やはり俺の十七歳の地図はまちがっている。   作:エコー

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6 知らないこと

 

 

 夜八時半過ぎ。

 合同イベントをぶっ壊す為の会議を終えてそそくさと帰宅する筈が、サイゼにいるのは決して俺の意思ではない。

 一色の、とりあえずイベントの件を詰められるところまで詰めておきたい、という命令(おねがい)の元、集まり直したのは良いのだが──

 

 

 四人掛けのテーブルを二つくっ付けて座るのは、雪ノ下、由比ヶ浜、一色。

 対面に俺と、そして。

 何故か海浜総合の生徒である折本かおりまでもが同席していた。しかもよりにも寄って俺の隣に陣取っているのだ。

 いや、実際は一番帰りやすそうな席を選んだらそこになっただけで。

 他意はないので睨むのをやめてくださいね。誰とは云わないけど、奉仕部の人たち。

 

「……はぁ」

 

 まったく、居心地が悪い。

 だが折本が俺に関して知っていることは少ない筈だ。故に、こいつらに俺の情報が渡ることも少なくて済む。別に秘密主義ではないから良いんだけど、ほら、俺の過去って黒歴史かトラウマの二択だし。

 

「──そうそう、比企谷ってさ、中一の五月まではそこそこモテてたんだよ。ウケるでしょ」

 

 と高を括っていたら、俺自身も知らない俺の情報が次から次へと出てくる出てくる。

 あれ?

 もしかしたら中学時代の俺って、人気者なのん?

 道理で教科書や靴が無くなる訳だ。きっと俺のファンが持ち去ったに違いない。ぐすん。

 

「これが?……モテて、いた?」

 

 んな訳が無いだろ。

 現実の俺を見ろよ。どうだ、見えないくらいに影が薄いだろう。

 つまりモテるモテないの前に、認識すらされていなかった自負がある。

 ぐすん(本日二回目)。

 

「ヒッキー、それホント? 」

「……知らねえっての。クラスのほぼ全員と接点が無かったんだから。つか折本って、一年の時も同じクラスだったっけ」

「一年の時は隣のクラスだったけどさ。比企谷って足速かったし、勉強出来たじゃん?」

 

 え。あれ?

 俺が折本を知る前に、折本は俺を知ってい、た?

 

「その彼が、何故六月からは比企谷菌になったのかしら」

 

 こらこら、そこの雪ノ下さん。流れ弾が強過ぎるからね。

 

「それがさぁ、今思えば何てことないんだけどね……」

 

 つーか折本さん。あんた一年の時は違うクラスって言ってたでしょ。さも見てきた様な雄弁さはおかしいでしょ。ねえ。

 

「──成る程、バス遠足の車内で三回も吐いた、と」

 

 ま、まあ事実だ。

 事実だけれども。だが所詮又聞きだ。訂正箇所はある。

 

「違う、正確には二回半だ」

「半ってなに!? お弁当の半分だけリバースしたの!?」

「おいアホの子。何の訓練も受けてない俺に、そんな人間ポンプみたいな器用な真似ができるかよ。だいたいだ、だいたい」

「じゃあ三回でいーじゃん。てかアホじゃないし、バカヒッキー!」

 

 つーかさ、ファミレスでその手の話ってマナー違反じゃないの?

 サイゼは美味しいイタリアンをお求めやすい価格で提供してくれる、楽しくも尊い場所だからね?

 あと覚えておけ由比ヶ浜。

 世間の常識だと、バカっていう方がバカらしいぜ。

 

 ふと俺の斜め前に座る雪ノ下を見ると、俯いたまま肩を揺らしている。

 なんだよ、笑ってらっしゃるのかよ。そんなにさっきの話が面白かったのかよ。相変わらず笑いのツボが不可解な奴だ。

 そもそも他人の失敗談の何処に笑う要素があるのか、我が身の安全を確保した上で一度じっくりと問い詰めてみたい。

 小さく息を一つ吐くと雪ノ下の肩の震えは止まり、流麗な仕草で髪をかき上げる。そしてそのまま極上の笑みを俺に向けてきた。

 

「二回半──ダブルアクセルね」

吐瀉物(としゃぶつ)をフィギュアスケートで喩えるな。銀盤の妖精たちに失礼だろ」

 

 今度は由比ヶ浜と折本が大笑い。

 少しは控えめにしないと他のお客様に迷惑よ、と普段なら注意する筈の雪ノ下は、笑いを取れたのが嬉しいのか満面のドヤ顔でコーヒーカップを口に運んでいた。

 と、ここで誰がテーブルを叩く。これもマナー違反だけど、一体誰……あ。

 

「みなさーん、そろそろ本題に入りたいんですけどー」

 

 そうだ、一色もいたんだ。あまりにも折本たちが素っ頓狂な話ばかり展開するから、現実を直視出来なくて見落としてたよ。

 

「こほん──そうね、大枠だけでも決めてしまいましょう」

 

 本来の目的を思い出した雪ノ下は、速やかに再起動する。

 

「それはいいけど、折本がいても大丈夫なのかよ」

 

 あと何気に副会長以下の生徒会役員たちが同席していないのも良いのか。あいつらの意見は必要無いのか。

 あいつがモブだからか?

 モブだからか!

 何、モブってすっげぇラク出来るじゃん。こういう時は他人任せで良いし、台詞なんか「ダーマの神殿は山奥にある」とか言っとけば大丈夫そうだし。

 もういっそ、生まれ変わったらモブになりたい。

 いや、既に俺はモブ以下か。なんならどっかの冷血部長に備品扱いされてたし──と刹那の愚考に浸っていると、横から思いっきり袖を引っ張られた。

 

「なに比企谷、あたしが邪魔なの? 海浜総合の生徒だから? それとも……」

 

 いや、実際邪魔だろ。海浜総合とは今日の会議で訣別しちまったし、二部構成にすることが決まったし。あと力強過ぎだからね。袖破れちゃう。

 

 そんな愚考の中で、ふと思い返す。

 会議の時から気づいていたことだが、今日の折本は何処かおかしい。

 ピーキーというか、テンションの高低差が激しい様に見える。

 ついでにその言動には危険な香りが漂い過ぎている。

 結果的に合同会議を二部構成に導いた発言もそうだ。

 総武高校側からすれば有り難いの一言だが、海浜総合から見れば裏切りである。

 そんな折本をこの場で放っておいたら、何を言い出すか予想不可能……って、言われて困る事なんて無い。たぶん無い、筈。

 言われて恥ずかしいことなら山ほどあるけどね。

 

「折本さんは敵ではないわ。むしろ味方になってもらいたいの」

 

 は?

 これを味方に、ですと。

 

「折本さんには、海浜総合側との折衝役になって欲しいと思うの。ほら、比企谷くんとも非常に親密な様子だし」

 

 成る程、理由を聞けば尤もだ。これから予算の配分の為の交渉もあるし、海浜総合に味方がいることで有利になる場合は多いだろう。

 が、ちょっと待て。案そのものには賛同したいが……最後の一文、要るかね。

 

「随分と棘のある言い方だな。どんだけ俺を嫌ってるの、お前」

「違うよっ、ゆきのんはおりりんにや「由比ヶ浜さん?」な、なんでもなかった、へへ……」

 

 何だよ、言いかけたなら最後まで言えよ。雪ノ下の圧力なんかに屈するなよ。

 あとそこの折本、無意味にニヤニヤしないっ。

 くそっ、何なんだよ。

 今日は全員おかしい日か。皆既日食でも起きるのか。

 しかし暑いな。暖房効き過ぎじゃないのサイゼさん。渇いた喉を潤そうとコーラを口に含んだその瞬間。

 

「ね、比企谷。由比ヶ浜さんと雪ノ下さん、どっち?」

「ふごぁっ!?」

 

 やべ、コーラが逆流して鼻に入ったっあああ!

 ゲホガホと噎せて涙目のまま紙ナプキンに手を伸ばすと、反対側からも二本の腕が伸びてきた。

 はっと視線を上げると、腕の主は涙目で咳き込みつつ口元を隠した由比ヶ浜と雪ノ下だった。

 なんだよお前ら、仲良いな。

 

「──なにか」

「──なぁに、ヒッキー」

 

 こえぇ。原因は分からないけれど超こえぇ。余りにも怖すぎて、思わず自分の会計だけ済ませて逃げ帰りそうになる。

 

 折本はそんな俺たちを見て笑っていたが、鼻の奥に痛みを抱えたままで溢したコーラを拭いていた俺は、折本に気をかける余裕など無かった。

 故に、笑い終えた折本がどんな顔をしていたかなんて、俺は知らなかったのだ。

 

「あのぉ……そろそろ会議しましょうよぉ……」

 

 

 

 

 

 帰宅出来たのは夜の十時過ぎ。あとちょっとで深夜徘徊で補導されても文句は言えない時刻だった。

 さらに、遅くなると連絡し忘れたせいで我が妹、小町は大層お怒りのご様子で。

 

「だからって、オムライスにケチャップで"呪"は無ぇだろ……」

 

 血の色に似た乾き切らないそのケチャップ文字は、さっきまで小町がキッチンにいた事を教えてくれた。

 仕方ない。今度の休みは小町デーと決めて、我が妹の怒りを鎮める為に費やそう。

 

 冷めたオムライスを食べ終えた俺は食器を洗って、スマホをタップする。

 

「ありがとう。ごちそうさま、美味かった……と」

 

 謝罪の言葉よりも感謝の言葉。以前誰かが言っていた。それに倣って小町へ感謝のメールを送る。

 使命を果たしたスマホをソファーに放った瞬間、着信があった。

 小町からだ。

 恐る恐るメールを開封する。

 

「明日アイス3個と貝ひも2パック」

 

 オーケー、了解だ。

 それで小町の機嫌が直るのなら安いものだ。しかし、アイスはわかるが貝ひもって……我が妹ながらチョイスが渋過ぎる。

 

 

 

 

 シャワーだけで入浴を済ませ、自室のベッドの上でスマホと睨めっこを始めて、早三十分。

 どうもメールやLI○Eは苦手だ。

 

 書き出しは"拝啓"からにするべきか、時節の挨拶は入れるべきか。そんなことを考えている内に面倒になり、結局送信をやめてしまう。

 それが俺にとってのメールである。

 

 なので、まだ返信する方がハードルが低いのだが。

 今回はその返信で迷っていた。

 

 その先日送られてきたメールの内容を簡単にいえば、一度断った相手にまた告白されたという、凡そ俺の世界には存在しない、色恋沙汰の相談メールだった。

 

 その相談自体への返信は簡単だ。

 相手が嫌なら、とことん冷徹に断ればいい。突き放せばいい。

 希望なんか抱かせてはいけない。斬れ味鋭い言葉の刃で、から竹割りの如く一刀両断してやるべきだ。

 ソースはもちろん俺。

 

 中学時代に数回告白した黒歴史の中で、一番後遺症が残ったのが「友達じゃダメかなぁ」という断り文句だった。

 その頃の俺は馬鹿だったのか、友達にはなれるんだと思い込んでいた。

 しかし結局友達になるどころか、話すことも無かった。

 そんな淡い期待を抱かせたら、それこそストーカーになりかねない。

 

 ならば、一縷の希望も持てない程に冷酷に斬って捨ててやる事こそ、長期的展望で見れば双方の利益となるのだ。

 相手は無駄な時間を費やすことなく諦め、ストーカーと化す可能性も少ないだろう。

 

 だが、俺は返信する文面を作れずにいた。その原因は、その文面の最後にある。

 

「比企谷はどう思う?」

 

 という一文だ。

 もしもこのメールの相手が折本かおりでなかったら、こんなに悩むことも無いのだろうか。

 

 

 

 

 

 


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