こんなはずじゃ、なかったんだ……
では、どうぞ
驚くことは無かった。それは既に、過去に終わらせていたことだから。
以前に知る機会があったのだ。それは本当に偶々で、あたかも運命の様。
【疾風】『リオン』という名だった。
しかもそれを見つけたのは、偶々棚から落ちて、偶々目についた
衝撃的と言わざるを得ない。息を呑み立ち止まっていた私を正常へ戻してくれたのは仕事に必死だったミイシャさんのお陰であって、その後の心と状況の整理は簡単に終わった。
だから今、以前の私のように息を呑むベルと同じ反応をすることはない。
「冒険者の地位も
自嘲と分かり切ったような声音で、淡々と事実を並べていく。独白、と始めに彼女は言ったが、それは建前に過ぎないと誰でもわかる。何故話すかまでは、全く理解が及ばないが。
「ただ復讐心に駆られ、所属していたファミリアの……アストレア様の方針にも大きく背いて、仲間を殺した敵対ファミリアを滅ぼしました……自分の為だけに」
アストレア様―――それは星と正義・秩序の女神、真名アストライアーのことだろうか。
だったら殆どのこととよく筋が通る。彼女が尚も正義を掲げていることも、『ここに残る』彼女たちが曲がらない
方針に背いたとは、その正義から堕ちたということだろうか。だが、復讐程度で無くなる彼女の正義では無い。弱くも燃え続ける彼女の
それに対する自覚はないように見えるが。
「オラリオと秩序安寧に貢献してきた【アストレア・ファミリア】は、その分多くの敵がいた。私たちのとっての、悪である
その結果がこの仲間たち、ここにいる彼女達のことか。
きつく張り詰めた気配、だがそれも一瞬で脱力し、打って変わって小さなものとなった。消え入ってしまう、いや、それ自体を望んでいるかのように。
「私もその内の一人だったのに、生き残ってしまいました。仲間たちに逃がされ、結局何もできず、強いて言うならば遺品をここへ運ぶことができただけ。彼女たちが好きだった
まっすぐを向いていた彼女は、無意識だろうか、次第に顔を俯かせていく。それがしみじみと今の心情、そして過去の
「簡単だった、
また、彼女は自嘲のように語気を荒めた。
それがどうも、気にくわない。一体何が彼女をそこまで追いつめているんだろうか。可笑しい話ではないか、彼女は何一つ、正しくはなくとも間違ったことはしていないと言うのに。
人が復讐して何が悪い。憎むべきものを憎み、殺したいものを殺し、それのどこが悪いというのだろうか。
人は弱いのだ、自分を維持できる何かが無いと、何もない空っぽになってしまう。だから、それを奪われて、代わりを作ろうとするのは自然なこと。あたりまえであるのだ。
ただその先に続くのは、堂々巡りの
「仇討ちは苦行を極めました。ですが、やり遂げた。
たった一人で、なのだろう。私くらいのバケモノに成れば造作も無いが、彼女はどちらかといえば普通の部類、誰に何も力を借りなかったのは、無理無謀に等しい。
それでもやり遂げたのは、それだけの
どれだけ彼女にとって大切な仲間だったか、言うまでも無く解らせられる。
ただ、
「裏路地で独り、力尽きた私はただ自然と訪れた死に向かっていました。散々の末に訪れたそれは、救いにもならないただの終わり。誰に何を言われた訳でも無く、私怨に走った私の相応しい末路でした。誰に知られることも無く、消えて逝けるのは」
だが、現実は異なった。
彼女は終わりを迎えることなく、そして消えることも無い。
名は残り、彼女も残り、今も尚生き続けている。
「けれど……」
―――――大丈夫?
「そういって、差し伸べてくれた温かい手があった」
思い出しているかのように、彼女は自らの右手を俯きながらにして見ると、そして左手を掲げた。高く高く、
そのまま彼女は、言葉を紡いだ。
「空しい私に意味を与えて、死に逝くはずだった私を救ってくれた。シルは……私の手を取ってくれた――――私が手を取ることが出来た、二人目の人物なのです」
だらりと下ろした手。そしてその手は一度進み、だがまた戻された。目の前の双剣――――アリーゼさんだったか、その人へ伸ばされた手が。
シルさんを、彼女は二人目と言った。ならば一人目は――――明白だ、アリーゼさんなのだろう。
拠り所だったのかもしれない。それを失ったのだから尚更彼女の怒りは大きかったろう。そして、新たに手を取れたシルさんこそが、今の拠り所。
「名乗る名も変えられ、地毛まで染められて、もはや別人とされた私は、豊饒の女主人のウェイトレスとして働かされました。半ば嵌められたような形での始まりで不服でしたが……今では、とても感謝しています」
優しく、柔らかい気配を纏っている彼女は、だけどなんだか悲し気で、常に拭いきれない
「私は恩を、返さなくてはなりません。死んでもいいと思っていた私に、新たな人生を与えてくれた彼女に。認めざるを得ない想いを気づかせてくれた彼女に」
胸に手を当てているのだろうか、そのような仕草に見える彼女の動きを見守り、彼女の言う言葉を逃さずに聞く。ただ、自然と意識が引き寄せられて。
「私は、それでも気持ちに正直になれません。そんな自由を許されてい良い立場では無いのですから。それに、汚れ切った私は低度であることを理解しています。たとえ打ち明けられたとしても……彼に見限られることなど分かり切っていますから、意味なんてない」
ぎゅっと、彼女は力を込めた。悔しがるようにか、将又そんな自分に嫌気が差しているのか。嘲りのような行為は、それが真意でないことを物語る。言いながらにしてそれが本心でないことに自覚を持っているのだろう。全く、難儀な人だ。
「結局のところ、どうしようもなく私は汚れていて……希望なんて、碌に持てていない、生きる価値も無い今にでも死ぬべき人なのです……」
今度こそ、彼女は笑った。否、嗤った。
私の大嫌いな、嗤い。歪んだ笑いなら別にいい、それは誰もが持った本性だから。だが
私自身浮かべてしまうことも多々あるが、それ自体だって、自分で嫌気が差しているのだ。
「―――――リューさんッ」
言い切ったかのように脱力して締めくくった彼女に一言、強い語気で宛ら怒っているかのように、ベルは彼女の名を、我慢できずに呼んだ。
はっ、と驚いた彼女はゆっくり振り向くと、そのままベルにぶつけられた。
「自分を貶めるようなこと、言わないでくださいっ。僕も、怒ります」
深々としている意味の込められた、珍しく見るベルの怒りを。
全くの同意見だ。ベルも怒る理由がよくわかる。
気優しいベルがそんな状態であることを、彼女は驚いたかのように目を見張り、次いで含み笑いを浮かべた。ただその表情は、変わらないと言えるほどだが。
「これは……一本取られましたね」
それはどこか嬉しそう。表情に現れなくとも、気配はとても正直だった。
「……リューさん、独白は終わりましたか?」
タイミングを見計らい、とりあえずの切り出し。なんとなくだが、彼女が独白を続けたことにしておく。その方が、何かとよさそうだから。
「えぇ、もう、終わりました。聞こえていたようなら、忘れてくれて構いません」
「無理ですよ、記憶力には自信があります。ですから言わせていただきますが……リューさん、貴女は甘い」
「なっ―――――」
絶句した様子が
だが、私は容赦をしない。たとえ彼女が傷つくことになろうとも、言ってやりたい気持ちが勝るから。
私をありえない現象でも見たかのような目で凝視している彼女を真正面から見返し、言霊でも籠められそうなほど強い口調で言い放つ。然も突き放すかのように、無自覚ながらにして。
「復讐がどうした?
私は復讐も報復も大好きだ、大賛成だ。どうぞお好きにやってくれという意見でいる。
だが、そこには続きがあり、ただ理由があり覚悟があるときだけ、だ。
彼女にはそれが欠落していたことがわかった。ただの私怨で動いただけで、それまで。その後なんて考えてもいなかったようだし、今では後悔までしている。
その証拠が、先の嗤笑。あの嘲りは今の自身へ、そして過去の己へ向けられたもの。そんなことを思うのなら、初めから走るべきでは無いのだ。復讐など。
だが彼女は走った。だからこそ言えるのだ、甘いと。
覚悟が足りない勇気が足りない意志が足りない殺意が足りない!
ぽっかりと欠落しているのだ。
「甘く弱い貴女は、どうしてそれほどまでに清々としている? 邪気が晴れたかのような顔をした? 復讐を選び自らを賭した覚悟無き貴女は、歪んで壊れて生きながらにして死んでいればいいものを。何故生きている? 何故そこに立っている? 何故にして、助けの手を取った」
「―――――っ」
もう既に、彼女の顔は歪んでいた。それはもうそそられるくらいに、酷く悲しく空しく、空っぽに歪んていた。目に少しの涙を溜め、唇を噛みしめ血を流す。
酷いことを言っている自覚はあった。だがこれでも言い足りない。
全て私の本心であり、嘘偽りのない嫌悪であった。どれだけ傷つけているか、どれだけ理不尽なことを言っているか、全て理解した上で続ける。
たとえ彼女に、嫌われようとも、知ったことではない。好かれているかは知らんが。
「さっさと、死んどけばよかっただろ。滑稽なエルフが」
「シオンッ⁉」
抗うことなく、首根を掴まれ引っ張られる。
ベルの目は怒りに
その手を軽く払い、俯いてわなわな震える彼女を、まっすぐに侮蔑の眼差しで見つめる。
「……ごめん、なさい……わたしなんか、シオンに……」
その先は、声に出されていない。続くことが出来なかったのか、将又続ける気などなかったのか。どちらでも良いが、結果として彼女は。
「―――さようならっ」
「リューさんッ⁉」
背を向け、全力で、逃げた。
そう、逃げたのだ。
何の偽り様も無く、ただただ逃げた。取り繕う必要も無く、悲しみに歪み、恐怖に支配され、全てがわからなくなった彼女は、逃げた。
現実から、言葉から、声から、私から。見返る事も無く、ただただ。
「ハッ、白々しい限りだ……それでは、ベルはご自由に。追いかけるなり私を襲うなり、ね」
「―――ッ……なんで、なんでそんなこと言ったんだよっ」
誰に向けたかもわからない言葉が、直後の反論によって消える。
他人事のはずなのに自分が恨んでさえいる、ベルの純粋な怒りで。
「さぁ、気分です」
「……やっぱり、シオンは異常者だ」
だが答える声はあっけない。返る声もあっけなかった。
曖昧なことで決め込み、事実で責める。
ぱっと走り出したベルは素知らぬ顔でそっと消えた私を確かめることなんてない。
彼はそんなことよりも、彼女のことを気にかけているに違いないから。
とぼとぼ歩くのは、まだ明るくもどこか暗い、深い森のどこかだった。
独りの彼は、無心で努めて在るかのように、見るからに固い、
彼は気付いていないだろう。自らの表情が
彼は気付いていないだろう。いつかと同じく訪れた、その『痛み』の原因を。
彼は気付いていたのだろう。自らが、後悔していることに。
いつもと変わらず、彼はひたすらに矛盾したままであり続けた。