やはり俺の十七歳の地図はまちがっている。   作:エコー

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 今年最後の定期テスト。

 その最後の答案が返却された。

 数学、43点。

 どうにか赤点は免れた様だ。

 出題範囲に証明が含まれていたことが点数の底上げとなったようである。

 証明は、いわば物語の創作。仮定という結末に向けて理屈を捏ねていく作業である。

 元々屁理屈ばかり捏ねてきた俺にとっては、証明問題は理解度が低いながらも得意な方だ。その結果が、43点という数字に表れている。

 答案用紙を見て、頬が緩む。捨てている教科とはいえ、やはり赤点でないのは嬉しい。

 

「ヒッキー、何点だった?」

 

 自分の答案を後ろ手に隠した由比ヶ浜は、余裕の表情で話し掛けてくる。

 ほれ、と答案を見せてやると、一瞬目を見開いた由比ヶ浜は悔しそうな顔をした。

 

「2点負けた……数学くらいしかヒッキーに勝てるもの無かったのに〜」

 

 悔しがりつつ肩を落として自分の席に戻っていく由比ヶ浜に、さらに頬が緩むのを自覚してしまう。

 

 今までなら親以外に見られることのなかった答案。それを他人と見せ合うという行為が、じんわりと熱を持つ。遠赤外線のような、炭火のような暖かさを置いて去っていく。

 

 思えば、随分と弱くなったのかもしれない。

 これまでの俺の世界には、自分とその他の存在しかいなかった。

 それが今はどうだ。

 登校すれば由比ヶ浜と目が合い、戸塚と挨拶を交わす。その目に悪意が無いことを「知っている」せいか、うっかり自分の周囲に深く掘った溝の淵に立って外の世界の眩しさに目を細め、その身を焼かれる。

 

 憧れだけなら(かつ)ても持っていた。だからこそ、当時クラスのトップカーストの一員だった折本かおりに分不相応な告白なんぞやらかしてしまった。

 笑えないくらいに身の程知らずだった。

 でも、当時はその眩しさが欲しかった。燦々と降り注ぐ太陽に身を焦がす姿が羨ましかった。

 

 だから、見ないようにした。目を背けて耳を塞ぎ、自分は他の奴等と違うと己に刷り込んで、それでも「何も知らない恐怖」から逃れる為に観察し、聞き耳を立てた。

 まったく矛盾している。

 見下されているけれど、見下している。

 知りたくないけど、知りたい。知っておきたい。

 それが「独り」を保つ方法だと自分に言い聞かせ、思い込み、刻み込んだ。

 

 そうして俺は少しずつ、闇に塗れた「たった独りの世界」を作り上げてきたのだ。

 それが自分に必要なことだと信じて。

 

 思考の海に浮かぶ意識はいつしか眠りの闇に落ち、再び覚醒したのは昼休みの直前だった。

 

 

 

 ──あの間違った会議を正す。

 そう意見を擦り合わせて臨んだその日の海浜総合との会議に、新しい顔があった。

 聞けば近隣の小学校の子ども達だという。

 

「招待するのはお年寄りの方々だからね」

 

 そう言い放つ海浜総合の生徒会長、玉縄の目には焦りの色は無い。いや少しは焦れよ。

 そしてまた、迷走すらしない、足踏みだけの会議が始まる。

 

 決まったのは、近隣の保育園の参加である。その折衝役は総武高校側に押し付けられた。

 実際、一色は良くやっていた。自らアポを取り、その足で保育園に向かうという。

 

「比企谷くん、着いて行ってあげて」

 

 そうだな、副会長以下役員はくだらない議事録の作成で忙殺されているし、お供の一人くらい居なけりゃ一色の格好がつかない。

 

 重い足を引きずって、保育園へと向かう一色の後ろを歩く。

 

「──なんで後ろを歩くんですか。ストーカーですか」

「いや、場所分かるのお前だけだし」

 

 一色の軽口も何処か空々しく、それは進まない会議への苛立ちや不安の表れなのだろうか。

 

「保育園では通報されない様に振舞ってくださいね」

 

 違った。混じりっ気なしの罵倒だった。そろそろ泣いてもいいですか。

 

 保育園は園児たちのお迎えの時間だった。

 母親に手を引かれて笑顔で帰る子どもと、それを寂しげな眼で園内から見送る子ども。

 

「あたし……いつもみんなを見送る側だったんです」

 

 呟きの様な細い声は、一色のものだ。

 

「一人、また一人と見送って、いっつも最後まで残ってたんです」

 

 懐かしみながらも顔を伏せる一色に、かける言葉を持ち合わせていない。

 

「……寂しかったなぁ」

 

 母親と手を繋いで去って行く園児の後ろ姿を眺めていた一色は、ただの少女の顔をしていた。

 

「行きましょう。ちゃっちゃと仕事、終わらせちゃいましょ」

 

 振り返った一色の表情は年齢よりも大人びて見えて、それが何処か哀しげで。

 俺はその小さくて大きな背中の後を追った。

 

 園内に入ると、見知った顔があった。

 川崎沙希。

 その足元では川崎に良く似た女の子が笑顔を浮かべている。

 妹だろうか。まさか子どもってことも……あり得そうで少し恐い。

 

「比企谷……?」

「──よう、お疲れ」

「お、お疲れ……あ、あたしは妹のお迎え」

「そうか」

 

 系統は違えど川崎沙希もぼっちであり、そんなぼっち同士の挨拶は素っ気ない。

 と、川崎の足に抱きついていた女の子が俺を見て首を傾げる。

 

「だぁれ?」

「ん、同じクラスの男子だよ」

「さーちゃんのお友だち?」

 

 さーちゃん?

 ああ、沙希だからさーちゃんか。

 いかにも子どもらしい呼び方に小さな頃の小町を重ねて、目を細めてしまう。

 さーちゃん──川崎は、同じ高校の生徒の前で可愛らしい呼び方をされたのが恥ずかしいのか、耳まで真っ赤になっていた。

 

 ──なにこの可愛い生き物。

 

 しばし見惚れていると、足に軽い衝撃があった。視線を下ろすと、川崎と同じ、青みがかった髪色をした女の子が俺の足にしがみついて見上げていた。

 

「かわさきけーかです」

 

 控えめに言って天使だった。

 俺はその天使の前に跪き、視線の高さを合わせる。

 

「けーかちゃんか、こんにちは。俺は比企谷八幡だ」

「はちまん……はーちゃん!」

 

 おぅふ。いいプレゼント貰っちゃったぜ。これで明日も頑張れそうだ。

 

「こ、こら、けーちゃん。ごめん比企谷、うちの妹なが……」

「はーちゃんは、さーちゃんの……かれし?」

 

 いや違うからね。そんなこと言ったら川崎に叱られるぞ。と川崎の顔を見ると、真っ赤になって俯いていた。

 つまりあれですね。すっごくお怒りになっていらっしゃる、と。

 

「せんぱい、帰りますよ」

 

 未だ俺から離れない川崎の妹の頭をわしゃわしゃと撫でていると、何故か背後から冷たい声音をぶつけられた。

 振り返ると一色が仁王立ちで立っている。

 解せぬ。幼女を愛でていただけなのに。

 十分案件、いや事件ですね。

 

「悪い、一色。今行くわ」

「もういいです。話し合いは終わりましたから」

 

 一色の視線の先、園の建物の入口でお辞儀をするのは、エプロン姿の女性だ。

 

「園長先生です。イベント参加の件は快諾して頂けました。当日は園長先生もいらして頂けるようです」

 

 いつの間に交渉成立してたのだろう。つーか俺、要らなかったな。

 

「はーちゃん、遊ぼ」

「……なに園児をナンパしてるんですか。ロリコンですか?」

「ふざけんなよ一色。俺はロリコンではない。可愛い天使を愛でていただけだ」

「充分すぎるほどに変態の発言ですよ、それ」

 

 解せぬ。

 

「可愛いから可愛いと言って何が悪いんだよ。昔から言うだろ、可愛いは正義だ」

「はーちゃん、けーちゃんかわいい?」

「ああ、可愛いぞ。でも大人になったら美人になるかな。川崎の妹だからな」

「びじん?」

「ああ、クールビューティーだ」

 

 園児に理解出来るとは思えないが、当の本人は「くーるびゅーてぃ、くーるびゅーてぃ!」とはしゃいでいるし、可愛いから良いか。

 

「ほらもう、行きますよっ。あ、えーと、川崎先輩、でしたっけ。お邪魔しました」

 

 物理的に引き摺られ、保育園を後にする。

 

「せんぱい……何してるんですか。節操なしにフラグ立てまくりのタラシですか」

 

 未だ頭上で大きく手を振る川崎の妹に手を振り返しながら反論する。

 

「誰がフラグ建築士一級だよ。ワンサマーと一緒にするな。あれは空想上の生き物であり、ぼっちの敵だ」

「何言ってるかひとつも分かんないですけど何かムカつくので、帰りにアイス買ってください」

「おい、どこからアイス買う流れになったんだよ」

「チョコミントでお願いしますね」

「うわぁ、聞いちゃいねぇし……無理問答かよ」

 

 チョコミント、何処に売ってたかなぁ……。

 コンビニアイスのラインナップを思い浮かべながら、大きな溜息を吐いた。

 

 コミュニティセンターに帰り着くと、既に会議は終わっていた。

 待っていたのは由比ヶ浜、雪ノ下。それに、折本だった。

 由比ヶ浜からバッグを受け取り、そのまま解散となった帰り道。不意にスマホが鳴動した。

 

「相談したいことがあるんだけど」

 

 

 

 

 

 

 翌日の放課後、すかさず我が身に隠蔽をかけた俺は、喧騒の中をするりと抜けて教室の出口へと向かう。

 うむ、今日もステルスヒッキーは絶好調だな。

 と、思っていたら教室を出る瞬間に戸塚に手を振られた。

 もしや俺のステルスヒッキーは第二段階、ACT2に進化したというのか。

 ACT2、それは我が身を隠しながらも戸塚にだけ認識されるという、あの伝説の──いかん、思わず妄想が山吹色の波紋疾走を起こしそうになった。

 悲しいけれど現実に戻ろう。

 

 今日はこれから生徒会と奉仕部だけの会議を行う予定だ。

 もう奉仕部の部室には生徒会の連中は向かっているのだろうか。部室の鍵は開いているのだろうか。

 いや、雪ノ下なら既に解錠して準備に取り掛かっている筈だ。

 根拠の無い期待を勝手に押し付けながら、他のクラスの生徒でごった返す廊下を縫う様に進む。

 右から来る体育会系男子をサイドステップで躱し、左からチャージしてくる妹系女子をクライフターンで抜き去る。

 ふっ、ACT2に至った今、もう誰も俺に触れることさえ叶わ──

 

 ぽすん。

 

 ──丸めた背中に軽い衝撃を浴びる。

 

 誰だ、隠蔽を極め進化させた今の俺に触れる存在など……あ。

 振り返ると、息を切らせた由比ヶ浜が睨んでいた。

 怒り顏の美少女も中々どうして、じゃない。

 仕方ない、俺に触れた栄誉を称えて対応してやろう。あくまで仕方なく、なんだからっ。

 

「よう、どうした」

「どうした、じゃないしっ」

 

 おやおや、由比ヶ浜さんはご立腹のご様子だ。しかしその怒りの理由がまるで分からない。分からないったら分からない。

 

「……なんで先に行っちゃうし」

 

 ふむ、成る程。

 やはり女性は早いのがお嫌いの様だ。ごめんね、俺だけ先にいっちゃって。

 不謹慎極まりない独り言を脳内にぶちまけて、若干の自己嫌悪に陥る。

 

「どしたの?」

「いや、ちょっと気が重くなってな」

「……そだね。今日は大変になりそうだもんね」

 

 苦笑する由比ヶ浜は合同会議を考えているのだろうが、実は違う。

 憂鬱なのは、俺の心中での件だ。だが、それは俺自身のことであって、これから行われる会議との関係性は皆無だ。

 故に俺は、曖昧な首肯で由比ヶ浜に応えるしか出来ない。

 

「……おりりん達、なんて言うかなぁ」

 

 不意に肩が跳ねる。

 そのセンスの欠片もない渾名(あだな)は、昨日由比ヶ浜が折本かおりに向けて発したものだ。

 この僅かに動揺した心中を気取られない様にする為には、ある種の仮面が必要だ。

 

「──あれだけ本人が嫌な顔をしても、その呼び名は変えるつもりは無いのね。やっぱり由比ヶ浜さんって案外頑固だわ」

「ゆきのんのマネがさらに上達してる!?」

 

 大仰に溜息を吐いて見せ、我ながら気持ちの悪い声と口調で窘めると、いつものツッコミが発せられた。

 キモいことこの上ない物真似だが、仮面としての役割は十二分に発揮してくれた様だ。

 

「ま、大枠は昨日メールに書いた通りだ。雪ノ下や一色には伝えてあるんだろ?」

「うん、それが一番良い方法だろうって、ゆきのんも言ってた」

「そうか。ま、あいつの本質は破壊者だからな」

 

 破壊者。

 そう、あいつ──雪ノ下雪乃は破壊者だ。俺の怠惰なる日常を破壊し、さらには心の平穏さえも破壊しようとする。

 そういう意味では目の前の由比ヶ浜も同じではあるが。

 それでいて二人を突き放せないのが非常に厄介だ。

 目の前の由比ヶ浜がジト目で俺の顔を覗き込む。

 やめて、至近距離だから勘違い度数が高くなっちゃう。

 

「あー、ひどいこと言って。ゆきのんに言っちゃうからねー」

「いや……それは勘弁してくれ。まだ死にたくない」

「へぇー、どぉしよっかなぁ〜」

 

 リノリウムの床の上、俺の前で由比ヶ浜は軽やかにバックステップを踏み始める。そこには先程までの不機嫌さは欠片も無い。

 理由は知らんが、今日の由比ヶ浜は元来機嫌が良い様だ。

 ま、機嫌が悪いよりはずっとマシだな。

 

「あっそうだ、ヒッキーの昔の話、聞かせて?」

「どっからそれが出てきた。話が飛び過ぎだ」

「んー、ゆきのんに今のを内緒にしたげる……交換条件?」

 

 何で疑問形なんでしょうかね。つーか条件が厳し過ぎるのではないかね、由比ヶ浜さん。

 

「ひでぇ奴だな。そんなに人のトラウマ掘り返したいのかよ」

「ヒッキーの過去って、トラウマしか無いの?」

「いや、どう……だったかな」

 

 即答を避けて、考える振りをする。

 

「あるでしょ、恋バナ……とか」

 

 ちらと由比ヶ浜が上目遣いで俺を見る。あざと……くは無いんだよなぁ。こいつの場合、この手の仕草は天然だし。

 

「まあ、機会があれば、な」

「ぶー、何それ」

 

 頬を膨らませるも、由比ヶ浜は何処か楽しそうである。

 となると、不安は募る。

 先日の合同会議の帰り。俺は中抜けして帰宅したが、あの後雪ノ下と由比ヶ浜は折本かおりと共に何処かへ行った筈だ。

 そこでどんな話題が出されたのか。それこそが目下、俺の憂鬱の種である。

 

 女三人寄れば姦しい、というが、どんな会話が繰り広げられていたのか。ほんのちょっとだけ気になったりするのだ。

 

 

 上機嫌で床を鳴らす由比ヶ浜に続いて奉仕部の部室に入ると、既に雪ノ下が席に着いていた。

 

「こんにちは、由比ヶ浜さん、比企谷くん」

「おう……って、今日も早いのな」

「ええ、ちょっと、ね」

 

 ちょっとってなんだよ。

 まさか、昨日女子たちだけで話したであろう俺の悪口でも振り返っていたのか。

 僅かに笑みを浮かべる雪ノ下を訝しげに見ていると、既に定位置に腰を下ろした由比ヶ浜が取り繕う様な笑顔を向けてきた。

 

「だ、大丈夫。ヒッキーの思ってるようなことは無いから」

「──は?」

 

 こいつやっぱエスパーなの?

 ──はっ、まさかこれがサトラ……んな訳あるか。

 訝しげな視線を由比ヶ浜を移して一睨み、定位置である長机の隅に着席する。

 そこへ、タイミングを見計らった様に紙コップが置かれた。立ち昇る湯気に含まれた紅茶の香りが鼻孔をくすぐる。

 

「あなたって、全く気づいていないのね」

「何がだよ」

「んー、ヒッキーってさ、言葉は少ないけど、そのぶん思ってることが顔に出やすいんだと思う」

「だから大丈夫よ。昨日も今も、あなたの悪口なんか言っていないから。むしろこ──むきょっ!?」

「ゆ、ゆきのんっ、ダメっ」

 

 ガタガタばたばたと、由比ヶ浜が雪ノ下に飛びついて口を塞ぐ。

 つかなに今の雪ノ下の声は。「むしろこ」って何だよ。新しいお汁粉か何かか?

 

「……ごめんなさい、何でもないわ」

「いや、何か言いかけてから何でもないって言われても」

「……何でもないわ」

 

 へぇ、さいですか。

 ま、悪口を言われていないのなら僥倖だ。むしろ奇跡まである。

 

 湯気の少なくなった紅茶を啜ると、その熱は喉元を通り、香りは鼻へ抜ける。

 相変わらず美味い。

 

「それで、今日は──」

 

 雪ノ下が言いかけたところで部室の引戸が開かれた。

 

「こんにちは〜」

 

 入ってきたのは一色を先頭とする生徒会役員共だ。

 つかノックしろよ。雪ノ下に怒られるぞ……あれ?

 

「いらっしゃい、一色さん、生徒会役員の皆さん」

 

 お、怒らない、だと!?

 

「──何か?」

 

 いや俺には怒るのかよ。

 まあいいや。時間は限られているし、とりあえずやる事だけ済ましてしまおう。

 

「それで、集まって貰ったのは他でもない、合同イベントのことだ」

 

 長机を挟んで対面した生徒会役員たちに、今日の会議の目的を告げた。

 

 

 

 

 

 

 コミュニティセンターの廊下を会議室へと向かう総武高校の面々は、皆一様に緊張感を持っていた。

 

 これから行われるのは、戦いだ。

 勝利条件は、イベントの合同開催を解消すること。

 その為に其々が其々の役割を持って、会議室へと足を踏み入れた。

 

 ふと、会議室の隅の方に所在無く立っている小学生たちの姿が見えた。

 何も決まらない内に人員だけ増やせば、まあこうなるわな。

 

「やあ、こんにちは。早速だけど、総武高校には小学生たちへの指示出しをお願い出来るかな」

 

 自分たちで勝手に呼んでおいて、後のことはこっちに丸投げ、か。

 たいした生徒会長だな。その身勝手さには、怒りを通り越して尊敬すら出来そうだ。

 だが、これで容赦なく潰せるというものだ。

 

 

 

 会議は紛糾した。

 是が非でも合同で開催したいと主張する海浜総合側は、シナジー効果がどうのと食い下がる。つかこれ、全部日本語にすると、相乗効果効果だからね。

 対する総武高校勢は、雪ノ下を筆頭に各個撃破、もとい論破していく。それが終われば、後は由比ヶ浜が落とし所を提示して終了、なのだが。

 

「──やはり合同で開催する事に意味があるんだよ」

「その意味を具体的に説明して欲しいと先程から言っているのだけれど」

「だから、両校の生み出すシナジー効果が──」

 

 何度目だよ、このやり取り。つーか駄目だ、こいつら意固地になってやがる。

 仕方ない。無理矢理流れを作るしかないか。

 

「──そもそもだ」

 

 今まで沈黙を貫いていた俺の発言に、皆が沈黙する。

 

「スタートからして間違ってるんだよ、今回の合同イベントは」

「──どういうことかな」

 

 お、食いついてきた。

 ならば後は、事前に話した流れ通りに進めるだけだ。

 だがその前に、こいつら意識高い系共の鼻っ柱をバッキバキに折ってやろう。

 

「この合同イベントが海浜総合からの発案なら、その時点で何らかのプランをこっちに提示してくるのが筋じゃねぇの?」

 

 最初に一色から合同イベントの件を聞いた時から疑問だったことだ。

 通常の順序からいけば、まずやりたいことがあって、それからイベントを計画するのが本来の形だ。

 それが今回はどうだ。

 やりたいことが無いままでイベントの日時だけ決めて、他校に声をかけ、人員を出させる。

 巫山戯(ふざけ)ているとしか思えなかった。

 

「何も決めずに白紙の企画書を持ってきて一緒にやりましょうなんて、小学生が放課後に遊ぶのとは訳が違うんだよ。ま、友達いた事ないから分からんけ……ど」

 

 海浜総合側の自称友達、折本が睨んできて超恐い。が、まだ止まる訳にはいかない。後で怒られてやるから今は口を挟まないでくれよ。

 

「──つまりだ。お前たちは責任を負う事が恐いんだろう」

 

 図星を指されたのか、誰一人として反論してこない。ならば続けさせて貰おう。

 

「合同開催という形式があれば、もしもイベントが失敗しても責任は二分される。だから総武高校を巻き込んだ。違うか?」

「ち、違う──僕たちはただシナジー効果を最大限に発揮してイベントを成功させようと……」

「なら聞くが」

 

 瞑目し、ひと呼吸おいて、再び海浜総合生徒会の面々に視線を向ける。

 

「イベントにとって最悪の失敗とは、何だ」

「簡単な問いだ。イベントが盛り上がらない事だろ」

「違うな」

 

 的外れもいいところ。それはイベントが開催された時の話だ。

 まずはそこから勘違いを正していかなければならない。

 

「イベントにとって最悪の失敗とは……開催出来ないこと、だ」

 

 そんなの当然だろ、今さら何を、などなど、海浜総合側からは馬鹿にする様な声が上がる。

 

「途中参加の俺は、合同イベントの打診から今まで、何日を無駄にしたかは知らん。だがイベントまで僅か二週間しか無いのは分かっている。なのに、何をやるかも決まらない。いや、決めなかったんだよ」

 

 決められないのではなく、決めない。

 その方が失敗した時の責任問題を少しでも先送り出来るから。

 だが実際はどうだろう。責任問題を先送りにしたばかりに経営が傾く企業もあることくらい、ニュースを見ていたら解る筈だ。

 まったく幼稚な考えだ。

 

「こんなのは世間話以下、ただの時間の浪費だ」

 

 だからこそ断言してやる。

 

「お前たちのやってる事は会議の為の会議だ。つまり、イベントの失敗へと着実に向かっているんだよ。だから──」

 

 言葉を切って一色に目配せし、事前に渡しておいたA4サイズの紙束を海浜総合側に配布してもらう。

 

「──こっちはこっちで勝手に企画書を作らせてもらった。ここでお前たちと共倒れなんてことになったら、俺たちが推した生徒会長の経歴に傷がつくからな」

 

 この企画書は、昨晩俺が四時間ほどで作ったものだ。かけた時間から察する通り、大した内容ではない。

 これまでに挙がった企画案から実現可能な案を抜粋して並べただけの、粗だらけで突っ込みどころ満載のもの。そこに適当にグラフを入れただけのお粗末な企画書だ。

 本当はグラフなんぞ不必要なのだが、海浜総合の奴等ってこういう書類っぽいの好きそうだから、興味を引く手段として使わせてもらった。

 お為ごかしの手だが、海浜総合の奴等が目を輝かせる様子を見るに、効果は抜群の様だ。

 さて、ここからは予定調和の三文芝居だ。

 

「イベントを前後半の二部構成に分けた場合、総武高校側の企画は既に固まりつつある。予算案も同様だ」

「ええ、つまり私たちは、あなた達の下らない会議よりも進んでいるのよ。しかも、彼一人の手でね」

 

 ──雪ノ下め、余計なことを。学年一位の成績の癖に台詞もまともに言えないのかよ。

 俺の細やかな怒気を感じ取ったのか、雪ノ下が睨み返して……いや、笑みを浮かべて俺を見る。

 

「確かに貴方の案には賛同したけれど、この企画書は貴方が作成したものよ。その手柄は貴方だけのものだわ」

「だね。ヒッキーったら今朝すっごく眠そうだったもんね。数学なんて本当に寝てたし」

「ほっとけ。数学の時間は寝ることにしてんだよ」

 

 だから慈しむような笑みを向けないでくださいよ、奉仕部のお二人さん。恥ずかしいからっ。

 

「あー、とりあえず企画書に目を通してくれ。話はそれからだ」

 

 海浜総合側の面々が次々と紙束に目を落とす。ぱらぱらと紙を捲る音が聞こえ、それが進むにつれて次第に小声で話し合いが始まり、それは騒めきに変わる。

 

「──それが現実よ」

 

 凛とした声音が空気を断ち、全ての視線を集めた。

 

「ご覧の通り、この人数で今まで開かれていた合同会議は、彼のたった一日の仕事に劣るのよ」

「そ、それは、彼がずば抜けて優秀なだけで……」

 

 何処かのテレビ局のディレクターの様に肩にセーターを掛けた男子が口を挟むが、雪ノ下の得意技「いてつくはどう」で封じられた。

 その勢いのまま、海浜総合の席をぎろりと()め回した雪ノ下は、俺が作った紙束を片手に立ち上がった。

 

「これを僅かな時間で作成した彼──比企谷くんが優秀なことは否定しないわ。けれども今問題なのは、貴方達の無能さ、なの」

 

 いや、俺を褒めるとかいらんから。お顔が真っ赤になっちゃうから。

 そんな俺の心中などお構い無しに、さらに雪ノ下は続ける。

 

「これだけの頭数で連日の様に会議を重ねて何も決められない。そんな貴方達を評するのに、無能以外の言葉があるのかしら」

 

 辛辣な雪ノ下の言葉に、会議室の空気は極度に張り詰める。双方の心中にあるのは、敵意。

 

 だがこの展開は想定内である。

 此処へ来る前、全員に説明した今日すべき事、それは「対立と懐柔」だ。

 俺と雪ノ下が相手を怒らせて、それから懐柔する。

 その懐柔の役目が今、生きる時が来た。

 

「あの、さ」

 

 懐柔の役目を追うのは由比ヶ浜だ。由比ヶ浜の全身から滲み出る「人の良さ」、これこそが我が奉仕部の最終決戦兵器だ。

 

「それぞれでやる方が、お客さんは二つ見られてお得じゃないかなぁ。ほら、一つだとさ、小さい子どもとか途中で飽きちゃうかもだし」

 

 台詞の後半はアドリブか、すげぇな由比ヶ浜。俺には考えつかない理由だ。

 この由比ヶ浜の意見には一応の効果があった様で、海浜総合側のほぼ全員が黙考を始めている。

 

 さて、これで万策尽き──もとい、やる事はやった。

 

 俺は、由比ヶ浜、雪ノ下、一色の順に視線を送り、それぞれと頷き合う。

 これで駄目なら、合同イベントそのものを潰す。

 海浜総合の面々から囁くような話し合いが聞こえてきた。その内容は二部構成にした場合の対応であるから、かなり旗色は良くなった。

 

 よし、このまま行けば。

 しかし未だ玉縄会長だけは食い下がろうとする。

 

「だけど、やはり両校で一緒にやる方が……」

 

 ──駄目だったか。

 生徒会長をやるだけあって無駄にメンタルが強いな、玉縄って奴は。

 ならば、総武高校はこの一件から手を引くという脅し文句を──え?

 

「へぇー、総武高校は演劇やるんだー、じゃあ海浜は何やる? あっ、バンドとかいいかも」

 

 玉縄の言葉を遮って会議室全体に響く声。

 折本かおりの声だ。

 海浜総合側から響いたその声に、玉縄会長は口を噤んだ。代わりに声を発したのは、副会長だろう眼鏡の男子だ。

 

「しかし、二部構成にするにしても、どうやって企画を考えれば良いかなんて分からないし……」

 

 何だよ。こいつらただの甘ったれかよ。こんなんにずっと付き合わされていた総武高校の生徒会と折本は本当に苦労してたんだな。思わず素直に同情してしまう。

 だが、万が一に備えて保険を掛けておいて良かった。

 さあ出番だぞ、一色会長。

 

「えーと、ロジックツリーってご存知ですかぁ?」

 

 

 




うっかり1万文字超え。
その反動で次回の投稿が遅れるかも知れません。

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