幻想狂縁起~紅~ 《完結》+α   作:触手の朔良

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始めての晩餐

 

「どうした、手が進んで無いじゃないか?」

 あの後、特に何事も無く宛てがわれた部屋へと帰った。目が覚めたあの部屋だ。権兵衛を連れて来た咲夜は真っ暗闇の部屋に蝋燭を灯すと、用は済んだとばかりに一度だけお辞儀をして去っていってしまい、一人取り残される。

 くしゃくしゃになっていたベッドのシーツも既に新品のものと取り替えられている。館の大きさを考えれば彼女以外従者が大勢いても何ら不思議ではない、その子らが代えてくれたのだろう。

 イスもテーブルもあったものの、特に理由も無いきっちりと、メイキング済みのベッドへと腰掛けた。「っとと」これまた上質なもののようで、ベッドは自分を優しく受け止め、受け止め過ぎておかげ様体勢を崩してしまう。相手はベッドである。されるがままに寝そべると天蓋が目に入った。

 まるでお姫様だな。そんな毒にも益にもならぬ感想をぼんやりと抱いた。

「……」

 考えるべき事は、そういうんじゃないだろう。

 例えば、記憶を失う前の事とか。……よっぽど特殊な生まれでも無い限り、父がいただろう。母がいただろう。友人も、或いは恋人すらいたかもしれない。そう言った人達はどうしているのか。矢張り心配しているのだろうか。

 まさか異世界に行っちゃいましたなんて、土産話に語ったら間違いなく黄色い救急車を呼ばれる。

 異世界だという、幻想郷の話も、実は心底信じてはいなかった。人外であるという少女、瞬間移動するメイド。目の前で見せ付けられても、手品なんじゃないかと疑う心が残っている。この館にしたってそうだ。やけに古めかしく現代に於いてはまず見ない、立派なものだ。これら全てが、記憶を含めて壮大なドッキリだったらいいのに、なんて考えてしまう。

 一方で紛れもなく現実なのだと、主張して止まない自分もいた。まず館には電気が通っていない。今だって部屋を照らしているのは蝋燭の火で、ガス灯ですらない。科学に汚染された現実世界ならば異常な事だ。館の主人、レミリアが極度の凝り性とか科学アレルギーでなければまずあり得無い。

 何より。

 腕を伸ばして宙を掴む。勿論何にもない空中で、何かを掴む事は有り得ない。強いて言うならば、ただ指先を抜けてゆく生々しい空気の感触が、これは現実だと如実に訴えかけていた。

 考えるべき事は山ほどある一方で、考えるだけの材料は過去からも奪われている。こんなんで、碌に思考が纏まる筈もない。

 男の口からは溜め息しか、出てこなかった。

「安心しろ。別に血だとか同類の肉だとか、怪しいものは入っていないさ。お前に考慮して安心安全、百パーセント牛の肉だよ」

「いえ、お嬢様。牛が七、豚三の合い挽き肉ですわ」

 レミリアの声に、意識が現実へと引き戻される。

 権兵衛は既に食事の席に付いていた。頭の中を整理しておけ、なんて言っておいた癖に間も無く呼び出すのだから、そんな暇は無かった。状況は何一つ解決せぬまま、権兵衛を置いてけぼりに二転三転と慌ただしく進んでゆく。

 無言を別の何かと勘違いしたのか、レミリアは楽しげにフォローを入れた。物騒な単語も聞こえたソレは、フォローどころか追い打ちではないか。

 更なる追い打ちを告げた咲夜は、余計な口を挟むなと主人に睨まれていたが、メイドは涼し気な顔を崩すこともない。平然と鋭い視線を受け流し、主人の給仕をこなしていた。具体的には、口元に付いたソースを丁寧に拭いたりとか。

 改めて、手元へと視線を落とす。テーブルの上に一面を埋め尽くす料理の数々。歓迎だとレミリアは嬉しげに言っていたが、全く短い時間で良く仕込んだものだと呆れ返ってしまう。

 有難いついでに一つの質問が浮かんだので、早速聞いてみる事にした。

「なぁレミリア、さん?」

「レミリアで……。いや、気安くレミィで構わんよ」

「じゃぁ聞くけどレミィ」

 主人の応答に、咲夜が驚愕に目を見開く。これが驚かずにいられようか。主人が愛称で呼ぶことを許しているのは、現時点で世界でただ一人だ。それが今、二人になったのだ、出会ってすぐの男が。

 そんな事実を知る由もない権兵衛は、特に気にした様子もなく吸血鬼の名前を口にする。

 ほんの少し、誰もが気付かない程度にレミリアの口元が緩んだ。

「ふふん、どうした。あまりの美味さに、感激の賛辞でも送ってくれるのか?」

 美味いことは美味いが、お前さんが作ったわけではなかろうに。と言う突っ込みをぐっと堪える。口に出してしまったら、どこまでも脱線してゆく予感がするから。

「どうしてこんなに良くしてるんだ?」

 核心だけを問う。

 疑問だった。死に掛けの男を助ける、という部分までは分からないでもない。だか彼女は言ったではないか。妖怪は人を喰う――と。

 自分は妖怪ではない、吸血鬼である、などと詭弁を弄するのだろうか。記憶の無い権兵衛にだって、吸血鬼が人の血を吸う存在である事は重々承知である。自分はフォアグラ用の鴨か。乳牛か。それとも何か、館主としての矜持だとでも?

 彼女の口が次にどのような言葉を紡ぐのか、権兵衛ならずとも咲夜も注意深く耳を傾けた。

「つまらん。そんなことか」

 本当につまらなさそうに、声音を隠す事もせずレミリアは落胆の色を見せた。

「そんなもの、オマエが気に入ったからに決っているだろうが」

「はぁ?」

 思わぬ答えに、態度を取り繕うのも忘れて無遠慮な口を開いてしまう。

 気に入ったなんて曖昧な理由。身代金が目的だとか打算的な方がよっぽど信頼出来る。尤もどこの馬の骨とも知らぬ男から、何を誰から頂戴しようというのか、仮にそれが目的だと端から破綻している訳だが。

 臆面も無く心内を語ったレミリアを注意深く観察するも、未だ彼女とは付き合いらしい付き合いも無い。彼が観察して解ったのは、精々様になった彼女のテーブルマナーぐらいだった。

 彼女が音もなくハンバーグにナイフを滑らせると、断面からは肉汁が溢れ出す。鉄板の上でジュワリと音を立てて食欲を刺激する匂い立ち込める。切れ端をフォークで一刺し、レミリアの瑞々しい唇に吸い込まれる正にその瞬間。

「あ―――」

 ちょとした不注意の産物である。肉を運ぶ所作の途中、ほんの僅かに肘がグラスを小突いてしまった。波々ワインの入ったグラス。気付いた時には遅く、グラスはその赤い中身を周囲に散乱させようとしていた。

 その一瞬の光景が、何だかやけにゆっくりと感じられた。

 グラスの斜度は徐々に鋭さを増してゆき、遂には真っ白なテーブルクロスに紅い染みを拡げるかに思われた刹那――何も起きなかった。ピサの斜塔よろしく傾いた筈のグラスは平然と、その身を料理の横に鎮座させていた。

 見間違えなどでは、決して無い。

 先の慌てた様子のレミリアの表情が、かの出来事が事実であった事を雄弁に語っている。

 しかし直ぐ様に一つ咳払いをして取り繕う姿は、中々に愛嬌があった。

「ん、んんっ! と、ところで権兵衛。落ち着いた所で矢張り記憶は戻らないのか? この食事なんてほら、外の世界でも人気なんだろう。わざわざ作らせてやったんだぞ」

「いえ、お嬢様。今晩の予定は元々からしてハンバーグでしたが」

「ギロリ」

「しれり」

 漫才のようなやり取りを見て全く良い主従だなと、ほんの少し笑みが零れた権兵衛であった。

 


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