野比のび助と野比玉子は慌てた様子で病室へ駆け込む。
数時間前、病院側から緊急の電話があった。
仕事が休みだったのび助と二人でくつろいでいた玉子は電話の内容に慌てて部屋の中にやって来る。
――息子が目を覚ましたと。
二人の最愛の子供、野比のび太は友達の桐ヶ谷和人と共に世界初のVRMMOの世界に囚われていた。
その名前をソードアート・オンライン。
二人は詳しいことを知らないがゲームなのにHPがゼロになった途端、プレイヤーの頭は装着している凶器、ナーヴギアによって破壊される。
政府の対策チームという人から聞かされた内容に玉子は目の前が真っ暗になった。
最初は自暴自棄になりかけたが最愛の夫となんとか乗り切って、彼らは毎日、息子のケアを行った。
同じ場所に入院していた桐ヶ谷家と会った時は恨み言などをぶつけようと思っていた玉子だが、泣いている直葉の姿を見て、その感情は消え失せて、今は家族共にケアをしている。
二年間。
息子の安否を気遣いながら眠っている彼の体のケアをし続けた。
二年が過ぎて数か月。
のび太が目を覚ましたと聞いて二人は病室へ駆け込む。
今までは白い部屋に最愛の息子が凶器のナーヴギアを装着したまま死んだように眠っていた。
だが、
「パパ……ママ」
ナーヴギアを膝の上において肩まで伸びている黒い髪を揺らして彼は二人を呼ぶ。
ぽろりと玉子が涙をこぼす。
「のび太!!!」
溜まらず玉子は息子を抱きしめる。
「ま、ママ……痛いよぉ」
「生きている……本当に生きているわ!よかったわ!」
「のび太」
「パパ……」
のび助はゆっくりと近づいて息子の頭をなでる。
SAOの世界で息子がどのように生活してきたのかのび助はわからない。
だが、やりきったような顔をしているのび太を見て彼は微笑みながら撫でる。
こうして、野比家は再会することができた。
それから少しの月日が進んで。
「あー、空が青い」
総合病院の中庭。
そこで野比のび太はベンチに腰かけて青空を見ている。
病院服を着て、ぼーっと空を見ている彼へ近づいてくるものがいた。
「やぁ、野比のび太君」
「……菊岡さん、でしたか?」
彼の前にやってきたのは髪をオールバックにして、メガネをかけ、ビジネススーツを纏った男性。
彼は菊岡誠二郎。総務省総合通信基盤局高度通信網振興課第二分室に努めている職員。
長い職業名。
彼は通信ネットワーク内仮想空間管理課:通称仮想課であり、SAO事件において、被害者の搬送先となる病院の受け入れを整えたという人物らしい。
「そうだよ。隣、いいかな?」
「どーぞ」
のび太が言うと菊岡は腰かける。
「今度は僕の事情聴取ですか?」
菊岡はSAO内の情報を求めて、攻略組だったプレイヤーに事情聴取として話を聞いていた。
最近までキリトこと、桐ヶ谷和人の事情聴取をしていたという。
のび太はようやくリハビリが終わり、退院が近づいていた。今まで聴取がなかったことからようやくということだろう。
「そう……といいたいところなんだけどね。キリト君に頼まれたことがあってね」
「和人に?」
「紺野木綿季さん」
「!?」
驚いた顔で菊岡を見る。
彼は小さな笑みを浮かべて話をつづけた。
その名前を聞いたとき、ズキリとのび太の心が痛んだ。
「彼女とまだ再会できていないんだろう?」
SAOで二年間を共に過ごした仲間で、大切なパートナー、ユウキ。
彼女と再会できていないことが棘となってのび太の心に突き刺さっている。
「そんなノビタニアン君のことを心配したキリト君が僕に彼女の居場所を探すように頼んできたのさ、SAOの情報を条件としてね」
「和人……」
親友の行動にノビタニアンは嬉しさがこみ上げると同時に迷惑をかけてしまったことに申し訳なさを感じた。
「菊岡さん、ユウキはどこに?」
「ここに彼女の居場所が記されてある」
菊岡はメモ用紙を取り出す。
それをのび太が受け取ろうとした時。
「でも、会うなら少し覚悟しておいた方がいい。彼女はかなり特殊な状況下にある」
「特殊な、状況?」
言葉の意味がわからずのび太は困惑してしまう。
SAOにおいてユウキが伝えていた病気と関係があるのだろうか?
だとしても、
「そうだとしても、僕はユウキにもう一度、会いたいんだ。だから」
菊岡の手の中にあるメモ用紙をのび太は受け取る。
「後悔しないね?」
「覚悟は決まっています」
「なら、これ以上は言わないよ。頑張ってね」
「ありがとうございます」
「お礼ならキリト君に言うべきだよ」
「それもそうですね」
「あれ!?」
驚く菊岡の前でのび太は松葉杖をつきながら立ち上がる。
「行くのかい?」
「……ここからならすぐに行けますから」
菊岡に背を向けてのび太は歩き出す。
「英雄も大変だね~」
のんびりとした態度で菊岡はその背中を見送った。
菊岡は去っていく少年の後姿を見る
野比のび太。
年齢は十六歳。
最前線で戦っていた他のSAO帰還者と同様に短期間でリハビリを終えた人物。
彼がどうなるのか、菊岡はその先を想像して小さく笑う。
本来ならのび太は母である玉子と共に家へ帰る予定だった。
しかし、玉子の到着が大幅に遅れるということで、のび太は菊岡からもらったメモの場所へ向かうことにする。
母が心配しないように事前に場所などのことはメールで送ってあった。
のび太がやってきたのは横浜北総合病院。
そこにユウキがいるという。
彼女と再会できると考えるとのび太の心臓がバクバクと音を立てる。
受付にいる女性へのび太が声をかける。
「あの、すいません」
「はい」
「紺野木綿季さんに会いたい、えっと、面会を希望するんですけれど」
「え?」
のび太の言葉に受付の女性は目を丸くする。
何か問題ある発言でもしただろうか?
困惑しているとのび太の傍に誰かがやって来る。
「もしかして、野比のび太君かい?」
「あ、はい」
振り返ると白衣の男性が立っていた。
「貴方は……?」
「私は倉橋といいます。紺野木綿季さんの担当医です」
「木綿季の!?」
「……キミのことは彼女から聞いていました。もうそろそろ来られるのではないかと思っていましたよ。さ、案内します」
倉橋に言われてのび太は病院内を歩く。
しばらくして最新設備が沢山、用意されている部屋へ到着する。
「ここでは消毒を行いますので中へ入ってください」
倉橋に促されて無菌室へ入り、そのまま目の前の扉を抜けた。
真っ白な空間。
ガラス張りの向こう。
そこに一人の少女が寝ていた。
頭部に機械を装着している少女は異様にやせ細っている。
『やっぱり……来たんだね』
室内に設置されているスピーカーから響く声にのび太は目を丸くした。
その声はSAOで何度も聞いてきた声。
共にフィールドを駆け抜けて、様々な日々を送ってきた相棒のような少女。
「……ユウキ?」
『そうだよ、のび太』
「どういう……こと?」
『やっぱり驚くよね?前に話したと思うけれど、ボクの病気が原因なんだ』
「……病気?」
SAOでユウキが話していた病気。
それが何なのか、知る時がきたようだ。
「それは」
『AIDSなんだ』
「A……IDS?」
困惑するのび太に木綿季は話す。
自身が抱えている巨大な爆弾について。
紺野木綿季は出生時に輸血用血液製剤からHIVに感染してしまった。
同じように彼女の両親や双子の姉もAIDSに感染してしまったという。すでに両親は他界しており、姉は別の場所で闘病生活を送っているがあまり長くないかもしれないという。
かくいう木綿季も治療法が見つかっていない。
「そんな、ことって」
『本音をいうと、SAOですべてが終わればいいなって思ったんだ。そうすれば、こんな姿を見られることなく終わったのになぁって……でも、やっぱり現実世界で会いたかったんだ。触れられないけれど、のび太と会えてボクは嬉しいよ』
「そうだね。僕も嬉しいよ。触れ合えないのが本当に悲しい……ねぇ、ユウキ」
『なに?』
「これからも会いに来ていいかな?」
『……会いに来てくれるの』
スピーカー越しの声は喜びを堪えているように感じた。
「うん」
『でも、ボクは』
「……僕はユウキと最後まで一緒に居たい。色々な話をして、いろんなことを伝えあいたい。こんな関係があったっていいじゃないか」
俯いたままのび太は言う。
『のび太……』
「今日はもう帰らないといけないけれど、また会いに来るからね」
にこりと笑みを浮かべてのび太は病室を後にする。
その後、のび太は倉橋と二三、会話をしてから総合病院から家へ帰った。
どうやって家へ帰ったのか思い出せない。
途中から頭の中が真っ白になっていた。
家へ帰り、二階の自室へ入ったところでのび太は椅子をどけて机の下へ入り込む。
悲しいことがあると机の下へ。
かつてドラえもんが帰ると知った時のショックと同じ、いや、それを超えるかもしれない衝撃だった。
「のびちゃん?」
蹲っているのび太へ玉子が声をかける。
「どうしたの?」
膝をついて玉子は最愛の息子と目を合わせた。
顔を上げた息子の顔を見た玉子は驚く。
「のびちゃん、どうしたの?」
のび太はぼろぼろと涙をこぼしていた。
玉子は驚く。
彼の泣き顔をみるのは実に久しぶりだった。
息子はドラえもんが帰ってから泣いたのは一回きりだ。
また、この子に何か起こったのだろうか?
「のびちゃん」
玉子は優しくのび太の頭をなでる。
しばらくのび太は玉子の腕の中で泣き続けた。
「そう、紺野木綿季ちゃんというの……」
「僕は何もできないんだ……ユウキを助けたいのに……病気のことだから、何もできない」
のび太は無力だ。
SAOでキリトと並ぶ英雄だといわれても現実世界へ帰れば非力などこにでもいる。いや、それよりも劣る十六歳の少年にすぎない。
そんな少年に難病を抱えている少女を助ける手段などあるのだろうか。
答えは明白、ありはしない。
だから、のび太は悔しい。
無力な自分が嫌になる。
何もできないからこそ、苛立ちが募っていく。
「悔しいよ。僕は……SAOの中じゃ白銀の剣士と言われても、リアルじゃ何もできない。いや、もともと、僕は何も……こんなんじゃ……僕は」
「のびちゃん、のびちゃんは、どうしたの?」
「僕は……」
のび太は考える。
頭に浮かぶのはSAOで築き上げたユウキとの時間。
温泉へ突き落されたり、嫉妬して殴られたり。
ともにフロアボスへ挑んだり、色々なおいしいものを食べたりした記憶。
しばらくして、彼は顔を上げる。
「ユウキを助けたい……ユウキと一緒にいろいろなものをみたい。一緒に楽しいことをしたい。SAOの時みたいに和人やみんなと一緒に、いたい」
話を聞いていた玉子は立ち上がる。
「ママ?」
玉子はのび太の部屋の襖を開ける。
そこはかつて大親友が眠っていた場所。
無駄に立ち入ることを許さず、プライバシーの侵害だと怒ったほどだ。
襖をあけてがさごそと漁っていた玉子はあるものを取り出す。
「それは……?」
玉子は座るとのび太へ差し出す。
銀色のドラえもんを模した箱。
「これはドラちゃんがのびちゃんのために残した最後の道具よ」
箱の中身は!?