やはり俺の十七歳の地図はまちがっている。   作:エコー

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3 二面楚歌

 

 

 金曜日の放課後。

 その週に一度の限りある資源、金曜日の放課後を用事に費やすことになった件、極めて遺憾に思うんですけど。

 

 そんな遺憾の意とは裏腹に足が向かうは、千葉市内のコミュニティセンターである。

 先陣を切って歩く生徒会長、一色いろはの小さな背中を見つめながら溜息を吐く。

 どうしてこうなった。

 いや俺が出した案なんですけどね。

 

 折本から海浜総合の生徒会長の情報を仕入れた翌日……つまり今日から見れば昨日の事。

 得た情報を奉仕部で話すと、由比ヶ浜は苦笑いを浮かべ、雪ノ下はこめかみを押さえて俯いた。

 

「いるのよね、ビジネス用語を口にするだけで仕事が出来るのだと錯覚してしまう人って」

「あー、アサップとか、オーエスとかだね」

 

 雪ノ下がこめかみを押さえ、由比ヶ浜が例を挙げて同調するが……いやいや、それ読み方違うし。正しくはASAPと書いてエーサップと読む、ただの英熟語の略だからね。ちなみにオーエス(OS)はオペレーションシステムね。

 

 で、由比ヶ浜をツッコんだり弄ったり、なんやかんやあって俺がまず先遣隊として単独で合同イベントの会議へ出席する提案を切り出した訳だ。

 

 自業自得とはいえ、やはり面倒なことには変わりは無い。

 しかし考えて欲しい。

 由比ヶ浜はアホの子だし、雪ノ下は完璧超人だから海浜総合の生徒会を論破しちゃって心を折りかねない。

 ならば消去法で俺しかいないな、と。

 最悪俺ならば沈黙を貫くことなど容易いし、その気になればイエスマンにもなれる。なんなら空気以下の存在感になって会議を抜け出すことも可能だろう。

 

 我ながら存在感の希薄さを心で嘆きながら、コンビニでお菓子の棚を漁る後輩女子の背中を見つめる。

 小さな背中に小さな手、そしてでっかい買い物カゴ。

 

「貸せ」

 

 こんなんでも一応は俺たちの立てた生徒会長だ。荷物くらい持ってやってもバチは当たるまい。

 

「あ、ど、どうも、です……」

 

 しどろもどろも良いところの一色の様子に、ああ俺はまた失敗したのかと思う。

 

「余計なことだったか? もしキモかったら、その、すまん」

 

 目が濁っていて無口で猫背で、何を考えてるか分からない、存在感が無くてキモい奴。

 それが客観的に見た自身の姿である。

 もしも俺が分別するなら、材木座と俺は「キモいマン」とかいうフォルダに突っ込むに違いない。

 それくらいには自身のキモさを自覚しているつもりだ。

 

 が、大きな瞳をぱちくりとさせる後輩生徒会長の反応は、多くの女子のそれとは違って見えた。

 

「いえ……その、ありがとうございます」

「礼はいらん。仕事だし」

「わあ、頼れるぅ」

 

 お礼と共に頭を下げ、再び上げた顔は何ともあざとい笑顔だった。

 さすがは男子を駒として扱う一色いろはだ。男子が好みそうな笑顔を心得てらっしゃるのですね。

 しかし、戸部しかり本牧副会長しかり、やっぱり男子の扱いやあしらいが上手い。

 

 決して全員をぞんざいに扱うことはせず、戸部の様に雑に扱っても大丈夫な奴だけにそういう対応をする。

 多分一色の脳内では、シミュレーションゲームの三国志なみに数値化された人物評が行われているに違いない。

 まるでID野球だね。野村スコープ出してみましょうか。

 

 腹黒さは兎も角、うちの生徒会長様は上機嫌な様だ。

 何が楽しいのか、一人スキップで先行する一色の後ろをコンビニ袋をぶら下げて歩く猫背の俺。その後方には、陰鬱とした表情で足を引きずって歩く生徒会役員共。

 

「ちょっといいか」

 

 その中の一人、同じ二年生の本牧副会長の横に並んで、両校生徒会の会議についての予備知識を仕入れ直す。

 聞くと、会議は今までに四回。その全てをブレインストーミングに費やしているという。

 俺の個人的見解だが、ブレストなんてものは一日やれば事足りる。なんなら各自レポート用紙に予め案を箇条書きにして集めるだけでもいい。

 要は脳内にある情報の洗い出しが出来れば良いのだから。

 そしてその意識高い系の会議の間、総武高校側は話し合いには参加せずにノーパソで議事録を作成したり、相槌を打ったりしているという。要は記録雑務である。

 

 その議事録をちらっと見せて貰ったが、まあ酷かった。

 ただでさえ一般の高校生には耳慣れないIT系のビジネス用語は間違えて打ち込まれていたりする。

 つか利助ってなんだよ。何時代の町人だよ。ま、「リスケジュール」の略の誤変換なんだろうけど。

 

 兎も角、クリスマスは二週間後。

 つまり、イベントの中身を決め、その内容を煮詰めて予算を作成し、必要な準備や発注を済ませ、本番当日に至るまで残り半月足らず。

 

 ……無理じゃん。

 それまでに期末テストもあるし、通常の授業だってある。そんな中で合同イベントに割ける時間なぞ平均したら一日当たり四時間も無い。

 つーかさ、大体この合同イベントの話を持ち掛けてきたのだって一週間くらい前だって言うし。

 

 加えて言えば、総武高校側は勿論のこと、海浜総合側の生徒会も発足したての新体制。まだ生徒会という看板の下に素人が集まっている状態。

 

 てことはだ、海浜総合は素人の癖に正味三週間でゼロから合同イベントを企画しようとしてたの?

 馬鹿だろ。絶対に馬鹿だよね。イベント舐めてるだろ。

 時間をかければ良いものが出来上がる訳では無いけれど、それにしたって一ヶ月足らずで合同イベントをやっちまおうなんて、急な思いつきとしか考えられない。

 はあ、考えれば考える程気が滅入る。

 もう断っちまおうぜ。そうすれば今回の依頼も無くなる──あ。

 

「ここです」

 

 着いちまった。

 コミュニティセンターと銘打たれたその建物は、清掃が行き届いているせいか綺麗で、しかも静かだ。静寂は嫌いではないが、奉仕部のそれと違って何だか居心地が悪い。

 

 思考の海に溺れつつ、一色会長率いる生徒会チームの最後列を歩く。と、先頭を歩く一色の足が鈍る。

 

「覚悟だけは……しといてくださいね」

「そんな修羅場なのかよ。もう帰ろうぜ」

「あたしだって帰りたいですよ……」

 

 遅々とした歩みでも目的地には近づく。二階にある会議室だそうだ。

 運動不足の足が嫌がるのを宥めて階段を上り、目的の会議室に近づくにつれ、がやがやと喧騒が聞こえてくる。

 

 やべえ、もう帰りたい。

 だが、先頭を一色、左右後方をいつの間にか生徒会役員共に囲まれた俺は籠の中の鳥同然だ。

 なにこれ、俺シフトなの?

 いつの間に編み出したフォーメーションなの、これ。

 

 歩みを止め、ドアの前に立った一色が、まるで決死の覚悟を決めるかの如く深呼吸をする。

 そして地獄の門は、開かれた。

 

「失礼しまーす。遅くなりましたー」

 

 まず一色が会議室に入り、後ろから押し込まれて俺も室内に入る。と、既に奥の長机では海浜総合高校の制服を着た十人程が談笑に興じていた。

 対するこちら総武高校サイド。

 さっさと席に着いた副会長と書記、会計がじっと黙って俯いている。

 分かっていたことだが、やはりこの場の主導権はあちらさんが握っているという事か。

 

「やあ一色さん、こんにちは」

「あ、こんにちはです」

「そちらは、初めて見るニューフェイスだね。僕は海浜総合高校の二年生、玉縄だ。よろしくね」

「え、あ……比企谷、八幡」

 

 ええい、にこやかに笑うな手を差し出して握手を求めるな。大体ニューフェイスは初めて見る顔に決まっているだろうが。

 はあ、のっけから良いパンチ打ってきやがる。お陰で戦意は喪失……いや、そんなもん元から無いか。

 あるのは帰宅願望だけだ。

 

 海浜総合の会長への適当な挨拶を済ませ、他の役員たちのさらに奥へと分け入ってパイプ椅子を引く。端へ端へと行きたくなるのはボッチの習性だ。

 

「──にょっ!?」

 

 腰を下ろそうとしたところで思いっきり袖を引っ張られた。

 やめろよ誰だよ、バランスを崩した拍子に恥ずかしい声出ちゃったじゃんかよ。

 腕が抜けると思う程に引っ張るのは会長の一色だ。

 

「なに隅っこに行こうとしてるんですか。先輩はあたしの横ですよ」

 

 身を寄せて囁く一色の小さな声が耳に響く。やめて、ちょっとだけ勘違いしちゃうかも知れないから。

 

 既に副会長以下の生徒会役員共は席に着いてしまって、空いているのは前方から二番目の一色の隣だけ。溜息ひとつで全てを諦めて、パイプ椅子を引いて着席する。

 

 向かい側に座る海浜総合の面々に目を向け、それぞれの様子をザッピングする。

 ふむ。なんつーか、垢抜けてるな。

 総武高校よりもちょっとだけ東京に近いせいかな。きっとそうだな。

 と、一番奥の席で小さく手を振る姿に目が止まる。

 肩よりも少し短い、ウェーブのかかった髪を揺らしながら手を振るのは、折本かおりだ。

 

 きっとその手は俺に振られているのだろうが、どう反応するのが正解なのかなんて俺に解る筈はない。

 故に、一瞥した後、ギリギリ折本を視界の隅に捉えたまま長机の上の紙束に目を落とすのだが、視界の隅の折本はスマホを取り出して何かを始めた。

 社交的な折本のことだ。誰かにメールかLINEでも送るのだろう。

 

 刹那の間、時計代わりにと長机に置いた俺の目覚まし機能付きゲーム機──スマホが、振動と共にマリンバを奏で始める。

 総武高校側の視線が一気に集まった。が、迷惑メールならすぐに鳴動は終わる筈。

 だが、中々止まらない。仕方なくスマホを手に取る。

 ──げ。

 

 通話ボタンをタッチして耳に当て、声を(ひそ)めて窘める。

 

「……何なの? 新手の嫌がらせなの?」

『なにそれ、ウケる』

 

 電話を当てた耳の外からも聞こえるその声は、海浜総合側に座る折本かおりのものだった。その瞬間、一色に脇腹を突かれた。

 

「んぬふぅっ」

 

 やめろよ、また変な声出ちゃったじゃねぇかよ。ほら、海浜総合の皆さんがびっくりして静かになっちゃっただろ。いや折本だけは笑いを堪えているのか、電話の向こうで鼻を鳴らしている。

 通話を切って一色を睨むが、素知らぬ顔で吹けない口笛を吹きつつ、紙束をペラペラと(めく)り始めていた。

 

「……んだよ、文句があるなら分かりやすく言ってくれ。土下座までなら可能だから」

「何ですかそれ。てか、今の電話の相手、女子でしたよね?」

 

 え。聞こえてたの?

 盗み聞きは良くないですよ。プライバシーのなんちゃらですよ。

 あれ、俺にプライバシーなんてあったっけ。

 おっと、とりあえず一色だ。

 

「え、ち、違いますけど」

「で・し・た・よ……ね?」

 

 こわっ、いろはすこわっ。

 なんでそんなに冷たい目が出来るの。もうちょいで雪ノ下レベルだぞ、それ。

 

 不意に視界が暗くなる。何かと顔を向けると、折本かおりが俺の正面──総武高校側の溜まりに来ていた。

 

「なーんで電話切っちゃうかなぁ」

「……あんな至近距離で急に電話なんかしてくる方がおかしいだろ」

 

 何やら不満気な折本に常識論を説いていると、隣の後輩の視線が刺さりまくる。

 

「──誰ですか、先輩」

 

 若干頬を膨らませた折本をチラ見しながら、一色が肩を寄せてくる。

 いや、そういうことは本人に聞けよ。目の前にいるんだから。

 

「あれ、初対面だっけ。あたしは折本かおり。こいつ、比企谷の友「昔の同級生だ」って何で割り込んでくるの!?」

「いや友達って、よく考えたら勝手にお前が決めただけだし」

「うそっ、あの夜の誓いは何だったの!?」

「なんだよその意味深っぽい言い回しは」

 

 カーディガンの袖で目元を拭う仕草をする折本に溜息を吐くと、後輩の霊気、もとい冷気が更に増す。

 

「あの、夜……って、どういう事ですかぁ?」

 

 あれ? 一色さん、目のハイライトがお仕事放棄してますよ?

 超恐いですよ?

 

 つーか、やっぱり面倒なことになった。雪ノ下や由比ヶ浜を連れて来なくて正解だった。

 とりあえず説明を、と恐いのを我慢して一色に顔を向ける。と、口唇に何か柔らかいものが当てられた。

 

「まあまあ、あたしに任せて」

 

 口唇に押し当てられているのは、折本の人差し指だ。つーか折本ってこんな奴だったか。

 一方的な友達宣言以来キャラぶれてますよ、折本さん。

 

「あたしさー、比企谷に告ろうとしたんだよねー、そしたら言う前にソッコー断られた。超ウケる」

 

 ──おい、事実を捏造するなよ。

 強引に友達宣言されただけじゃねぇか。あとマッカンご馳走さまでした。

 ……じゃねぇよ!

 

「おい、事実を捻じ曲げるな。だいたいお前が俺に……なんて、あり得ないだろ」

 

 この時点で俺のライフはゼロである。が、ここは引けない。

 この流れをそのままにしておいたら、一色のことだ、奉仕部へ来て有る事無い事喋りまくるに違いない。

 つまり、これは負けられない戦いなのだ。

 

「あれ〜、なんでそう言い切れるの? てか気づかなかった?」

「いや、お前勘違いとか言って否定してたし」

「そんなの照れ隠しに決まってるじゃん。それにあの時の言葉、覚えてる?」

 

 もちろん覚えている。あとマッカンご馳走さまでした。

 

「いやだから『友達になろう』って」

「はっずれー。正解は『まずは友達になろう』でしたー」

 

 え、そうだったっけ。

 やばい。全然記憶に無い。

 よく国会の答弁で聞く台詞を、こんな場所で実体験するとは思わなかった。

 そういえば、選挙権が18歳からになるんだよな。

 ん? もうなったのか。正確には投票日の翌日に18歳を迎える奴らも、だっけ。

 いや今はそんなんどっちだっていい。

 それより折本の言い分だ。

 思い出せ、思い出せ。

 

「き……記憶に、ございません」

 

 うわー、予算委員会なのにスキャンダルを追及される議員の台詞を丸パクリしちまった。

 

「どおいうことか説明してください、先輩っ」

 

 いや何で一色がそんなに怒るんだよ。つか折本に聞け……はマズいか。

 

「えっと……そろそろ会議、始めてもいいかな」

「あ、玉縄くんごめーん!」

 

 ──会議が始まる前に俺は終わった。

 

 

 

 

 

 


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