幻想狂縁起~紅~ 《完結》+α   作:触手の朔良

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ちょびっとグロい表現があるかもです。



幕間二

「ふぅ……」

 後ろ手に扉を、鍵を閉めた事を確認する。念には念を、である。

 この部屋の存在を知る者は、咲夜以外いない。この部屋に辿り着く者は、咲夜以外いない。

 何せこの部屋は、彼女がわざわざ空間を拡張しあしらえた秘密の場所なのだから。

「全く、誰が告げ口なんてしたのかしら。困ったもの、ねぇ?」

 そして部屋の中にいた人物へと声を掛ける。

 返事はない。いや、出来るはずがない。

 椅子に縛り付けられ目隠しまでされ、轡を噛まされたメイド妖精が如何にして言葉を発せようか。

 語りかけてくる咲夜の口調は聞いたこともないくらいに優しい。

 それ故に、自分が置かれている異常な状況下と相まってメイド妖精は震え上がった。

「は――はふへへっ!」

 一体何故? どうして自分が? なんて疑問はすっ飛ばして、ただただ救いを懇願する。

 ――助けて、と。

 妖精の瞳を覆う布は二箇所、じんわりと湿っていた。どころか足元にも水溜りが出来ている。

 カタカタと身体の震えに合わせて、椅子はギィと軋みを上げ、無機質な音が一層恐怖を助長させた。

 両の肩に手が置かれ、ふわりと妖精の鼻を甘い香りが(くすぐ)った

「ん? どうしたの?」

 その声の発せられた場所が余りにも近い、近すぎる。おそらく咲夜は、背後から目一杯耳元へと顔を寄せて、言葉を発しているに違いない。だって声が発せられる度、生暖かい呼気が耳に吹き掛かるのだから。

 尚も咲夜の口調は優しい。こんな風にした癖に、まるで相手を落ち着かせるかのように。

 視覚を封じられたせいか、やけに他の感覚が鋭い。即ち、聴覚と嗅覚と。

「んん!? んぶううぅぅぅ~~~っっ!?」

 触覚――とどのつまり、痛覚であった。

 メイド妖精の太ももを、前触れなく激痛が奔った。どれだけの傷を負わされたのか確認出来ない事実が、恐怖と痛みを益々大きなものにしていた。

 こんなものは、見ない方がいい。

 何せ咲夜は、メイド妖精の足の皮を、一枚一枚丁寧に、削ぎ落としているのだから。

 まるでジャガイモ相手にするかの様に淡々と、メイド長は己の技量を存分に奮っていた。

 所々、皮が剥がされたメイド妖精の脚は実に無残な姿を晒していいる。だが、そのどれもが致命傷には達せず、延々とジクジクした痛みの信号を伝えるのみであった。

「んぶうぅ!? ぶぶううぅぅぅっっ!!」

 その痛みから逃れようと、必死に身体を(よじ)る。それが例え僅かな――無意味な――抵抗であったとしても、妖精はガタガタと椅子を揺すった。

 さて。人が大怪我を負った時、多くの人間が泣き、叫ぶのには実は意味がある。

 それは脳に、痛みよりも強い電気信号を送り、少しでも痛みを和らげようと働く為だ。ヒトの身体とは、何ともよく出来ているものだなぁ。

 この場合、その甲斐もあって、と云うべきなのだろうか。

 拘束されたままのメイド妖精が大きく暴れた為、椅子が傾く。

 ぐらりと、メイド妖精の三半規管が傾きを感知する。

 その後に続く、ゴンという衝撃に備えるが、何時まで経ってもソレは襲って来なかった。

「?!?!」

 痛みの支配する脳に、更に混乱の渦が巻き荒れた。

 ふぅと、耳に息を吹き掛けられる。

「あら――。駄目じゃない。そんなに暴れちゃ、はしたないわよ?」

 優しい優しい、相手の恐怖を煽る為だけの、優しさを秘めた声が掛けられる。

 余りの恐ろしさにメイド妖精は飛び跳ねた。その拍子に再び椅子が倒れようとする。その、悠に四十五度を割る角度。重力がひっくり返りでもしない限りは、どうあがいたって、後は倒れるのを待つだけだ。

 なのに――。

「もう。大人しくしてなさいな」

 なのに、なのになのに!? ……何時まで経っても衝撃は襲ってこない。

 痛みの中、メイド妖精は察した。倒れようとする度、わざわざメイド長が時を止めて、椅子を直しているのだ。

 何故そんな真似を、なんて考える気力すら湧かない。

 ほんの少し許された自由――抵抗すらも奪われ、メイド妖精の心は容易く折れた。

 絶望とは何か? その定義を端的に現した実験がある。

 一匹の鼠を水槽へ落とすという実験だった。

 勿論鼠は水槽を出ようと試みる。必死で藻掻き、ようやっと水槽を出た所を捕まえて、もう一度水槽へ落とす。

 逃げる。落とす。逃げる。落とす――。

 延々ソレを繰り返すと、何時しか鼠は脱出を諦め、溺死するのだ。

 体力が尽きた? いや、生きる事自体を諦めたのだ。

 鼠の様に執着の強い生き物でさえ死のうと思うソレは――正式には学習性無力感と云う――、絶望と呼ぶに足ると言えよう。

 咲夜の行為は正しくソレだった。

 丹念に丁寧に、メイド妖精の心に絶望を刷り込む。

 何せ妖精は単純に命を奪っても、一回休みになるだけ。

 だから、魂にまで恐怖を刻み付けてやらねばならない。二度と、彼に近寄るなんて愚行を犯さないように。

 既にメイド妖精も諦めの境地に達したか、与えられる痛みを甘受されるがままになっていた。

 それを確認し、咲夜は再び耳元へ口を寄せた。

「――どうしてこんな目に合ってるのかしら?」

 痛みにすら反応しなくなった妖精の身体が、ピクリと跳ねた。

 咲夜はまるで赤子をあやすように優しく優ぁしく、ゆっくりゆっくりと、言葉を紡いでゆく。

「それはね、貴方が約束を破ったからよ?」

 ――ヤクソク。

 何の事だろう? 朦朧とする頭では思考すらままならず、咲夜の言葉のみがするりと、妖精の脳に染み込んでゆく。

「権兵衛に近づいてはいけない。権兵衛には話し掛けてはいけない」

 近づいてはいけない話しかけてはいけない。

 念仏の様にひたすら繰り返し、妖精の魂、その奥の奥にまで刻み込むように繰り出す。死しても、尚忘れぬように。

 ごんべえ。

 轡に塞がれた唇がもがもがと、彼の名前を紡いだのを確認し、咲夜は笑顔を見せた。

「解放されたい?」

 力なく、メイド妖精は首肯した。

「約束は守れる?」

 コクリと、メイド妖精は機械の様に首肯した。

「そう。いい子ね」

 咲夜はゆっくりと、妖精の心臓にナイフを突き立てた。

 その、己の肉を掻き分けながら体内へ深く、深く喰い込む冷たい金属を、妖精は歓喜しながら迎え入れた。

 ――あぁ、やっと終われる。

 その逝き顔は喜々としており、暫くすると彼女の身体は光の泡となって消えた。

 その最期を看取り、咲夜も深く息を吐いた。

 ――全く。殺しても殺しても生き返るなんて、まるで雑草みたいだと。

 しかし、こうでもしなければ権兵衛に付く害虫を退治出来ないのだ。

 彼との大切な時間を守る為にも、今日も咲夜はせっせと害虫を駆除しに奔走するのだった。


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