幻想狂縁起~紅~ 《完結》+α   作:触手の朔良

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エピローグ
咲夜の世界


 永い悪夢を見ていた。何時もよりも酷い悪夢を。

 それ故か権兵衛の意識はそちらに囚われ、中々目を覚まそうとしなかった。しかしガサゴソと、己の身体の上で蠢く感覚に、意識は次第に覚醒へと向かった。

 夢と現の境界――。

 男の意識は徐々にハッキリと輪郭を形作り、ついに重い瞼を上げるに至る。今度こそ、この悪夢を断ってやろうという強い意思を篭めながら。

 そうして視界いっぱい、咲夜の顔が広がっていた。

 互いの息遣いが感じられるほど近くに。鼻先がぶつかり合いそうなほど近くに。無表情のままじいっと男を覗き込む十六夜咲夜の顔があった。

 ほんの、ほんの一瞬だけ、脳処理が追いつかず現実を理解出来なかった。

 咲夜は愛しい男がようやく目覚めた事に気付くと、極上の笑顔を向けた。

 瞬間、権兵衛の中で止まっていた時が動き出す。

「う、うわあああぁぁぁぁぁっ!」

 至極真っ当な反応だ。誰だって、どれほど親しい者だろうと、目覚めて鼻先三寸に、無言で見つめてくる人間がいたら驚くだろう。例えそれが絶世の美少女が相手でも、だ。

 慌てて上体を――人一人乗っているにも関わらず――起こすと、当然乗っていた少女の身体は弾かれてしまう。

「きゃっ!」

 突き飛ばされる形となった咲夜は抵抗らしい抵抗もみせず、華奢な身体を軽々宙へと舞わせた。勢いそのままにベッドから転げ落ち、痛みに顔を歪めつつ打ち付けた箇所を擦りながら立ち上がる。

 手酷い男の対応に、文句の一つでも言うのかと思ったが、咲夜の口から発せられた言葉は全く真逆のものだった。

「あぁっ――その反応! 権兵衛さんっ、ちゃんと記憶があるのねっ!?」

「――」

 言葉を失う。この女は何を言っているんだ――? 

 咲夜の反応は到底権兵衛の理解に及ばぬところにあって、戦慄した。

 怒るどころか彼女の瞳は喜び一色に染まっている。

 咲夜は確信したのだ。愛する男が目を覚ましていの一番、自分の顔を見て驚愕し、次第に恐怖の表情へ染まっていった様子に。彼こそは自分と時間を共にした権兵衛なのだと。

 でも、出来れば驚くだけじゃなくて、少しぐらいは喜んで欲しかったなぁ。

 そんな身勝手な妄想を浮かべて、咲夜は桜色に染まった頬を両手で抑えた後、勢い良く、力いっぱい、未だベッドの上で呆けている男に抱き付いた。

 事情の知らぬ者が見れば羨むか、或いは心打たれる光景だろう。

 何せ少女は悲しそうに嬉しそうにわんわんと泣きながら男へ縋り付いているのだから。

 しかし、権兵衛には恐怖しか湧き上がらなかった。

 彼女の言葉の意味を――この咲夜もまた、()()()()なのだという事実に――ようやく理解して。

 その恐怖が意味する現実に気付き、彼は愛する女の抱擁を振り解き部屋を飛び出した。

「あ、権兵衛さん!?」

 背後から向けられた少女の静止も聞かず、彼は行く宛も定めずに館を駆けた。今はただ一秒でもあの少女から離れたかった。

 絶叫とも悲鳴ともつかぬ奇声をあげつつ廊下を走る。紅魔館全体に響き渡るだろう騒々しさだのに、誰一人として彼の異変を嗅ぎつける者はいなかった。いやそれ以前に、何故か妖精メイドの一人とも遭遇を果たしていなかった。

 あれほど活気に満ち溢れていた館が、死んだように静まり返っていた。

「レミィ!」

 一際異風を放つ扉を、勢いもそのまま開け放つ。何時もは玉座でふんぞり返って、威張りんぼで我儘で、実は寂しがり屋の少女の名前を権兵衛は叫んだ。……返事はない。

 そして部屋の異変に気付き、男は血の気が引いた。

 ――狭い。

 空っぽの玉座は記憶の中よりもずっと側にあり、そこへ至る階段すらも短い。

 天井を支える数々の柱は部屋中にぎっちりと詰まっており、その天井もまた脚立でもあれば届いてしまうぐらいに低く、壁もすぐ近くに感じた。

「権兵衛さん、お出掛けですか?」

「っ!」

 音も無く背後を取る彼女を、努めて視界に入れないようにしてすり抜ける。

 纏わりつく恐怖から逃げるかのように、権兵衛は必死に手足を動かす。

 認めたくない現実。直視したくない事実。まるでそれらから逃げるように、全力で走った。

 そうして、すぐ壁に突き当たる。

「……えっ?」

 建造物の、腹の中なのだ。一直性に進んでいればいずれは壁にぶち当たるのは必然。

 だが権兵衛は信じられないと、愕然とした表情で壁に手を伸ばした。ペタリペタリと、固い感触は夢幻ではなく、まるで男を拒絶するかのような威圧感を放っていた。

 おかしい――おかしいおかしいッ!?

 だってこの先は! この先には、図書館までの廊下が続いていた筈なのに!

 自分は狂ってしまったのだろうか? 思わず膝をついて全てを投げ出したくなる衝動に駆られるも、折れそうになる心は寸前に踏み止まり、来た道を引き返そうとする。

 一寸の距離も置かずに、咲夜が佇んでいた。

「もうっ、駄目ですよ? まだお身体は万全じゃないんですから」

 愛しの男のやんちゃに咲夜はちょっと困った風な口調で語り掛けた。

 少女の腕が、激しく動いたせいで緩んだ包帯を締め直そうと伸びる。

 その指先が触れるより早く、権兵衛は駆け出した。

 こんな世界は夢であれと、ひたすら請い願いながら。そうして次々に見つかる違和は、悉く彼の幻想を打ち砕く現実だった。自分が行動すればする程に、願いとは真逆の結果が得られる、矛盾を孕んだ抵抗。

 遠ざかる少女はクスリと笑った。「おかしな人ね」という呟きは小さかったものの、やけにハッキリと彼の耳に届いた。全幅の信頼と慈愛に満ち満ちた声音だったが、それが何よりも恐怖を煽り、聞いてしまった男の胸には後悔が生まれた。

 目についた扉を――妖精らのプライベートルーム、トイレ、調理場、食堂、客室、エトセトラえとせとら……――片っ端から開け放つも、がらんどうなのを確認する度、覆し様のない絶望が権兵衛の心を蝕んでいった。

 権兵衛だって薄々解っている。……解っているが、心が理解を拒むのだ。

 そんな男のささやかな抵抗も、玄関を開けたが最後、粉微塵に砕け散った。

 扉の先に広がる光景を見て、一瞬何だか解らなかった。

 その、無限に広がる景色を見て、愕然とした。

 そうして、彼方にまで伸びる地平を見て、全てを悟った。

 館の周囲には、以前と変わらぬ優美な庭園に囲まれていた。そこまではいい。そこまでしか良くなかった。

 敷地を区切る塀は影も形もなく、その先に広がるのは真白な地面。影も、光も、存在しているのか怪しい、のっぺりとした白いナニかが広がっていた。

 そうして視線の彼方には真っ青な空との境界があり、その白と青が織り成す、幻想的な風景は見る者全ての心を打つ事だろう。

 もう、何をしても無駄なのだという、絶望を与えてくれるだろう、

 情けない話、権兵衛はその場でへたり込んでしまった。

 否定しようのない事実が彼の心を滅多打ちにし、皆の幸福を求めて足掻き続けた男を終に打ちのめしてしまったのだ。

 ――『時間を操る能力』。それで如何にして空間を拡張するのか、その原理までは知らないものの、聞いた話では咲夜はソレが出来るらしい。

 能力で拡張された空間は解除すれば当然元に戻る。

 つまりは――権兵衛は力なく首を回す――この、荘厳に(そび)え立つ紅魔館も今や見た目通りの、大きな館に過ぎないと云う事だ。

 だが、中に居た住人はどうなったのだ?

 絶望に折れた権兵衛の脳は最悪の想像をする。

 ……能力の解除と共に収縮する空間。迫る壁。ぎゅうぎゅうに詰められた住人らが、為す術もなくミチミチと潰されていく光景を、想像する。

 胃の中から()えたモノが込み上げる。我慢する気力も湧き上がらず、そのまま地面にぶち撒けた。

 対して胃の中には入っていなかったのだろう、ちょっと黄色した液体が、少しだけ吐き出されただけで終わった。

 痛む喉を抑え、権兵衛は頭を振る。館内には誰の姿も――死体すらも――存在しなかったではないか。

 そう、誰の姿も無かったではないか……。

 今更彼女らの身を案じて、どうなるというのだ?

 背後から音も無く、ぐるりと、蛇の様にしなやかに、首へと腕が巻きつけられる。見なくたって、聞かなくたって、誰かなんて分かる。最早この世界には、自分(ごんべえ)彼女(さくや)しかいないのだから。この腕の持ち主が――愛おしげに頬を擦り寄せて来るのが誰かなんて、解らない筈がない。

 ……いや、このどこまでも続く、因果の地平を抜ければ或いは、人里へと辿り着けるのかもしれない。しかしどうして、愛に狂った咲夜の目を掻い潜り、死んでやり直すだけの役にも立たない能力を持つだけの自分が、辿り着く事が出来よう。

 そもそも、完璧で瀟洒を旨にしていた咲夜だ。仮に人生の全てを地平の果てを越える事に費やしたとして、脱出出来るくらいの空間にする事があるだろうか?

「やっと二人きりになれましたね、権兵衛さん」

 男の耳を甘噛みして、咲夜は蕩けた口調で囁く。

 ゾクリと、背筋を恐怖が這った。

 彼女の声が。体温が。匂いが。柔らかさが。……やけにハッキリと感じる。それもそうだろう。もうそれ以外、何も無いのだから。

「これからはずっと、ずぅっと一緒ですよ? ――死すらも私達を別つ事なんて出来やしない」

 咲夜は祝詞を読み上げるかの様に告げた。

 ――檻の様だと、男は思った。

 やり直そうという気力も、意味も、最早無かった。何せ男の能力なんて、彼女の前では役に立たない。

 始まりは何時も此処なのだ、此処からなのだ。

 そして、始まる前に全部、事は済んでいるのだ。

 死んだ所で逃げ切れぬ、繰り返し繰り返すだけの、時の牢獄。

 絶望に囚われた男の目から涙が零れた。男の口から、純な疑問が零れた。

 どこで間違ったのだろう――?

 此処は世界の袋小路。レミリアの望みと権兵衛の願いと咲夜の夢。一つも噛み合わなかった果ての終着点。

 権兵衛と咲夜だけの、二人だけの優しくて残酷な世界。

 男の問いに答える者はいない。

 咲夜はひたすらに愛を口遊む。恋する少女の顔で。

「あぁ、泣かないで権兵衛さん。貴方の傍には私が居るわ。ずっと傍に居続けるわ。ずっとずっと、もう離れない。だから、だから泣かないで、ネ?」

 少女の細腕にきゅっと力を込められる。

 背に女性の柔らかな感触が押し付けられる。

 二人の間にはもう、一切の隙間は無いのだと身体をぎゅうっと押し付けてくる。

 二つが一つに溶け合って、永遠一緒になるように、強く強く密着してくる。

 ふと、彼女の相も変わらず美しい銀髪から、記憶の中と同じ甘い香りが鼻腔をくすぐった。

「愛しているわ権兵衛さん。誰よりも、何よりも、愛し続けるわ。だから――二度と私から離れたりしたらダメよ?」

 今も愛を囁き続ける、すっかり変わってしまった彼女の人肌は、やっぱり温かくて。

 誰一人居なくなった世界で、彼は涙を流した。

 自分と咲夜しか存在しない世界で、男は泣いた。

 ただ独り、声を押し殺して、静かに泣いた。

 

 

 




これにて幻想狂縁起~紅~は終わりです。
ですが権兵衛と咲夜の世界は続いて行くのでしょう。
何一つ欠けず、変わらず完璧な世界で永遠を過ごして行くことでしょう。


そして、連日の投稿に付き合って下さった皆様方へ、この場をお借りして深く感謝申し上げます。
3/21~4/15という一ヶ月にも満たない期間でしたが、振り返ると長いような短いようなと、つい感傷に耽ってしまいます。
毎日の投稿に挫けそうにもなりましたが、読者がいる、という事が矢張り何よりのモチベーションになりました。皆様のおかげです。ありがとうございます。

よろしければ、ご意見、ご感想、ご要望に評価なども、どしどしお待ちしておりますので是非。
そして以下の言葉を以て、作品の締めにしたいと思います。

最後までお読み頂き、本当に、ありがとうございました!






以下チラシの裏
↓↓↓↓↓↓↓




















ぬわぁん疲れたもぉ~!!!!!


原稿完成してるからって、調子に乗って毎日投稿とか云うんじゃなかったと直ぐ様後悔しました。
誤字脱字をちょこちょこっと修正すりゃええやろガハハー!って気楽に考えてたんですけど、まずその誤字脱字が多い。文章がわかりにくいから修正! 入れ忘れてたネタを差し込んで加筆!
普通に時間が掛かりましたわ……。
18万文字だった原稿が21万文字に化けるぐらいの修正作業でしたまる。

特にアレです、四章がですね、アレ入稿締切日の前日に書き上げた部分なんで、後半に行くにつれ、いやぁ~酷かったです。
四章の幕間は全部追加部分ですからね、その齟齬の解消にも頭を悩ませました。
そして修正を終えて投稿すると、まぁた誤字脱字が見つかるんで、余りの多さにちょっと引きますわ。

それにしてもアクセス解析ってのは面白いですねぇ~。
投稿始めは200人ぐらいの方が目を通してくれていたみたいなんですが、ここまで来たら最新話を読み続けてくれている人が300人ぐらいに増えているのが目に見えて実感出来ました。
普通は最新話につれて、読者数が右肩下がりになっていくんですけど、時々一つのお話がドーンとアクセスされてるんは何なんでしょうね? その話だけ面白いのでしょうかね?

後はアレです。有り難い事にお気に入りは徐々に増えていったんですけど、評価がちっとも入らなくて地味に凹んでました!
評価の方もよろしく入れて下さい!!(乞食)

さて、お目汚しもこれぐらいにして今度の今度こそ終わりにしたいと思います。
幻想狂縁起自体のネタはあるんで、また暫くしたら上げるかもしれません。
では! これまで読んで下さって、本当の本当にありがとうございました!!


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