やはり俺の十七歳の地図はまちがっている。   作:エコー

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8 過去と現在 (OH MY LITTLEGIRL)

 

 金曜日の放課後。

 本来待ち遠しい筈の言葉なのだが、今日ばかりは違った。

 何が悲しくてリア充の王たる葉山なんかと仲良く遊びに赴かなければならないのか。しかも折本かおりも来るというし。

 

 さながらぼっちイジメの様なこの催し、当初は土曜か日曜にする予定だったらしいのだが、休日だと俺は参加しない可能性が高いからと放課後にそのまま連行出来る金曜、つまり今日となったらしい。

 この素晴らしくも恐ろしい先読みをしたのは雪ノ下の姉、陽乃さんだ。あの人、どんだけ俺のこと好きなんだよ。うっかり八幡検定準一級を授与したくなる。

 もちろん一級は小町と戸塚しかいないのだが。

 

 逃亡を諦めて、今日は用事があるから部活を休むと由比ヶ浜に伝えた時、俺の後ろに葉山がいたものだから三浦に睨まれた。その後はお約束の海老名さんの赤い水芸が始まって有耶無耶になっていたけれど。

 

 葉山と並び立つ待ち合わせの場所は海浜幕張の駅前。此処に着いて既に二十分が経過した。

 つーか何故立って待つ必要があるのか。そこにベンチあるじゃん。座って待とうぜ。それか帰ろう。

 愚痴っても仕方がないので文庫本を開いて視界から葉山をカットし、周囲を探る器官は耳だけに絞る。

 あーあ、「歌うたいの少女」でも現れないかな。あの下手くそな歌を聴きたい。この荒んだ心を濁流で洗い流して欲しい。

 

「あ、来たみたいだ」

 

 もしかしたら「歌うたいの少女」が現れるかもという淡い期待は脆く崩れ去り、正面からは予定通り、正確には二十分遅れだが──折本かおりとその友人がやってくる。

 

「葉山、やっぱり帰っていいか」

「ダメだよ。俺が陽乃さんに怒られる」

「俺も怒られるぞ。それで対等だろ。だから帰……」

「こんにちは、葉山くん。待ったかな」

「いや、俺たちもさっき来たところさ」

 

 ──おい。二十分。

 ま、いいか。こいつらの目的は葉山だろうし。こうして葉山が葉山らしく振舞うことが大事なのだ。

 となれば俺は出来る限り存在感を消しつつ、隙あらば逃げ出してやる。

 脳内で自分への決意表明を高らかに叫んでいると、折本がこちらを窺っていた。

 

「ひ、比企谷……その、よ、よろしく」

 

 何だその態度は。折本らしくない。

 お前はもっと明るくてガサツで無遠慮だろ。そんなお前に(かつ)ての俺は憧れたんだぞ。

 

「──行くぞ葉山。とっとと終わらせて帰ろうぜ」

 

 といっても俺は最後尾だけど。

 

 

 映画を見た。

 

「やっぱり葉山くんカッコいいね〜」

 

 買い物に行った。

 

「やっぱり葉山くんカッコいいね〜」

 

 喫茶店に入った。

 

「やっぱり葉山くんカッコいいね〜」

 

 で、今は葉山セレクトの喫茶店でお茶をしばいている。って、俺が来た意味無いよね。

 しかし、引き立て役以外に存在意義を持たない俺は未だに帰らずにいる。

 原因は、折本かおりだ。

 

「でもさー、あの駅前で歌ってる子、何であんな下手くそなのに人前で歌ってるのかな。ね、かおり」

「そ、そうだよねー、ウケるよね」

 

 今日の折本かおりは何処かおかしい。

 いや、別に普段の折本を知っている訳ではないのだが、俺の抱く折本かおりの印象と余りにもかけ離れている。

 友人と葉山との三人で盛り上がっていたかと思えば、俺を見て寂しそうな顔をする。

 端的に言えば、あまり楽しくなさそうなのである。

 

「でもさすがは葉山くんだよね〜、そこの比企谷くんとは大違い」

 

 はは、ついに引き立て役の出番ですか。

 

「……そういうの、嫌いだな」

「えっ」

 

 思わぬ葉山の発言に振り向くと、そこにいつもの爽やかでムカつく笑顔は無かった。

 

「彼と俺、何がどう違うと言うんだ」

 

 そりゃまあ、姿形とか性格とか友達の数とか文系以外の成績とか……自分で枚挙していて悲しくなってきた。

 

「だって、ねえ……見れば分かるし」

「へえ、君は見ただけで他人の全てを分かるんだね」

 

 責める様な棘のある物言い。普段の葉山からは想像もつかない低い声。

 すべてがこいつには似つかわしくない。

 やめろ、お前は「みんなの葉山」を演じ切れ。

 

 自動ドアが開いた。

 現れたのは……由比ヶ浜と雪ノ下。

 

「葉山くん、と……ヒッキー?」

「比企谷くん、何故ここにいるのかしら」

 

 葉山を睨む。

 

「俺が呼んだんだ」

 

 やめてくださいお願いします。こいつらに部活サボったのがバレちゃったじゃんか。

 しかも目の前には他校の女子である折本と仲町さん。

 これって言い訳……出来るかな。

 

「ま、比企谷くんをいたぶ……詰問するのは後回しにして──」

「そうだね、後でたっぷり訊かせてもらうからね、ヒッキー」

 

 言い訳も言い逃れも無理そうだな、うん。

 

「──おい葉山」

 

 とにかく葉山の腹積りを早急に知る必要があると断じた俺を制止するのは、当の本人である葉山隼人だ。

 葉山は、俺の目の前に手の甲をかざして黙らせる。いや意外と綺麗な手だ。

 そうじゃない。理由を教えろ。

 

「君は少しだけ黙っててくれ。仲町さん、聞いて欲しい。結衣も、雪ノ下さんもだ」

「聞かせてもらうわ」

「うん、あたしも」

 

 その場にいる俺以外の確認を取った葉山は、静かに言葉を紡ぐ。

 

「俺は、この前の修学旅行の時に比企谷に助けられた。俺の、俺たちの身勝手な頼みに、比企谷は自分を犠牲にしてまで応えてくれた。彼はそんな奴なんだ」

「おいっ」

「まだ俺の話は終わっていない」

「……ちっ」

 

 舌打ちが精一杯だった。

 俺に向けられた葉山の表情は、文化祭の閉会式の直前に屋上で見たものと同種の迫力があり、俺はそれに気圧された。元よりぼっちの俺が葉山の威圧に勝てる理由は無いのだが。

 

「……折本さん、君は彼をどう思う。彼の同級生だったんだろ」

 

 矛先は正面に座る折本に向いた。

 ──やめろ。そいつは関係無い。

 

  「あ、あたしは……」

 

 責める様な葉山の口調に反射的に応じた折本は、途中で口を噤んで下を向く。

 これは駄目だ。葉山は自分を悪者に仕立て上げて何かを成そうとしている。それは俺の専売特許だ。フィニッシュホールドだ。なんなら俺がフィニッシュしちまう程だ。

 そんな捨て身のやり方は、リア充のお前には必要の無い手段なんだよ。

 目の前にある手を払い除け、そのまま葉山の襟首を掴む。

 悪者は、俺でいい。

 

「ふざけるなよ葉山。誰がお前の頼みを聞いたって? 俺は俺が思うように勝手に行動したまでだ。その結果、お前たちがどうなろうと知ったこっちゃない」

 

 あくまで卑屈に。嫌味ったらしく、俺らしく。

 そのつもりで発した言葉の筈。が、少し効果が大き過ぎたようだ。

 向かいの折本と仲町さんは顔を強張(こわば)らせていた。

 

 まずい。場を白けさせちまった。少し強く出過ぎたか。言葉が過ぎたか。

 数秒の沈黙の後、葉山が笑い出した。

 どうした、ついに狂ったか。ついにって言っちゃったよ。

 背後からも溜息と笑い声が聞こえる。雪ノ下と由比ヶ浜のものだ。

 

「な、これが比企谷のやり方なんだよ」

「まったく、どうしようもないわね」

「あのねヒッキー、あたし達ね、もう知ってるんだよ、全部ね」

 

 背後に遣っていた意識を真横の優男に向ける。やっぱりお前か、葉山。

 あの昼休みに海老名さんや三浦が俺を訪ねたのもお前の仕業か。

 余計なことをしやがって。俺の策が水の泡じゃねえかよ。

 

「はは、やっぱり比企谷は面白いな。想像通りの台詞を言ってくれた」

 

 怒りを通り越して呆れた俺に向けられる、何とも柔らかい葉山の笑顔。それにうっかり毒気を抜かれた。

 

「あ? 何だよそれ。俺で遊ぶな、クソリア充め」

「悪いな」

「お前の性格がな」

「それはお互い様、だろ」

「うるせぇよ」

 

 悔し紛れな会話を断ち切る為に露骨に溜息を吐いて、気づく。

 四人掛けのテーブルの向かい側、呆然とする二人の女子。いや、折本は笑いを堪えていた。

 

「──ぷっ、おかしい。ウケるっ」

「ちょ、かおりっ。何笑ってんの。そんな状況じゃないでしょ」

 

 お友達の仲町さんが肩を揺するが、折本の笑いは止まらない。

 箸が転がっても可笑しい年頃、という奴か。違いますね。

 

「ああ、ゴメンゴメン。だってさ、中学の時はほとんど誰も相手にされなかった比企谷がさ、今じゃこんなイケメンや美少女たちに囲まれてるし、しかもみんなで比企谷をフォローしてるし。超ウケる」

 

 いやウケねえよ。

 雪ノ下は背中越しでも解るくらいに冷気を放出してるし、葉山は何故か微笑みを向けて何かを促してくるし。

 仕方が無い。よく見てろ貴様ら。俺が他人のフォローに回ることなんて滅多に無いんだからねっ。

 

「相手にしてくれたじゃねぇかよ、お前は。ちょっとだけだったけど」

「あー、確かにね。ほんのちょっとだけ」

 

 本気で笑っていたのか、目尻に涙を溜めた折本はそれを薬指の先で拭う。

 

「それは、比企谷が折本さんに告白した話かな? その話も詳しく聞かせて欲しいね」

 

 だから葉山、お前は黙ってろ。今は俺のターンなんだよ。あと理由もなく唸ったり怒気を発したりするのをやめてくれませんか、背後に立つ奉仕部の二人さん。

 ついでに目の前で哀しそうに目を伏せるのもやめて頂きたい、折本さん。哀しいのは俺の方だから。

 

 背後の気配を探り、横の葉山と前方の折本へ目を泳がせる。が、誰も何も発しない。

 これって俺に喋れという意味、か。

 

「──大したことじゃねえよ。昔俺がこいつに振られたってだけだ」

「それは陽乃さんから聞いてる」

「じゃ聞くな馬鹿」

 

 端的な説明に返される心無い葉山の爽やかスマイルに、心中で恨み節を吟じながら軽い文句だけ投げておく。

 と、先程まで笑っていた折本は目を丸くして俺を見ていた。

 

「あ、あれ? 比企谷って、こんないじられキャラだったんだ」

「知らん。それよりも、ほれ、お友達が居た堪れない顔をしてるが……いいのかよ」

「あ……」

 

 憧れの葉山隼人の、あまりにもそれらしくない振る舞いを見た仲町さんは、口を開けて放心していた。

 それに気づいた折本は仲町さんの肩をタップして現実に引き戻す。

 

「千佳、今日のところは尻尾を巻いて逃げよ」

「え、あ……うん」

 

 状況が上手く把握出来ないのか覚束ない仕草で荷物をまとめた仲町さんは、折本に促されて席を立つ。

 別れの挨拶もそこそこに去ろうとする仲町さんの足を止めたのは、またしても葉山隼人だ。

 

「仲町さん」

「……え?」

「最近さ、友人に教えてもらった言葉があるんだ」

「な、なに……?」

 

 ぎこちなく振り返る仲町さんに向けているのは、いつもの葉山の笑顔だ。

 

(ひね)デレっていう言葉さ。比企谷にぴったりだと思わないか?」

「お前、いつの間に小町と……ぶっ殺す」

「ち、違うよ。結衣から聞いたんだ」

 

 良かった。もしも葉山が小町の連絡先を知っていたら、国内の全通信網を破壊するテロ行為をしなければならないところだった。

 

「うわぁ出た、シスコンだよ」

「はあ、家族愛も度が過ぎると気持ち悪いのよね」

「お前ん家だって同じようなもんだろ。何とかしろよ、お前の姉ちゃん」

 

 振り返って強めに意趣返しをしてやると、雪ノ下は溜息混じりで胸を張る。なにそれ。

 

「あれは無理ね。か弱い私では制御しきれないわ」

「お前がか弱いと言ってまかり通るなら、世の中戦闘力5のゴミだらけだ」

 

 雪ノ下には理解出来ないであろう喩えで揶揄して、深い溜息を吐く。この数日で俺は何回溜息を吐いたんだろう。

 逃す幸せなど持ち合わせていないのが不幸中の幸いだ。

 

 おっと。折本たちを放置していた、あれ?

 

「──折本さんと仲町さんなら、もう帰ったよ」

 

 あ、ああそう。ま、いいけど。

 

「なーんか名残り惜しそうな顔してるし」

「そうね、特にウェーブの髪の子には一方(ひとかた)ならぬ関係のご様子だし」

 

 名残り惜しそうになんかしていない筈だ。なんなら一回も名残(なご)ったことなんか無い。名残ったって何だよ。

 あと雪ノ下。「ひとかたならぬ」は古語に近い文語体だから。会話に取り入れている人を初めて見たわ。

 

「それよりお前ら、計画は上手く進んでるのかよ」

 

 空気を変える為、無人となった向かい側の席に雪ノ下と由比ヶ浜を促して進捗状況を尋ねる。

 

「ええ順調よ、と言いたいところだけど……芳しくは無いわ」

「いろはちゃん、あんなに頑固だったんだね……」

 

 やっぱり駄目か。

 ならば当初の計画通り、リア充の王たる葉山先生にご登壇願うしかあるまい。

 

「葉山、頼めるか」

「もちろんだ。君や奉仕部には償い、いや恩返しをしなければいけないからね」

 

 よし、これで一色は陥落、と。

 

「ただし、君も一緒に来るんだよ、ヒキタニくん」

 

 急に呼び方を戻すなよ。びっくりしてうっかり家に帰っちゃうぞ。

 

 その後、由比ヶ浜と雪ノ下に葉山を加えて対一色いろはの作戦を確認、解散となった。

 

 

 あとは寝るだけとなった午後十一時。

 眠気を誘う為にだらだらと時代小説を捲っていると、不意にスマホが音を立てて振動した。

 人間、未知の出来事には弱い。自分のスマホに着信が来るのを未知の出来事と言ってしまえる事に哀しみを覚えつつ、スマホを手に取る。

 

 メールだ。折本からの。

 

 恐る恐る文面を開く。

 そこには今日の謝罪が綴られていた。

 それはいい。俺にとって罵倒や悪口、恥をかくことなんざ日常茶飯事だ。

 気になるのは最後の一文。

 

「日曜の夜、七時に駅前に来て」

 

 どういう、意味なのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 


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