――どうしてこうなった。
複数のクレーター、引き摺られたかのように抉れた地面、所々から上がっている黒煙、そして力尽きたように倒れている五人のドラゴン。
その内の一人に至っては思うところがあったのか、地面に『ルコ――』と書き残している。いわゆるダイイングメッセージだ。
隣では同居人のクラスメイトである一人の少女が腰を抜かしており、とんでもないものを見てしまったと言わんばかりに呆然としている。
目の前に広がる非日常的な惨状を見て、小林はそう思わずにいられなかった。
――時は今から一日前に遡る。
「コーヒー入りましたよー」
メイドになったトールの明るい声が室内に響き、来客の一人であるルコアと雑談をしていた小林が「ありがとう」とお礼を述べる。
向こうの世界では想像もしていなかった、大きな争いのない平和な日常。知り合いの一人に至っては学校とやらに通っていると聞いた。
うむ、悪くない。これはこれでアリだな。シュガールはそう思いながら――
「隙ありっ!」
「何!?」
――友人であるファフニールとテレビゲームをやっていた。
ジャンルは格闘アクションで、相手の体力をゼロにしたら勝ちというシンプルなもの。
ファフニールがやり込んでいたこともあり、初心者のシュガールは負け続けていたのだが、その連敗をようやくストップさせたのだ。
「これで……」
「十勝一敗だ」
勝った。やっと勝てた。
特に激しい運動をしていたわけでもないのに、気づけば肩で呼吸していた。
シュガールが乱れた息を整えたところで、ファフニールが十二回目の対戦を始めようと画面に表示されたメニューを淡々と選択していく。
「――ほら、あっちの二人も」
「ん?」
「ああっ!?」
小林の声に反応し、左の方へ視線だけを向けるファフニール。それと同時に、開始数秒でシュガールの操作するキャラをあっさりと倒した。
秒殺記録がまたしても更新され、画面を見ながら唖然とする。いくら何でも早すぎる。どれだけやり込んだらこうなるんだ。
「このゲームはもう飽きた。他のものをやらせてもらうぞ」
「次は協力するやつにしようぜ……」
負け続きでへこむシュガールを見て、ルコアと小林は思わず苦笑いしてしまう。まあ初心者だし、相手が経験者ならこんなものだろう。
「二人ともトールの様子を見に来たんでしょ?」
「…………」
「まあ、俺はそのつもりでしたね。今日は休みだから仕事をサボらずに済んだし」
沈黙するファフニールを一瞥し、自分は答えておこうと口を開くシュガール。
彼が素直じゃないのはいつものことだ。コミュニケーション能力が低いとでも言うべきか。
……尤も、今回はトールの様子を見に来ただけじゃなさそうだが。
「どんだけ仕事サボってるんですか……」
「失敬な。仕事よりも大事な予定が舞い込んでくるからそっちを優先しているだけで、理由もなくサボったりはしませんよ」
自分はただのサボり魔じゃない。予定がなければきちんと与えられた役割を果たしている。毎回予定の入るタイミングが悪いだけなんだ。
「サボってまでペルーダと殺し合う必要はなかったと思うけど?」
ルコアのさりげない一言にピクッと反応し、口元を引きつらせるシュガール。
小林はペルーダという聞き覚えのない名前に首を傾げるも、直後に出た殺し合うという言葉にはギョッとせざるを得なかった。
「殺し合いって……何やらかしたんですか?」
「俺は何もしてません。サバトに向かう途中ですれ違った際、アイツの方からガン飛ばしてきたんですよ」
どうしてそれだけで殺し合いに発展するんだ。
小林はシュガールに対する認識を改めることにした。もちろん悪い意味で。
ちなみにシュガールは最近知ったのだが、ペルーダは後に勇敢な人間の手によって倒されたらしい。弱点の尻尾から真っ二つにされて。
「ただいまー」
ガチャリと扉を開け、帰宅したのは幼女ならぬ幼竜ことカンナカムイ。その後ろではクラスメイトであろう少女がメソメソと泣いている。
一体何があったのか。そんなシュガールの気持ちを代弁するように小林が聞くと、カンナは目付きを少し鋭くして一言。
「決闘!」
「えっ!?」
「加勢しますよ!」
「……殺す」
決闘。その一言を聞いた瞬間、周囲の空気が一気に変わった。
殺気を放つ者、怒りで本性を剥き出しにする者、静かに傍観する者、単純に驚く者。シュガールは感情豊かに反応する彼らを見て思う。ここで反応しない俺はおかしいのかと。
そんな中、殺気立つドラゴンにビビった小林はカンナに説明を求めた。
「決闘って一体何があったのさ」
「ん。今日の帰り道――」
同族故かドラゴン達の殺気にこれっぽっちもビビることなく、カンナは事の経緯を話していく。
今から少し前。放課後になったのでクラスメイトの少女――才川リコと一緒に下校していたカンナは、彼女の提案で公園へ行くことになった。
穴場らしいそこで空飛ぶやつこと投石機みたいな遊具に興味を示していたところ、突如リコ目掛けてボールが飛んできたという。カンナが先回りして受け止めたので直撃は回避できたが。
ボールを投げたのは自分達より背が高い男子で、仲間と共に近場であるその公園でドッジボールをやっていたとのこと。
カンナが言うにはまだ話し合いのできる状況だったらしいが、何を思ったのかリコが彼らを必要以上に煽り出したのだ。
これにより男子達の怒りを買った挙げ句、ドッジボールで勝負することになってしまった。しかも提案したのは他ならぬリコ自身。
「――で、今に至ると」
「売り言葉に買い言葉だね……」
まさに自業自得である。さすがのシュガールでもこればかりは見捨てるか、悪いのはお前だと厳しく当たっていたに違いない。
しかし、小林は呆れることなくいつもの調子で問いかける。
「人数は揃ったの?」
そんな彼女の質問に、カンナは未だに泣いているリコをチラリと見て口を開く。
「ダメだった。才川人望ない」
「悪かったわね!」
清々しいほどのダメ出しを食らい、嘆くように大きな声を出すリコ。どうやら彼女の反応を見る限り、多少の自覚はあったようだ。
ていうかこれ、本気のカンナ一人でどうにかなるだろ。まだ幼いとはいえ彼女もドラゴン。人間相手に遅れは取らないはず。
小林がまだ交渉はできると呟いた途端、トールがそれだけはあり得ないと叫び出した。
「我ら高潔で誇り高きドラゴンが舐められたわけですよ!? 断固戦うべきです小林さん!」
高潔で誇り高い、か……。
シュガールは知り合いのドラゴン達を、死んだ者も含めて思い出していた。
黄身のない卵で殴り殺された者、無駄に口の大きい者、足を蹴り上げるラバみたいな名前の者、水の妖精と同居している者。
……偏見かもしれないが、俺の知り合いにはトールがイメージする誇り高きドラゴンはあまりいない気がする。比較的大人しい連中ばかりだ。
「ドッジボールのルールわかってる?」
「もちろん! 一度見てますから!」
当然だろうと言わんばかりに両手を広げ、怒りながらも自信満々の表情で答えるトール。そんな彼女に感化されたのか定かではないが、沈黙を貫いていたファフニールとシュガールも続く。
「俺も知っている。爆心ドッジボールをやり込んだ」
「そういうゲームじゃないから……ッ」
「ドッジボールなら俺も知っていますよ。確か鉢巻を巻いている奴にボールを当てたら勝ちなんですよね?」
「うーん……間違ってはないけど微妙に違う」
おいコラどっちだよ。思わずそうツッコみ掛けたシュガールだが、今はそんなことをしている場合じゃないと思い止まった。
やる気満々のトールの掛け声にカンナとようやく泣き止んだリコが続き、ファフニールも黙ってはいるがどこか乗り気になっている。
そしてニコニコ笑顔で傍観していたルコアが、締めるように一言だけ呟いた。
「大丈夫。どうにかなるって」
「なんだチビ、仲間呼んだのか! 容赦しねぇからな!」
翌日。例の公園にて、ドラゴン組はリコに煽られて勝負に乗った五人の男子と対峙していた。
すでに勝った気でいるのか、ガキ大将っぽい少年が汚い声で笑っているのに対し、凄まじい眼力で彼らを睨みつけるドラゴン組。
そしてドッジボールが始まり、ガキ大将が投げたボールをトールが簡単にキャッチ。小林が彼女に『殺すな』と忠告したところから――
――蹂躙は始まった。
人間とドラゴン。結果はすでに見えていた。
ドラゴン組の誰かが一人仕留める度に跳ね返ってくるボールを、別の誰かがキャッチして違う相手に投げつけ、跳ね返ってきたボールをまた別の誰かがキャッチして投げつける。
相手はただの的。的がボールを持つことはない。また、避けようにも彼らの投げるボールが速すぎて避けることもできない。
実力差というか、種族差というか。要するにモノが違いすぎたのだ。
始まってから五分も経たないうちに男子グループはコテンパンにされ、
「ずるいぞバーカ! 覚えてやがれ!」
などと吐き捨て、ボロボロになった身体を支え合いながらそそくさと逃げていった。
リコがトール達に感激し、カンナがさらっと毒舌的な発言をする中、当のドラゴン達は物足りないと一人ずつ不満を述べていく。
「はぁ~、不完全燃焼ですね」
「奇遇だな、俺もだ」
「僕も~」
「俺も。これはちょっとな……」
スペック差が圧倒的なので当然と言えば当然だが、あまりにも手応えがなかったのだ。
するとトールが何かを思い出したかのように「そういえば……」と呟いてシュガール達の方へ振り向き、好戦的な表情で口を開く。
「私はまだ、あなた方に勝ったことないんですよね~」
「今日越えるか?」
「やってみろ~」
「悪くない提案だ」
トールの案を受けてファフニールはおろか、あの温厚なルコアすら好戦的になっているのを見てシュガールは意外だと思った。
自分も売られた喧嘩は買う方だが、以前のルコアならまだしも、今の彼女がそういうことに便乗する姿は想像できなかったのだ。
相手が同族のドラゴンなら少しは楽しめるかもしれない。そう思いながらトール以上に好戦的な笑みを浮かべ、指を鳴らすシュガール。
小林が「これまずくない?」と呟き、彼女の隣で子供らしく乗り気になるカンナ。
――ここから公園は戦場と化した。
トールが本気で投げたボールをファフニールが片手で受け止め、ボールに紫色の魔力を纏い下手気味のフォームで投げ返す。
割れないよう魔力で作った膜に覆われたボールが一球投げられる度に地面が抉れ、尋常でない量の砂埃が舞い上がっていく。
もちろんそんな状況で自分にだけボールが飛んでこない、なんてことはなかった。
「おっと」
自陣を超えないギリギリの距離から投げられたボールを指先一つで食い止めると、ジャンプしながら魔力で作った風をボールに纏い、脳天目掛けて投げつける。
顔面や頭部を故意に攻撃するのは基本的にファール――禁止事項だが、ドッジボールに詳しくないシュガールがそれを知るよしもない。
トールは凄まじい速度で迫るその球を両手で受け止めるも、舞い上がった砂埃がシュガールの風に乗ったことで広がっていく。
「うわっ!?」
当然小林とリコに軽い砂嵐が迫るも、前に出たトールが振り払ったことで事なきを得た。
「シュガールさんやりすぎです! あと少しで小林さんが巻き込まれるところでしたよ!?」
「チッ……じゃあ次は電気にしてやるよ」
スイッチでも入っているのか、反省の色も見せずに舌打ちするシュガール。
それが原因だったのか、右手に電気を纏う彼に元神の裁きが下った。
「いっくよ~」
カンナが投げたボールを軽々と受け止め、その痴女アジテーターな見た目からは想像もできないスピードで投げ返すルコア。
彼女の剛腕から投げられたボールは唸りを上げながら加速していき、
「ごぶぅ!?」
たまたま近くにいたシュガールを巻き込んでトールに直撃した。
彼女はぶつけられたボールを抱え込んでギリギリ凌いだものの、身構えてすらいなかったシュガールは俯せに倒れ込んだ。
おかしい。俺はルコアさんの味方だったはず。まあ投球した本人の慌てる様子を見る限り、少なくとも故意ではない。単なる事故だろう。
それでも納得のいかないシュガールは最後の力を振り絞り、犯人の名前を書く途中で――
「――おふっ」
力尽きたのだった。地面に『ルコ――』というダイイングメッセージを書き残して。ただしドッジボールのルール的にはセーフだったので、カンナの手によって優しく引導を渡された。
その後も当てられたドラゴンから次々と倒れていき、超次元的なドッジボールが終わった頃には公園が壊滅状態に陥っていた。
――という感じで今に至る。
「…………」
隣で腰を抜かすリコほどではないが、呆然とする小林。そんな彼女の心情を察したのか、一人のドラゴンが名乗りを上げた。
「ああ、公園は僕が戻しておくね。目撃者の記憶も弄っとく」
(便利な人だなぁ……)
倒れたまま何でもありな発言をするルコアを見て、小林はそう思うしかなかった。
「……お前今なんつった?」
「二度も言わせるな。俺は向こうの世界に住むことにした」
シュガールは目の前にいる友人のとんでもない発言に驚くしかなかった。
今日も暇潰しに彼が住んでいる洞窟を訪れたのだが、そこにいるであろうドラゴンの姿はなく、一人の人間が出掛ける準備をしていた。
その人間――ファフニールにどこへ行くんだと聞いてみたところ、向こうの世界に住むというとても信じがたい答えが返ってきたのだ。
「俺ならまだしも、お前じゃ絶対に無理だぞ」
人嫌いなうえに人見知り、さらにトールから聞いた話だとアドバイスには『殺せ』『呪え』しか言わなかったという。呪いの竜だけに。
「トールにできたのなら俺にもできる」
「……あ、それもそうだな」
ファフニールの言い分に少し考え込むも、確かにと納得してしまうシュガール。
彼の言う通りあの人間嫌いで凶暴なトールは今、その人間と共に暮らしている。それならコイツにも同じことができる可能性はあるだろう。
『調和勢』のドラゴンに目をつけられる可能性もあるが、その点に関しては自己責任だ。
「俺も近いうちに行くかもしれんが、トールによろしく伝えといてくれ」
「……フン」
いっそのこと、自分も彼やトールのように向こうの世界に住んでみようか。
洞窟を後にするファフニールの背中を見て、シュガールはちょっとした哀愁を感じていた。
元ネタの方はごくわずかしか伝説が残っていないらしいのでわかりませんが、この作品のシュガールはかなり強いです。