2話連続更新の1話目です。
先にこちらをお読みください。
「……いいでしょう、許可します」
「ええ、いいんですか!?」
私の返答が意外だったのか青葉が驚きの声を上げる。まあ確かに危険ではあります。
忍が単身で提督達が立て籠もっている建物に乗り込んで鎮圧する、なんて。
しかし情けない話ですがこの状況を最も素早く打破できるのは忍であることに変わりはありません。
まず彼は提督側の人間だと思われているためこの鎮守府の艦娘から攻撃される恐れがない。それだけで建物内部に侵入することは容易です。
そしていざ提督と接触しさえすれば、拘束するくらい彼にとって他愛のないことでしょう。
問題はその時点で艦娘から提督に敵対する存在と認識され、攻撃される恐れが出てくること。ですがあの狭い建物内で艦娘が砲撃すれば忍だけでなく提督や他の憲兵も巻き込むことになる。
提督らに危害を加えられない彼女達ではそこまで危険な攻撃はできないはず。もし戦闘になっても重火器の類いが使えないのなら忍の方に分があります。
「仕方ありません。本来なら一憲兵である貴方に要求するような働きではありませんが……」
「適材適所ってやつですよ。それにここで俺を使うのは周防大将の予定通りなんじゃないですか?」
「さあ、どうでしょう。提督のお考えは関知していませんので」
本当に
けれどそれも提督は承知の上。むしろ提督と忍にとってはこの一件、暗黙の了解に近いことなのかもしれません。
彼を扱うにはここまでしなければいけない、ということでしょう。
「ああ、それからひとつ忠告があります」
「なんですか?」
「やりすぎないで下さい。貴方、相当怒っているようなので」
「え、そうなんですか?」
青葉と漣が忍の顔をまじまじと見つめる。
そのまま数秒、2人揃って首を傾げた。
「んー?」
「怒ってますか?これ」
顔だけ見ていれば分からないでしょうね。声のトーンや手足の仕草に気を付けていれば一目瞭然ですけど。
忍と関わり合ったのはまだ1ヵ月ほどですが、普段の彼とは明らかに異なる気配が発せられている。
今の彼を見ていると否が応でもあの日のことを思い出してしまう。
言葉にするのなら悪鬼羅刹。わずかにとはいえ戦場で私が尻込みしたのはずいぶんと久しいことだった。
忍がまたああなれば提督達の命など、道端の花を摘むよりも簡単に刈り取られることでしょう。
「大切になさい。他人の命も、自分の命も」
「……ありがとうございます。少し冷静になりました」
張り詰めていたような忍の気配がすっとゆるむ。
まだまだ未熟、というよりは……。
「大切なのね、あの子達が」
先ほど救護所に運び込まれた五十鈴と川内。
まだ詳しい経緯は聞けていないけど、どうやらあの2人は例の命令の直後に忍を撃ったという。それはつまり忍が提督の敵だと、自分達を助けようとしてくれているのだと知っていたということ。
そんな相手を自分で撃ってしまった彼女達の心情は推して知るべし。それによって2人が傷付いてしまったことが忍の怒りの原因なのでしょう。
「巻き込んだのは俺ですから」
「なら無事に戻って元気な姿を見せてあげなさい」
「はい、そうします」
そう答えた忍は真新しい憲兵の制服に袖を通し、提督達が立て籠もっている建物へと足を向けた。
どうしてこんなことになっちゃんたんだろう。自分が手にしている艤装を見ながらぼんやりとそんなことを考える。
提督の言う侵入者。それは紛れもなく大本営の人達で、私達を助けるために来てくれたのに……。
そんな人達に対して私は砲口を向けている。私だけじゃなくてこの鎮守府に所属している他の艦娘も同じように。泣きながら、絶望しながら、武器を手にしている。
こんなことしたくないのに……。
でも今の私にとってはそれすらどうでもいい。何よりも気がかりなのは朝起きたら部屋に五十鈴ねえがいなかったことの方。
最近、吾川っていう憲兵がこの鎮守府に来てから五十鈴ねえは消灯時間を過ぎても部屋に戻ってこないことが多くなった。五十鈴ねえが吾川の部屋で何をされてるかなんて考えたくもないけど、それでも日付が変わった頃には戻って来てたし夜中に呼び出されるようなこともなかった。
夕べも同じ時間に布団に入っていたのに、こんなことが起きた日に限っていなくなるなんて嫌な予感がする。
まさか、と思う。
もしあの男が今日、大本営がここに来ることを何かしらの手段で事前に察知していたのだとしたら。そして自分の罪を隠蔽するために、行動を起こしたのだとしたら。
――五十鈴ねえを
思い至って体が震え出す。これはただの推測で、五十鈴ねえと吾川がここにいないっていう状況証拠だけの仮説。
だけど一度そう考えてしまえば嫌な予感がどんどん膨らんでくる。
「な、名取さん……大丈夫ですか?」
「神通、さん……」
様子がおかしくなった私を心配して神通さんが声をかけてくれる。その隣には那珂ちゃんもいて、神通さんと同じように心配そうな顔で私を見ていた。
でもそこに川内さんはいない。川内型の3人も同じ部屋で寝ているのに、どうして川内さんだけいないのか。
そして川内さんも、五十鈴ねえと同じようにいつもあの男の部屋に呼び出されていた。
「……神通さん」
「な、なんでしょうか?」
「川内さんは、どこですか……?」
私の質問に神通さんと那珂ちゃんの表情が曇る。ああ、これは……。
「……いないんです」
「那珂たちが起きた時にはもう部屋にいなくて……」
「そう、ですか……」
やっぱりそういうことなの?五十鈴ねえと川内さんはあの男に……。
こんなこと考えたくない。でも吾川と、いつも吾川に呼び出されていた2人が揃って大本営が来た日の朝に姿を消すなんてこと、ただの偶然なわけがない。
手にしている14cm単装砲を強く握りしめる。その時だった。
コツン、コツン、という靴音が廊下に響いた。西向きの窓から差す朝日はまだ弱く廊下は薄暗い。
そんな暗闇の奥から聞こえる足音。大本営……の人ではないと思う。この建物の出入り口は全部警備されてるから、あの人達が入ろうとした必ず砲撃の音がするはず。それがない、ということは足音の主は憲兵か艦娘のはず。
そして薄暗闇の中から姿を現したのは……。
「よう。その中に提督はいるか?」
吾川忍その人だった。
砲口を向けたい。叶うことならこの男を撃ち殺してしまいたい。それで解体されるのだとしても、吾川を殺せるなら実行する価値は充分過ぎるくらいにある。
これはきっと私だけじゃなく、神通さんや那珂ちゃんも同じように思っている。
「そう睨むなよ。用があるのはお前らじゃなくて
私達の殺気なんてどこ吹く風。そんな態度で吾川は笑う。
艦娘が自分に攻撃できないと分かり切っているから。それが余計に腹立たしい。
でもそう思うだけで体が吾川を撃つことを許してくれない。ただ立ち尽くすことしかできない私達の横を通り過ぎて、吾川は執務室の扉を開いた。
「だ、誰だ!?」
「おっと、撃たないでください。俺ですよ提督」
「吾川!お前無事だったのか?」
「これでも悪運は強い方でして。憲兵長もご無事で何よりです」
「あ、ああ……」
吾川が提督や拘束を逃れた憲兵達との再会を喜ぶ。
バカみたい。どんなに抵抗したってもう逃げられなんてしないのに。たとえ証拠を隠滅したって、私はあの男が犯した罪を許さないし忘れない。ぜんぶ大本営の人達に打ち明ける。神通さんや那珂ちゃんだってそうするはずだ。
絶対に逃がさない。
「だがどうやってここまでたどり着いた?鎮守府内にはもう大本営のやつらがいただろう」
「ええまあ。それも関係するんですが、この状況を切り抜けられるかもしれない方法があります」
「何、本当か!?」
「もちろんですよ」
「ど、どうすればいいんだ!?」
「簡単なことです。それは……」
吾川が笑顔を深める。そしてこう言った。
「あんたの首を差し出せばいい」