その始まりは私が…まだ幼い子供の頃、ここから遠く離れたひとつの集落の中で私の家族は生活していました。
人もポケモンも混濁したその場所で、私たち家族は幸せに過ごしていたんです。
そしてその頃の私には、ある日課がありました。
「おじゃましまーす!」
私は毎日をとある場所で過ごすのが日課でした、そこは幼い私でもすぐ行けるような自宅の近い場所にあるひとつの大きな建物…光のあまり差し込まないその場所には、一人の老人が住んでいたんです。
「おお、ファリニス…いらっしゃい」
歳を重ねたその人は私の父方の祖父、研究家としてその大きな建物…研究所の中でひたすらに、ある研究を続けていました。
それが…思念論
当然その頃の私には思念論のことなんてわかりません、毎日祖父の研究所に入り浸っていた理由も研究とは一切関係のないことです。
ただ、私は祖父の一生懸命に研究に励む姿…その真剣な眼差しが、好きでした。
「どれ、お菓子を買ってあるから好きに食べなさい」
「わぁい!ありがと、おじいちゃん!」
いつも研究所に遊びに来ていた私にお菓子を買ってくれたり、休憩の合間に私と遊んでくれたりと…祖父は優しくて、温かい人でした。
「…あれ?」
その時、私は研究室の片隅に置かれたゴミ箱の中にある一枚の紙を見つけました。
少々雑に書かれてはいるものの、もともとの白紙を埋め尽くすようにびっしりと文字が埋め尽くされているのがわかりました。
くしゃくしゃになってはいたものの、その紙に書かれていた文字からは若干ながらの温かみを感じました…ポケモンとしての力の表れだったのでしょうか?
「ねえおじいちゃん?なんでこれ捨てちゃったの?」
私の声に反応して祖父が振り向き、そのくしゃくしゃの紙を見て…一瞬だけ悲しそうな表情を見せてから、すぐに笑顔でこう言いました。
「それは…うまくまとまらなくてな…」
そう言って、また机の方に向きなおしました。
文字をびっしりと埋めておきながら祖父の言った言葉<まとまってない>という言葉に疑問を覚えながら…私はその紙を持ったまま近くのお菓子の置いてあるテーブルの椅子に座りこんだ。
最初から最後まで埋め尽くされた一枚の紙をテーブルに置いて、私はお菓子の小袋を開けてそれを一口だけ口に含む。
なんとなしに上から手のひらで紙を撫でてみる、サラサラとした紙質は心地よい感覚を皮膚の上から伝えてきて…
書かれていることは分からなかった、まだ無知な私には無理もないことでしたが…
「ねえねえ!この紙、私がもらってもいい?」
「む?ああ…構わないよ、でも落書きも書けるところもないけどいいのかい?」
「うん!」
その紙をテーブルの隅に置いてから、私は祖父の机に椅子を寄せていく。
難しい顔をしながら祖父はまた白紙に万年筆でガリガリと文字を羅列していく、その意味はもちろんわからないが速筆であるにも関わらず文字は丁寧で読みやすいものだったのを覚えています。
とても…熱心で、一日の半分以上をそんな調子で過ごすのが祖父の日課でした。
そんな祖父の研究は難しく、当時は一緒に研究してくれる仲間もいなかったようです。
それでも一人で研究結果をまとめて学会に持ち込んで思念論の証明を、多くの人びとに認めてもらうために祖父は全てをかけていました。
しかし…
(思念だって?くだらない!)
(世迷言だ!)
(すべて憶測じゃないか!)
心無い学会の方々の言葉を、毎回浴びせられて…
一度私たち家族が迎えに行ったときはほんとにひどかったと、父が話していました。
「父さん、もう無理をしないでください」
「…すまん、わしは…」
父は研究をやめさせたかったようですが、祖父はどうしても…あの研究室での研究を続けました。
誰が言ってもやめない、思念論という新説を認めてもらうことは祖父にとっては夢のことだったんです。
「おじいちゃん・・?」
それから3年が経ち、私はまた祖父の研究室に入り浸るために祖父のもとを訪れました。
昼間だというのに光のあまり差し込まないその場所は、24時間いつでも電灯のスイッチを入れなければ暗くて何も見えないはずなのに
疑問をかかえたまま、私は暗闇の中を記憶を頼りに進んでいく。
壁に手をついて長めの廊下を進んでいく…そのうちに目が暗闇に慣れてきました。
「…?」
廊下を過ぎると祖父がいつも座っている机がある研究室が見える、いつもと同じような姿勢で祖父が座っていました。
しかし
祖父の頭は、机にベッタリと付けて横になっている。
変だ
祖父は研究熱心ではありましたが、机に突っ伏して寝るようなことはありませんでした。
「…っ!!」
暗闇に慣れた目で直ぐにわかりました。
血の気の引いた祖父の顔、閉じたままで動かない瞼
おじいちゃん?と声をいくらかけてみてもなにも返事はない、動かない
「おじいちゃん!?ねえ、おじいちゃん!!」
そこからはあまり、覚えてないです
気がつくと私は喪服に着替えていて、おじいちゃんの入った棺が運ばれていく様子を見ていました。
疲れた様子の母と父とともに葬儀を終えて、家についた私は喪服から素早く着替えて祖父の研究室に戻るために、家の玄関へ向かう。
「ファリニス、どこへいくの?」
「…ちょっと、公園まで」
死んだ人の生前暮らしていた場所に行くなんて、おそらく父も母もいい顔をしてはくれないと思い…嘘をついて研究室へと向かいました。
そして、研究室に着くとそこには何人かの人間たちが祖父のいた机の前で何かを話しているのが見えてきたので…思わず廊下の隅で隠れて聞いていました。
「この研究室、どうするんだ?」
「さあな…日の当たらないようなじめじめした場所だ、誰も好き好んで使いやしないさ」
「じゃあ、ここは取り壊しか」
取り壊しという言葉が耳の中に入ってきて、私は目の前が真っ白になりました。
祖父との思い出の詰まっているこの場所が消える、それは私にとって耐えられることではありません。
「い…いやです!」
思わず私は研究室に入って、大声で言いました。
「私が…私がおじいちゃんの、祖父の研究を継ぎます!この研究室は、私が使います!」
今思えば、この言葉はかなり無茶でした。
まだ大人になれてもいない私が研究室を使う…あまつさえ難しい思念論の研究を継ぐことなんて、いきなり現れた涙目の私の存在と言葉にその場にいた人たちは困惑してしまっていました。
それから、私はその人たちに連れられて自宅の方に戻りました。
父も母もその人たちから事情を聞いて、私が隠れて研究室に行ったことを知りましたが…祖父のことを慕っていた私をきつく咎めるようなことはなかったです…が、私が祖父の研究を継ぐということに関しては、父も母も反対しました。
「思念論は父さんはよくわからないがファリニス…お前も知っているだろう?」
「おじいちゃんの研究はほかの皆さんに任せて、ファリニス…あなたは別の道を…」
それでも私は諦められませんでした
絶対にあの場所を、研究室を譲りたくない壊されたくない
そのときから祖父にとっての夢は、私とっての夢に変わったんです。
祖父のまとめた資料を読みあさって、思念論を独自に研究して…
ひとりでも研究を続けてきた祖父を見習い、私はたったひとりでも研究資料を読みつづけて、夜も朝もずっと…生前の祖父の字が書かれた資料を離さずに…
2年ほど経った頃に、私はようやく生前の祖父の資料をすべて判読し理解に成功したのです。
最終的には父も母も根負けして、あの研究室をなんとか取り壊しにならないようにしてあげると約束もしてくれました。
しかし、うまくはいきません
やはり研究結果をまとめても学会では認められないだろうと…私は、どうしたら認めてもらえるのだろう?と模索していました。
そうして研究の内容をまとめているうちに、私はあることに気がついたんです。
実際に思念を見ることはできない、つまり実物での証明ができないこの思念論…という発想から間違っているんじゃないか?と
私は祖父の研究の中に思念集合体の項目を見つけ<思念集合体という固まった存在になれば、通常の人間たちにも視認することができるだろう>と
思念集合体を、実物で学会に証明できれば…わたしはそう考えました。
生前の祖父がそれを実行に移せなかったのは、年齢を重ねてしまいフィールドワークが困難になってしまったのが原因であると、推察しました。
「わたしなら…できる」
思念集合体を見つけて、それを学会で証明できれば…祖父の思念論を認めてもらうことができる!
その考えに至ったわたしはいてもたってもいられず、直ぐにフィールドワークをするために準備を始めました。
両親は反対もせず、私の研究態度を認めてくれて…旅のために準備を手伝ってくれました。
それから、私の旅が始まった…
「というわけなんです…」
「…うーん…なるほど…」
ファリニスの話はだいぶ過去から遡ったものだったが、その内容に感情的な部分が多くて理解するのにそんなに難しく考える必要もなかったために追ってすぐに理解できた。
ファリニスのおじいさんが…ロケットの中の写真の笑顔からは想像できない、境遇だった。
「それなら、尚の事急がないといけないな…おじいさんの研究室も、壊されるかもしれないし」
「両親の説得もいつまでもつかもわからないですからね…でも、急ぐと疲れてしまいますから…マイペースにいきましょう」
ホントは慌てたいだろうに、ファリニスは笑顔で取り繕うのがうまかった。
ギュッとロケットは握り締めたまま、そんな様子からファリニスの気持ちが伝わって来るようだった。
「じゃあ、もう休憩できたし…行こうか!」
「あれ、セグレトさん足はだいじょうぶなんですか?」
「へ!あ、いやもうだいじょうぶ!お茶飲んだら治った治った!」
クスクスと笑うファリニスは、それまでの話の中で見せた暗い表情とはちがう
取り繕いの笑顔なのか、ホントの笑顔なのかわからないけど
それでも、今ファリニスが笑ってくれているならそれでもいいと
どんな笑顔でもいいと
おれは、そう思えた