憲兵さんの日記   作:晴貴

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10話 虚空を切る

 

 

 ふと目が覚める。いえ、浅い眠りをくり返している、というのが正しいかしら。

 その原因は胸をチクチクと刺すような、言い知れない不安感。胸騒ぎがして落ち着かない。夕べからずっとこうだ。

 救いを求めて審判の時を待つ敬虔な信徒もこんな気持ちなのかしら、なんて柄にもないことを考えてしまうくらいには調子が狂っている。

 

「……緊張し過ぎね。もっと冷静にならなきゃ」

 

 同じ部屋で眠る名取を起こさないよう、小さな声で自分を叱咤する。

 今日で全てが終わるんだから。しゃんとしなさい、五十鈴。わたしが焦って吾川が整えてくれた舞台を壊してしまったら目も当てられないのよ。

 

 胸に手を当てて、ゆっくりと深呼吸をくり返す。

 この程度の変調を修正するなんて慣れたもの。出撃前や戦闘中、心の平静が崩れることは珍しいことじゃないわ。そしてわたしはそれをしっかり乗り越えてきたからこうして生きている。

 ……はずなのに。口にしてはダメと、堪えていた言葉を漏らしてしまう。

 

「吾川……」

 

 それは出会ってまだ1月(ひとつき)ほどしか経っていない青年の名前。

 会いたい。顔を見たい。声を聞きたい。

 そうすればわたしの胸にわだかまる嫌な予感を払拭してくれるような気がする。根拠なんてない、それこそ数時間前まで一緒にいた相手に募らせるような感情じゃないと、頭では分かっているのに。

 

 布団から抜け出し、物音を立てないように着替えを済ませて部屋を後にする。

 人気のない廊下を微かに軋ませる足音。始めは自分のものだけだったそれが、いつしかわずかにずれて聞こえるようになる。そして寮の玄関へと続く角を曲がったところで、向かい側からもうひとつの足音を立てていた人物が姿を見せる。

 

「おはよう川内。こんな時間からお出かけかしら?」

 

「五十鈴こそ。……たぶん、考えてることは一緒だよね」

 

「……ええ、そうね」

 

 お互いの顔に苦笑が浮かぶ。

 示し合わせたわけでもないのにわたし達が足を向けたのはやっぱり同じ方向だった。言うまでもなく、吾川が暮らす部屋へと。

 夜が明けたばかりの冷え込んだ空気で肺を満たしながらしばらく無言で歩く。もうすぐ憲兵の寮が見えてくるところまで来て、不意に川内が口を開いた。

 

「ねえ五十鈴。今日のこと、上手くいくと思う?」

 

「大丈夫よ」

 

 川内が感じている不安を一蹴するように、迷うことなくそう言い切る。その不安はまさに今わたしも抱えているもので、それに耐えられずこうして吾川の下を目指しているわけだけれど。

 それでもせめて体面だけはいつもらしさを崩さず、川内がこれ以上の不安を覚えないように。

 大丈夫、だなんて本音を言えばわたしが吾川にかけてもらいたい言葉だ。

 

 その一心でわたしはたどり着いた吾川の部屋の扉をノックした。あまり大きな音を出せないせいで控えめなノック。寝ていれば気付かないかと思ったけど、すぐに扉が開いた。

 吾川は早朝に訪ねて来たわたし達を見ても驚く様子はなかった。予想されていたのかと思うとちょっと恥ずかしいわね。

 

「お前ら実は結構小心者?」

 

「う、うるさいわね」

 

「あはは、バレちゃってる。ごめんね、こんな時間に」

 

「別にいいけど外に出るぞ。もうすぐだからな」

 

 時計を見れば時刻は大本営からの監査が入るまであと30分ほどになっていた。

 寮の外で待つこと数分。憲兵の制服に着替えた吾川を先頭に、鎮守府の埠頭までやって来る。穏やかな風に乗って運ばれてくる嗅ぎ慣れたはずの潮の香りが、なぜかいつもとは違うように感じられる。

 吾川はぐーっと背伸びをしながら大きく息を吸い込む。

 

「はあー……絶好の告発日和だな」

 

「何よそれ」

 

 そもそも告発自体はもう済んでるじゃない。

 一大事が控えてるっていうのにどうしてこんなに落ち着いていられるのかしら?神経が太いのか、それともこれくらい吾川にとっては動じるほどのことでもないのか。

 まあ色々先のことが見えてそうな人ではあるけど。

 

「でも本当に私達は何もしなくていいの?」

 

「ああ。なんなら事が終わるまで部屋から出ない方がいいかもな。荒れそうだし」

 

「……吾川は大丈夫なの?」

 

「問題ねぇよ。というか俺も部屋に籠ってるかな」

 

「あー、吾川さんサボりだ」

 

「日頃頑張ってるしこんな日くらいはいいだろ」

 

「じゃあさ、落ち着くまで私達と一緒にいよ?」

 

「それもいいかもな」

 

 クスクスと笑い合う吾川と川内。その光景を見ていると、不思議と心の緊張が解きほぐされていく。

 我ながら単純ね。吾川の笑顔を見ただけで穏やかな気分になるなんて。

 

「ねえ吾川さん」

 

「なんだ?」

 

「明日になったらここは普通の鎮守府に戻るんだよね?」

 

「ああ」

 

「私も、五十鈴も、神通も那珂も、普通の艦娘になれるんだよね?」

 

「そうだよ」

 

「そうなったら私したいことあるんだ。吾川さんも手伝ってくれる?」

 

「内容によるけど、まあ俺にできることならやってやるよ」

 

「約束よ?五十鈴も、ね?」

 

「わ、わたしも?何をするのよ」

 

「ひみつ~」

 

「なんなのよ、もう……」

 

 口ではそう言いつつ、顔には笑みが浮かぶ。期待に胸を膨らませて小躍りする川内の姿が微笑ましい。

 4年近くここで一緒だけど、こんなにはしゃいでる川内を見るのは初めてね。川内はなんだかんだでネームシップだし、この鎮守府では下の妹達を守るために一人で耐えていたのはわたしも知ってる。

 そんな川内がようやく頼れる相手に出会えたんだもの。嬉しくないわけないわよね。

 

 この地獄のような鎮守府に、こんなにも心安らかな時間が流れるなんて思ってもみなかった。

 それも全て吾川が来てくれたおかげ。今日の騒動が終わったらちゃんとお礼を言わないといけないわね。

 そんなことを考えていると、にわかに鎮守府内が騒がしくなってくる。

 

「ん、もう時間か」

 

 いよいよ始まったわね。いくら平静を取り戻したとはいえさすがに気分が張り詰めるわ。

 戻るタイミングを失ったな、なんて言葉を吾川が漏らす。もうここを動く気はないのか、彼は埠頭の(へり)に腰を下ろすと足を投げ出した。この肝の座りっぷりはある意味見習うべきかもしれないわね。

 半ば呆れてそう考えていたその時、鎮守府内に大音量の放送が鳴り響いた。

 

『鎮守府内の全艦娘に告ぐ!全艦娘に告ぐ!速やかに戦闘態勢を取り、我らに敵対する存在を排除せよ!くり返す!速やかに戦闘態勢を取り、敵対する存在を排除せよ!鎮守府内での実弾の使用を許可する!なんとしても敵を排除せよ!』

 

 憎々しい提督の声。それが切羽詰まっているだけでもざまあみなさい、という思いが込み上げてくる。

 けれどそんなことを考えているべきじゃなかった。

 わたし達はSebicで『提督からの命令を厳守』するように強制されている。そして今眼前にいる吾川はこの鎮守府を救おうとしてくれている、提督に敵対する存在だと、わたしと川内は認識してしまっている。

 

 自分の意に反して体が動いた。わたし達は寝間着から出撃時の服に着替えている。この状態であれば艤装を召喚できてしまう。

 突き出される右腕。それに握られているのは使い古した、でも人を殺すには充分すぎる威力を有する14cm単装砲。

 

「いや……!」

 

 どれだけ心が拒んでも、体が勝手に標準を定める。その先にいる吾川は未だ座ったままの態勢で私たちの方へ振り返っている。トリガーに指がかかった。

 時間にすれば刹那の出来事。瞬間が引き伸ばされ、時間の感覚が間延びする。その分だけ、より一層わたしは自分がやろうとしている行為への絶望と恐怖を味わう。

 

 いやよ、止めて。こんなことってないわ。

 どうしてわたし達が吾川を撃たなくちゃいけないの。

 そんなの絶対にダメ。お願い、逃げて。

 まだお礼も言えていないのに。

 あなたを失うなんて、耐えられない。

 

 トリガーが引かれる。

 対象との距離。近すぎる。逃げられない。経験で分かる。外すことなんて万が一にもあり得ない。

 埠頭に響く砲音。命中した。何度も感じてきた手応えが、認めたくない現実を突き付ける。

 

「あ……あぁ……」

 

 体が震え、奥歯がカチカチと鳴る。膝から崩れ、いつの間にか溢れた涙が頬を伝い落ちて冷たい埠頭のコンクリートを濡らした。

 吾川を、なんでもいいから彼が生きている証をつかもうと、懸命に左腕を伸ばす。

 けれどそこには何もない。目に映ったのは大海原の水平線と、澄み渡った蒼天だけ。

 伸ばした左腕は何も得ることができずに虚空を切った。

 

「いやぁ……!」

 

 そのかすれた悲鳴がわたしのものか、川内のものかは分からない。最後に海と空の青を目に焼き付けて、わたしの意識は暗転した。

 

 

 




『8話 答え合わせ』で『提督からの命令を厳守』という制限が登場していたのにノータッチだった時点でこういう展開を予想されていたような気がしてならない。
そもそもこれができるならSebicの欠陥をいくつか補えるっていうね。
というわけで詳しいことは考えずノリと雰囲気で楽しんでもらえれば幸いです。

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