空のグラデーションの黒が濃くなるにつれ、俄かに人の流れが変わる。アトラクションに並ぶ列は短くなり、代わりに広場や通りに人が溢れる。直後、数名のスタッフがあちらこちらで人波を整理、誘導し始めた。
通りの左右に人垣が形成され、中央に空間が出来ってゆく。
パレードが始まるのだ。
「おっと」
「──あ、ヒッキー!?」
考え事をしながら最後尾を歩いていたせいで、集団とロープで分断された。振り返って声を掛けてくれた由比ヶ浜も、さっきまで隣を歩いていたはずの戸塚も、今は遥か彼方である。
独り取り残された形となったが、今の俺には好都合に思えた。
考える時間、何より頭を冷やす時間が欲しかった。
不意にスマホが鳴動する。由比ヶ浜からのメールだ。
『パレードおわったらお城の前で待ってるよ〜』
急いで打ち込んだのか、普段の顔文字やら絵文字は無い。故に、非常に読みやすい。
「了解、と」
ぶんぶんと手を振るお団子頭を思い描きながら短く業務連絡を返すと、軽やかな音楽が流れ始めた。
キャストたちが方々に手を振って過ぎていくその後ろから、キラキラの電飾で着飾った機関車みたいな何かがやってきて、その後方ではずんぐりむっくりとした船の上でパンダのパンさんやおしゃまキャットのメリーが踊っている。
つかパンさんすげぇな。
あれだけ重そうなのに動きが素早いし、妙にキレがある。中の人大変そう……いや、夢の世界には中の人なんて存在しないのだ。
よって給与明細も、況してや特別手当なんか存在する筈はない。
あくまでファンタジーの世界なのだ。
きっと雪ノ下は今頃、懸命にスマホのシャッターを押している頃だろう。
電飾に彩られた煌びやかな行進を眺めつつ、戸塚の言葉を反芻する。
──なんで玉縄が折本の隣にいるんだよ。
そんな風に考えたことは無かった。
そもそも折本は海浜総合高校のサポートとして合同イベントに参加している訳だし、それが別段不自然とは思わなかった。
だが先日、玉縄からとある依頼を秘密裏にされたことで、この状況を疑いつつある俺がいることも事実だった。
玉縄の依頼は……折本との仲を取り持つこと。
その件に関して、俺は首を縦には振っていない。だが拒否もしなかった。そのせいで俺は、玉縄には依頼を受けたものと見なされた。
だからこそ今日、ディスティニーランドに入園する間際に囁かれたのだ。
大方、一色からの今日の誘いを、俺の差し金だと誤解しているのだろう。
過ぎ去っていくパレードの電飾を見送りながら己の失敗を噛み締めると、何とも苦い味がした。
パレードが終わると、大通りには冷めやらぬ喧騒だけが残る。
それは本日最後の出し物への期待感であり、同時に訪れる"夢の世界の終焉"に対する名残惜しさなのだろう。
とりあえず一行との合流を目的に歩き出した視界に、遠く白亜の城がそびえ立つ。
瞬間、空が明るくなった。夢の国最後の出し物だ。
乾いた破裂音と共に打ち上げられた火球は、冬の夜空に大輪の花を咲かせる。
幾つも幾つも咲いては散る光の花は刹那的で、何より此処に一人でいる自分が場違いだと思えてしまう。
あいつは、この冬の夜空に咲き乱れる花を、誰と見ているのだろうか。
人波をすり抜けて、皆が待つ白亜の城へと歩を進めていくと、微かに一行の姿が見えた。
と同時に、一行から少し離れた二人の姿も目に入る。
玉縄と、折本だ。
未だ打ち上がる花火を
きっと、今行われているのは"告白"か、それに類する何かだ。根拠は無い。けれど、確信はあった。
その光景を見つめ続けるには、今の俺は脆弱過ぎた。
いつしか視線は足下に落ちて、遥か彼方の二人に背を向けていた。
ふと省みる。
思えばこのところ、思考の何処かに折本がいた。どんなに否定しようともそれは事実だ。
だがそれを好意と断じるには、経験や知識、その他様々な要素が足りなかった。
自業自得だ。
過去に自身に相応しくないものを望んでしまった、罰だ。
だけど、もし──
いや、その前に俺は──
いや、やめよう。
方や生徒会長、方や捻くれぼっち。どちらを選ぶべきかなんて判りきっている。
また自惚れた。
俺なんかが玉縄と同じ土俵にいる訳が無い。
と、俺の横を何かがすり抜けた。
黒いコートに、黒いチノパン。
──玉縄だ。
奴は俺には気づかなかったようで、数歩歩いては振り向き、また数メートル歩いては振り返る。
その姿は何処かで見たことがある。
あ、ミーアキャットだ。
俺に気づいたのか、ミーアキャットは玉縄の様相を取り戻す。
「──やあ、比企谷くん」
「お前……何してんの?」
* * *
十二月二十四日、夜。
海浜総合高校とのクリスマス合同イベントは、とりあえず成功と言える結果を出す事が出来た。
海浜総合のコンサートは、お年寄りもちびっ子も楽しめる曲目が並んでいたし、総武高校側の朗読劇は主役のルミルミ──鶴見留美の演技が光っていた。
天使に扮した幼稚園児が幕間に配った手作りのケーキは大人気で、とある御老人は「孫に食べさせたいから折に詰めてくれ」と手を合わせて懇願していたくらいだ。
同時に振る舞われたサンドウィッチや海苔巻き、紅茶に緑茶も概ね好評だった。
つまり、総武高校側にとっては大成功だった、とも云える。
これで依頼は達成された。
ならばさっさと帰宅して愛する妹、小町と一緒にイブを過ごそう。そう思っていたのだが──
「──見つめる〜視線〜、ふっわふわとぉ〜」
「おー、いろはちゃん歌上手いねー」
──何故か俺は、カラオケルームに居た。しかも、パーティールームという奴だ。
パーリィピーポーがウェイウェイ雄叫びを上げる、例のあの部屋である。
大きな卓を囲むのは、合同イベントの総武高校側の主催者、そして保護者代わりの平塚先生。
その末席に座らされた俺の眼前には、入力を待つカラオケの端末が鎮座している。
「ヒッキー、歌決まった?」
「あ、いや……」
「じゃ、じゃあ、一緒に……歌う?」
それって、デュ、デュ……デュエルか。違うか。いや分からん。
こういう時の答えは一つしか無い。
「断る」
「即答だ!?」
一緒になんて歌えるか。
音域も声量も合わせなきゃならないし、俺ハモりとか出来ないし。クラスの合唱の時も歌うふりしてたし。
つーかどうせあれだろ、歌ってる途中とかに目線を合わせちゃったり、微笑み合ったりしちゃうんだろ。
そんな恥ずかしいマネ出来るかよビッチめ。
「じゃあせめて一曲歌ってよ。ヒッキー何にも歌ってなかったし」
「はあ、じゃあ"蛍の光"でも歌うか」
「チョイスがおかしいよっ!?」
「じゃあ、"仰げば尊し"か」
「卒業式!?」
我ながら名案である。
"蛍の光"や"仰げば尊し"を聴くと、人は何故か望郷の念にかられて時計を見、家に帰りたくなるのだ。ソースは小さい頃の市民プール。
曲を決めて、カラオケの端末を手に取ろうとした時、時間終了を報せるインターホンが鳴った。
ふう、セーフ。歌わずに済んだぜ。
「いやぁ、楽しかったねー」
「……疲れたわ」
「もう九時過ぎですもんねぇー」
「静……もう帰る」
どこぞの社畜の父親よろしく背を丸め、LEDの電飾に彩られた夜の並木道を歩く。
談笑しながら先を歩くのは総武高校生徒会の面々と、奉仕部の女子二人。あと、周囲のカップル率の多さに独り落ち込むアラサー女教師は……うん、触れずにいよう。わざわざクリスマスイプに消えない心の傷を増やす事もあるまい。
思い返せば、クリスマスイブを家族以外と過ごすのは初めての経験だった。
恐る恐る夜空を見上げると、街の灯に紛れて弱々しく主張する星たち。
子供の頃は冬の星が嫌いだった。漆黒の天幕に貼りついた星々はやけに強く光っているように感じて、吸い込まれそうで、怖かった。
だが、今夜の星は怖くない。街の灯に恐怖が薄められているせいか、他の誰かと一緒にいるせいなのかは判らない。
でも、怖くはない。
目の前にはあいつらの背中がある。その背中が、漆黒の天幕の下を歩く今の俺の道標だ。
ならば、あいつらに出会う前の俺はどうしていたのだろう。
周囲の目に怯え、声に怯え、天の星々の光にさえ怯え、ずっと下を向いて歩いてきた。
目をそらせば、少しだけ怖くなくなったから。
だが、そんな俺がひとつの光を見た。見てしまった。
その結果、勢いで薄っぺらな想いを告げて拒否された。
心の奥底、黒歴史というラベルを貼り付けて埋めた筈の光。
それが──。
「あれー、比企谷も打ち上げの帰り?」
折本、かおり……だっ、た?
声に反応して振り向くと、海浜総合の制服を着た男女がいた。
折本と、玉縄だ。
「やあ、比企谷くん。今日はお疲れ様。君たちのイノベーショナルで斬新なメソッドのおかげで、イベントは大成功だよ」
「おう」
玉縄は相変わらず訳の分からないことを、身振り手振りを混ぜ込んでほざいているので一暼してスルー。つーか大成功は日本語のままなのな。
で、折本だ。
そこにはかつて見た折本の笑顔は無い。だが、何故か嬉しそうに俯いている。
玉縄、上手くいった、のか。そうか。そうかそうか。なら。
「ほーん、よかったな。じゃあな」
もう折本は俺なんかに関わる理由は無い。いや、元よりそんな必要は無かったのだ。
過去は過去。何をどうしたって変えられる筈は無い。
ならば、今。
現在から未来に向けて思考を切り替えるしかない。
俺は黒歴史とトラウマを抱えて生きていけばいい。今までだってそうだったのだから。
折本は……玉縄と幸せになれば良い。玉縄の横で俯き微笑む顔は、きっと玉縄が与えた笑顔だろうから。
合同イベントは終了した。
ならば、もう会う事は無い。
人混みを抜けると、一陣の風が吹いた。
ぶるると震えて、駅を目指す。
早く帰りたい。
きっと、チキンはとっくに冷めちまっているだろうけど。
ごめんなさい。次回投稿は未定です。
でも必ず完結させますので、お待ち頂けると嬉しいです。