やはり俺の十七歳の地図はまちがっている。   作:エコー

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サブタイトルは後で変更すると思います。


4 家に帰るまでが会議です

 

 

「──はぁ、何とも要領を得ない報告ね」

 

 週明けの放課後。

 淹れたての紅茶の湯気が揺蕩(たゆた)う中、先週末に行われた海浜総合生徒会との合同会議に関する報告を終えた後の雪ノ下の第一声である。

 

「んー、あたしもよくわかんなかったかな」

 

 雪ノ下や由比ヶ浜が理解しきれないのは、ある意味当然だ。何しろ折本かおりが絡む事項は全てカットして話したのだから。

 いや、隠すつもりは無いんですよ。ただ伝えないだけ。

 だって聞かれてないし、なるべくなら藪は(つつ)きたくないし。蛇どころか、下手したらリヴァイアサンとか出て来そうだし。

 

「……とにかくだ。ありゃ会議とは名ばかりの、ビジネス用語というか……外来語の発表会だった、としか」

 

 嘘も吐いてはいない。

 実際に海浜総合の奴らからは、リスケだのリノベーションだのシナジーだのというカタカナ語が飛び交っていたのだから。

 ここに一色がいれば、また違った内容の報告になるだろう。というか、俺の悪口を言われて終わりそうな気しかしない。

 

 しかし幸いにも一色はいない。ならば余計なことは言うべきでは無いだろう。

 ただでさえ先週末の会議も折本のせいで針の(むしろ)だったのだ。その筵に座る機会は少ない方が良いし、その針は少ないに越したことは無い。

 無用なトラブルは避ける。これぞリスクマネジメントの基本である。

 

 だが、その努力も無駄になるのだろう。部室の扉をノックされた、この直後に。

 

「こんにちは、一色さん」

「やっはろー、いろはちゃん」

「……おう」

 

 三者三様の挨拶で迎えられた一人の後輩によって。

 

 そして、その予感は早々に的中するのだ。

 

「……で、あの人は何なんですか、先輩」

 

 長机の向こう、こちらに身を乗り出して迫る一色いろは。その表情は一見笑顔なのだが、目は一切笑っていない。

 つか近けぇって。

 やめて。思わず勘違いしそうになるし良い匂いだし。

 いや、やっぱ恐いだけだわ。

 ちらりと視線を横へ送ると、首を傾げる由比ヶ浜の向こうに冷静、もとい冷ややな目が見えた。

 

「海浜総合──ならばあの人とは……やはりあの時のあの人のことかしら」

 

 雪ノ下は気づいてしまった様だ。いや、表情からすれば由比ヶ浜も──

 

「あっ、そーいえば海浜総合の制服だったよね、あの子」

 

 うん、やっぱり気づいてる。だが、まだだ。まだ勝負は終わらんよ。

 そんな代名詞を持ち出しても個人を特定されない限りは負けた訳では──

 

「折本さん……だったかしら」

 

 ──勝負は一瞬でついた。

 もちろん俺の負け。さすがは俺以外のほぼ全校生徒の名を覚えていた才女である。

だが待て、待ってほしい。そんな才女の目を無自覚のまま掻い潜っていた俺こそ、本当にスペシャルな存在なのだ。

だから、その冷たい笑みを早く引っ込めて欲しい。

 

「そーです。その折本さんですよっ」

 

 後輩女子の言でさらに駄目押しされた。本当、世の中って生きにくく出来てるよな。

 

 しかし、何と説明すべきか。ここで言葉を誤れば痛くもない腹を探られる。

 例えばだ。

 あれはただの友達なんて言ったら、如何にも何かありそうに聞こえるだろ?

 この場合、「ただの」の部分が余計な何かを想起させる訳だ。俺に友達がいるかいないかは別として。

 ならば、模範解答は以下の通りとなる。

 

「あれは……中学校の同級生だ」

 

 うん。モアベター。

 しかも告げた内容には何ひとつ嘘は含まれていない。故に動揺なんかしない。してない、よな?

 

「でもでも、ただの同級生って感じじゃなかったですよね〜。LI○Eとか知ってるみたいでしたし」

「えっ、ヒッキー、LI○Eやってたの?」

 

 そこに食いつくのか由比ヶ浜。しかしこの場合に限っては良いパスだ。

 

「まあ、な。ゲームとクーポン目当てでやってる」

 

俺クラスの上級ボッチともなれば、その手のSNSは誰よりも有用に使い(こな)しているまである。

SNSでは様々な企業、店舗がアカウントを有しており、そこには情報と割引クーポンが溢れている。それらを駆使すれば、非常にお得に牛丼やラーメンやファストフードを購入出来るのだ。公式アカウント万歳である。

 

「うんうん、あれって結構使えるよね。コスメなんかも安く買えるし」

「クーポン……株主優待のようなものかしら」

「全然違ぇよ。つか高校生からそんな言葉が出るのが恐いんですけど」

 

さすがは雪ノ下家。資本主義社会からの恩恵もスケールが違う。なりたけの優待券が余っていたら是非ください。

 

「父が──時々くれるのよ」

「さいですか」

 

 よし。これで話のすり替えは完了、と。

 勿論述べた内容は嘘ではない。

 マツ◯ヨとかユニ◯ロとか、実際SNSでクーポンの恩恵に預かれる企業は結構あるのだ。

 しかし……この秋になって、公式アカウントばかりだった「友だち」に二人の個人名が追加されるなんて思わなかったな。

 一人は同じ2年F組で連絡先は知っていた戸塚彩加。言わずもがな天使である。そしてもう一人は……あ、やべぇ。

 

「ヒッキー……なんか目が泳いでる」

 

 くっ、目敏い奴だ。さすがは空気読みの達人、エアマスター由比ヶ浜である。

 

「すげぇな由比ヶ浜、そんな慣用句を知ってるなんて」

「むー、バカにし過ぎだしっ」

 

 ぷんすかぴーと頬を膨らませる由比ヶ浜に妙な安心感を覚えつつ、さてこのまま話を逸らしていき、最終的にどう着地させて逃げ切ろうかと思案する。

 が、さすがは才女。雪ノ下が見事に話を戻してくれやがった。

 

「で、その折本さんに連絡を取って、今回の件の間者を頼んだ、ということ……なのかしら。LI○Eで」

 

 的確で助かる。けど最後の一言って要る? それに何か刺々しくないですかね部長さん。

 こうなったら、意地でもLI○Eの件には触れん。完全ガン無視、スルーしてやる。

 

「間者っつーか、海浜総合の生徒会についての情報を提供してもらっただけだ」

「それを間者と呼ぶのよ……」

「え、じゃあヒッキーは折本さんのLI○E知ってるの!?」

 

 ガン無視だ。スルーだ。

 つかそんなにLI○Eって重要かよ。なんなの、センテンススプリングなの?

 おっとこりゃかなり古いな。

 

 脳内世界に逃げ込もうとしている俺に、雪ノ下の、由比ヶ浜の、二人の追求の視線が刺さる。つーか今更だけど、何でこの二人ってこんなに俺に厳しいのん?

 

「は、はぃ……」

 

 迫力に押されて、思わず口ごもる。

 

「そう……」

「ふーん……」

 

 両名とも、理解したからと云っても納得はしませんけど、と言わんばかりの温度の無い返事である。

 二人の納得なんて必要無いと思うんですがね。

 

 つーか今回の主旨は、海浜総合との合同イベントの会議についての報告だろうが。

 無駄にやり玉に挙げられて、無駄に命を散らしたくはない。

 ほら、一寸の虫にも五分の魂っていうだろ。俺にだって二分(にぶ)くらいの魂はあると思うぜ?

 あれ。俺の魂って虫より少ないのかよ。

 

 仕方ない。誠に遺憾だし不本意だが、ここは情報を出すことで有耶無耶にするしか無いな。

 

「という訳でだ。今日の合同会議の時間までに、折本に提供してもらった情報を話しておこうと思う」

「えっ、話してくれるの?」

「当たり前だろ。何のための偵察だよ」

 

 由比ヶ浜がキョトンとした顔を向ける。やべ、ちょっと、いやかなり可愛い。思わず弄りたくなる……あ。

 

「いやいや待て雪ノ下。そのスマホをしまえ。妄想で通報されちゃかなわん」

「やはり通報に値する妄想をしていたのね……」

「ヒッキー……」

 

 だからもうこの展開やめれって。

 溜息を漏らしつつ、分かりやすい様にスマホの時計を見る。

 

「あ、そろそろ行かないと会議に遅れちゃいますよ」

「もうそんな時間かよ」

 

 あの会議なら遅刻しても別段問題は無さそうだけど。会議の進行自体が止まってるも同然だし。

 

「ま、今日も偵察してくるか」

「待ちなさい。今日は私も行くわ」

「あ、あたしもっ!」

 

 俺に雪ノ下や由比ヶ浜の高度の決定権などある筈もなく、何とも憂鬱な気持ちを抱えたまま、女子三人に続いて部室を出た。

 

 

  * * *

 

 

 さて、時は進んで日は暮れて、合同会議が終わっての帰り道である。

 俺たち四人は一様にげんなりした顔で、街路灯の青白い光に照らされた歩道を駅へと歩いていた。

 

 時刻は夜の七時過ぎ。

 まったく、何が哀しくてこんな時刻まで意識高い系のエセビジネス用語発表会に付き合わされなければならないのか。

 コミュニティセンターを出た別れ際、本牧副会長以下の生徒会役員共も疲れ顔で背を丸めて帰っていった。

 それは俺たちも同様で、誰からともなく溜息や深呼吸が聞こえる。

 

「──聞いていた以上に酷かったわね」

「あはは……」

 

 会議は今日も海浜総合主導によるブレストで終わった。

 会議中、雪ノ下は終始眉根を寄せ、由比ヶ浜は頭上に大量のハテナマークを浮かべ、一色は苦笑を顔に貼り付けていた。

 本牧以下の生徒会役員共は中身のないカタカナばかりの議事録を作成するという苦行を強いられ、俺は黙して会議の成り行きを見ていた。

 不幸中の幸いだったのは、折本かおりが大人しく海浜総合側に座っていてくれたことだけだった。

 

 安堵する俺の前方を歩く奉仕部女子二人と後輩生徒会長は、口々に合同会議の感想を述べ合っている。

 

「いやぁ、なんかすごかったね。あたし全然わかんなかったよ……」

「そうね、あれは一体何だったのかしら。まるで会議の為の会議ね」

「あれが今まで続いてるんですよ……」

 

 三メートル程の距離を伝ってくる会議の感想は、どれも否定的だ。

 無言で追随(ストーキングではない)していると、短い制服のスカートを翻して一色が振り向く。

 不意打ちはやめなさい。何がとは言わないけど、今見えそうだったからね。

 

「それで……どうしたら良いと思います?」

 

 端的に聞かれるが、最早どうしたらもこうしたらも無い。ちなみに「設楽」という苗字は「したら」と読んだり「しだら」と読んだりするから気をつける方がいい。「山崎」も同様だ。

 完全に余談だった。その余計な余談のせいか、海浜総合の制服が近づく気配に全く気づかなかった。

 気づいた時には既に遅し。

 背中から知った声音が聞こえた。

 

「あれ、比企谷じゃん。お疲れー、今日の会議も……あ、お邪魔だった?」

 

 折本かおり現る。

 ──余談のせいだ。いやそんな訳は無いけど。

 どう返答すべきかと思う内に、立ち止まり振り向いた雪ノ下が発した。

 

「折本さん、だったわね。お疲れ様」

「やっはろー、おりりん」

 

 続いて由比ヶ浜が、日本語かどうかも怪しい挨拶をするが、なんだそりゃ。

 

「お、おり……りん?」

 

 あー、戸惑うよなぁ。こいつ由比ヶ浜の命名センスの低さを知らないし。つか由比ヶ浜自体を知らないか。

 

「あー、悪いな。こいつのあだ名って壊滅的なセンスだろ」

「ひっどいヒッキー、ゆきのんも何か言ってやってよっ」

「……ヒッキーに、ゆきのん? なにそれ、ウケるんだけど」

 

 珍獣を見る様な折本の視線が、俺と雪ノ下を往復する。つーかウケないし。

 溜息をひとつ、雪ノ下は思わず見惚れそうな柔らかい笑顔を由比ヶ浜に向ける。

 

「──ごめんなさい由比ヶ浜さん。いくら歯に衣着せぬ私でも、比企谷くんの発言に諸手を挙げて賛成なんて言えないわ」

 

 うわぁ、こいつ完全に由比ヶ浜をイジりにいってる。一瞬すごく悪い顔したし。

 

「言ってるし、超言ってるしっ!」

 

 頬をパンパンに膨らませた由比ヶ浜が抱きつくのは、何故か得意顔の雪ノ下だ。

 珍しいパターンのゆるゆりだが、いずれにしても路上で繰り広げるものではない。

 そんな二人に折本は目を細めていた。

 

「……仲いいね」

「そーなんですよぉ。お三方ったら、部室でもこうしてイチャコラと「一色さん?」──ひぁっ!?」

 

 何故か得意気に折本への説明を始めた一色。そこに雪ノ下がカットイン!

 あまりの冷気と迫力に気圧された一色は、二歩三歩と後ずさる。

 あと由比ヶ浜は満更でもない顔で赤面するのをやめなさい。俺まで恥ずかしいから。

 だが、まだ雪ノ下の追撃は終わらなかった。

 

「いつ、誰が、何処で、この男といちゃいちゃしていたと言うのかしら。具体的に教えて貰えると有り難いわ、一色さん?」

 

 あれれ、何か違くない?

 何で対象者が俺一人になってるの?

 三人で、って話だったよね?

 つか今回「?」多過ぎだな。

 それより一色さん。俺の背後に隠れるのは止めようね。流れ弾が掠るだけで死ぬよ、俺。

 

「まあまあ、ゆきのん。いろはちゃんも悪気があった訳じゃないし」

「──そうね、悪気があったのならとっくに埋まっているもの」

 

 恐い。超恐いってば。

 埋めるって何をどこに。一色を植えても何も実らないと思いますよ。

 ほら見てごらんなさい。実るどころか枯れる寸前ですぜ。だって、おでこにタテ線入りそうな勢いで血の気が引いてるもの。

 

「わ、わ、いろはちゃん、気をしっかりっ!」

 

 さすがはエアマスター由比ヶ浜である。この場を何とか出来るのは自分だけ、と一色を抱き抱える。

 おや、早くも由比ヶ浜のたゆんたゆんな胸に抱かれた一色さんの顔色が戻ってきましたよ。でも、「うへぇ、天国って柔らけぇ〜」とかいう感想は聞かない振りをしておこう。

 

 目を移すと、折本はポカンと口を開けていた。

 そりゃそうだよな。これだけ強烈な個性を一度に何人も見るって、中々無い経験だからね。

 

 由比ヶ浜の柔らか看護で復活を果たした一色が、唐突に手をぱんっと叩く。

 やめて、ちょっとびっくりしちゃっただろ。

 

「そそ、そーだ、みんなでファミレスでも行ってお話しませんか?」

 

 さすがは男どもを手玉に取るジャグラーなだけはある。雪ノ下の冷気にも負けない強靭な精神をお持ちな様だ。

 いや実際には負けてたけど。瀕死だったけど。

 おっと、そんな愚考を展開している場合ではない。

 

「おい一色、余計な提案をするなよ。帰るのが余計に遅くなるだろ」

 

 由比ヶ浜と雪ノ下は時計を見て、こくりと頷く。

 

「そうね、これ以上は高校生が街にいて良い時間では無いわね」

「うん、あたしも疲れちゃったし……」

 

 疲れてるのに、ゆるゆりはするんですね。

 するんですね。

 その時、あざとい後輩の左の口角が上がったのを俺は見逃さなかった。

 こいつまた、ろくでもないことを言うつもりじゃねぇだろうな。

 

「でも、お二人は聞きたくないですかぁ?」

「何を……かしら?」

「中学時代の、せ・ん・ぱ・い♪」

 

 ……何でこういう嫌な予感だけ的中するかね。あとあざとい。あざと過ぎる。

 なんなら一周回ってあざとさが可愛く見えるまである。

 そんな一色から視線を逃す様に折本を見遣ると、困ったように苦笑している。

 そうだよな。中学時代の俺の存在なんて折本の中には残っていないのだろう。

 唯一残っているのは俺のトラウマの原因たる告白だし、それについて謝罪してきたくらいだから折本だって語りたくはないだろうし。

 しゃーない。少しだけ助け船を出してやろう。一方的な宣言とはいえ、と……友達、だからな。

 

「はぁ、存在感の無い俺の話なんて折本が覚えてる訳ないだろ。とっとと帰る──」

「そういうことなら、少しだけ」

「う、うん。少しだけなら」

 

 おい、黒髪ロングにお団子茶髪。

 

「どーですか、折本先輩?」

 

 待て、後輩ジャグラー。

 

「じゃ、じゃあ……ちょっとだけ」

 

 ──裏切られた。

 

 くっ、まあいい。

 どうせその場に俺が居ようが居まいが、女子四人で俺の陰口でも言い合うんだろうし。

 それで少しでも今日のストレスが発散出来れば、晴れて俺も人の役に立てるってもんだ。

 そうと決まれば善は急げ。撤収だ。

 

「──悪いが俺は帰るぞ」

「あら、そんなに急いだところで、あなたの帰りを待つ人がいるのかしら」

「失礼なことを言うな。ちゃんと小町が作った晩飯が待ってくれてる」

「小町ちゃん本人じゃないんだね……」

 

 もういいだろ。これ以上メシが冷めたら、作ってくれた小町に申し訳ないからね。

 

「小町……お米?」

「ヒッキーの妹だよ。今中学の三年でね──」

 

 頑張れ由比ヶ浜。立ち去る俺の代わりに一色に説明、よろしく。

 踵を返した背中に、折本の声が響く。

 

「へぇ、比企谷って妹いたんだー」

「ああ、とびっきり可愛いのが一人いるぞ」

 

 振り返りざまに告げてやると、幾度となく聞いた台詞がお出ましになった。

 

「──シスコン?」

 

 ほっとけ。

 

 余談だが、帰宅したら食卓には……近所のスーパーで特売品のカップラーメンがぽつんと置かれていた。ぐすん。

 

 

 

 


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