やがて我が身は剣となる。   作:烏羽 黒

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  今回の一言
 すっごく噛みきれない感が……

では、どうぞ


怖いと感じているのだろうか

―――かくして、一人の少年は『神』になりました。

 

 前触れとか、使命とか、そんなものはなく。ただ突然と彼は『神』に選ばれました。

 彼は『神』と、仕立て上げられたのです。奉られてしまったのです。

 ただ一つの、『どんなことでも忘れることができない』という呪いじみた特性を持ち生まれた彼は望んでもいません。されど、拒否を示すこともありませんでした。

 彼はどこか世界に対して達感で、どうしようもなくつまらなそうな顔をしていたのです。

 まるで、そうなることを()()()()()()()()()()()()かのように。

 忘れられない特性と、全てを知ろうとする知識欲が生み出したものは、完全な未来予想をも可能とする恐ろしい『神様』だったのです。

 

 人々はそれを知りもせず『神様』に頼り、そしてあっけなく殺しました。

 

 それからはやいくつか数えて、とある町に『英雄』が生まれました。

 少女と見紛うばかりの人並外れた美しき姿。どこか浮世離れした存在であった彼の出自は誰も知らない。ただ突然と、その年十六ほどで姿を現したのです。 

 その都市に住まうものは、誰もが彼を求めました。

 しかし、彼はそれに応えず。ただ待つようにいた一柱の神にこういったそうです。

 

『いいよ』

 

 ただその一言だけを告げて、彼は静かに笑みを浮かべました。

 彼と神はそれからすぐ眷族(かぞく)の契りを結びました。

 彼が英雄と呼ばれるようになったのは、そう遠くない未来のことです。

 

 富も名声も、あまつさえ命さえも彼の思うがままにできる。それが喜ばしいことだと、正しいことだと思われるようになるほど、彼の存在は大きなものとなりました。

 しかし、彼は多くを望みません。たった一つの、大きなものを望んだだけでした。

 

 契りを結んだその神の側に居続けられること。

 彼にとってはそれだけで十分で、望まれた()()にとっても喜ばしい事でした。

 

 それからしばらく、彼らは平穏に――そして誰よりも幸せと誇れる生活を送りました。

 しかし、二人は一つの不幸に襲われてしまったのです。

 

 世界の暗転を晴らすため、愛する神を救うため。彼は奮起しました。

 戦って、戦って、そして戦って――いくら死んでも足りないほどに傷ついて。

 そして彼が得たものとは、愛するものとの別れと、己の死。

 

 屹立する、手を伸ばしたところで空を切るばかりの天に伸びる柱。

 ボロボロの彼はその下で嘆き苦しみ、ひたすらに自分を責めました。

 

 こんなんじゃ意味がない、と。何のために私は戦ったのか、と。

 

 そして、ゴメンナサイ、と。

 

 しかし結果は変わりません。『(ルール)』を破った彼女は足掻くことも無くその運命を受け入れたのです。彼の力になれたこと、彼女は最後にそれだけの幸せを手に入れて、去ってしましました。

 昇り逝く彼女の姿は、暗く淀んだ世界を割る黄金の太陽のように煌めていました。

 それは、彼女が最後に浮かべたのが、笑顔だったからかもしれません。

 

 それでも、対照的に絶望した彼は、その叫びを持ち――根源へと無為な特攻をしました。

 本当の『英雄』となった彼の、全てを捨ててまでぶつけた憎しみは、己までも蝕み、殺したそうです。

 しかし、憎しみでは、あの『竜』を殺すことができませんでした。

 

 結局彼は失うばかりで、とても悲しい英雄として語られました。

 そう、まるで意味のない――(あだ)(ばなし)であるかのように。

 

 忘れ去られた英雄の名を()()()といった。

 そしてその女神の名は―――

 

 

    * * *

 

「……室内、病室か」

 

 あぁ、ひどく落ち着く。単純で強く明確な色ばかりで染まった夢を見た後じゃ、簡素な病室も悪くない。普段はこんなにも清潔に整備された場所へ放り込まれたら落ち着けないだろう。

 だが今はありがたい、無人であることがなによりも。

 つよく、それこそ自分を砕いてしまうほど強く、己を守るように身を抱いた。

 全身から気持ち悪いほど出る汗が止まらない。呼吸も落ち着かない、なにより心が落ち着かなかった。 

 まるで自分が体験したかのような鮮明な夢。しかしそれは自分の記憶にないこと。 

 何度となくこれまでに経験したものと似ていて、乖離している。鮮明という二文字がまさしく当てはまるような現実感。

 感じた絶望も、与えられた幸福も、別れ際に離れた温もりすらも。

 己を蝕んだ、本当の死という恐怖も。

 

 ただ一つ、『彼女』の笑顔を除いては。

 

「なんなんだよ……ッ」

 

 手の震えが止まらない、戦慄く唇から発せられる音はひどく揺れていた。

 あぁ、独りがこんなにも寂しいのか。

 慣れたつもりでいたのに、へっちゃらだと思い込んでいた。

 残されることが、こんなにも辛いだなんて。他人のものとは思えない感情に、どうしてか苦しめられる。

 無様ながら身を守るように、布団の中に隠れてしまう私の弱い心はどうしようもないほどズタズタに荒れていた。こんな恐怖は、初めてだ。

 

「――――ッ!」

 

 重い金属と、床板がぶつかる音が低く反響した。

 ばしゃり、撒かれる水をぺちゃりと踏んでは一足飛びにやってくる音。

 強い衝撃に肺むせかける。ぎゅっと体を締め付けられ、その力は痛みなんて感じないほどに優しいのに、強く苦しいほどに締めつけられる。

 遅れて気付いたのは、堪え切れずに漏れてしまったかのようなえずく声。その姿は見えない、その鳴き声を私は知らない。

 でも、確かにわかるんだ。

 この温もりは知っている、この気配を知っている。この声を確かに、知っている。

 布団を剥ぎ、顔を露わにすればまた言いようのない恐怖が私を襲う。だがそれでも、耐える他なかった。

 なにせ、私よりも怖い思いをさせてしまったかもしれない女の子が、目の前で泣いているのだから。

 

「……心配かけた?」

 

 胸に強く額を擦りつける彼女に語りかける。縦にずりずり、一度強く動く。

 

「ごめん、こんなはずなかったんだけど……ごめん」

 

 今度は横に、強く何度も。

 それが告げているのは否定だろうか、それとも慰めだろうか。 

 

「だいじょうぶ、なんだよねっ……いなくなったり、しないよね……!?」

 

「いらない心配ですね。安心してください。貴女をおいて、どこにいこうだなんて思いませんから」

 

「……ほんとに?」

 

「えぇ、ほんとです」

 

 安心させようと動かした右手。撫でられるのを恥ずかしがっても大好きだと言う彼女にとってこれは安心になるだろうと―――しかし、その手が思い通りに動いてくれない。

 あえなく、ついたのは彼女の腰。引き寄せ抱きしめてあげる事しかできない。それも不格好に、そこに揺らぐ気持ちを持って。

 

「……そっか」

 

 彼女はその一言を零して、もう言及も何もしない。ただそっと寄り添うのみ。

 その優しさが何よりも彼の自責に繋がったとは、知り得るはずもないだろう。正直でいてくれる彼女に対して、自分は本当を明かすことができないのだから。

 自分の知らないことは、知らない。明かすことなどできるはずもない。

 

 暫くの間、そうして私は慰め――否、慰められ続けた。

 どうしようもなく弱い私に、こうして構ってくれるアイズには感謝しかない。

 

―――シオンが意識不明と伝えられたのは、ティアちゃんからであった。

 

 朝になってもヒトリボッチの家で心細さを感じている中、とんとん、二度打ったノックに思わず飛び出しそうになってしまった。だが言いつけを守って外しっかり見て、ティアちゃんただ一人であることを確認する。

 その神妙な顔から伝えられた事実は、シオンがいないことこそ何よりの証拠だった。

 駆けつけた先に待っていたのはアミッド。案内され向かった『特別治療室』という場所に、シオンは静かに――とてもそう言えないさまで寝ていた。否、暴れていた。

 超合金で縛り付ける。一体何をしているのかと混乱したが、軋むほどに暴れ、何かを求めるように慟哭する彼の様を見れば、何も言い返すことができなかった。

 

 衝撃に呑まれたまま彼を見守り続けていると、いったいどれだけ経っただろう。彼が落ち付き、まるで死んだように動かなくなるまで。

 看病を買って出たのは自分でも意外だった。でも、それは何かを恐れていたのかもしれない。

 自分の知らないシオンがいて、それがもしかすればとても怖い存在で、触れてはいけないものなのではないかと。それが堪らなく嫌だった。

  

 シオンが意識を失い続けて、数えただけでも三日となる。

 支えることは、とても大変だった。肉体的にも、精神的にも、技術的にも。

 その後度々暴れる彼を押さえつけるだけでも、多くの傷を負った。それを気づかれないように隠そうとするだけでも大変。

 それに、シオンは何度も起き上がるのだ。まるで意識を取り戻しているかのような動きで、窓際まで進み、虚空を覗く光のない目に太陽を映す。果てしないまで遠いそれを手繰り寄せるように手を伸ばして。

 シオンが、目の前から消えてしまうような錯覚を、その時から覚えるようになった。

 

 彼に何が起きているのかは知らない、知れない、教えてももらえないだろう。

 しかしそれでいいと思う。

 私の望みは、自分を優先させるあまりに彼を傷つける事じゃない。彼と共にあり続けられること――ただ、幸せを得られる。それだけでいいのだ。

 だから望むのはただ一つ、()()()()()()()()だけ。

  

 背をしっかりと押して引き寄せてくれるシオンに身を任せる。

 彼の温もりを感じられる。確かに生きて、彼は私の側にいてくれるのだ。

 その幸せだけを噛みしめて、滲む悔しさにそっと蓋をした。重く、不格好な蓋を。

 

 

    * * * 

 

 私は暫くの間、安静を余儀なくされた。やりたくて疼いてしまう鍛錬もアミッドさんが煩く碌にできやしないし、この頃酷い頭痛も『デジャヴ』も私の行動を制限する。

 気を使われたのか、フィンさんからの依頼はからっきし。お陰で手持ち無沙汰だ。

 日常から戦闘という概念が欠落し、寂しい日々が続く中私は特にやることがない。本を読んでみたり、料理の試作をしてみたり、街をぶらついてみたり。

 正直、暇では無かった。そりゃ、すべきことが無くなっただけで、やりたいことは山ほどあったのだからな。それだけではない、お客もよくやって来るようになった。相手も暇だという訳ではなかろうに。こうも気を使われると、私の立つ瀬が無くなってしまうと悩んだものだ。

 そんな中でまた一人、うちの戸を叩く人がいた。

 

「や、やっほー、シオン君。なんか久しぶりって感じだね」

 

「一日千秋でもあるまいし、なんですかその感覚は。私はそこまででもありませんよ。んで、ミイシャさん。どんな御用でしょうか。そんな荷物持って……遅見舞い?」

 

「うーん、なんというか、見舞いというよりはプレゼント?」

 

「―――あぁ、なるほど」

 

 見計らったかのようなタイミングだ。ティアは今ダンジョンの探索中、アイズはファミリアのほうで仕事があるそうだ。つまりは現在二人っきり、彼女が望んだような状況。

 シンプルなワンピースに身を包む彼女ははにかみ、その姿に合わない大きな箱を横歩きで運びながら入って来る。その中身が、渡したい、といっていたものか。残念ながら、手土産はないらしい。端から期待などしていなかったがな。

 

「靴は脱いでください。スリッパがありますので、そちらに履き替えて」

 

「うん、わかった」

 

 手間取っているようだが何とかなるだろうと、一足先に居間へ戻る。予想外の客人に対応ができない――なんてことにならぬよう、色々用意はするよう心掛けているのだ。

 茶葉から入れる紅茶はなんやかんやで得意であったりする。紅茶については考えれば考えるほど何故か下手になっていったので、もう感覚で淹れることにしたらある程度の出来が保てるようになった。美味いと言われることは少ないが、不味いと罵られることはないことはない。 

 少し遅れてやってきたミイシャさんが、物珍しい様子でへーとかふーんとか言いながら歩き回っている。ぱかぱかと歩く音はなんだか聞き慣れない。来客が変態的な実力者ばかりだから、普段からそんな足音なんて聞かないことが原因だろう。そう思うと、彼女の一般人らしさというのは新鮮でいい。

 

「やっぱりいい場所だね、ここ。家具もいいものばっかり。やっぱりお金持ちは違うなぁ」

 

「そりゃどうも。まぁ、家具に気を使うようになったのは最近ですけどね。どうぞお座りくださいな、紅茶が入ったのでね」

 

「おー、ありがと。って……これ高級品じゃん。うっわー、これだから成金は」

 

「貰い物ですが何か」

 

「あ、うん、ごめん」

 

 成金だなんて酷いものだ。否定はできないが、金遣いは荒くないつもりだ。 

 もふっと体が沈む感触に驚くミイシャさんの可愛らしい様子を種に仕返しを済ませ、立場を均す。他の誰もいない二人きりの空間、始めはあったようだったミイシャさんの緊張も解れただろう。二口ほどで喉に潤いを与えた紅茶の香りがより弛緩させてくれる。

 ぎこちない玄関での邂逅とは異なった現状。彼女が話題を提示するには丁度よかった。

 

「あのね、まず最初に言っておくと――これは独り善がりだと思うの」

 

「ほう、どの辺りがと訊きたいところですが、それもすぐ分かるって顔してますね」

 

「うん、全部このこの中に答えがあるから」

 

 自身の真横に置いた箱を示す。何の変哲もない、ただの箱。気になることと言えば、それにリボンが掛けが為されていること、高級感漂う素材で作られていること。果たして、ミイシャさんにそれほどの余裕があったのか、という疑問。それくらい。

 

「……あのさ、物件廻りで街を歩いたりした日のこと、憶えてる?」

 

「私、記憶力には殊更自信がありまして」

 

「だよね、知ってた。じゃあさ、裏道歩いている時に見つけた『ほほえみ』っていう洋服屋のことは?」

 

「―――確かに、ありましたね。でも、どうしてそんな確認を?」

 

 不思議からさらりと放ったその一言、シオンは無意識であった。

 苦いものでも噛んだかのようにミイシャは顔を歪める。その一言が、何よりも物語っていた。あの時見せた、寂しそうな顔。霞んで、消えてしまいそうなほどに(はかな)い様子を見せていた彼。  

 迷いが生まれる。果たして、彼にそれを気づかせていいのか。本当はこのまま、自覚させないでいさせるほうが、良いのではないか。そもそもこれで、彼は気付けるのだろうか。

 自分は今、不確定な事象に対して挑んでいる。ミイシャはそう思いながらも、諦めてはならないと心を決めた。これが彼の過去に関係のあるものだと、彼にとって大切なナニカであると――勝手にそう信じ込んでいるだけかもしれない。それでも尚、やる。

 

「ちょっと、関りがあってね。さておき、まずは開けてみてよ」

 

 手渡すときに感じるずっしりとした重み。こんな重くはなかったはずだ。感じているのはプレッシャー、いまから起こり得る、未知への恐怖だろうか。

 怯えてなどいられない。これからの事象は全て、自分の責任と受け止めなければならないのだから。何か起こるにしろ、無事で済むにしろ。

 深く息を吐いた。彼に感づかれてはいない。自分が何を心配しているのかはわからないが、彼に不安を与えるような行動はしたくないのだ。これから、どうなるか、本当にわからないから。

 

 受け取ったシオンは、まずはしげしげとその箱を眺める。珍しいものでも見るかのようだ。器用にリボンを外すと、そのリボンを素早く丁寧に畳む。几帳面な彼は慎重に、割れ物でも扱うように蓋を開いた。

 中に入っていた物に、彼はすぐに首を傾げる。

 

「これは……布って言葉で片付けちゃいかんな。『()(ごろも)』とでもいいましょうか……」

 

 箱から取り出したのは、始めに目に付いた半透明な布。その色を正しく形容する言葉が見つからないほど、角度を変えて見える様相が異なる。それは空に浮かぶ星々ともいえる輝きを持ち、万緑を育む清流がそこに流れているかのようにゆらめく。一時も同じ姿を見せないような、不思議な布。それをただの布とはなんとも勿体なく、まさしく羽衣だと思う。

 その美しさに思わず動きを止めていたが、箱にはまだ深さがある。これ一つで埋めるにはあまりにも大きいほどの。

 

 羽衣を一度畳み、ソファにかけるように置く。

 逆方向に置いてある箱の中を覗くと、確かにまだ置かれている物があった。

 二つに区切られているその大分部を占めるほう。目についたそれを取り出す。見る限り洋服だろう―――そう思った。しかも女物、何故こんな物を――一つ言ってやろうと思いながら取り出して、あれと疑問をもつ。

 それがはっきりしないまま、私はそれを目一杯広げる。彼女に何も言わないまま。

 

「―――? ――――ッ! うそ、だろ……なぜこれが……」

 

 始めは妙なデジャヴ。次に感じたのは確信、そして困惑。

 今の自分にはあまりにも身近過ぎる物だった、そのドレスは。『彼』が守ることのできなかった、一人の女性が好んで着たその服。

 今感じているこの既視感は、別に『ほほえみ』の陳列窓で見たそれじゃない。それを私はよぉく理解している。論理性は欠片も無いけれど、そうだと。

 

「あっ、気づいちゃった? 別に、値段とか気にしなくていいから。私の独り善がりだから、さ。べ、べつに着てほしいとかそういうわけじゃなくて……ほら、あの時さ、」

 

「――まるで厭味だな。ははっ、今の私に、これかよ」

 

「……え?」

 

 ミイシャはシオンが吐き捨てるように漏らした言葉が疑問でしかなかった。自分が想定したどの反応とも違う、嘲りにも似た笑いを浮かべたシオンに、自分が何を言うのが正しいのだろう。

 彼は()(そう)に顔を歪め、広げていたそのドレスを抱く。もうないナニカの、失ってしまったナニカの遺物を掴み願うような、ありえることのない再会を願うような――彼が小さく見えてしまうほど、それは酷く弱々しかった。普段見る、英雄にも見紛う彼の姿とは大きく乖離していた。

 

「……そういえば、これもあの人は持っていたか。気づけなかったとは」

 

 記憶を持つ者として、これはどうなのだろう。  

 いつの時かは知れない。だけど私が今持つ気持ちは、決して他人事で済まされない部類のものである。正確には『彼』の気持ちであるが、責任を置くのにそれは関係ない。

 

「……まさか、まだ()()()に関わりのあるモノがあったりしないよな」

 

 心の整理を漸くつけたのか、シオンはドレスに埋めていた顔を上げる。そして一言零すと、もう既に億劫そうな面持ちで、膝にドレスをおいて箱を覗く。

 そんな彼の様子を見ていたミイシャは既にズタズタであった。自分が起こしてしまった彼の苦しみ、その事実がよりミイシャを苦しめている。勝手な自分の行動が、こんな事態を招いてしまったと。

 疲れた様子で箱を漁り、取り出したのは緩衝材に包まれた二つの塊。苦しむのならもうヤメテ……音にならない悲鳴を上げるミイシャの見当違いな思いを差し置き、彼は律儀に破くことなく外していく。

 

「―――なんだ、腕輪か」

 

 一つ外し、彼は安心したように溜め息をつく。そこにはもう疲れが滲んでいた。

 炎が彫られた深淵の影であるかのような黒。アクセントとな八角の(はく)(しょう)が炎心に埋め込まれており、じゃらじゃらと鳴る鎖が垂れているそれ。

 鬱陶しさか、それとも拍子抜けなのか。彼はもう大きな興味を示さない。

 その様子で、もう一つを機械的に外す。意思なんてなく、最低限礼を尽くすかのように。

 彼は大いに油断していた。

 

「……ん? これ、どこかで……」

 

 再び襲うのは既視感に似た、別のナニカ。そう、それはまるで()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だろう。 

 左手には黒の腕輪を、右手には暴かれた腕輪。それはまさしく対。目を焼くような光を閉じ込めたかのような白色、描かれるのは実在が怪しまれる天使、その羽根。根元には八角の(こく)(しょう)が埋め込まれており、二つを表すのならばこうなるだろう。『天国』と『地獄』だと。

 

―――私が確かに以前、()()()()()()()()()()

 

 手に取るのは初めてだ。陳列窓で確かに私はこれを、彼女とともに見ただろう。しかし、その時には欠片の興味もなかった。ただ不思議と思った、それだけ。

 ならばなんだろうこの『しっくり』という感覚は。

 私の中に存在する二つの事象が二律背反を起こし、混乱でどうにかなってしまいそうだ。どれが私の記憶で、どれが『彼』という()()の記憶なのか、わからない。

 そんな中で纏めた結論がこうだ。

 

 これは私自身が持つべくして持ったもので、それ以外は何もない。

 

 こうでもしなければ私は正気を保てそうになかった。混乱を一時的でもいい、抑えることができれば後に整理をつけられる時間が設けられる。なに、不意打ちでなければ思考は正常に働くはずだ。

 深く、大きく、吐き出す息。そこにいらないもの全部込めて、吹っ切った。

 

「……ミイシャさん」

 

「……はい」

 

 絞り出した声でミイシャを呼ぶ。心中勝手に自責を続けていた彼女は突然の声掛けに即座の反応できず、しかしできたのは彼女の義務感が生み出した音を出すのみ。起こしてしまったことを受け止める覚悟、大層なそれなんて生憎持ち合わせていない。だが、彼女はやると決めたことは、必ずやる。

 

「そんな怯えた声、出さなくてもいいですよ。別に私は貴女を叱ったり、感情のままに怒ったりしません。理不尽は何よりも人を弱らせる、それはよぉく理解しています。だから私が貴方に伝えるべきことはこうでしょう」

 

 にこにこ、まるで屈託のない笑顔を向ける。果たして笑みというものは、ここまで感情が薄いものなのだろうか。細まる目、上がる口角――ただその動作を模倣しているだけのような、どこかぎこちなさを見せる笑み。

 うすら寒さを覚えるそれに、しかしミイシャは違和感なく受け流した。そんな余裕など彼女にはなく、今は受け止める準備しかないのだから。

 

「どうもありがとう、実にありがたい独り善がりでした、と」

 

「……最後まで訳が分からないんだけど」

 

「わからなくていいですよ、むしろそれで苦しみやがれ」

 

 最大限に悪感情を込めて言ってやる。苦笑いの中に含まれるのは自覚だろうか、尚更腹立たしい。

 非常に面倒な問題を持って来てくれた彼女には感謝の代りに今度仕事でも送ってやろうと思う。遠回りで彼女はお金を得られるだろうし、いいんじゃないだろうか。

 

 対の腕輪をしげしげと眺める。やはり、それに覚えがある。  

 これがどんなもので、一体どんな構造をしているのか。何故だか私は()()()()()()()()。だからこれを試しに嵌めようだなんて安易なことは実行しないし、恐怖に負けてこれを手放そうなどと断じて思わない。

 これはそれだけ貴重な物で、大切なもの。よくもまぁ買取もされず店先に残っていたと感心するばかりだ。小食品として購入されても可笑しくない出来なのだが……嫌われてしまったのかな。否、正確には人を嫌ったと表現した方が適切だろうが。

 

「……じゃ、じゃあ私、もう帰るね」

 

「おや、別に居る分には構いませんのに」

 

「わかって言ってるでしょ。ほんっと、正確悪い。でもいいや、シオン君はそういう人だもん。お願いだから、そのままでいてね。私の大好きなシオン君のままで」

 

「なにそれ愛の告白?」

 

「あれ、わかっちゃった? 冗談で切り捨てられるかと思ったけど、案外私にもチャンスはあったりするのかな」

 

 ミイシャのマイペースっぷりに、流石のシオンも天を仰いだ。さきほどまでの沈んだ様子よりも、そりゃ今見せるあくどいというか、自由な感じの方が良いと思うが。ここまでふっきりが早いと、かくいう私の方が動揺してしまう。

 ふざけて和ませようとしたつもりが、逆に濁ってしまった部屋の空気。吹き飛ばすかのように、彼女は立ち上がり、一言。

 

「じゃあね、シオン君」

 

 それだけ残し、急ぎ足で居間を出る。靴を履くのに手間取る声が聞こえたが、すぐ後には玄関から音が聞こえなくなってしまった。独り寂しい家の中、少し動けば金属同士の甲高い擦過音が聞こえるだけ。

 結局のところ、彼女が持ってきたのは問題だけ。解法も答えも判明していない、だがしかし解けるのは私しかいないという理不尽。あぁ、嫌なものだ。

 

 私はこれから、どうすればいいのだろう。

 どうするべきなのだろう。

 教えてくれ、助けてくれ……こんな弱くなってしまった私に救いを与えてくれ。 

   

 頼りにもならない、だけど安心だけは与えてくれるそれを私は抱き寄せる。それには何も宿っていない。古着特有の芳香が鼻孔をくすぐるだけで、それ以外何もこれは持っていない。しかし、私の中にある記憶では、それは救いそのものなのだ。

 傍から見たら気持ち悪いことこの上ないだろう。しかし私はそう居続けた。誰もいないという安心感があったのかもしれない――逆にまた、誰もいないという孤独に苛まれただけかもしれない。

 ない交ぜになった感情を理解できずにいる私は、無力なままで何もできずにいたのだった。

 

 


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