やはり俺の十七歳の地図はまちがっている。   作:エコー

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7 捻れの位置 (愛の消えた街)

 

 あれから風邪が悪化し、二日間学校を休んだ。

 当初はそれほど酷くは無いと思っていたのだが、保健室に雪ノ下と由比ヶ浜が襲来した時に挟んでいた体温計には三十九度と表示されていたらしい。

 らしいというのは、あの後俺は意識を失い、後で平塚先生が確認したのをメールで聞いたからだ。

 

 臥せっている間に由比ヶ浜から何通かのメールが届いていた。

 内容は、雪ノ下が「仮病なんて言ってしまって申し訳なかった」と言っていたとか、自分もついカッとなってしまったことの謝罪などが綴られていた。

 それらに返信はしていない。

 最初に仮病と言ったのは俺だし、どうせ熱に冒された頭ではロクな返信をしかねないと思った故である。つーか別に大して怒ってないし。

 小町経由で、見舞いに来たいという申し出もあったが、風邪が伝染(うつ)ると悪いからという理由で断ってもらった。

 念の為にと行った病院で鼻の奥を綿棒で蹂躙された結果、インフルエンザでは無かった。

 良かった。良きにつけ悪しきにつけ、こんな俺が流行を先取りなんかしたら世間様に申し訳が立たない。

 

 

 病み上がりの日の昼休み。

 俺の出席を確認していた平塚先生からメールが届く。

 要件は二つ。

 俺の健康状態の確認と、来れたら部活に出て欲しいというもの。何でも緊急の依頼があるらしく、体調が大丈夫ならば部活に出て欲しい、とのことだった。

 つーか口頭で伝えれば済んだんじゃないのかね。四時限目、国語だったでしょうに。

 

 粗方風邪は抜けた筈だがまだあまり食欲は無く、昼は消化の良さそうなパンをひとつ買って食べた。つーかメロンパンって消化良くないのかな。だってメロンだろ。お見舞いとかに持参する果物だろ。

 栄養が足りない気もするが、あとはマッ缶が補ってくれるだろう。

 マッ缶ことマックスコーヒーは千葉の最強エナジードリンクなのだ。

 

 

 さて、放課後である。

 正直奉仕部に顔を出すのは気は重い。それでも以前よりは幾分かマシか。

 この二日間で、だいぶ頭の中が落ち着いた。自分がやらかした事も冷静な状態で整理出来た。

 問題は、それをどう伝えるかだ。

 

 もの言いたげな由比ヶ浜の視線に耐えて教室を後にする。

 一人奉仕部へと向かう途中、臥せっていた二日の間に届いた由比ヶ浜からのメールの未読分を開く。そこには体調を心配する内容が半分、もう半分には様々なことが書かれていた。

 一年生が奉仕部へ相談に来たとか、雪ノ下も心配しているとか、そんな内容を読み進めるうちに特別棟、奉仕部の部室へと着いてしまう。珍しく扉は開いていた。

 中を窺うと、黙考していた雪ノ下が顔を上げた。

 

「……風邪は良くなったのかしら」

「ああ、元々仮病だからな」

「──そう、残念ね」

 

 たったそれだけのやり取り。

 久しぶりの皮肉混じりの会話は心地良く、少しだけ心が軽く感じる。雪ノ下も同様なのか、薄っすらと笑みを浮かべている。

 

「やっは……あっ」

 

 程なくして由比ヶ浜が部室のドアを開けて、いつもの挨拶をする。が、俺の顔を見た途端にその声は尻つぼみとなり、消えた。

 

「……ヒッキー、来て、くれたんだ」

 

 由比ヶ浜の声に水音が混じる。その声が棘の様に胸に刺さる。

 

「風邪はもう、いい……の?」

「由比ヶ浜さん、そろそろ座って。もう城廻会長と一色さんが来るはずよ」

「そっか、うん……そだね」

 

 柔らかな声音は、床に縫い付けられていた由比ヶ浜の足をどたどたと動かす。その勢いのまま長机の真ん中の椅子を引き、腰を下ろしたかと思ったらその脚を引き摺って少しだけこちらに近づく。柑橘系の香りが鼻先を掠めた。

 

「へへ、久しぶりだね。三人揃うの」

「そう、ね。何日振りかしら」

「ね、聞いてよヒッキー。ゆきのんったらね、昨日も一昨日も三人分の紅茶を淹れてたんだよ」

「ゆ、由比ヶ浜さん……」

「いつヒッキーが帰ってきてもいいようにってね」

 

 ──いや、嬉しくない訳でも無くはないといいますか。正直小っ恥ずかしいのでやめてください。

 ほら、雪ノ下だって顔を真っ赤にして怒って……あり?

 

「こ、紅茶には殺菌作用があるのよ。きっと風邪や比企谷菌にも効果はあるわ。だから……」

「もうっ、せっかくヒッキーが来てくれたのにそんなこと言わないの、ゆきのんっ」

 

 以前と同じ、紅茶の香りが鼻孔をくすぐる。だがその空間は以前と同じではない。やはり違和感がある様に思えてならないのだ。

 

 雪ノ下は雪ノ下然としていて、由比ヶ浜は由比ヶ浜っぽさを出している。だがそれは彼女らの努力によって為されている様に思えてしまう。邪推という奴である。

 

 供された紙コップの紅茶が少し冷めるのを待って啜ると、じんわりと身体が温まる。

 あれ、これって。

 

「ゆきのん、今日はレモンティーなんだね」

 

 やはりそうか。有難い。風邪にはビタミンCが良いらしいからな。

 あとはビタミンDか。これは冬至のカボチャで補えばいい。先人の知恵マジリスペクトだわ。っべーわ。

 

「え、ええ、ビタミンCが欠如している人が若干名いる様だから」

「……だってさ、ヒッキー」

 

 なんだよそれ。俺の為かよ。

 面映さを感じつつ甘いレモンティーを啜る。

 またふと考えてしまう。俺は此処で何をしているのかと。

 勝手な独断で奉仕部の空気を悪化させた俺が、のうのうと紅茶なんぞ飲んでいていいのか。もうこの場所に俺は相応しくないのではないか。

 

 いや、それを言い出せば元からだ。

 一人で闇を抱えて生きて来た俺だ。まず二人の美少女と空間を共有することが相応しくない。

 ならば何故俺は此処にいるのだ。

 未練か。それとも別の何かの所為か。

 その答えは、出してはいけない気がした。

 

 ノックが響き、雪ノ下の許可のあと部室の扉が開いた。

 入ってきたのは生徒会長の城廻先輩。そして、名も知らぬ少女。

 その少女は俺を見て、即座に作った笑いをその顔に貼り付ける。その作られた表情に、何故か既視感を感じてしまう。

 

 城廻先輩が連れて来た亜麻色の髪の少女、一年生の一色いろはの相談は、生徒会長になりたくないという内容だった。

 城廻先輩(いわ)く、一色が生徒会長候補となったのは他の女子からの嫌がらせだという。幾ら嫌いだからといっても立候補に必要な三十人もの推薦人を集めるなんざ余程恨まれていないとされない仕打ちだ。執念すら感じる。

 

 目の前に座る一色を観察する。

 ……成る程、全ての仕草が異性に対する計算で固められた様に嘘っぽい。同性に好かれるタイプではなさそうだ。

 

 城廻先輩と一色は部室を辞去し、解決策を探る話し合いが始まる。

 雪ノ下と由比ヶ浜は有力な対立候補を立てて当選させれば一色が生徒会長にならずに済むと言うが、それは不確定要素が強過ぎる案だ。

 それ程の資質がある生徒がいればとっくに推薦されている筈だし、やる気に満ち溢れる生徒ならば推薦人をかき集めてもう立候補している。

 一色しか会長候補がいない現状を見ると、適格者でやる気がある生徒はいないということだ。

 

「信任投票で落ちるしかない、な」

 

 呟いた言葉に視線が集まる。

 

「どういう事、かしら」

 

 例えば、と前置きして説明を始める。

 聞くに堪えない様なひどい応援演説でもすれば信任投票で落選することも可能だろうと言うと、由比ヶ浜が視線を落とした。

 

「それって、誰がやるの……かな」

 

 俯いて呟いた由比ヶ浜の声には仄かな水気感じてしまう。

 結局、一色いろはの依頼についての方針は統一されず、俺は独断で動くこととなり、その日は解散となった。

 

 

 翌日の放課後。

 久々に由比ヶ浜と連れ立って特別棟へ向かう。

 全く(わだかま)りが無い訳ではない。ぎこちなさもある。だが、それも風邪をひく前から考えれば幾分か解消されつつある。そんな気はする。

 けほんと咳払いをする度に「大丈夫?」と覗き込む由比ヶ浜のその仕草に恥ずかしさを抱きつつ、昨日の一色の依頼について話す。

 

 由比ヶ浜の話だと、雪ノ下はやはり強力な対立候補の擁立を考えている様だ。通常なら何ら悪くない正道の策である。

 だが今回に限っては立候補締切までの期限が短か過ぎる。

 生徒会役員選挙の立候補及び推薦の締切までの期間は約一週間。休日を除けば五日、いや四日だ。

 その間に有能かつ生徒会に興味がある人物を見つけ出して立候補に漕ぎ着けるのは不可能に近い。そんな人物がいたら既に立候補者に名を連ねている筈だ。

 故に俺は信任投票に的を絞ったのだが。

 

「今回に限っては……ね。あなたはまたそうやって同じ事を繰り返すのね」

 

 部長である雪ノ下の真っ向からの反対に遭ってしまった。

 確かに一色いろはの応援演説で落選を促す方法には確実性は無い。だが、これから候補者を立てる案の方が現実味が薄い。

 ならばどうするか。

 

 特別棟の階段の踊り場から何日かぶりの茜色を見上げても、答えなんぞ書いてありはしない。

 それでも俺は窓枠に切り取られた空を見上げる。

 全ての疑問の答えを探す様に。

 

 

 

「──どうしたの、八幡」

 

 部活終了後、三たび戸塚に誘われて海浜幕張駅へ降り立った俺は、ずっと悩んでいた。戸塚が心配そうに顔を覗き込んでくる。

 空は既に茜色から灰色に変わり、夜を迎えようとしていた。どうやら今日は「歌うたいの少女」は現れない様だ。

 時刻は午後六時。テニススクールに通う戸塚のタイムリミットだ。

 

 申し訳無さそうに手を振り去ってゆく戸塚を見つめながら、肌寒さに気づいた俺はポケットに手を突っ込む。

 もう風はひんやりと冷たく、気の早い通行人はコートを羽織っている。

 街路樹の銀杏(いちょう)は葉を山吹色に染め、時折ひらひらと舞い落ちる。

 季節は着実に冬へと向かっていた。

 

「コーヒーでも飲みに行く、か」

 

 いつもならコーヒーといえばマッ缶なのだが、今日の気分は少々違った。

 とりあえず目についたのは、以前雨宿りをしたドーナツショップだ。

 まさかまた葉山隼人に会うことは無いだろうが、念の為に中を窺う。

 よし。知っている制服はいない。

 店内に入ると既に暖房が入っている様で仄かに暖かい。

 カウンターでクラシックタイプのドーナツとミルクたっぷりのホットコーヒーを注文し、会計を済ませつつ商品を待つ。

 コーヒーとドーナツを載せたトレイを受け取ってカウンター席に腰を落ち着けると、二つばかひ向こうの席に座った女性がちらりと此方を向いた。

 

「あれー、比企谷くんじゃん」

 

 俺の名を呼ぶ女性は神出鬼没の強化外骨格、姉のんこと雪ノ下陽乃だった。

 

「元気にしてたかね、このこの〜」

 

 すいと俺の隣の席に移動してきた陽乃さんは、相変わらずの外面スマイルで俺にちょっかいを出し始める。

 うざい近いでもいい匂い、などと逡巡しながら陽乃さんのほっぺつんつん攻撃に耐えていると、更に事態は悪化する。

 

「あれー、比企谷じゃん」

 

 空気を読まない女、折本かおりの登場である。後ろにいる同じ制服の女子は友達だろう。

 面倒なことになった。

 折本が余計なことを言わなければいいなと思いつつコーヒーを啜っていると、前に告白されたんですよ〜とか言っていた。

 ま、確かに昔のことだけどもさ。

 

 そして更に事態は悪化する。

 

 あれよあれよと折本と陽乃さんの間で話が転がり、何故か呼び出されたのは葉山隼人。

 

「驚いたよ、君がいたなんて」

 

 ──帰りたい。マジでマジで。

 

 奥の四人掛けの席に強引に連行された俺の隣にはリア王、葉山隼人。向かいには魔王、陽乃さん。斜め前にはトラウマの元凶、折本かおり。将棋でいえば穴熊って奴か。違うな。

 あれ、これ完璧に詰んでるよね。逃げ出すことも出来ないよね。本来、穴熊は守りの陣形なのだけど。

 

 できるだけ誰とも目を合わずにオブジェと化す努力をしていると、陽乃さんが折本とその友達に葉山を紹介し始めた。

 

「──で、この子が比企谷くんと同じ中学だった、折……なんとかちゃん」

「折本かおりでーす。こっちは千佳」

 

 もう嫌な予感しかしない。しかも脱出不可能。

 小町、もう駄目かも知らん。

 

  * * *

 

 散々な目に遭った。紙一重だった。

 地獄のと化したドーナツショップから這々(ほうほう)(てい)で帰宅したのは午後の八時前。玄関先で疲労困憊の俺を迎えたのは膨れっ面の小町だ。

 

「──風邪が良くなった途端に夜遊びですか。そんな活発な子だったっけ、お兄ちゃん」

「いや、ちょっと悪い知人に囲まれてた」

「小町はお兄ちゃんをそんな子に育てた覚えはありませんっ」

 

 奇遇だな。俺も妹のお前に育てられた覚えは無い。

 溜息ひとつ、靴を脱いでリビングに歩き出す。足元に鞄を落としたついでに自分の身体もソファーに投げ出した。

 

「……はぁ」

「あれ、お兄ちゃんが疲れた人の声を出してる。やっぱまだ体きつい?」

 

 おお、珍しいこともあるものだ。小町が捻り無しに心配の表情を向けてくる。

 

「ああ、ちょっと疲れた」

「病み上がりだし、色々と大変そうだもんね……色々と」

 

 何故「色々と」を二回繰り返したのかを突っ込む気力も無い。どうせ由比ヶ浜辺りから情報は得ているのだろうし。

 

「どれ、話してごらん」

 

 お前は母ちゃんかよ。いやこいつの中では俺を育てたことになってるんだっけ。なら子育て失敗だな。

 

「あー、また今度な」

「今度っていつ? それで間に合うの?」

 

 少々鬱陶しくなってきて、手をひらひらとさせて追い払う素振りをすると「何それっ」と憤慨してキッチンへと行ってしまった。

 すまないな小町。今度ちゃんと話すわ。

 

 さて、頭の中の整理だ。

 今回の依頼は一色いろはを生徒会長にさせないこと。その解決方法は大きく分けて二つ。

 当選確実といえる対立候補を擁立するか、選挙で落ちるか。

 雪ノ下たちは対立候補を探すつもりらしいが、俺はその案には賛同出来ない。

 次に俺の案。応援演説で信用と人気を失って、信任投票で落ちる方法。

 本当はこの案も薦めたくは無い。結果だけを求めるならば確実なのだが、俺が応援演説をすることに難色を示す奴がいるからだ。

 

「はあ、どうすっかなぁ」

 

 天を仰いで目を瞑る。瞼越しの灯りが眩しくて手をかざす。そうして作り上げた瞼の裏の暗いスクリーンに浮かぶのは──

 

「──わひゃいっ」

 

 突然、額に冷たさを感じた。

 目を開けると、不機嫌な顔で小町が突っ立っている。額に手をやると、熱さましの冷却シートの感触が当たった。

 

「ほらっ、これ飲んでっ」

 

 どんっ、とソファーの前のローテーブルに置かれたマグカップは、湯気を立てている。

 これは一体何だろうか。小町に目を向けてもほらっ、と顎先をしゃくるだけだ。

 恐る恐るマグカップを手に取り、口をつける。思う程に熱くはない。

 そのまま少しずつカップを傾けてゆくと、甘くほんのり酸っぱい液体が舌先に触れた。

 あ、美味い。

 

「──蜂蜜、か?」

「そだよ。甘党のお兄ちゃん用に蜂蜜たっぷりレモンちょっぴりの、はちみつレモンだよ」

 

 甘さを味わい、こくりと喉を通す。温かさが食道から胃の腑に落ちる。

 

「──はう」

 

 思わず息が漏れる。肩の力が、身体の力が抜けていく。

 

「どう、お兄ちゃん。少し落ち着いた?」

「いや、少しなんてもんじゃねぇ。このままこうして一生を終えたいまであるわ」

「自堕落の手助けをしたい訳じゃないんだよ、小町は」

 

 お、自堕落なんて言葉をよく知ってたな。

 

「お兄ちゃんさ、気づいてないでしょ」

「何がだよ」

「修学旅行が終わってからずっとつらそうな顔してるの」

 

 ──こいつ、すげぇ。

 やっぱり俺は妹に育てられたのかも知れない、とまでは思わないが。

 

「話してみてよ。話せるとこだけだいいし、晩ご飯食べながらでもいいからさ」

 

 その夜、夜半近くまで小町を付き合わせて洗いざらい話した。

 

 

 

 

 

 翌日の放課後。俺の知らない間に事態は動いていた。

 生徒会選挙に雪ノ下雪乃が立候補をすると言い出したのだ。

 それだけでも考えものなのに、続けて由比ヶ浜結衣も立候補すると言い出すから尚更に思考は混迷してしまう。

 どうしてそうなったと問うと、

 

「あなた、自分が犠牲になる事は肯定するのに、他人の自己犠牲は認めないとは傲慢ね。さすがだわ」

 

 と返された。

 傲慢だけは大きめのブーメランで返してやりたい気分だ。

 さて、なぜ雪ノ下と由比ヶ浜は自ら自己犠牲と言い切る策を論じたのか。

 しかし、ならば、奉仕部はどうなる。

 

 俺が壊しかけ、それでも雪ノ下は耐えて、由比ヶ浜はその傷を懸命に取り繕おうとしていたのに。

 特に頑張っていたのは由比ヶ浜だ。

 由比ヶ浜はなるべく核心に触れない様に時を紡いで、解決の糸口やその手段を模索しながら自然治癒を待った。

 それは雪ノ下も解っていた筈だ。誰よりも由比ヶ浜の近くにいたのなら尚更だ。

 いや。これも期待の押し付けか。

 俺が答えられないでいると、雪ノ下は目を細め、俯き、再び顔を上げた。

 この上なく優しい表情で。

 

「でも、私も同罪ね。あなたが自分を犠牲にするのを目の当たりにしながら止められなかったもの」

 

 話し終えた雪ノ下は、視線で由比ヶ浜にバトンを回す。

 

「あたしもそうだよ。全部ヒッキーに任せていれば上手くいくって、そう決めつけてた。でも、それじゃダメなんだって、やっと気づいたの。だからさ」

 

 今度は由比ヶ浜が俯く。何かを確かめる様に膝の上で両手を握って、すうっと顔を上げた。

 この上なく強い眼差しで。

 

「みんなで、三人で頑張ろ。誰が生徒会長になっても、奉仕部だけは続けようよ」

 

 固まった。茫然としてしまった。

 何のことはない。意見や策は違えど、俺たちの向いている方向は同じだった。

 しかし、ならばこそ俺は、彼女らの策を根刮(ねこそ)ぎ否定しなければならない。依頼の解決の為に奉仕部が瓦解するなんて、それこそ奉仕部の理念に反する。

 

 すうっと息を吸い込み、細く長く吐き出す。俺の呼吸だけが部屋に響く。

 雪ノ下も由比ヶ浜も、何も言いはしない。ただじっと俺の言葉を待っている。

 

「……いや、やっぱりその策には賛成は出来ない」

 

 苦痛を伴うその否定に、雪ノ下も由比ヶ浜も何も言わない。二人に顔を向けると、睨むこともせずただ穏やかに俺を見ていた。

 

「──そう。ならば、より良い策を考えて来たのでしょうね、比企谷くん」

「聞かせて……ヒッキー」

 

 俺は、まだ練り上げてもいない解決策の骨子を彼女らに伝えた。

 

 

 

 

 ──そこからの行動は早かった。

 元々優秀な頭脳を持つ雪ノ下と、豊富な人脈と人当たりの良さを持つ由比ヶ浜がいる時点で奉仕部は充分機能するのだが、その二人が俺の意見を聞いてくれているのだから心強い。

 

 立候補の締切まであと一週間を切っている。休日である土日を抜けば実質三日半だ。

 まずは由比ヶ浜が一日かけて一色いろはの周辺を調査、イジメ等の実態を掴んだ。同時に雪ノ下は生徒会長になった際のメリットとデメリットをリストアップしていく。

 そして放課後、俺はとあるコーヒーショップにいた。

 同席しているのは戸塚、川崎、あと何故か材木座。

 そこに小町と川崎の弟、毒虫大志も合流して話し合いが始まった。

 議題は、生徒会長に相応しい人物の洗い出しだ。が、しかし。

 

「──おい、俺は生徒会長に相応しい人物を挙げてくれと言ったんだが」

 

 テーブルの上、皆に配ったメモ用紙を集めてみれば、その全てに俺の名前が書いてある。

 

「ぼくは八幡がいいと思う。生徒会で忙しくなって遊べなくなっちゃったら寂しいけどね」

 

 しおらしく戸塚が言う。

 

「ほむん、我も八幡を推戴しようぞ。我々ぼっちに優しい学園作りを所望するのである」

 

 材木座、ぼっちは少数派(マイノリティ)だ。どんな案を出しても多数決で負けるぞ。

 

「あ、あたしも……あんたなら、その……」

 

 ほらそこ、ちょっとおかしいよ川崎さん。

 その言い回しだと俺が告白したら受け入れちゃうみたいでしょうに。ちゃんと振ってくれないとお約束は成立しないよ?

 と、今は妄想してる場合じゃない。

 

「へぇー、お兄ちゃんって案外人望あるんだねぇ、小町も鼻高々だよっ」

 

 小町よ、お前は最近勉強した言葉を使いたいだけだよな。

 

「そうっすよ。お兄さんは姉ちゃんも救ってくれたし、すごい人っす」

 

 大志。そもそもお前は呼んでねぇ。

 

 しかし、気軽に意見を求めてみたら、まさかこんな結果になろうとは。うん、人選ミスだな。尤も俺の少ない人脈だと、どうしてもこのメンツになってしまうのだが。

 

「あ、ありがと、よ。でもな、俺は生徒会長にはならない、いや、なれない」

 

 俺には立候補の規定にある三十人の推薦人を集めることなんて出来やしない。

 

「うん、知ってる。だから他の人を探さないとだね、八幡」

 

 とつかたん、今日は辛辣ね。ぐすん。

 何にしても生徒会役員選挙の立候補締切(リミット)は来週の月曜日。

 猶予はあと二日、土日を含めてもあと四日。打てる手は全て打ってやろう。

 

 

 

 

 

 

 


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