やはり俺の十七歳の地図はまちがっている。   作:エコー

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2 「友達」の距離

 

 

 

 一色いろはの依頼を聞き終えた雪ノ下は、眉根を寄せて瞑目している。目を輝かせてその顔を覗き込むのは由比ヶ浜だ。

 俺はといえば、そんな二人を尻目に、どういう理屈を捏ねて一色の依頼を断わろうか、そればかりを考えている。

 

 海浜総合高校には、折本かおりがいる。

 だからといって折本と遭遇する可能性は限りなく低いし、仮に遭遇しても何らかのトラブルに発展する可能性は極めて低いだろう。だが、その僅かな可能性をも潰しておきたい。

 熟慮の上の判断ではない。故に理由はない。咄嗟にそう思った。

 虫の知らせ、いや、比企谷菌の知らせかな。ふひっ。

 

 だが、困った。

 それをこじつけるだけの理由が目下見当たらなくて困っている。

 由比ヶ浜は雪ノ下に判断を委ねながらも乗り気な態度をとっている。あとは部長である雪ノ下の判断だが……それは単なる部員、もとい備品の俺には変えられないだろう。道理の通らない屁理屈で雪ノ下を納得させることは備品如きでは不可能だ。

 

 なら、採れる手段はひとつ。

 

「なあ一色、一日考える時間を貰えないか?」

 

 要は時間稼ぎ、ただの延命策である。

 

「ど、どうしてですか」

「問題なのは、今回の依頼の性質だ」

 

 さあ、比企谷くんお得意の、こじつけショーの開幕だよっ。キラリン!

 

「その合同イベントは、向こうの生徒会と総武高校の生徒会の共同運営となる。その認識に間違いはないか?」

「ま、まあ……そういうことです、かね」

 

 よし、言質は頂いた。ならば、と呟いて一拍置く。

 

「──仮にも他の公立高校との合同イベントであり、場合によっては校外の公共施設を借りての催し物になる可能性もあるだろう。そんなイベントに、ただの部活動のひとつである奉仕部が出しゃばっても良いものか、今すぐには判断しかねる」

 

 都合の良いことに、雪ノ下は瞑目したままだ。それもついでに盛り込んでしまおう。

 

「雪ノ下が即答しないのも、そこら辺を考えてのことだろ?」

「え、ええ……そう、ね」

 

 ん?

 何とも歯切れの悪い物言いだな。しかし、雪ノ下の裁可が下らないことで納得したのか、一色は引き下がって帰った。

 

 それから間もなくして最終下校時刻を迎え、めでたくお開きと相成った。

 一色が部室を後にしてから雪ノ下が訝しげに俺を見ていたが、なんか怖いので触れずにおいた。

 

 

 

 ──帰宅して数時間。

 晩飯と入浴を済ませ、小町の勉強にしばし付き合った後、漸く自室に籠ることが出来た。

 これから行うのは、人生初の試みである。

 作戦名はノーバディ・ノーズ。内容は──スパイだ。

 この作戦名を思いついた時に若干の寒気と懐かしい血の(たぎ)りを同時に感じでしまったのは、きっと俺が微妙なお年頃だからだろう。決して他のドキドキなどではない。

 

 スマホをタップして、普段は使用しない機能を呼び起こす。何のことはない、ただの通話だ。

 少数精鋭の連絡先から、情報源たる人物の名を表示させる。

 そこには、つい先日追加された名、折本……かおり。

 その名前を見た瞬間、緊張が高まる。

 くっ、鎮まれ俺の右手よ。今はまだ解放の時ではない。

 

 さて、久々に沸き立った厨二心と高揚感は封印して、粛々と準備に取り掛かろう。

 

 まずは正座をし、背筋を伸ばし、深呼吸などをして精神を静めます。

 次に、左手でスマホを持ち、腕を伸ばして目の高さまで掲げます。

 

 ここまでは良いですか? 良いですね?

 

 さあ、これからが正念場です。

 右手の人差し指を立てて、ゆっくりとスマホの画面に伸ばしてゆきます。だいたい秒速5センチメートルくらいの速さです。

 人差し指の先端がスマホまであと数センチに迫ったら、ここで小休止。

 焦りや油断は禁物です。

 何しろ相手は一度貴方を(ほふ)っています。それこそ、けちょんけちょんにされています。

 ですから念には念を入れて、ここでHPとMPを全回復しましょう。

 

 さあ、準備は良いですか?

 薬草は持ちましたか?

「ひかりのたま」の準備は万全ですか?

 ならば、いざ決戦で──

 

「お兄ちゃんっ!」

 

 突如開けられた部屋のドアから顔を出したのは、愛しのマイシスターこと世界一可愛い小町。

 

「ここの文章なんだけど、意味がわから……あり?」

 

 手に参考書を持ったまま固まる妹と、ベッドの上で正座したまま固まる兄……つまり俺。

 

「……なんの儀式?」

「──何でもない、気にするな。つか忘れろ。今見た全てを忘れろっ」

「今見た全てって、ただ正座してるだけじゃ……ん?」

 

 訝しげに首を傾げ、足も動かさずにホバー移動の様にこちらへ近寄るオカルトチックな小町。その手が伸びた先は──

 

「てぇいっ!」

「あっ」

 

 とある連絡先を表示したままのスマホだった。

 

「か、返せよぅ〜、やーめーろーよぉ〜」

「まあまあ、どうせ結衣さんからメールでも来て返信に困ってるんで……誰?」

 

 ぎろりとふたつの眼球がこちらを向いた瞬間、悪寒が群れを成して背筋を走り抜ける。

 よし、逃げよう。

 

「あ、そうそう、俺コンビニに……」

「折本かおりって誰?」

 

 ベッドから降りて立ち上がろうとする俺の肩を、むぐいっと小さな手が尋常ならぬ握力で掴むのは愛する妹だ。

 

「うげっ、明日朝練あるんだ「だぁれ?」……った」

 

 駄目だ。架空の朝練を捏造して逃れることも叶わなかった。こうなったら強行突破だ。

 

「あっ」

 

 脱出の動線を目で確認してスマホを奪い返し、脱兎の如くドアに駆ける。

 

「だ、誰でもいいじゃねぇかよ。お兄ちゃんちょっと散歩してくるからっ」

「あっ、こら! 待ちなさい容疑者お兄ちゃんっ」

 

 何の容疑だよ、ったく。被告じゃ無いだけマシってか。

 

 

 

 スマホだけポケットに放り込んで自転車で闇雲に夜道を走り、近所の公園に差し掛かったところで気づく。

 

「──もしかして、メールすりゃ良かったんじゃねえのか」

 

 もしかしなくても、それで良かった。

 

 何を俺は自ら高いハードルを選んでいたのだろう。通話である必要は無いのだ。

 

 若干ハードルが下がったことに気を良くして、落ち着ける場所を探して夜の公園へと足を踏み入れる。

 好都合なことに近くに他者の気配は無い。遠くからギターの音が聞こえるが、通話する訳でもないし、こちらに影響は無いだろう。

 

 外灯の下、誰もいないベンチに腰を下ろしてスマホの画面をテパテパとタッチし続ける。

 おし、完璧だ。

 

【比企谷だけど、今メールする時間あるか?】

 

 メールで質問するにしても、まずは相手の都合を確かめなければならない。

 さすがだぜ、気遣いの出来る俺。気遣いが過ぎて存在自体を消しちゃう俺。

 メールの為の都合をメールで聞く、というのは些か本末顛倒な気はするが、そこを気にしたらミッションは進まない。

 

「おし、送信っと……」

 

 大事業を成功させた気分に浸りながら夜空を見上げると、そんな俺を見てお月さまも笑って──おわぁ!?

 

 なんだなんだ。

 俺のキモいスマイルへの拒絶反応でスマホが暴れ出し……あ、着信か。

 画面に表示された名前は、折本かおり。

 途端に手が震える。だが、出ないという選択肢は、無い、よな。

 

「──も、もしもし?」

『二週間』

「は、はい?」

 

 通話を開始しての最初の言葉は、「こんばんは」でも「久しぶり」でもなく、期間を表す言葉だった。

 訳が分からずに思わず間抜けな言葉で聞き返すと、電話越しに盛大な溜息が聞こえた。

 

『連絡先交換してから、もう二週間って言ってるの』

「あ、いや……」

『遅い。遅すぎ』

 

 早い遅いの感覚には個人差があると思うのだが……こと対人関係に於いては、ぼっちの俺よりも折本の感覚が正しいのだろう。

 

「あー、あの、す、すまん」

『ほんとだよ。どんだけドキドキしてたと思うのよ』

「え?」

『あ』

 

 聞き返した途端、電話の向こうの言葉が途切れる。

 冬の夜風が落ち葉を引き摺る音が鮮明に聞こえる。お、このサイレンは救急車か。

 

 ん?

 

 電話の向こうからも救急車の音が聞こえる。

 もしかして、折本は近くにいるのか。この近所に住んでいるのか。

 

『ひっ、比企谷、今、どこ?』

「どっかの公園、だな」

 

 場所を特定されない様に答えるのは、ぼっちの哀しい(さが)だな。

 

『ま、待ってて!』

 

 ──は?

 

 

 

 木枯らしに吹かれてベンチに居座ること二分、どたどたと駆ける足音が背後から聞こえた。

 

「……何故ここが判った」

「電話からもサイレンが聞こえたから、もしかしたらと思って」

 

 澄まし顔で話す折本だが、息は乱れ、肩が上下している。あらやだこの子ったら、美容の為にスクワットでもしてたのかしら。

 

「ま、とりあえず座れば」

 

 出来るだけベンチの端に座り直して、空いたスペースを折本に勧める。と、折本は向こうの端に腰を下ろした。

 ほーん。これが「トモダチ」の距離感ですか。思ったより離れてて助かった。

 

「で、なんで?」

「あ、ああ、ちょっと頼みが──」

「そうじゃなくて、なんで?」

 

 は?

 

「おい、あまり俺を見くびるな。それだけの質問文で内容が理解出来ると思うか。何たって俺だぞ、俺」

 

 うむ。何たる説得力。

 

「はぁ、普通に聞いたあたしが馬鹿だった……なんでメールだったの?」

 

 そこから懇々と説教じみた話が繰り広げられた。

 なぜ二週間も連絡しなかったのか、とか、あたしと比企谷は友達じゃなかったのか、などなどである。

 いや、その友達云々も前章でお前が勝手に決めたことだからね?

 だから前章ってなに。

 

「ま、まあ、こうして比企谷からメールくれたから、別に……いいけどさ」

 

 え?

 別にいいことで十分以上の時間を費やしたの?

 時間の概念が違う世界の住民なの?

 精神とときの部屋から出てきたのん?

 

「──で、どうせ比企谷のことだから、何かあるんでしょ?」

「あ、ああ。実はだな──」

 

 折本に促されて、一色の依頼の件を説明する。が、話を進めていくにつれ、折本の相槌は減っていた。

 何やら嫌な予感がするけれど、ここで話を切っては二度手間になるかも知れない。二度手間となればそれだけ折本を外出させておくことになる。

 だが今は夜だ。俺なんかの都合で夜の外出を長引かせるのは避けたい。

 段々と折本の視線が冷たくなってきたが、とりあえず最後まで話し終えよう。

 

「と、いうことなんだが……お前、海浜総合の生徒会に知り合いはいるか?」

 

 話し終えても、折本の視線は冷たいまま。なんなら目から冷凍ビームでも出そうな勢いだ。

 夜風が頬を撫で、その冷たさも加算されて思わず身震いする。

 と、折本はようやく口を開いた。

 

「──ふぅん、あれだけドラマチックな和解を経た友達に対しての初めてのメールの用件が、それねぇ」

 

 は、はい?

 何に怒ってらっしゃるの?

 

「いや、他に用事なんて無かったし」

「じゃあ、用事が出来るまでメールも電話もしないつもりだったんだ?」

「そんなこと……いや、あるな。ウケる」

「ぜんっぜんウケないしっ」

 

 何でもウケる折本がウケないとは、俺はそれだけの罪を犯したのか。

 ならばと土下座の覚悟を決めたところで、盛大な溜息が聞こえた。

 

「はぁ、もう……女心分からな過ぎ」

 

 ふっ、甘いな折本。俺は男心もカマクラ心も分からんぞ。

 

「仕方ないなー、まぁ比企谷だし、仮にも友達だからなー」

 

 おおっと、早くも友達から友達(仮)に格下げですか。

 

「悪い、面倒かける」

「いーよ。考えてみれば、こうして色々話して貰えるだけありがたいんだから」

 

 へえ、こいつ意外と世話を焼くのが好きなのか。俺なら他人の悩みなんて知ったこっちゃないけど。

 ……戸部や海老名さんのは、まあアレだ。依頼、つまり仕事だし。

 

「で、誰か生徒会で知ってる奴がいたら、そいつの情報が欲しいんだが」

「──玉縄(たまなわ)くん、生徒会長なら知ってる」

 

 おおっ、さすがは交友範囲の広い折本だ。いきなり敵の大将と知り合いとは恐れ入る。

 

「玉縄くんはね、頭は良いんだけど……ちょっと変わってる人」

 

 折本(いわ)く、生徒会長の玉縄という男子は優秀らしい。生徒会選挙では横文字の外来語を多様した演説を打って、その演説が格好良いということで票を獲得して当選したらしい。

 そのお題目は、みんなの意思を尊重、だという。

 つまりあれか。

 意識高い系の劣化版葉山、ってとこか。

 

「一色……うちの生徒会長も英語ばかりで何を言っているのか解らないとかボヤいてたな」

「ああ、あの会長ならそうなるかもね。あたしに告……」

「え?」

「な、何でもない。忘れて」

「──わかった、忘れるわ」

「──!」

 

 ……あれ?

 何故折本は呆然としてるのかな。で、何故睨みつけてくるの?

 

「あのねぇ比企谷、女子がこういう事を言う時って、突っ込んで聞いて欲しい時なんだよ。わかる?」

 

 何だよ、忘れろって言ったのはお前だろうが。

 

「いや、全然わかんねぇし」

「はあ、清々しいまでの鈍感っぷりだね」

「馬鹿言え、俺は敏感だ。過敏だぞ。だからこそお前に告……あ」

「あ、あはは……」

 

 夜が深くなり、先程よりも冷たい風が火照る頬を心地良く撫でる。

 

「ねえ、比企谷」

「ん?」

「ひとつ、聞いていいかな」

「答えられることなら」

 

 内心びくびくしながら折本の質問を待つ。

 

「あのさ、千佳と葉山くんと、四人で遊びに行った時の、あの子たちって──」

 

 それきり折本かおりは、黙ってしまった。

 

 

 


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