殺したい彼女   作:あーふぁ

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1.死亡思考

「人は、生きている一生のうちに一人だけ人を殺すことが許されているんだ」

 

 それは幼い記憶に残り、忘れることはなかった。あれは祖父自身の言葉か、どこかの神様なのはか未だにわからないあの言葉を。

 あの言葉をぞっとするような、あっさりとした、どこか遠くを見ている曾祖父の言葉を聞いたのは小学2年生の夏の頃だった。

 日本家屋の縁側で祖父とお揃いの浴衣を着て、肩を並べて暑い夏の日のなか、スイカを夢中になって食べている時だった。

 唐突に何の前触れもなく言った。お互い、うまそうにスイカを食べては種を庭へと向けて口から発射している時に。

 その時の僕はまだ幼かったからか、「じいちゃんはせんそーにいって、人をたくさんうったんでしょ? じいちゃんはゆるされない?」

 と無邪気に残酷なことを聞いてしまっただろうか、と思い出す。

 

「はは、そうだなぁ。たくさんじゃないが、じいちゃんは四人の人を鉄砲でばーんってやっちまってなぁ」

 

 じいちゃんは苦笑いをしてちょっぴり寂しげに言う。僕は何が寂しいのかわからなかった。

 

「ゆるされるの?」

「んー、じいちゃんは許されないだろうなぁ。自分が死ぬからこそ、一人だけ殺してもいいという話だったしなぁ」

「ふーん……」

 

 そして他にも色々と死に関することを話してくれた記憶がぼんやりとある。

 それは雲ひとつない、真っ青で綺麗な空を見上げたのを覚えている。

 記憶に強く残っていたそれは、少し前まではちょっとした戯れで言ったか、戦争を憎んでいると考えていた。

 当時の僕のような小さい子供に、本当の事を言ったとしても信じてもらえないとか、すぐに忘れるとでも考えていたかもしれない。だから僕に言って懺悔のようなことをしたんだろう。

 その曾祖父が亡くなったのは僕が中学生になったばかりの頃だった。

 

 

 『生きている一生のうちに一人だけ人を殺すことが許されているんだ』その言葉だけ妙に意識に残り、段々と曾祖父の他の記憶が薄れていくなか、僕は友達と馬鹿なことばかりやっていたり、部活に明け暮れていたあの楽しかった中学の学ランを脱ぎ、高校の落ち着いた緑のブレザーに袖を通した。

 今月の春に僕、伊藤竜は高校一年生となった。

 中学の上級生から一転し、下級生になるのは新鮮と感じる。

 新しい学校、新しい教室、新しいクラスメイト。

 その新しいクラスのなかに、ちょっと気になる一人の女の子がいた。

 その子はブレザーが良く似合い、スカートの長さは普通よりも長く感じる。

 身長は170cmの僕より頭ひとつ分小さいけれど、とても綺麗でまっすぐで色っぽさがある黒髪を腰まで伸ばし、顔立ちはうっすらと雪のような白い肌に、モデルと同じぐらいに目鼻立ちがはっきりとして整っていた。

 このクラスで一人、異質な存在感を放つ女の子。名前は三浦愛。

 自己紹介で彼女は自分の名前と挨拶を、僕があまり好きではない鈴が鳴るような美しい声で楽しそうに言った。

 こう言ってはなんだけど、名前と雰囲気が全然合っていない。名前がそこらにある平凡なものに感じられた。

 彼女にもっといい名前をつけてもよかったのに、と思った。

 新一年生となって一週間も経つと、彼女の人気はすぐに高まっていた。

 休み時間になると彼女と会話しようとする人が男女問わずやってくる。

 黒板近くにある彼女の席から、真後ろに四個ほど離れた自分の席から僕は眺めている。

 どうやら時折、上級生の人たちもやってくるようだ。

 わけ隔てなく、誰とも楽しそうに会話をしてくれるのがいいんだろうな。無愛想なんてよく言われる僕とは大違いだ。

 噂だと、『すげー美人』『あれこそ大和撫子だね』『礼儀正しい模範生徒だ』『日本人も捨てたもんじゃねぇな』と彼女の控え目な性格もあってか人気みたいだ。上級生からも入学早々に告白されたとかなんとか。

 『三浦愛』の持つ雰囲気は高校生にしては珍しいと僕も思う。

 けど、憧れるとか好きになるとか会話したいとか、そういう感情は湧いてこない。

 そもそも今までに好きという恋愛感情を持ったことがない。でもそれは僕が素敵な人と出会えていないだけなんだろう。

 ――高校生活が始まって二週間。

 きちんと授業を受け、友達もできて外見や頭の良さも平凡な僕はそれなりの日常を送っていた。

 部活は特に興味を引くものもなかったが、放課後には仲良くなった一人の男友達、鈴木を連れて部活見学なんかをした。

 そんなある日の朝、変わったことが起きた。

 それは学校の裏門で咲いている桜の木が折れ、花がほとんどなくなっていた。

 奇妙なことをするのは教師や用務員の人が切ったのではないだろう。事前にこんなことするとも言っていなかったし、なにか行事があるわけでもない。

 桜の枝は折られた様子もなく、花を摘み取られただけ。と、いっても花を取るというのはいったいどういうことだろうか。目的なしの愉快犯かとも思う。

 小さな事件は朝のホームルームで、担任の教師は桜の花を取った人がいたら名乗り出なさいと言った。

 わざわざ自分から名乗り出るのはいないだろう。黙っていたらこのまま逃げ切れる状況だ。

 ふと、なんとなく三浦愛を見ると、彼女は不安げに担任の話を聞いていた。それをどこか僕は不思議に思った。

 教室では今日一日、その桜の話題で持ちきりとなった。教師たちが躍起になって犯人探しをしていることから、うちの生徒か外の人間か誰があんな大胆なことをしたかの話題が中心となった。いつもの三浦愛の話題とは違うのをクラスから聞けてどこか安心する。

 が、美人で性格もいい三浦さんのところには今日も変わらず人がよく来る。そしていつもと似たようなことを。

 桜ごときじゃ、三浦さんにはさっぱり対抗できないといったところだろうか。

 桜も頑張って綺麗に咲かせた花を取られたっていうのに、美人には勝てないのか。美人は三日で飽きるっていう言葉があるのに。

 彼女、三浦愛は二週間経ってもさっぱり飽きられていない様子だ。なんで皆、そんなに彼女に対して熱心になれるんだろう?

 自分の恋人にして自慢?

 高嶺の花みたいな彼女を手に入れて浮かばれたい?

 綺麗な人と話したい?

 ……わからない。

 そんなことを考えながら学校の授業を淡々と終えて放課後。

 今日も部活を探すために放課後の校内をうろつく。

 せっかくの高校生活なんだから、何かに入って思い出にでもしたいじゃないか。

 仲良くなった友達の鈴木を連れて先日は運動部に行ったから、今日は文科系の茶道部だ。

 茶道部の部室へ向かうと、そこにはざっと見て、20人ぐらいの長い行列が出来ていた。男子8割、女子2割といったところか。

 なんでこんなにいるんだ? 

 一年生以外の上級生が並んでいるのもおかしい。

 と、悩んでいると一緒に並んでいる鈴木が、茶道部に入った三浦愛が見学者にお茶を振るまう、という噂があると教えてくれた。

 それでこの騒ぎか。

 

 

 僕の順番がきて靴を脱ぎ、和室へと入る。

 茶室の畳の上に正座やあぐらで座る見学者たち。その向かいで茶道部の人がお茶を点てる音だけが響いている。

 突然、廊下から聞こえてきたざわめきと共に一人の女子がスカートを翻してやってきた。

 三浦さんだ。

 彼女はやけにふくらんだ大きなトートバッグを持って、ずかずかと畳の上にあがりこんで、部屋の真ん中で立ち止まった。

 突然のことに固まる空気、彼女が来たのを喜ぶ空気のふたつができた。

 その空気の中でいったい何を始めるつもりなんだろうか、三浦さんは。

 彼女は部員と見学者の僕たちを見渡し、息をつく。

 

「多くの方々がわざわざここへと足を運んでくださったので、私は美しい春をみなさんに味わっていただきたいのです」

 

 無表情で、抑揚のない声で、トートバッグの中から桜の花を部屋に撒きはじめた。

 桜の花をバッグの中で握り、宙で手を離す。

 開いた手から、淡いピンク色の花びらが宙をひらひらと漂い、畳の上へ舞い落ちてくる。

 それがたくさんと。

 見学者の僕たちとお茶を点てる女子さんと、部屋の中心にいる三浦さんの服にも舞い上がった桜の花がやってくる。

 桜の花を取ったのは三浦さんなんだな、と思うよりも僕の三浦さんに対する、激しく強い妙な感情が僕を襲った。

 ……これはなんだ?

 今まで感じたことのない感情が僕を支配しようとしてくる。

 突如、湧き上がったこの感情。それがわからないまま僕は三浦さんを見上げる。

 三浦さんはちょうど全部の桜をまき終えたらしく、来たときと同じ無表情で帰っていった。

 あとに残された僕たちは、呆然とし対処に困った。

 暴風のようにやってきて、美しい三浦愛は桜の花をまき、そして嵐が去ったあとの穏やかな風のように去っていった。

 別れていた空気がひとつになり、どうすればいいのかという雰囲気になった。

 そこに部長さんが、「……これ、どうしよっか」と戸惑いながら言ったのを聞いて、僕は「こんなにも綺麗ですし、せっかくなので少しだけ残しましょう」となぜか口に出してしまった。

 三浦さんが置いていった桜の花びら。それが全部片付けられるのは惜しいと思った。

 桜の花はほんの少しだけ茶室の隅に残り、そのまま部活を続けた。

 結局、なぜ彼女が桜の花を撒いたのかは誰もわからなかった。

 

 

 この日から僕は三浦さんにより強い興味を持った。

 彼女がどう喋るか、どう会話するか。それらが気になり、よく目で追うようになった。

 鈴木が、綺麗な女性を見るとストーキングしてしまう癖があるとのことなので、彼の助力も得て放課後も彼女を見ることにした。

 一人で帰っているときは寂しそうに、宝石や高い服を扱っている店に行く。

 友達と帰っているときは楽しそうに、百均や安い服を扱っている店に行く。

 どちらが本当の彼女だろうか。どちらとも彼女なんだろうか?

 寂しげなのも楽しげなのも彼女は確かに綺麗で、友達に対する心配りも何もかもがすばらしかった。人気が出るだけのことはある。

 ただ少しだけ気になることが。彼女は人を見ているとき、その人を通してどこか遠くを見ているように感じる。

 僕は話したことがないので、それをはっきりとは確認できないけれど。

 小耳に挟んだ噂だと、多くの人に告白されてOKして数分後とか、数時間後に別れているらしい。どっちが振ったか、または振った理由はわからないが。

 彼女について知れば知るほど、僕を突き動かしている感情はさらにわからなくなっている気がする。けど、恋愛感情ではないはずだ。

 ……僕は彼女の何が気になるんだろう?

 それがわからないまま、まだ彼女と一度も話すこともなく5月になった。

 桜の件で彼女はひどく教師たちに怒られたが、毅然とした態度で説教を受けていたと聞く。

 その一件で彼女の周りはさらに人が増えて華やかになっていき、茶道部で起こしたような奇怪な行動はあれ以来やっていない。

 噂になったのか他の学校の生徒からの告白が出てきた。いまどき、そうはいない女の子らしさがうけているらしく、それでも告白されることは絶えない。

 僕はというと。ただ、普通に穏やかに静かに日々を過ごしていた。

 その間も彼女を見てきたけれどここまでまぶしくなっていると、平凡な僕の彼女に対する感情を探究するのも諦めるようになった。

 鈴木は完璧とも言われる彼女に飽きて、スーツのよく似合う女教師を追いかけはじめた。

 僕も彼女を追うのはそろそろやめ時か。これ以上やりすぎると、警察に突き出されかねない。

 もう見るのをやめよう。

 僕とは違う世界にいる彼女を見るのはやめよう。

 そう、心に決めたその日。

 三浦愛はいつもと違う行動をした。

 放課後の教室で、彼女は女友達に遊びに行こうと誘われたのを強く断った。

 今まで見てきたなかで初めてそんな強気な態度を見た。彼女が場の雰囲気を壊すような行動に出るのは、これで2度目だろうか。

 呆気に取られる女友達を置いて彼女は教室の外へと足早に出て行った。

 そこまで断って何をするんだろう?

 強い興味がわき行動に移す。不自然にならないように、距離を離して僕は彼女を追いかける。

 挨拶してくる人たちに愛想よく挨拶を返し、上へと、恐らくは5階の屋上を目指していると思う。けど、屋上には鍵がかかっている。一度、行ってみては諦めた場所。

 彼女が扉の前に立つ。手に持っていた鞄から鍵を取り出し、錆びた鍵穴に入れ、金属のこすれる鈍い音と共に扉を開け、屋上へと彼女は出て行った。

 扉は同じように音を出し、ゆっくりと閉まった。

 ……彼女のような美人だと鍵すら手に入れることができるのか。

 一瞬、呆れてしまう。それでも僕は彼女を追うようにドアノブを掴み、扉を開ける。その向こうで彼女に嫌そうに見られることを覚悟で。嫌われたら嫌われたで彼女に対する興味がなくなるだろう。

 そして、初めて足を入れる学校の屋上。転落防止用の柵すらなく、別段驚くようなことは何もない、夕日がよく見える広い屋上。

 彼女は屋上の壁の高さが30cmのところに乗り、風に背中を押されただけですぐにでも落ちそうな、ぎりぎりの場所に立っていた。そこでは遠くの、少しだけ海が見える方向を向いている。

 不意に背筋が冷たくなり、心臓の鼓動が速くなる。

 淡いオレンジ色の光に照らされ、見慣れない新しい場所。どこか目に見えない遠くを見ているような、虚ろな目。

 その彼女が美しい黒髪を風になびかせながら、ゆっくりと僕のほうへと振り向く。

 

「こんなところに来る人がいるのね」

 

 一瞬、天使でも見たんじゃないか、とそう思うほど夕日を背景にした彼女を綺麗に感じる。

 途端、呼吸が苦しくなる。茶道部で感じたあの時の感情が強く蘇る。幻想的とも言えるこの状況で、今まで襲ってきてた感情がなんだったのか気づいた。

 壊したい。

 そう、それだ。

 こんなにも美しく。

 こんなにも儚げで。

 ……儚いものは美しい。

 もっと彼女の美しさを見たい。

 マッチの火は消えるときが美しい。映画などでも人は死ぬからこそ美しく見える。

 この美しさを自分の物だけにしたい。今この瞬間から自分だけのものに。強くそう思う。

 彼女と僕。お互い、静かに見つめあう。

 

「クラスメイトの伊藤竜君ですよね」

 

 何も感じない平坦な声で彼女は聞いてくる。

 

「ああ」

 

 僕はこれを自分のものにしたい。

 

「散るからこそ花は美しい。桜の花はなんかは特に」

 

 彼女は低く抑えた声で自分自身へ言い聞かせるように言う。

 

「そうですね」

「僕は美しいものが好きみたいだ。だから、もしも君を殺してしまったらそれはとても美しくなるんじゃないかと考えたんだ」

「そうですか」

 恐ろしく変なことを言っているのは自覚している。でも、衝動のままに出てくる言葉は抑えられない。

「でもこんなところじゃなく、他にもっと美しい、例えば綺麗な風景の場所。もしかしたら、ここ以外のどこかで殺したら、三浦さんはもっと美しくなると思う」

「そうかもしれませんね」

「君を僕の望むところに連れていきたい」

「それは愛の告白ですか?」

 

 一瞬、何を言われたかわからなかった。

 なんで僕が愛の告白なんてしなきゃいけないだ、とそう思うが、告白は秘密にしていたこと、心のなかで思ったことを打ち明けるという意味がある言葉。

 なら、確かにそのとおり。

 

「恋愛の告白じゃないけどね」

「私には同じものです」

 

 彼女が僕の目の前まで静かに近づいてくる。

 

「では私を美しくしてください。あなたのことは少しもわかりませんが、どうか私とつきあってください」

「こちらこそ。よろしく、三浦愛さん」

 

 殺したい人を見つけ、彼女はさらに美しくなる手段を見つけた。

 ごく平凡で男らしくない僕、伊藤竜。

 皆の人気もので美しい彼女、三浦愛。

 僕たちは殺して死ぬための恋人関係となった。


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