ようやく十万超えたよ。
では、どうぞ
「ほげふっ」
「あ……」
ゴトッ、ゴトッと地面とぶつかる音が鳴り、次にはドンッと壁に衝突する音が鳴る。
「……だいじょうぶ?」
「は、はい」
衝突時に頭をぶつけて、脳震盪でも起こしたのか、片手で頭を押さえ、ふらつきながら立ち上がった。
「受け身をとったらどうなのですか」
「ゴメン、今のは無理」
防具を付けていない脇腹を擦りながら言い返す。その顔は、痛みと情けない、と言う気持ちで少しばかり歪んでおり、ベルはそれを誤魔化すように苦笑を浮かべた。
「今日は終わりにする?」
「いえ、最後までやります」
すぐさま構えを取り、一気に踏み込む。
スピード自体はそこらの奴に比べれば速いが、体重移動も上手くはないし、あれでは無駄も多く、体力を大きく削ってしまう。
軽快な金属音が鳴る訳では無く、鈍器と鈍器がぶつかったような重い音が鳴る。
偶に、指摘の声と返事の声が飛び交い、指摘されているベルは息を荒げ、必死に立っていた。
「ぐはっ」
打ち合いが少し続いた頃、ベルが刺突された鞘を鳩尾に無防御で受け、腹を押さえて蹲った。
それと共に西の空から光が漏れる。それは徐々に地上を照らしていった。
「終了ですね」
「お疲れ、ベル」
「は、はぃ」
痛みに堪えているのか、声は小さく擦れていた。
腹に手を当てながらものっそりと立ち上がる。
「ありがとうございました」
「うん」
「少しは上達してますね」
「ほんとに?」
「うん。成長速度が凄い」
動きは鈍く、下手、と言う風に見えるが、それは変化を続けている。下手は下手でも上達はしており、しかもその速度が段違いなのだ。直ぐに下手からまともと言えるくらいには上達するだろう。
「では、今日は帰りますか? 気絶していることを祈って」
「僕はいいけど、シオンはいいの? 今日は鍛錬してないんじゃない?」
「しましたよ」
「え、何時?」
「ここに着いてから一時間程は鍛錬していましたよ。鍛錬をしっかり終えてから見ていたのです」
ベルは闘いの方に集中していたから気づかなかったのだろう。集中するのはいいことだが、その所為で周りへの警戒を怠ることは良くないことだ。人のことを言えた口ではないが。
「ねぇシオン。昨日言ってたあれって、何時するの?」
「あれとは何のことですか?」
「鍛錬」
「あーそうですね……」
言ってしまうと、シオンはそのことを忘れていた。不覚、と思いつつも、対応策を考える。
何時やるかなんて忘れていたのだから決めている訳もない。
「……5日後、はどうですか?」
その日は定期の報告会の日。問題は無いはずだ。
「あ……その日遠征がある」
「遠征?」
「うん。五十九階層に」
そこで少し引っかかる。いきなりの遠征、それに五十九階層。
「あっ、レヴィスか……」
レヴィスが二十四階層で最後に発した言葉に、五十九階層、と言う言葉があった。
相手の何らかの策略があることは解かっていながらも、やはり行かない訳にはならないのだろう。
「大変ですね」
「うん。けど、大丈夫。頑張るから」
シオンには、その『頑張る』と言う言葉が、『無理をしてでもやる』と言う風に聞こえて、心配に思う気持ちが一層強くなってしまった。心配できる立場ではないことを自覚しながら。
「う~ん。でしたら、空いている時間がありますか? 遠征の準備とかがあったら、その日にお願いするわけにはいかないのですが」
「……全部空いてる」
アイズはこの時嘘を吐いた。
実際は、毎日午後に
「なら、2日後とかどうですか? 明日は少し
「うん、わかった」
「では、また明日。ベル、帰りましょうか」
「うん。明日もよろしくお願いします、アイズさん。それでは」
「うん、ばいばい」
左手を小さく振られ、それにこちらも手を振り返しながら、市壁を後にした。
* * *
「ねぇシオン、これはセーフなの?」
「脚は正座なので問題ありません」
ホームへ戻った二人は、折りたたんだ脚の上に漬物石を板と共に乗せ、その状態で寝そべると言う中々器用なことをやっている
「でもさ、これ逆に辛いよね」
「今のリリにとっては快楽なのではないですか?」
医師に見せることを確定している程、リリの精神は壊れているのだ。
「明日が最終日ですし、どうしようが勝手でしょう。罰の基本ルールさえ守っていれば問題ありません」
「ふぅ、やっと気絶しないで眠れる……」
昨日一昨日と、ベルとヘスティアはシオンに気絶させられたことによって、睡眠のような休息をとっている。意識を刈り取られて気分が良い人など、早々いないだろう。
「さて、今日も一緒に潜りますか?」
「うん、魔法の練習したいから」
「わかりました。では、汗を流してくるのでその間に、ある程度の物を用意しておいてください」
「了解」
静かな足取りで、シオンは金庫に物を仕舞った後、浴室へと向かった。
ベルは疲れた様子ながらも、着替えと準備を済ませた。
そして、部屋に料理をして出た良い匂いが漂い、それと共にヘスティアが毎度恒例の叫びを上げて起き上がる。
【ヘスティア・ファミリア】の朝は、とても和やかなものであった。
* * *
対し、【ロキ・ファミリア】の朝は少し荒れていた。
「アイズさん! それはどういうことですか!」
市壁から戻り、集って行うと決まっている、【ロキ・ファミリア】の朝食で、アイズはレフィーヤにとあることの断りをいれていた。
「え、どうって……明後日シオンと鍛錬するから……」
「他派閥の人間でしょう⁉」
「そ、それは……」
言い返すことはできない。暗黙のルールとして、他派閥の人間とは基本不干渉なのだ。基本、と言うだけで、例外はあったりするのだが。
「アイズぅ~どうかしたの?」
「朝から騒がしいわよ、レフィーヤ」
「ティ、ティオナさんティオネさん……」
と、そこにアマゾネス姉妹が入り込んでくる。一触即発に近い雰囲気を纏っているレフィーヤが気になってのことだ。
「……すみません、何でもありません」
昂った感情が治まったのか、冷静な様子で答える。自分の失態にも気づいたのだろう。
「そっかぁ~ならいいや」
「アイズ、隣いいかしら」
「あ、私も私も!」
「うん、いいよ」
と、既に座っていたアイズの両脇に、ティオナとティオネが座る。
「あぁ~」
それを羨ましそうに見るレフィーヤ。本当は隣に座りたかったのだろうが、タイミングを逃してしまったのだ。
「ねぇアイズ! 気になることがあるんだけど、聞いていい?」
座って早々、大食堂に響く声で話しかけて来る、元気の絶えない天真爛漫な少女。煩いくらいのその声は、騒がしい大食堂でも、全員が聞き取れた。
「うん、いいよ」
特に断る理由もないアイズは了承する。
「じゃあさ! その左手の指輪って誰からもらったの~?」
大声で聞いたその質問で、騒がしい大食堂は一転して静まり返った。
「これ?」
と、アイズは左手を差し出しながら聞く。
「そうそれそれ! アイズが買ったとは思えないし、で、誰からなの?」
「シオンからもらった。一昨日」
「はいぃ⁉」
「はァッ⁉」
と、また叫ぶレフィーヤ。そして、少し離れたところで叫ぶ狼。
「?」
その様子に首を傾げるアイズ。彼女はこの問題の本質を理解していない。
「ア、アアアアアイズさんがぁ⁉ うわあぁっぁぁ⁉」
叫び、喚き出すレフィーヤ。とてもエルフとは思えない所業。
「へ~アイズってああいう人が好みだったんだ~」
物珍し気にしているが、表情は相変わらず笑顔のティオナ。
「残念だったわね、一匹狼君」
別の方向を向いて言い放つティオネ。
「知るかっ」
椅子を蹴飛ばし大食堂を立ち去る一匹狼。
「へ~、アイズさんって、クラネルさんと付き合っていたんですね。それとももう結婚? それなら今までの不自然なところも解消されますね。でも、それって問題アリでは?」
決定的な語を口にするアナキティ・オータムことアキ。
「け、結婚?」
その語に反応したのは、他の誰でもなくアイズだった。
「どうかしましたか?」
その様子に疑問を覚えるアキ。彼女も指輪の位置から判断した内に一人だ。
「シオンと、結婚?」
そう発すると、顔を赤くして俯く少女。その反応に更なる疑問ができるアキ達。
「私、
そう言われ、多少の疑問は残るものの、自分たちが思っていたこととは違ったことに安堵する団員達。
「まだ?」
だが、意味深なその語を聞き逃さなかった者が一人いた。
このような色恋沙汰に対して、執念深い
「何だい? この静けさは。さっきベートが壁を殴っていたけど、それと関係あるのかな?」
「団長ぉ~」
だが、その語について追及する前に、彼女にとって、近くにいられるのならずっと居たい存在であるフィンが、大食堂に入ってきた。勿論彼女はすぐに
「ティオネ、何があったんだい?」
「それがぁ~。アイズの指輪のことでぇ、ちょっと騒ぎになった後に落ち着いてぇ、その時に丁度よく団長が来たんですよぉ~」
猫なで声を発しながら説明したティオネを避け、フィンはアイズの元へと向かう。
「その指輪かい?」
とフィンはアイズの右手薬指に嵌められた指輪を示しながら聞いた。それに首肯するアイズ。
「……大方検討がついた。問題は、アイズがこれを自覚的にやっているかだが」
「?」
神妙な様子のフィンにアイズは首を傾げる。何を言っているのか理解できていないのだろう。
「この反応を見るに、そういうことではなさそうだね。ならいいさ、問題ない。アクセサリーを身に着けることに規制は無いからね」
「うん?」
話に追い付けていない少女を措いといて、ファミリアの団員たちは動き出した。問題ない、団長がそう言ったのだ。彼ら彼女らは全く疑わない。
「アイズ、君も少しは気を付けた方が良い」
「それって、どういう……」
「自分で考えるといいさ、じゃあね、僕もお腹が
「団長! ご用意させていただきます!」
「ん、ああ、よろしく頼むよ」
「はい!」
と、いつも通りの騒がしく賑やかな食堂へと戻る。
【ロキ・ファミリア】の朝は、和やかとは言い難かった。