幻想狂縁起~紅~ 《完結》+α   作:触手の朔良

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一章 ボーイミーツワールド
アフターファイブもままならぬ


 今日も一日お勤めご苦労様でした~、っと。

 沈むお天道様へと心の中で声を掛けるのは、実は毎日の習慣だったりする。門番という仕事柄のせいでしょうかね。日がな一日突っ立って、話し相手もいないもんだから、そういう癖がついてしまったのでしょうか。独り言が多くて、何だか一人暮らしの行き遅れたOLみたいですね、てへ。

 同じ姿勢を維持し続けたせいで、体が凝って仕方がありません。んっと伸びをすると、あちこちからボキボキと小気味良い音が聞こえ、身体が羽になったようです。

 お屋敷にそびえる大時計を見て、次に長針が十二の数字を指せばようやく今日のお勤めも終了なのですが。今は十一の間を行ったり来たり。……来たりはしませんね、うん。

 時間って気にしだすと長いんですよねぇ。大時計には秒針が無いから、正確な秒数は分かりませんし、あ、動いた。う~ん、後二分かぁ。ま、二分ぐらい誤差です誤差。

 と、言う訳で。少し早いですが門を閉めるとしますか!

 ……何か忘れてる気もしますが、気のせい気のせい。

 え、誰ですか? こんな事ばかり仕事が早いとか言う人は。失礼ですね。

 なーんて、誰もいないんですけどね、ふふっ。

 やっぱり独り言(?)が多くなってきたなぁ、やだなぁ、年かなぁ、なんて。不安を覚えながら門を閉める準備を始めたその時だった。美鈴の目が、遠くから飛来する物体を捉えた。

 豆粒よりも小さく、人の目ではとてもとても識別なんて出来やしないが、そこは腐っても妖怪。まして腐敗とは縁遠い健康優良児、紅美鈴である。正体を確認するなんてお茶の子さいさ、い……。

「っ!」

 それが何者かを理解した瞬間、彼女は折角閉めた門を大急ぎで開け放ち、真面目に見張っていました、と言わんばかり仁王の如く門の前で構えた。

 見られてしまっただろうか? いやいや、あちらさんの眼ではこちらが何をしていたかなんて分からない、はず……。

 固く一文字に結ばれた口の中では、緊張から絶え間なく唾液が分泌され、飲み込む度に嫌でも自分の耳へと届いた。視線の先、只の黒い点に過ぎなかったそれは、徐々に輪郭をくっきりとさせ、そして誰が見ても間違える程なく認識出来るようになった。

 ここは一つ、元気よく出迎えてあげましょう! 挨拶だって、立派な門番の仕事の一つです! 誤魔化しだなんて、やだなぁ人聞きの悪い。

 すぅと一つ、大きく息を吸い。

「おかえりなさいっ、咲夜さ―――」

「美鈴パス!」

「ぐえっ!」

 美鈴の喉から乙女にあるまじき、潰れたアヒルの如き声が絞り出された。

 やだなぁ、こんなの男性に聞かれたら大事ですよ、……って!

「この男の人誰ですかっ!」

「はぁ、はぁ……。やっ、ちょっとっ。待って、美鈴……!」

 と、言われましても。

 咄嗟に受け止めはしたものの、美鈴としては腕の中に放られた男に困惑するしかない。話を聞こうにも当の咲夜は、ぜぇぜぇと、息を整えるのに必死でとても説明が出来る状態ではない。結果美鈴は、彼女が落ち着くまで待つしか無かった。

 しかし、ただ待つのも芸が無いなので、折角だからこの身元不明者を観察でもして暇を潰そうと、腕の中に目をやる。

 真っ先に目についたのが、幻想郷ではまず見ない珍しい服装である。十中八九、外の世界の人間だろう。次に気になったのが、彼の状態である。うーん、ばっちぃ。出来るならば今すぐ投げ捨ててしまいたい衝動に駆られるも、そんな事をしでかしたらナイフの雨であろう。

 横で息を整える、少女の視線もあることだし、素直に待っているのが正解かな。

 まぁ、息も絶え絶えな男を放り投げたいと思いつつも堪えるぐらいには、美鈴は優しかった。

 それで、半死半生の見知らぬ男を咲夜さんが助けた? はは、そんな馬鹿なー。

「今とても失礼なことを考えなかったかしら」

「えぇー、そんなこと一ミリたりとも思ってませんよー」

「口は災いの元とは、言ったものね」

 え、どうしてナイフを取り出すんです? 変なことは言ってませんよ。……言ってませんよね?

 本当に理由が分からない様子で狼狽える門番に、咲夜の気が削がれる。ふっと彼女の雰囲気が和らぐ気配がした。

「ふぅ。まぁ、いいわ。それより彼を運んでくれないかしら」

「お安いご用ですよ!」

 深く言及されれば、またボロを出すかもしれない。話題の転換の為ならば、頼み事の一つや二つ、美鈴には大歓迎だった。

 実際彼女にとって人間の一人くらいなら造作もない、軽々と男を担ぎ上げる。

 重さを感じさせぬ様子で「よっ」と担ぎ上げる美鈴の姿に思う所あるのか、咲夜はジッと門番の顔を見詰めた。その視線がまるで自分を責めているようで、美鈴は居心地悪く感じ、無意識に男を担ぎ直した。その僅かな衝撃ではあったが、男は激しく咳き込んだ。

「……もう少し丁寧に扱って頂戴」

「はーい」

 何だったのだろう?

 脳裏に浮かんだ疑問も、二人並んで館へと、三歩踏み出した頃にはすっかりと消えてしまった。その前の疑問に上書きされたと言うべきか。

「それで、咲夜さん。この人、結局誰なんです?」

「帰りに拾ったのよ。はぁ、わざわざ買い出しにまで行ったのに。献立考え直さなきゃ」

 そう、冷静に応える少女の横顔に、美鈴はあぁ、やっぱり、と思った。

 明日にはお肉屋さんに並ぶ運命の豚さんを見る同情の目を、美鈴は男へと向けた。いや、明日ならば御の字だろう。早ければ今晩にでも、なのだから。

 考えて美鈴は、隣の少女へと目を落とす。

 そう、少女と呼ぶに相応しい年端もいかぬメイド。人間でありながら人間を屠殺する事に微塵の躊躇も無く、主人の命に従う事を至上の喜びとし、操り人形の如く日々を過ごす彼女が。

 ――少し不憫に思えた。

 尤も、当の本人は不満に思ってはいないのかもしれないが。

 主人や自分達を、決して裏切って欲しい訳ではない。

 ちょっとだけでもいい。歳相応に少女らしい喜びを見つけ出してくれれば、と願うのは美鈴の我儘なのだろうか。

 その事を咲夜に伝えたことはない。所詮言葉にしないならば、自己満足の域を出ないのだから。美鈴は口元に自嘲の笑みを浮かべたが、咲夜が気付くことはなかった。

 そんな事を考えていたら、もう館へと着いていたようだ。んまぁ、元から然程離れた距離でもないし、別段不思議でもない。

 咲夜は朱塗りの扉に手を掛けた。決して立て付けが悪い訳ではない。されどもその重厚さから、扉はギイィと低い音を立てて開いてゆく。

 既に日の落ちた野外とは対照的に、館の中は明るかった。悪魔の住まう館だというのに、何とも皮肉なことだ。

 紅魔館。名の通り外観ばかりか内装までも、赤で統一されていた。絨毯然り、窓掛け然り、飾り花然り。見渡す限りの真っ赤な内装は、一見気味悪く感じるも、慣れてしまえば暖色である赤色からは安心感を覚えることだろう。

 現に咲夜と美鈴は、――自身が気付かぬ程の些細なものだが――住人という一助もあるだろう。それを差し引いても先程と比べて、無意識ながら肩の力が抜けている部分があった。

 玄関ホールとは館の顔でもある。一際目を引く、天井から吊り下げられた豪奢なシャンデリアは、館の主人の懐を、二重の意味で現していた。

 幾つもの蝋燭が灯ったシャンデリアが、館の外と中の明暗を一層際立たせていた。

 ふぅ、と美鈴は肩の荷物を無意識に担ぎ直そうとしていた事に気付き、おっとっと、そぉっと優しく担ぎ直した。

 アフターファイブ、いえ私の場合はアフターシックスでしょうか。六時上がりの門番とは違い、館内は未だ妖精メイドが忙しなく働く姿が、若干ながら見えます。

 そうです、若干です。

 妖精は自然そのもの、無邪気の体現ですから何年生きようと、その精神は子供と変わりありません。仕事よりも遊びを優先する、仕様のない部分もあるのでしょう。咲夜さんとて理解はしています。

 が、理解と職務に忠実なのは別なのです。

 メイド長が出払っていた事実もあり、サボっている妖精メイドの数は普段の比ではありませんでした。

 早速手近な、お喋りに精を出しているグループを咎めに咲夜さんが動くと、一人がメイド長の存在にいち早く気付きました。その子が慌てて逃げ出すと、他の子らも直ぐに状況を察知し蜘蛛の子を散らして綺麗さっぱりその場から離脱して行ってしまいました。

 目標を失ってしまった咲夜さんは、というと。油の切れたブリキ人形のようにこちらへ、憤怒の目を向けてきました。えぇー、私は悪くないのに……。

 そんなの、咲夜さんだって十分承知です。それ以上の事はせず、プリプリと肩を怒らせながら隣に戻って来ました。

「本当にもうっ、あの子達ときたらっ! 今度美鈴からも言って頂戴な。私よりも仲が良いでしょう?」

 多分に「仲が良い」を強調されたら、私としましては、苦笑いを返すしか出来ませんよ咲夜さん……。

 彼女のナイフさながらにキレのある皮肉混じりのお小言を、何故か私が受ける羽目になりました。こういう時はささっと話を変えるに限りますね、うん。

「ところで、向かう先はキッチンでいいんですか?」

「……えぇ、そうよ。って、話はまだ済んでいないわ。大体ねぇ。あの子らが妙ちくりんなのは、美鈴にだって責任があるのよ?」

 話題逸らしは失敗に終わったようだ。というか、何だか雲行きが怪しくなってきたではないか。

 美鈴の額から、一条の汗が流れた。

「あなたは妖精たちを甘やかし過ぎなのよ。だからあの子たちも調子に乗るのよ。それに、あなたの勤務態度も問題だわ。妖精メイドは確かに、直接あなたの管轄ではないのかもしれないけど、あなただってそれなりの立場にあるんだから。そんな人物が適当な態度をしていたら下の子たちだって――」

 どうやら藪蛇を突いてしまったようだ。

 キッチンへの短い道中が矢鱈長く感じる。

 早く終わってくれないかなぁ、なんて美鈴が特技、右から左へ聞き流すを発動している時の事であった。

「あら、随分と楽しそうな会話じゃないか。私も混ぜてくれないかしら?」

「お嬢様……、起きていらしたのですか」

 背中に掛けられる声。振り返ったそこには、我らが紅魔館の主、レミリアが立っていた。

 唐突な主人の乱入に、咲夜は平然と返していたが、美鈴は驚きのあまり男を落としそうになってしまった。持ち前の反射神経で、どうにか落とすのを回避出来たが、それを見過ごすメイド長ではない。ギロリと睨みを利かせる咲夜に、美鈴は苦笑を返した。

 クックッと、二人の無言のやり取りを面白そうに眺めていたレミリアだったが、その一人の肩に、見慣れぬ物があれば、その事に触れるのは自然の道理であろう。

「で、この男は何? 今日は人間が配給されるなんて、狐から連絡は入っていないけど」

「ああ、コレはですね――」

 私に話したよりも、経緯を仔細に説明する咲夜さん。

 主人と同僚なら扱いに差があって当然でしょうけど、目の前でこうもまざまざとやられると、ねぇ? ちょっと寂しいと言いますか、切ないと言いますか。しくしく。

 と、勝手に落ち込んでは見ましたが、詳しい話を伺ってなかった私としてもこの情報は助かりますね。

「ふぅん、成る程ねぇ。見たところ年齢に文句は無いけど、男かぁ。生娘が一番いいんだよね、こう言うのは。まぁ拾い物だし? この際贅沢は――」

 ぶちぶち文句を垂らしながらレミリアは、意識の戻らぬ男の顔をぐるりと品定めて、固まる。

 ん、何でしょう? お嬢様の、あの顔は。

 驚愕? んー、ちょっと違いますね。

 ……あれは、狼狽、でしょうか。

 僅かな変化だった。刹那の変化だった。

 咲夜からは丁度美鈴が影になり、主人の変化には気付かなかったようだ。いや、見えたとしても気付いたかどうか。こればかりは、気の扱いに長けた美鈴でなければ気付けなかったかもしれない。

 それ程までに小さい変化だった。

 しかし何故、主人がそんな表情を見せたのか。その原因までは、持ちうる情報が乏し過ぎて到底推察出来そうにもない。

「咲夜」

「はい、お嬢様。男の肉は脂身が少なく硬いですから、一度ミンチにするつもりです。ええ、お嬢様の大好きなハンバーグにしようかと思っているのですが」

 さらりと、中々にエグいことを口にするメイド長には、少し引かざるを得ない。

 美鈴とて妖怪である。その手を、口を、血に染めた事など一度や二度では済まない。だけどどうして、人を殺める事は何時になっても抵抗がある。同じ姿形をしているからなのか、言葉を遣り取り出来るからなのか、彼女自身理由は分からないが、抵抗があった。

 しかし隣の少女は同族であるにも関わらず、平然と殺す。

 この問いを彼女に聞いたならば、何と答えるのだろう。なんとなくだが、自分が求める答えとは、全く掠りもしない返答をされる未来が目に浮かび、美鈴は言葉を飲み込んだ。

 何より主人の纏う空気が、そのような下らない――吸血鬼にとっては――質問をする事を許してはくれそうになかった。のだが、メイド長は空気も読まず、得意気に晩餐の内容を(そら)んじている。

 普段の仕事は完璧にこなす癖に、心の機微には、とんと疎い。

「お任せ下さい。腕によりを掛けて、いえ、普段から最高の料理を振舞おうと心掛けておりますが、今回はよりよりを掛けると言いましょうか」

「咲夜――」

 ぴしゃりと、力強いレミリアの言葉が、咲夜会心の瀟洒な駄洒落。略して瀟洒落(しょうしゃれ)を止めた。詰まらなさの余り、気を悪くしたのではない。

「この男を、客人として丁重に扱いなさい」

「え……?」

「二度同じ事を言うのは嫌いだよ。決して殺すなんて真似はしてくれるな。目を覚ましたら、私の前に連れてくるように。いいな?」

 情けない言葉を漏らしたのは、誰だったのだろう。

 レミリアは言いたい事を言うだけ言って、反論も質問も許さず小さな身体を翻してしまった。背の黒い翼が、心なしか御機嫌そうに揺れている。

「美鈴……。私の耳がおかしくなったのかしら」

「奇遇ですね。今度二人で医者に診て貰います?」

「冗談はよして」

 取り付く島もないとは正にこの事か。

「はぁ……。仕方ないわね。客室なんてあって無かったようなものだし、この際だから一番いい部屋を使って貰いましょう。美鈴」

「はい」

 切り替えの早さは流石である。

 足をキッチンから、住人達の居住区域たる館の奥へと変更する。

 咲夜の先導に倣い、合鴨が如く追従する美鈴とおまけ。

 目を惹かない訳がない。遠巻きに妖精メイド達が興味深げに観察してくるが、メイド長が恐ろしいのか近寄ってくる物好きはいなかった。少し離れて囁き声と沢山の視線、隣からは無言の圧力。針のむしろで板挟みとなった美鈴は、もう困るしかない。

 空気に耐え切れず美鈴は口を開いたが。しかし返事の内容には期待していなかった。

「それにしてもお嬢様、どう言うつもりなんでしょうね?」

「そんなの、お嬢様の御心のままに、よ」

 矢張り、である。美鈴はバレないように小さく嘆息した。

 ああ、我らがメイド長は今日も平常運転である。

 


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