「さて、春明君」
一体どうしてこうなってしまったんだと思う。
「んふふー! 邪魔者がいないって素晴らしいわね~~~!」
二人の大人が悪意しか読み取れない笑みを浮かべて迫ってくる。
正しく地獄そのものの光景。逃げ出したくとも自分を挟んで両脇にそれぞれが陣取っていて立とうものならば同時に腕を掴まれる未来が浮かぶ。
ここはスーパー付近のカフェ。買い物をしている時はやたらと急いでいるなぁと思っていたが、まさかお礼だからと言われて入った店内で、最初は何気ない世間話で油断させておいてから本命の話を繰り出すなんて、彼女の両親からされるなど誰が予想できようか。
「黙秘とか……」
「あー、ごめんねー」
「ないない! こんなチャンス、滅多にないんだからぁ!」
欠片も誠意のない謝罪と、清々しい開き直りが返ってくる。ああ、大人って汚いなって。
「で? ひかりとはどこまで進んだの~?」
「どうしてもみどりが話したいって言うから、本当に、ごめんね」
だから、溜息を吐いて二人に告げるのだ。
「よくよく考えたら手を繋ぐくらい、ですかね」
「……」
「……」
何を言っているのかわからない。そんな台詞が二人の顔からありありと読み取れる。
本当に、言われてみて、今までを思い返してみればお互いがお互いを好きだと知ってから『それっぽい』ことはほとんどしたことがない。
ぶっちゃけて言うと、嬉しかったのといつも通りのやりとりの中での何気ない差異が嬉しくて、それで満足出来ていた。
「そういうの、したいとか思わないのかい?」
小父さんが一言。予想外過ぎたのか、その台詞からは困惑の感情が溢れ出ていることが俺でもわかる
「えーと、それ言わなきゃだめですか?」
「もちろんよ!」
ストローから汲み上げられた冷たいココアが口内に広がる。
一縷の望みをかけてお伺いを立てるもバッサリ一刀。逃げ道なんて、なかった。というか、なんてことを聞いてくるんだろうこの二人は。
「言われてみれば、めっちゃしたいです」
「ほぅ」
改めて考えれば、確かにそんな甘々なことをしてみたい。だって相手がひかりだもの。
「そうですね、せっかくなので聞いてほしいんですけど」
「何かしら?」
「今までと違う反応をされるとそれだけで満ち足りるというかもう幸せなんですよ」
けれど、何気ない日常での差異こそが、堪らない。
「例えばどんな?」
どんな? と聞かれたらまず挙げるとすれば、これだ。
「例えば買い物中なんですけど、前まではどっちが多く持つかでちょっと揉めたりしたんですけど」
「それ初耳」
「最近では『彼氏面させろ』って言ったらすぐ渡してくれるようになりました」
「へ、へぇ……」
とても、微妙な顔だった。何故なのか。
「あー、付き合うことになって初めて二人だけで昼ごはん食べる時とか、肩が触れるんじゃないかってぐらい詰めて座ってみたら縮こまってましたね、それが面白くて」
あの時は見ものだった。普段はうるさいくらいの声も、その時は借りてきた猫のように大人しかった。
「まあ、次の瞬間にはひかりが自分の弁当からおかずを持って俺の口に突っ込んできましたけどね」
あれはとても良い一撃だった。美味しかったけど急過ぎて咽て、それをいい気味だとひかりが笑う。
箸をそのままひかりが使っていたのに気づいたのは昼休みが終わる頃で、「なんか挙動不審になってるけど」なんて言われて誤魔化したり。
「あと教科書を貸してってのが一度ありまして。俺の教室に来て、受け取ってから周りの温かい目に気付いて、教科書忘れないようにしたとかなんとか」
「やたらと朝に鞄の中を確かめていると思ったら……なるほど~」
ひかり曰く、「ひまりが貸してくれなくなった」らしい。ズボラな一面を、いつまでも許すほど甘えさせるわけにはいかないそうで。そうして頼ったのが春明であり、得られたのは教科書と周囲の視線だった。
忘れ物をして借りればいいと思って直さないのはよろしくないことだから、良い事だと思う。
「他には何かないかしらー? 娘のこんな話を聞くのって、新鮮で!」
「あまり言うと、後から怒られそうなんですが」
「イイじゃない! 娘の成長記録、よ!」
「でもみどり、あんまり遅くなるとひかりとひまりに怒られちゃうよー?」
油断させるためにした世間話の時間も含めれば、ただの買い物と言い張るにはそろそろ厳しくなる。
不自然な程に遅く帰れば待っているのは詰問であり、ひまりさんの性格を考えれば自分を不必要に付き合わせたことに関するお小言。ひかりからは余計なことを言ったり聞いたりしてないかの説教。
ひかりの場合は、こちらにも飛び火してしまう。小父さんの言葉は渡りに船だった。
「じゃあ帰りましょう。俺だって怒られるのは勘弁ですし」
「機会はいつでもあるもんね~!」
「いやほんと勘弁してください……」
彼女の親に交際の進行具合を聞かれるなんて、冗談じゃない。
────
ただいまー、おかえりー。ちょっと遅くない? いやいやそんなことないよ。
そんなやりとりを交わした後、料理支度の手伝いを終えて、小母さんを呼ぼうと女子組のところへ再び歩みを進める。
「ひかりはね、生まれた時に髪も肌も明るくて、それで『ひかり』って名付けたのよ?」
四人の楽しそうな笑い声。ひょこっと顔を出せば、面白い話をしていた。シンプルな由来から、その通りの性格になったひかりは自分のことなのに「へー」と他人事のような反応だった。
「ひまりはせっかく双子だし語感を揃えたくて! それに「ひまり」も温かそうで良くないかしら?」
雪さんの「じゃあひまりちゃんは?」の疑問にもすらすらと小母さんは答える。覚えているのが当然とばかりに。
ひまりさんは特に何のリアクションも示さない。自分から言わせてもらうならば、こと姉のことに関しては温かすぎて暴走しているのではと考察してしまう。あ、睨まれた。
「た、確かに二人は由来通りに育ってるなぁ」
「何言ってるんですか」
あぁ、ひまりさんの目が怖い。でもひかりは本当にその通りに育っているんじゃないかなと他人ながらに思う。
名前通りに育ったひかりに目を奪われたからこそ、言える。すげーなーって。
「二人で一生懸命ひかりとひまりを育てたつもりよ。でも、教わることの方が多かったかもね……」
「例えば?」
「
そう言って微笑む小母さんの姿が、とても大きく見えた。とても数十分前にずかずかと恋人の進捗状況に踏み入ってきた人とは思えない程に。
それは一人の母親の姿。周りとは違う
「っとと、なんかまじめになっちゃったわね。つまり私も色々育てられたのよ! 緑は日の光と、温かさで育つように」
双子に寄って、その頭の上に手を置いて、優しく撫でる小母さん。双子はそんな母親の姿に特に嫌がるでもなく──いや二人ともちょっと恥ずかしそうだが──その手を受け入れていた。
これが家族の絆なのだろう。思わず、その様子に胸が温かくなる。自分個人としても、ここまでひかりを魅力的に育ててくれてありがとうございますと拝みたくなってくる。
「……それ、僕が蚊帳の外なんだけど」
ふと廊下から擦れた声が聞こえてた。何奴、と目を向ければ小父さんの姿。呼びに行ってから少々時間が経ち過ぎていたため、結局小父さんも呼びにきた、のだろう。
擦れた声からは今までの話を全部聞いていただろうことが伺える。「あはは」と誤魔化すような笑いが雪さんから出た。
「あらぁ? そんなことないわよ~! さ、ご飯作りましょ!」
先ほどまでの空気はどこへやら、双子から手を離すとまるで誤魔化すように小父さんの横をすり抜けてキッチンへ向かっていく。
「ご飯ごはーん!」
「またレバニラ炒めじゃないでしょうね……パパはお客さんがご飯食べてく時いっつもそれなんだから」
「えっとあの……」
「雪ちゃんそこで止まったら私が歩けないから、ほーらー」
何か言いたげに視線を乱すものの、後ろから押されて止む無く連れていかれる雪さんと、背中を押すひまりさん。
「えーと……?」
「──なんてね」
全員がいなくなったあと、ぱっと笑顔を浮かべて「さぁ僕達も行くよなんて」さっきの声が嘘のように生き生きとこれは内緒なんだけどと小父さんが教えてくれた。
「昔、似たような話をしたことがあったなぁ」
「そうなんですか?」
「その時に『緑には水が必要不可欠なのよ』って。ほら、僕の名前、さんずいが付いてるでしょ?」
小父さんの下の名前は……浩二、だったはずだ。言われてみれば確かに水の要素だ。
「その後漢字について調べたら『浩』って漢字には豊かとか大きい、広いって意味もあるらしくてね。それで双子を授かった僕に『浩二』なんて運命としか思えないでしょ?」
「偶然にしては出来過ぎ、って思っちゃいます」
「僕もそう思うよ」
肩を竦める小父さんは、口ではそう言いつつも顔は心底嬉しそうに歪んでいた。「僕もねぇ、ノロケの一つぐらいはしたくてね」と。
ところで、そこまで考えて疑問が一つ。
「小父さんが名前の通りにってことはひかりとひまりさんを大きな心で包み込んで育てたってことになりますけど、そうすると今度は小母さんが仲間外れになりません?」
「んー、そんな考えもあるねぇ」
そう問いかけると、おじさんはここではないどこかへ目を向けて、僕へ決め台詞のように言ってのけたのだ。
「だって、みどりは僕のパートナーだからね。絶対に横にいるんだから包みこんで守らなくてもいいのさ」
…………
「いいですね、そういうの」
「だろう!? いやー、本当は誰にも話すつもりなかったんだけど、ひかりの彼氏がいるってなるとねぇ!」
「あ、はい」
「春明君にも、そういう話期待してるから!」
さっきの雰囲気はどこへやら。ばしばしと背中を叩く小父さんに、言い返す言葉を浮かべる暇もない。
「あったとしても話したりしませんからね!」
「え~~~」
そんな透明に話す必要なんて、どこにもないじゃないか!
Q.おい
A.すまん