水曜日。
昨日とは変わって雨はやんだが、黒い雲が重く感じる。
空と同じように僕の気持ちも重い。
僕に好きだと告白し、キスをしてきた愛。彼女は『また明日』と告げて僕と別れた。
正直、今日は彼女に会いたくない。
僕は何をしたかったんだ。彼女を見て、殺したいと思ったはずだ。
それが今では殺される側。いや、そうじゃなく一緒に死ぬ側になっているはず。
心中。それは共に愛するものが一緒に死ぬ、ひとつの方法。
『人は、生きている一生のうちに一人だけ、一人だけ人を殺すことが許されているんだ』
じいちゃんに言われ、僕が彼女に言った言葉。
彼女が心中を考えているとすれば、まさしくこの言葉が見事に合うだろう。心中のための言葉と言ってもいいかもしれない。
違う。何か違う。
彼女が僕と心中しようとするかもしれないし、死んででも綺麗になることを諦めて、もしかしたら普通の女の子になりたがっているのかも。
僕は暗い気持ちで自転車を漕ぎ、学校へと行った。
教室に行くと愛がクラスメイトの皆の前で挨拶をし、僕の名前を呼んだ。
そして、今日の天気や授業がどうとかの明るい話を振ってくる。
昨日の不気味さを感じる愛とはまったく違う。むしろ、好感を受ける。
愛は僕の腕を取って、僕の席へと一緒に行き、会話をする。
彼女は恋愛をして普通の女の子に目覚めた?
死んででも綺麗になりたがってた愛が、自分がここにいたという証拠が欲しくて親に見捨てられたと言っていた愛が。
さっきから挨拶も何の反応もしない僕を不思議がる愛。
「どうしたの?」
言葉も僕と会話する普段通りになっている。
「別になんでも」
「キスをした間柄なんだから恥ずかしがらなくてもいいのに」
恥ずかしそうに照れると教室が驚きにわめき立つ。
普段の上品な言葉が砕けた言葉に変わっているのも情愛の証。
色々な人に僕たちが恋人同士という関係を見せつけているってことは……。
「三浦さん、大胆になったねぇ。恋は女を変えるってか!」
思考の途中に、鈴木が大笑いしつつ強く背中を叩いてきた。
恋は女を良い方向に変えるだけじゃないとも思えるけど。
先生が来るまで、愛は僕にべったりと張り付いていた。
昼休みになり、あまりにもべたついてくる愛に恐怖を感じ、鈴木を連れて逃げようとするがそれよりも早く三浦愛が僕の席へとやってくる。
可愛らしい弁当箱ひとつと、僕用のだろう大きな弁当箱がひとつ。合計ふたつを持ってやってきた。
「一緒に食べよ」
僕の机にふたつを置くと、にっこりと笑顔で言ってくる。それは僕が一度も見たことのない笑顔で。
周りの嫉妬と鈴木から見放されたこともあっておとなしくその弁当を食べることにした。
「それ、手作り弁当?」
「そうよ。うちの親たちは何もしないからね。これ、全部作ったのよ。偉いでしょ」
と、また明るい笑顔。いったい今日はなんなんだ。
「愛、ちょっと」
「あら、やっとクラスでも名前で呼んでくれるようになったのね」
僕は愛の手を強く掴み、屋上へと連れていく。誰も来ないようにしっかりと扉に鍵をかけて。
「いきなり、何のつもり」
「彼氏彼女がああいうことやって悪いの?」
戸惑う愛。でも、その表情は嘘だ。彼女は別なことを狙っている。
「悪くはないけど、愛。君の行動は急ぎすぎてないか? 時間に追われているような」
「別に急いでないわ。今までやっていなかったことを、恋人気分というのを知りたかっただけよ」
言葉に違和感を感じる。恋人気分を知りたかった? 今までそれが必要なかったのに?
「でももう最低限の準備は整ったかしら。私たちの愛情は学校の人々の間に知られ、死ぬ過程も結果も綺麗なものに。死ねば親もメディアも日本中の人々も知る。私がここにいたということとわずかでも知ってもらえる。覚えてもらえる」
「愛、君の目的は前に言っていた世界に自分いた証拠を残したい、と確かにそう言っていたけど本当にそうなのか?」
愛はくすり、と笑う。
「今だから言うけど少し違うわ。私がいた証拠を残したいのは本当よ。そして、両親に反抗したいのよ。私を愛せず、見てくれず、ケンカばかりしているあの二人に! 愛と名付けられたのに愛されない私は! 私は、綺麗になって、死んでこそ親に振り向かれる。いえ、振り向かせるのよ!」
一息に言った愛は恍惚とした表情をし、僕の手を掴む。
「僕と一緒に死んでしまおうと?」
「人は生きている一生のうちに一人だけ人を殺すことが許されているんだ。……竜が言ったのよ。おじいさんからそう言われたって。それを実行すべき時じゃないかしら?」
確かにそう言った。けれど、心中しろとそういう意味ではないはずだ。
彼女は僕の耳元に唇を近付け、かすれるような小さな声でいう
「一緒に死んで。美しい死のために」
僕の目的は彼女を美しく殺すこと。その点では彼女と死ぬことが美しいかもしれない。
けれど、僕が死ぬ理由はなんだ。彼女が死ぬ瞬間を最後まで見れて満足するから?
違う。何かが違う。
彼女が二枚のハンカチを使って僕の右手首と彼女の左手首にハンカチが結ばれた。一緒に落ちるためだろう。
このままでいいのか? なにか彼女に言ってやることがあるんじゃないか? 死んでいいのか?
僕は愛に連れられて端へと立ち、横に並び立つ。眼下に見える光景は、学生たちが歩きながら楽しげに会話をしている。
まだ昼休みなため、賑わっている声が聞こえる。
こんな状況下で落ちて死んだら、それも心中ときたらとても大きな騒ぎになる。
生徒も先生にも記憶は残る。トラウマになるかもしれない。美しい死とは、過程でも死体の状況でもなく、人々の記憶に残る愛情による死。
僕と愛の心中による、死。
「心中って綺麗かな」
「綺麗よ。愛情で死ぬのは」
「今日は曇り空。晴れた日や夕焼けのほうが綺麗だと思うけど」
僕の反論に息を詰まらせる愛。
「愛の告白の翌日だからよ。お互いに両想いでしょう? 素敵だわ」
「僕は一度も愛のことを好きだと言ってないけど」
愛が僕をきつい目で見てくるが、それに対しまっすぐに視線を返す。
「屋上で最初に会ったときに言ったじゃない。『君を僕の望むところに連れて行きたい』と。それを私は告白と受け取って!」
「でも僕は言った。『恋愛の告白じゃないけどね』とそう言った。そして心中なんてのは僕が望む死に方じゃない。なにをそんなに死に急いでいるんだ?」
「私は別に……いえ、急いでいるわ。とってもね。親が離婚届けを明日の水曜に出すのよ」
「それは悲しいことだけど」
「私にはそれ以上に! 親への復讐よ! 新しい生活をしようとするのが許せない! 私に黙ってよ!?」
僕の言葉をさえぎり、叫ぶように言い放つ。
屋上の下から、慌てるような声が聞こえてくる。僕と彼女が落ちそうだという声と野次馬の姿が見える。
「見てよ、竜。今なら皆の記憶に残るわ。愛した者の死を。それを記憶に残し人に伝えるわ。正確に伝わらなさそうなのが唯一残念だけど。誰もが愛情のために死んだ。そう思うわ。それは今の私にとってとても素敵なことよ」
「僕には素敵には思えない。僕には今の愛は殺したくなるような感情がこない。今の愛は……ダメだ」
冷たく、平坦な声で言うと彼女は首を小さく振る。
「竜、私と死んでくれないの?」
「僕は死ねない」
「これが最高の綺麗な死に方だと私は……」
「そんな死は望まない」
「私は望む!」
体を前に傾け、ふわりと落ちていこうとする愛の体。
それを僕は愛の手首を掴み、後ろへと下がる。
瞬間、愛の体が視界から消えると同時に重みが右手首に伝わり、一緒に落ちそうになるが足を踏んばり、歯を食いしばり左手で端を力強く掴んで耐える。
そうすると下のざわめきがいっそう大きくなった。
「どうして? どうして死んでくれないの!? 私を殺したいんでしょ! なら、一緒に最後まで愛情のために付き合って死ぬというのが綺麗でしょう!?」
「僕は君を愛してはいない! 愛は、ただ愛情が欲しいだけでこんなことをしているんだろ!」
「こんなことってなによ。私にとってこんなことじゃないのよ!」
次第に右手が痺れはじめ、踏ん張る足も震え始めてくる。
「こんな偽りの愛、君の名前にもある愛。こんな愛情の死でいいのか? 嫌だろう!」
「これでいいのよ、私にはもうこれしか!」
「なら、僕が愛してやるよ、本当にな! 俺の望む愛を!」
「竜の望む愛……?」
「言ってやるから両手で手を掴んでくれ、こっちまで落ちる! 話を聞いて嫌だったらまた落ちればいいだろう!」
「嫌よ、そんなのはもう綺麗でもなんでもない!」
「なら僕がより綺麗にしてやるからあがってこい!」
右手に彼女の両手が重なる感触がする。僕はなんとしても彼女を引き上げるために力を振り絞る。
彼女のほうからも僕の両手を掴んでくる。そして、彼女は屋上へと無事戻り、僕と彼女は屋上で重なるように倒れて荒い息をつく。
それからすぐに、屋上の扉を開けようとする音が聞こえてくる。
「ねぇ」
愛は僕の体の上に乗ったまま、すぐ近くまで顔が近づいていた。
「竜の望む死は、愛はなに?」
「老衰」
僕がとびっきりの笑顔で言うと、彼女の間の抜けた顔が見れた。
「私、やっぱり死ぬわ」
愛は呆れた顔を引き締めて立ちあがろうとするも、僕は体を押さえて続けて言う。
「まだ続きがある。僕は儚げで危なげで気が強い女の子。僕は愛を、愛することができる」
彼女の動きが止まり、じっと僕を見つめてくる。
「それは……本気?」
僕はいつかの彼女がやったように目をつむり、軽く唇に口づけをしようとしたが愛は僕の頭を抑えてくる。
せっかくキスをしようとしたのに止められるのは結構ショックが大きいのを理解し、目を開ける。
「それで私の綺麗な死はどうやって?」
「『僕と結婚して、一緒に死んでください』ってじいちゃんは言ってたよ。今思い出したんだけどね。最後の一瞬まで生きている瞬間を見届けるのがその人の綺麗な死に方。僕が愛して殺していい人のこと。 それが『人は、生きている一生のうちに一人だけ人を殺すことが許されているんだ』という言葉の答えなんだよ」
「なにそれ」
一瞬の沈黙のあと、軽く笑いあう僕たち。
「本当に私を愛してくれる?」
「ああ。好きだよ、愛」
「私は屋上で会ったときから好きだったのよ、竜」
その時、屋上の扉が勢いよく開かれ先生たちがなだれこんできた。
あれから僕たちは両方の親を呼び出され、先生たちと仲悪く面談をした。僕たちは終始無言のまま先生たちの説教で終わり、二人仲よく一カ月の停学処分となった。
彼女の両親は結局離婚されたけど、母親と一緒に暮らすことになった愛は母親に無視されず、ぎこちなくはあるけど親の愛情をもらえるようになった。
僕のほうはというと、父親にこっぴどく殴られたあと、泣いてくれた。親に愛されていると感じる瞬間。彼女もこういう愛情を味わえているだろうか。
こうしてお互いに親の愛情を感じ、一カ月ぶりに学校の屋上で再び会う僕たち。
僕は初めて会ったときに言った言葉のひとつを思い出し彼女に言う。
「君を僕の望むところに連れていきたい」
彼女は愛の告白とも受け取れる僕の言葉を聞いて、微笑んだ。
「なら、連れて行ってください。竜が望む場所へ」
僕たちはお互い目をつむり、そっと唇に軽くキスをした。
ごく平凡で男らしくない僕、伊藤竜。
皆の人気もので美しい彼女、三浦愛。
僕たちは死ぬまでの恋愛関係になったのだ。