やはり俺の十七歳の地図はまちがっている。   作:エコー

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11 代役

 

 

 冬休みは静かに過ごす。それが俺の主義である。

 その主義を貫いて大晦日の今日まで引き篭れたのは、ひとえに静けさを保ってくれたスマホのお陰だ。

 

 冬休みに入って届いたメール、メッセージの類は六件。その内の四件は通販の注文承諾、払い込み完了、出荷通知、買った本に関連する書籍のお知らせ。つまり業務連絡。

 

 他は、由比ヶ浜から「冬休みなにしてるの?」という内容と、戸塚からの「家族で旅行に行ってくるね。お土産、何がいいかな」というとってもハートフルな内容。

 あとは迷惑メール(材木座)が多数だ。

 

 由比ヶ浜のメールには「冬休みは休んでる」と返し、戸塚には「土産話を楽しみにしてるぜっ」と、会う事を前提として返信した。迷惑メール(笑)は迷惑なので放置するに限る。

 

 自室の大掃除を簡単に終わらせて、一息つく為に湯煎したマッ缶を啜る。うむ、美味い。これで今年が多少苦くても耐えられる。あと数時間で終わるし、今年。

 

 あとはコタツに入ってだらだらとテレビでも観て、晩飯食べて風呂入ってだらだらして、年越しソバ食べて夜更かしすれば、俺の理想の年末は完成形へと至る。

 

 ちらりとスマホを覗く。

 よし、1時間前と同じ。誰からも連絡は来ていないようだ。

 大晦日も順調だ。

 

 それがだ。

 

 ──ハテ、ドウシテコウナッタ。

 

 俺のメールを覗き見した小町に家を追い出された、大晦日の午後十一時過ぎ。

 俺は今、稲毛浅間神社の前にいる。

 幾つ目か分からない除夜の鐘が遠くから響いてくるのを聞きながら、マフラーを口元まで上げて吹きつける寒風に耐えているのだ。

 つーか凄えな。もう赤い鳥居を潜る人が大勢いる。

 

「お、お待たせ」

 

 ぼんやりと人の流れを見ていると、背後から待ち合わせらしき女性の声が聞こえる。

 またどっかのリア充の待ち合わせだな。ったく、リア充ならリア充らしく、徹夜でカラオケとか、夜通しゲーセンとか、年越しボウリングとか。

 つーかもうラウワンとか行けよ。

 ここは神前だぞ。ここに集いしリア充は、御神体の木花佐久夜毘売(このはなさくやびめ)に謝れ。

 

「ねえ、お待たせってば」

 

 おお、男が焦らしているのか。どんな色男か知らんけど、中々の上級者だな。何の上級者だよ。

 それにしても……遅い。呼び出しておいて遅れるなんざ、帰れと言っているようなものだぞ。

 

 

「もうっ、比企谷っ」

 

 ほーん、待ち合わせの男は俺と同じ苗字なのか。少ないかと思ったら結構ある苗字なのな。

 ついでにこの女子の声にも聞き覚えがあるけど──うげっ。

 

「……ちょっと、何で無視すんの。ウケないんだけど」

 

 マフラーを後ろに引っ張られて呻いていると、怒ったような声が耳元で響く。

 甘酸っぱい香りが鼻孔を掠める。

 振り向いた先に立っていたのは、大晦日に俺を呼び出した張本人、折本かおりだ。

 どうしても二年参りがしたいとメールを寄越してきて、それを小町に見られて、現在の状況に至る訳だ。

 

「……もうっ、呼んだら返事くらいしてよ」

「いや、背後から忍び寄る方がおかしい。暗殺者(アサシン)かよ」

 

 来た。折本が来た。

 

 最初は悪戯かと思った。折本は玉縄と、その、アレな筈だから。

 だが、いつにも増して素っ気ないメッセージの文面からは、ある種の意思が感じ取られた。

 それが何なのか、どういう意図なのかを考えている最中に、妹の小町にスマホを強奪されたのだ。

 そして、折本に声を掛けられた今に至るのだが──

 

「あれ、比企谷なんかニヤニヤしてる?」

「し、してる訳ないだろ。本当なら今頃、芸人達が尻をぶっ叩かれるのを笑いながら妹特製の年越しソバを待ってたんだぞ」

「ふーん、そうかそうか」

 

 紛れもなく本心である。だが、ひとつだけとは限らないのが本心の難しさである。

 吐露すると、確かに俺は浮かれていた。

 久しぶりの折本との会話に。かつてと同じ態度に。

 その屈託の無い表情に。

 だが、同時にディスティニーランドの帰りに聞いた、玉縄の言葉を思い出す。

 

 ──気持ちは伝えてきたよ。少し時間(バッファ)が欲しいと言われてしまったけど、コンセンサスの同意は得られたと思う──

 

 言葉の使い方がおかしいのは玉縄のデフォとして。

 それから数日後の合同イベントの後、折本は玉縄と二人で街を歩いていた。きっと、それが答えなのだ。

 

 故に、戸惑う。

 何故、玉縄では無いのか。

 何故……俺なのか。

 

 考えられるとすれば、こうだ。

 きっと玉縄に何か用事があり、代打として仕方なく「友達」の俺が駆り出されたに過ぎないのだ。

 つまり、小町の代わりにお参りに来たのと同じ。そこに他意は無い、はず。

 

 なんだよ。奇しくも俺は一気に二人の代理を果たせる程の高性能な社畜にメタモルフォーゼしただけかよ。

 休みくらい休ませて欲しいものだ。

 

 心中で呟いて、浮き足立ちそうな自分の心を必死に落ち着かせる。そうでないとあらぬ期待を持ってしまいそうだ。

 

 ふと、折本の首に巻かれているマフラーに目がいく。

 ダウンジャケットの襟、手編みに見えるそのマフラーの端に、何かが編み込まれている。

 先端がダウンの襟に入っていて全部は見えないけれど、文字のようだ。

 横棒の真ん中から垂直にもう一本の棒が出ている文字。

 

 ──どう考えても「T」だ。

 

 誰かのイニシャルだとすれば……やっぱり玉縄、か。

 折本にそんな乙女チックな趣味があるとは知らなかったが、これで確定、だ。

 玉縄と折本は、そういう関係なのだ。

 それが分かった今、俺がすべきことは、粛々と任務を遂行して素早く帰るのみ。

 

「ま、とっとと済ませて帰ろうぜ」

「あー、うん」

 

 ……んだよ、その生返事は。

 苛つくなぁ。

 所詮、代打は代打ということか。その通りだろうけどさ。

 

 

 

 

 大きな鳥居を避けて参道の石段を登り終えると、境内には既に結構な数の初詣客が見えた。なんならもうお参りしている姿も見えた。

 時刻はまだ午後十一時半過ぎ。さっきお参りした連中は、初詣じゃなくてラス(もうで)になっちゃったな。

 

「うーん、あと二十分もあるんだけど」

 

 なら、待ち合わせを十一時五十八分くらいにしたら良かったのでは無いですかね、折本さん。

 

「あ、お店出てる。たこ焼きだって。あっちはチョコバナナかぁ。比企谷、どれにする?」

「いや、そういうのは……」

「いいじゃんいいじゃん」

 

 失言しそうになって、思わず口ごもる。

 ──そういうのは玉縄とやれよ。勘違いするぞ。

 

 余りにも軽過ぎる折本に呆れていると、既にその背中はたこ焼き屋さんの前にあった。素早いなぁおい。

 

「はい、どうぞ」

 

 向けられたたこ焼きからは湯気が立ち昇って、その下ではマヨネーズに塗れた鰹節が身を捩らせて踊っている。

 控えめに言って、実に美味そうだ。

 

「──比企谷、たこ焼き見過ぎ。ウケる」

「いや、ウケねえから」

 

 にやりと笑う折本は、爪楊枝を一本取り、俺の目の前のたこ焼きに突き立てた。

 

「はい、食べて」

「……幾らだった? 払う」

「いいって、友達からの奢りだよ」

 

 友達、ねえ。本当はただの代打なんだろう?

 

「んじゃ、ひとつ貰うわ」

 

 楊枝を摘まんで、たこ焼きを頬張る。

 うん、冬の夜風で良い具合に冷めて……熱っ!

 

「はふ、はふ、はふっ」

「ご、ごめん、熱かった?」

 

 油断した。所詮たこ焼きと侮ったが、思ったよりも中がとろっとろで熱かった。

 肩に掛けたトートバッグから折本が引っ張り出したペットボトルを受け取り、ぐびりと一口。

 ふう、ってあれ。これって。

 うおっ、飲みかけじゃねぇかぁああああ!

 

「ごめん、熱かったよね」

「いや、何でお前が謝るんだよ……」

「比企谷が猫舌なの知ってたのに、気がつかなかった……から?」

「なんで疑問形なんだよ」

 

 質問を質問で返すのって違反行為ですよ。

 つか、何で折本は俺が猫舌なのを知ってるんだ。

 

「千佳や葉山くんと四人で遊んだ時、熱いコーヒー飲むの……苦手そうだったから」

 

 え。

 

「あと、人が苦手。ウケる」

 

 いや、確かに両方とも正解ですがね。

 何ですか折本さん。あなたの趣味は人間観察ですか。

 俺みたいなゾンビメクサリヒキガエルなんて観察したって、意味無いと思うのですが。だいたい引きこもってますし。

 てか何だよゾンビメクサリヒキガエルって。名は体を表し過ぎな名称だな。

 

 ったく、こいつ。

 

 言いたいことは色々とあったが、ペットボトルを受け取りながらニシシと笑う折本に毒気を抜かれて、思わず頬が緩んでしまう。

 それが失敗だったようだ。

 

「──やっと笑った」

「は?」

「ううん、なんでも」

 

 それだよ、そういうのが男を勘違いさせるんだよ。そう小一時間ほど説教してやりたいくらいの満面の笑み。

 だが、それが良……げふんげふん。

 

 折本はといえば、笑顔で俺を見据えたまま、手に持ったペットボトルに口を付け……あ。

 

「な、なに?」

「いや、それ……」

「え……あっ」

 

 ようやく事態に気付いたようだが、もう遅い。

 すでに比企谷菌はお前の腹の中だ。

 

「な、なんで比企谷が顔を赤くしてんの……ウケる」

「いや、全然全くウケないから」

 

 頬が熱を帯びるのを感じて、直視出来なくなった折本から目を反らす。

 折本は折本で、視界の隅で俯いた顔をみるみる朱に染めていく。

 待て、お前まで照れるんじゃねぇよ。リア充の端くれだろ。

 

「と、友達同士なら普通の、こと……じゃん。気にし過ぎ。本当……ウケる」

 

 ほほう、お前は微塵も気にしていない、と。

 ならばその赤い顔はどう説明するんだ、折本。いや、俺も困りそうだから突っ込まないけれど。

 まあ、多分、絶対に、俺の自意識過剰だな。

 

 ぴりり。ぴりり。ぴりりりり。

 

 腕時計のアラームが鳴った。年が明けたのだ。

 

「……年、明けたね」

「あ、ああ。年が明けても、去年と何も変わらないけどな」

「これから変わるよ。たぶん、きっと」

「……さいですか」

 

 実際には、同じ年は二度と無い。三年生になれば受験が控えているし、それが無事に済めば大学生。

 状況は常に変化し、同じ"刻"など二度とやって来ない。

 だが、折本の言葉にはそういう変化とは別種の、得体の知れない熱量が篭っているように感じられた。

 

「お参り、しよ」

 

 曖昧なやり取りを新年の冷たい風に舞わせて、俺たちは拝殿へと足を進めた。

 

 

 

 




次回で最終話の予定です。

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