五十鈴ねえ達の反応を間近で見たからすんなり納得できたけど、他の皆が言葉だけで納得してくれるかどうか……。

 

「まあ大丈夫だろ」

 

「こ、怖くないんですか?」

 

「怖いって何が?」

 

 本当に質問の意味が分かっていないのか吾川さんは真顔で首を傾げる。

 今から吾川さんは提督達から解放されて喜んでいるみんなの所に行かなきゃいけないのに。もし誤解が上手く解けなかったらって、そう考えたら怖くないの?

 

「安心しなさい、名取」

 

「五十鈴ねえ……」

 

「何があってもわたしと川内で吾川への誤解は解いてみせるわ」

 

「そうだよ!吾川さんも安心してね」

 

「じゃあ任せた。俺がしゃべったら荒れそうだしな」

 

 ああ、状況はちゃんと理解してるんだ……。それなのに全然動じてない。

 なんというか色々すごい人だなぁ。

 そんなことを思いながら、私は五十鈴ねえ達と一緒に食堂に向かった。

 

 

 


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