「困ったなぁ。」
その、透明な声質で誰もを振り返らせる筈の呟きは、がやがやとした街行く人々の話し声にかき消された。
ぽつん、と。
右へ左へと慌ただしく人々の行きかう横断歩道沿いで、さらさらとした髪を靡かせ、水色のワンピースを不用心なまでにひらひらと風にはためかせる少女が立ち尽くしていた。
誰も彼女を気にしない、視線すら向けない。
我関せずといった表情で、皆その少女の隣を通り過ぎていく。
「どうしよう。ここから動けないわ。」
信号は青になっている。だから、呆然と立ち尽くす彼女の左右を、忙しそうな人々は足早に横断歩道を横切っていく。
「あのー、誰か・・・。」
彼女のか細い声で求めたSOSは、誰の耳にも届かなかった。彼女は結局一歩も動けぬまま、やがて信号は赤くなり、人の行き来が止まる。
「また、渡りそびれちゃった。遅刻してしまうわ。何とかしないと。」
ぐ、と胸の前でこぶしを握り、彼女は奮起する。
「おい、豚共? いい加減に跪くのを止めて。ゲロ臭い生ゴミの分際で、私の高貴な足で踏まれたいなんてどれだけ無礼だと思ってるの? 早く身の程を知って車道に飛び込み死になさい。」
横断歩道沿いに、一人の少女を中心に。
円状に広がっていく息の荒い
街で彼女を見かけたなら、素質のない人は目を合わせずに早急にその場を立ち去り、素質のある人は踏んで貰う為彼女の目の前に土下座する。それも本能的に。
真壁詩夜乃(41)、彼女は見た目が十代のまま老化せず、その天女のような美貌をもって道行くドMや潜在的なドMを問答無用で惹きつけ、跪かせる生まれ持っての女王様。
「授業参観、ね。ボクの小学校が昼から休みの日で良かったよ。」
「はは、まさか妹に参観される事になるとはなー。いつもとは逆の立場だな。」
「可愛いわね、照東君の妹さん。2回くらい会ったことあるんだけど、私の事覚えてる?」
教室。普段は生徒達しかいないはずのこの場所に、今日は様々な年齢の私服の人々が集まっていた。オレの席の近くで、にこやかに話しかける真壁を妙に警戒しながら、妹はオレの陰に隠れる。意外と人見知りなんだよな、真帆は。
そう。梅雨が明け、からからと心地よい風が吹く今日は、オレの通う高校の授業参観日だった。
真帆の授業参観には毎回オレが顔を出してはいたが(当然学校はサボリ)、オレの参観に誰かが来てくれたことはなかった。
だから少し、オレは緊張している。何せ最愛の妹の前で恥ずかしい真似は出来ないからな。
「にしし、私も来て良かったのか兄ちゃん?」
「おー。ナツメもわざわざよく来てくれたな。」
そして真帆に連れられてもう一人。ヒーローとしての先輩、ナツメがオレの高校へとやってきていた。
「暇だったし! 兄ちゃんの授業興味あるしな。」
「うん、ボクも兄さんとなっちゃん何処で仲良くなったか聞きたかったし。いつ仲良くなったのさ?」
・・・あ、そういえば妹にナツメとの関係どう答えたものだろうか。
「あー、それはだな・・・。」
オレが少しどもりながら、適当な言い訳をでっちあげようとしたところで、
「公園で知り合ったんだよ真帆。」
「公園?」
先にナツメが答えていた。
「この前公園で遊んでたらたまたま会ってな。真帆の家でチラッと兄ちゃんの写真見かけたことあって、もしかして真帆の兄ちゃんかなって思って話してみたら案の定って訳さ。」
「あー、そうだったんだね。」
おお、上手いこと話したな。それなら割と自然な感じだ。
「で、オレもちょくちょくバイトまでの時間潰しに公園行って、ナツメ会ったら時たま遊ぶ感じだな。」
「だな、兄ちゃん。」
「・・・ふぅん。ま、それならいいか。何して遊んでるんだい?」
にしてもナツメは頭の回転が案外速いな。猪突猛進、大鑑巨砲主義って感じの
オレは少し感心していた。
「何して遊んでる、かぁ。えっと。・・・この前は(落とし)穴に無理やり入れられて、私が身動きできないまま、嫌だって言ったのに無理やり(穴から)出そうとされたな。」
「ねぇ、ちょっと待って何言いだしてるのナツメ。」
「待つのはお前だ兄さん。・・・何をした、なっちゃんに何をした。言え。」
「私も聞きたいわ照東君?」
ナツメの若干言葉足らずなひと言で、女性陣のオレに向ける目の温度が一気に氷点下に落ちた。
「やっぱり照東君はロリ東君なの? この前は幼稚園に通ってるウチの妹とも公園でいかがわしいことしてたよね? 実はアレも誤解じゃなくてマジだったの?」
「真壁、落ち着け違う誤解だうわなにをするやめ」
オレは3秒数える間に縄で全身を縛られ机に乗せられた。早ぇ。
「兄さん、大丈夫。一人で死ぬのが怖いならボクが後を追ってあげるから。償おう?」
「マホ落ち着け!え、何その顔!? なんか目に光が無いんだけど? そんなマホ見るのお兄ちゃん生まれて初めてなんだけど?」
「大丈夫、兄さんの味方だよ、ボクはいつだって。だから償おう?」
「落ち着け、だからハサミから手を離せマホぉぉぉぉ!!!」
妹がなんかぶっ壊れてるぅぅぅ!?
「ナツメェェェ!! 状況を具体的に話して!! お前らもナツメの話を聞いて!? 誤解だから!」
「誤解? そんな余地なさそうな言い草だったわよ、照東君?」
「・・・なら話だけは聞くよ。なっちゃん、詳しく教えて?」
「お、おう分かった。どうしたんだ真帆、急に怒って・・・?」
「なっちゃん。良いから早く、詳しく教えて?」
「は、はい!!」
ナツメの顔が引きつってる。怖えよな、怖すぎるよな今の真帆。
「詳しく、詳しくってもなぁ。こう、最初は(サチの)悪戯から始まってハメられた? みたいな。兄ちゃんが(助けようと)頑張って力とか入れたらなんか体が熱くなってきてさ、で、最後はビクンって感じたことないような変な感じになって、その、しばらくびくびくって体がして・・・おしっこも、少し、その・・・。」
そこを詳しく説明しちゃったか。
「う、ふふふふふふ。け、けけけ警察を呼べぇぇぇぇ!! 皆、我がクラスから逮捕者が出たわよ!! 照東君は
「ふ、ふふふははははは!! そんな事をしちゃう兄さんは───要らないなぁ。大丈夫、独りになんかさせないよ。ボクと兄さんは死ぬ時も一緒だからさぁ!! ここでボクと死のうよ兄さん!!」
「あーあ。今日が命日か。」
短い人生だったなぁ。
「待って! なんでそんなに怒ってるんだ、真帆にそのお姉ちゃん!」
「ちょ、ナツメ!?」
ひっそりと脳内で辞世の句を詠んでいると、縛られて机の上に置かれているオレに、ナツメが抱き着いた。
アイエエエ?
「別に兄ちゃん悪いことしてねぇよ! 私は(昨日の事は)ちょっと辛かったけど遊びだって納得してるし!」
「照東君、この娘にお前は遊びだって言ってるの!? しかもそれで納得させてるの!? むしろコイツ悪い事しかしてないよ!!」
「違うもん! 兄ちゃんは良い人だよ! 私を守ってくれるって言ったし!」
「綺麗に騙されてるわこの娘!?」
そうだね。今のを聞く限りだと、オレは完全に
「・・・なっちゃんが悪い虫だったってこと?」
・・・ん? 妹の方の風向きが怪しいぞ?
「兄さんは悪くなくて、なっちゃんが兄さんを誑かしたの?」
「お、おい真帆?」
「ふーん・・・。そうなんだ、信じてたのにな。親友だと思ってたのに。」
「うわぁぁぁ!? なんか真帆が怖いよお!!」
妹の方も見たことないくらい壊れたまま治る気配がないな。
ナツメは一刻も早く逃げた方がいいかもしれない。
オレは恐らく助からないだろうし。
「・・・お困りのようね、少年。」
その時、教室に鈴の音のような声が鳴り響いた。あまりの存在感に、一瞬教室の時が止まる。
「──────はぁ!? 何でアンタここに居るの!?」
「え!? だ、誰ですか?」
声のする方を振り向けば、ソコには──────
天使が舞い降りていた。
「・・・え? 芸能人? てか、天使?」
「き、綺麗な姉ちゃんだなぁ。誰かのお姉ちゃんなのかな?」
オレとナツメがポケッとその
──────ウチの男子生徒共がその天使に頭をグリグリと踏まれて居た。しかも、周りに居た生徒が自ら彼女の歩む先に次々と寝そべって、恍惚の表情で踏まれていく。
「えぇ・・・?」
凄い。この天使さん、他人を踏むことに一切躊躇いを持ってない。よく知っている友人が嬉しそうに踏まれ、絶句して動けないオレ達の方へ、彼女は歩いてきた。
「私、到着! 君、縛られちゃってるソコの君! 名前は?」
「オ、オレですか? 照東頼徒って言います。」
「ありがと、ヨロシク。ふふふ、私を見てまだ正気って事は、縛られてる割にソコまで素質は高くないのかな? 少しは有りそうには見えるけど。」
「は、はぁ。素質?」
何の話をしているのだろう?にしても綺麗な人だなぁ。お近付きになれないかなぁ。
「ねぇ。私、アンタを呼んだ覚えは無いんだけど。参観とか教えた覚えも無いんだけど?」
「反抗期ねー。ふふふ、1度しずちゃんのお友達とお話ししてみたかったのよー。」
「答えになってないし!何で来たの!? どこで今日が参観日だって知ったの!?」
「ソコの豚が教えてくれたわー。」
ピシッと音がして、教室の中で寝そべっていた中年男性の顔に鞭がクリーンヒットする。そのオッサンは嬉しそうにブヒィと鳴いた。
そして天使の手には、黒く長い鞭がいつの間にか握られている。速い。どっから出したんだ?
「って先生ぇぇぇ!! 何であんたまで寝そべってんだぁぁ!!」
「照東。今の俺は先生では無く、醜い豚野郎だ。間違えるな。」
「TPOを思いっきり間違えてるのはお前の方だぁ!?」
何してるのあの人!? 普段なんか厳しい系のオッサンじゃん! 何で急に豚になってるの!?
「照東君、ソイツと話しちゃ駄目! そのクソババア、私の母親で、実年齢40超えてる年増だから! 騙されちゃ駄目よ!」
「・・・は? 40? 嘘だろ?」
「ホントよー。うふふ、年上は苦手?」
少し悩ましげに、天使が縛られたオレに目線を合わせて話し掛けてきてくれた。
「─────大好きです。貴女のような人とお話しできて嬉しいです。」
「あらあら、嬉しいわー。」
可愛いなぁ。40歳とか、そんなのどうでも─────
「目を覚ませぇ!! 照東君!!」
「アヒィィィン!!」
バシン! とケツがいい音を立て、真壁が振り抜いた鞭にしばかれて正気に戻る。
・・・はっ!? オレは今何を考えた? 真壁のお母さん相手に発情って、有り得ないだろ!
「自分を取り戻しなさい照東君! 貴方はロリコンのレイプ魔でしょう!?」
「違うんだよなぁ、それも!」
オレとナツメはそういう関係じゃ・・・。
あれ? そう言えばナツメはどこ行った?
「なっちゃんは帰ったよ。」
・・・うわっ!? びっくりした、突然真後ろに真帆がいた。
・・・帰った? 参観授業始まってすらないのに?
「用事が出来たんだって」
「そ、そうなのか。」
「・・・ぃちゃ・・・けて・・・」
教室内の掃除用具入れから、女の子の声が聞こえてきた。
「なぁ、今ナツメの声が・・・」
「聞こえないよ」
「聞こえないかぁ」
なら残念だけど聞こえないな。
「きゃー、ちっちゃくて可愛い子がいるわね! 誰かの妹さん?」
いきなり天使が、
「え、いきなり何? 誰この綺麗な人? 兄さんの新しい知り合いかい?」
「・・・友達のお母さんで嗜虐趣味の天使?」
「兄さん、意味が分からないよ。」
すりすりーっと頬ずりを止めない天使に、ついに真壁がブチ切れた。
「ででで、出ていけー!! こ、こここれ以上私の平穏な学生生活を脅かすな!! 中学校の時、私がどれだけ嫌な思いしたと思っているの!? 帰ってよ!! この世から消えて無くなれ!!」
「だって私は嫌な思いしてないしー?」
「この天然性悪年増!!」
おおー。普段物静かでおとなしい(擬態)真壁がここまで取り乱すとは。オレがサチちゃんに縛られた時以来か。
「ごめんねー? 中学校の時は私も少し悪かったと思ってるのよー?」
「少し? 悪いのは全部お前だよクソババア!!」
「学校で孤立するしずちゃんを想像してゾクゾクしちゃって、ついやっちゃった♪」
「確信犯だったのかよお前ぇぇぇぇぇ!!」
先ほど俺に振るった鞭をしならせ、思わず真壁は天使へと襲い掛かった。って危ない、このままじゃ真帆も巻き込まれてしまう、止めないと!
オレは縄を解こうともがき、せめて真壁に後ろから飛びかかろうとしたが、それよりも早く。
「豚ども?」
「「「うす!!」」」
天使は呟き、その眷属共が応える。
瞬間、寝そべっていた豚が起き上がり天使の前に巨大な防壁を形成した。真壁の鞭は、あえなくその肉壁に吸収されてしまう。
「oh,yes!! ・・・真壁、先生に鞭を振るうとは覚悟は出来てるんだろうな!!」
「今は醜い豚なんだろ糞教師!? 私の邪魔しないで!!」バシーン
「Oh.yes!!!」
さすが英語教師、喘ぎ声の発音が完璧だ。鋭い鞭と厚い肉壁の応酬に、身の危険を感じたのか真帆はこっちに逃げてきた。
「兄さーん、参観ってこれなの? 最近の高校ではこのレベルの授業を日常的に行っているのかい?」
「あれだよ、目に映るものこそ真理だよ。今までいい先生だと思ってたんだよ、オレも。」
「高校、ボクは出なくても良いかな・・・。中卒でいいや。」
いかん、妹が高校に対し偏見を持ってしまった。でもこれは仕方ないね。
一方、真壁はというと、真帆が逃げた事を気にも留めず天使の豚どもと悪戦苦闘していた。
「ねぇねぇ、しずちゃん。何で今日、私がしずちゃんの参観に来てあげたと思う?」
「来てくれなんて頼んでない! 私が嫌がる事が大好きなあんたが、参観日なんてものを知ったから!!」
「毎年知ってたわよ? 参観日くらい。」
「はぁ!? じゃあなんで今年に限ってきやがった!?」
それを聞き、待ってましたと言わんばかりに微笑んだ天使。笑顔だけで世界を救えそうな、なんとも無垢で尊い表情だ。
「じゃじゃーん。引き出しの二重底なんて、ふふ、流石に私もびっくりー。」
豚に囲まれた天使は満面の笑顔のまま、「愛の手帳」と題された小さなノートを、カバンから取り出し大きく掲げたのだった。
「うぎゃああああああああああ!?」
「ふんふふーん。プラン1、水族館デート♪×印つけたってことは没になっちゃったのかな? 作戦の所にサメに怖がって抱き着くって書いてるけど、しずちゃんその程度で怖がらないわよねー?」
「やめろ、読むな、何で、私の学生生活をそこまで脅かすんだこの外道!!」
「因みに最初のページに、とある男の子の名前と趣味だの空いてる曜日だのの詳しいメモがあるけど、誰の事か知りたい人は手~挙げて?」
うわあああ、止めて差しあげろ。
だが無情なことに豚どもが何人か手を挙げていた。
「・・・やっぱり貴女も私の娘ねー。マゾっ気の強い男の子を何人か虜にしてるようね。」
「嬉しくないよ! 手を挙げたやつ後で覚えてろ!! ・・・ていうか藤君!? あなたそっちの趣味だったの!?」
手を挙げた豚の中に藤を見つけたらしく、真壁が絶叫した。友人と思ってたやつに裏切られたんだしなぁ。
・・・というか豚どもの中に藤がいたことは、途中からオレも気づいていた。が、あえて触れず気付かないふりをしていた。真壁は気づいていなかったのか。
「豚は何人か手を挙げたけど、人は誰も手を上げないみたいねー。」
「いいから本を閉じろ、カバンへしまえ、私に返せ!!」
「あ、○ついてるデートプラン発見!何々、映画館デー・・・」
「お願いだからもうやめろおおおおおお!!」
流石に、もうこれ以上見ていられない。
「その辺にしてあげてたらどうです、真壁のお母さん。」
「あら?」
困ってる人がいたら、助けるのがオレだしな。ましては友人の真壁のためだ、多少貧乏くじ引きそうだが助けに入るのが友人だ。
「親子のスキンシップにしてもやりすぎですよ。これ以上真壁を傷つけるつもりなら、オレが相手になります。」
「ふぅん? 私に盾突くと大変だよ? マゾい男の人は私の命令に逆らわないの。言ってることが分かるかな? 人間の半分が男の子、更にその半分がマゾの子。世界中の人間の4人に1人が、あなたの敵に回るのよ?」
「それが何の関係があるんです?」
「うふふ、強気ね? とりあえずここで寝てる豚どもをけしかけられたら、あなた一人に何ができるの?」
「あれ、知らないんですか? 何人が敵だろうと、自分の心に正義があるならば。」
実際、豚どもをけしかけられたら何も出来ない可能性が高いけれど。
「
「君はボロボロにされるよ?」
「それでも!」
1人で勝つのが理想のヒーローだけど。1人じゃ勝てないときに誰かが立ち上がって、仲間となり駆けつけてくれるのも、ヒーローの証だと思っている。独りよがりな正義じゃなくて、誰かが共感してくれる正義だってことだから。
そして、どうせ立ち上がるなら。
「ボロボロだろうと最初に立ち上がったやつの方が、かっこいいじゃないですか。」
「・・・うん、君は実に面白い子だね。君なら、まぁ・・・。認めてあげてもいいかな。」
そういって啖呵を切ったオレを、言葉通り実に面白そうに天使は眺めていた。
「うん。目的達成! 私帰るね、またねしずちゃん! 早くお夕飯の準備しなくっちゃ!」
「え、参観は?」
「私がここに居たらいつまでたっても始まらないよ、うふふ。今度、うちに遊びに来なさいな照東君?」
パチン。
天使が指を鳴らすと、海が割れるように道が開ける。
「じゃあね、また会いましょ。ウチのしずちゃんと仲良くしてあげてね?」
「は、はぁ。」
そう言って天使は立ち去り、やがて彼女の道となって寝ころんでいた豚どもが次々人間へと進化を遂げ始める。豚のまま出荷されればよかったのに。
「・・・兄さん。」
「真帆、どうした?」
ふぅ、と一息をついたオレを、何かを言いたそうな目で真帆が見ていた。
「縛られたままそんな、カッコつけられても・・・。」
「だって解けねぇんだもんこれ・・・。」
正直オレもそれは思ってたが口に出さなかったのに。いまだに真壁に縛られたまま、オレは机の上に転がっていた。
にしても目的達成、かぁ。何しに来たんだろうかあの天使。
「はい、解いてあげるわよ」
「わっ。」
もがき、苦しみ、オレが解けすに散々苦労した縄は一瞬で真壁に回収された。自分の足で立ち上がるだけなのになんという解放感。
「そ、その。照東君、さっきはありがとね・・・。」
「ん、気にするな。」
「照東君はその、あの手帳の事とか気にならなかった? その、どーしてもっていうなら照東君にだけなら教えても・・・」
「いや、別にいいよ真壁。誰だか知らんが応援するぜ!頑張れよ!」
「・・・あ、そう。ありがと。凄くがんばるよ・・・。」
なんか急にしょんぼりしちゃったな、真壁の奴。
「あ、兄さん。結局ナツメとどこまで何したのか、まだ聞いてないから。」
「あ、そうだったわ!警察に・・・」
「待て待て、落ちつけ。オレが全部説明するから。」
怒りを思い出した二人をなだめながら、オレはサチちゃんの起こした惨劇を自らの口で語る羽目になった。
凄く恥ずかしかったが、その代わり今夜悪魔は姉に制裁されるらしい。楽しみだ。
にしてもサチちゃん、母親にそっくりなんだな・・・。サチちゃんが大きくなるとあんな感じになってしまうんだろうか。
誤解が解けた後、オレは掃除箱の中に閉じ込められ半泣きのナツメを慌てて回収。しばらくオレに抱き着いて泣いていたが、やがてつーんと真帆を無視し始めた。むくれたナツメを真帆は必至で謝りながら機嫌を取っていたが、このけんかの仲裁をするつもりはない。真帆が悪いんだから真帆が自分で謝るべきだ。
「面白い男の子見つけたわねーしずちゃんは。」
かつん、かつんと地面を踏み鳴らし、乾いた風にスカートをはためかせ、少女は一人歩いて行く。
行きと同じように、道端に土下座するたくさんの下僕を無視しながら、少女はつぶやいた。
「なんでもいう事聞いてくれるマゾの子より、普通な男の子が好きになっちゃうのも私の血かしら? にしても、変な男に騙されているようじゃなくてよかったわ。その場合は血の雨が降っただろうし。」
今日出会った少年を思い出して、にこにこと少女に笑みがこぼれる。優しそうでまっすぐな男の子だった。
「もう少し私が若かったら、少しクラって来たかも? 若いっていいわねぇ。ふふふ、あの子にお義母さんとか呼ばれたいなぁ。」
シリアス系の話もそろそろ書こうと思います。
次回、1か月以内。のんびりと更新致します。