ダンまち内でも、私と同じように腰痛に悩む人はいるのだろうか。
では、どうぞ
「おいおいやり過ぎだっての!」
無差別という言葉を真に感じるその光景。視界に入る者すべてを斬り付け、戦闘不能へと追い込むまさに蹂躙。抵抗あれど【
悲鳴が錯綜し、人工灯で目が眩むほどの通りが暗色に染まる光景は、正常な感性を持つ者ならば狂ってしまうくらいの残酷さ。これがここ一ヶ所だけではないのだから苦労させられる。
歓楽街の重要性は利用しない私も知っている。オラリオ内の産業収入うち六割が欲望に忠実な男から絞り出されたもの。それが丸々壊されてみろ、一瞬にして産業崩壊するわ。
私だってオラリオの住人、戸籍だって持っている。だからこの都市が不景気になられると困るのだ。産業大切、働く気はないけどな。
――と、間抜けなこと考えてる暇ないわ。
「ちょっと眠っておいてねぇ」
「なっ、貴様はっ―――――」
首を落とす――その気で斬っても皮一枚すら剥けることはない。吸い取られるような感覚を伴って、気力を失い、痛みのない眠るような気絶が待っている、ただそれだけ。
人殺しに慣れた者が先頭に立ち、まだ手際よくいかない者が後続となりスピード優先の先頭が見逃した奴らを確実に殺すえげつない手口。嫌気が差す、無情な殺し以上に無意味なことはない。
先頭を瞬時に戦闘不能へ追い込み、そいつらを足元にあえて佇んだ。切先をローブの隙間から覗かせる、見せつけるように、脅しをかけるかのように。
狙い通り、彼等は一歩、また一歩と退いていく。しかし、ふと足が止まった。その顔に浮かぶのは、覚悟か――否、恐怖だ。見捨てられる、弱者と認定されたその先を恐れている。
「可哀相に」
その一言が届いたかどうかは知らないが、我を失ったかのような顔をして彼らは襲い掛かって来る。憐れにも彼女の『愛』にとり憑かれたある種犠牲者。
せめて苦しめまいと、彼等の意識に残らぬように気を使い、きり倒してあげる。私チョー優しい。本当はズタズタに斬って、放置してあげようと思ったのだけれどね。
フレイヤの眷族だし、彼女だって一度興味を持って自分のファミリアに引き込んだのだ。それを消したら――おぉう、たとえ私でも何されるかわかったもんじゃないな。
「……とりあえず、一ヶ所制圧」
この様子だと一時間は起きないだろうし、拘束も必要ないだろう。たとえ起きたとしても、誰も襲わなきゃ良しだ。死人が出なければいいだけのこと。
理不尽な死ほど、嫌なことはないし。
また一っ飛び。そして制圧、たまに怪我人の応急処置。それを繰り返すだけ。
十にも見えない子供がいた時は驚いたものだが、流石娼館……と目を瞑るしかなかった。現実って怖い、何より人間の性癖が怖くなりましたわたくしです。
進軍の中心地からははずれた周囲、まずはそこから攻めていくのだ。進軍の中央、ゆったりとした速度で落ち着くそこには必ず主力が存在する。オッタル、その可能性が高い。
―――後回ししたそこに、漸く辿り着く。
「……あたりが静かになっていたと思ったが、貴様が原因か」
「…………」
警戒心をあらわにして、案の定居た彼が私に重厚な切先を向ける。背後に一柱の神を庇い、まさに身を賭けた盾。それにして強力無比の武器。
だが、私はそんな態度に少々違和感を覚えてしまった。
「貴様が何の目的を持っているかは知らぬが、立ちはだかるならば容赦はせん。腕に自信があるようだが、ただで済むと思うな」
――やっぱり、気づかれてないんじゃん。
おいおい私どんだけ興味持たれてないんだよ。悲しくなっちゃうよ、泣いちゃうよ?
いきなり泣き出したら奇人判定されるだけなので、流石に泣きはしないが。それでもちょっと落ち込むな……私ってそんなに特徴ない人間なのね。
殺気をむんむんと放出している彼には悪いが、私は戦う気がない。あくまで今の目的は鎮圧・抑制であって、戦闘による被害増大ではない。
仰々しく私は両の手を挙げ、武器がそれ以上ないこと見せつける。
彼はまったく刃を引かない。
「……いやいや、もう何もないから、殺気飛ばすなよ。今、戦いたいわけじゃないし」
「その声……おい、顔を見せろ。確認がしたい」
「これ以上破壊工作を続けないのならば検討してあげてもいいです」
「別に壊したくて壊しているわけではないのだけれど……あら? 本当にシオンじゃない! 歓楽街なんかに何しに来たのかしら?」
その声を聞いた瞬間、呆れを通り越した感心に溜め息が漏れた。
たとえ超優秀な護衛がいるとしても、だ。か弱い神を戦場紛いの地に赴くのは賛成できない。しかも一大派閥の主……見る限り一般人に成り済まそうとする努力もしておらず、完全に神丸出しだ。
茶色のダッフルコートを着ているあたり、隠す気はあるようだがな。
フードを被っていても気づくフレイヤはどうやらオッタルよりも観察力が優れているらしい。まだまだじゃのう、戦闘ばっかりして人を見ないからそうなるんだ。人のこと言えないけど。
「まっ、どうせ知ってると思いますけど、ベルが誘拐されちゃいましてね。それを奪取しにきた、というわけです。【フレイヤ・ファミリア】さんはどうやらどこかの女神に灸でも据えに来たところですかね」
「素晴らしい明察ね」
「わかりやすいものですから。だがしかし、この被害はやりすぎです」
「場所が分からなかったのだから仕方ないでしょう? 洗い出す必要があったのよ」
「まるで
何か裏がありそうなほど安易なやり方だ。例えば起こした騒動に便乗して、事故に見せかけた『厄介者』の暗殺、とか――ないか、ないな。
神が神を殺すことは何度となくあったそうだ。あくまで上界において、という条件付きだが。下界では神殺しなど滅多に起きない。
ものを知らない『子供』くらいが神を稀に殺す。そのときに発動するのが『
あれはかなり目立つらしい。天まで屹立する柱、不干渉なその柱の中を神が抗い虚しく昇って行くそうだ。地上に見せつける――他の神を、戒めるかのように。
「ねぇシオン。私の子たちはどうしたのかしら」
「全員伸びてますよ、暴れていたやつらは」
「あらそう……それは残念だわ。絶望しちゃわないといいけど、大丈夫かしらね。でも、どうしましょう、これじゃあ場所を特定できないじゃない――あら、あれは何?」
「おっ、当たったな。見つかりましたよ」
困った様に小首をかしげる彼女が、ふと私から目を切った。その先は上空――私の背後、曇天から数多降り注ぐ雷撃が、中心地を焼き尽くさんばかりの勢いで荒れる天災に等しい景色。
私が事前に指示をしていた、全員に発見を知らせる合図。ちょっと派手過ぎてあそこに突っ込むことをためらってしまうが、私にあたることはないだろう。
「私は向かいますけど、お二人はどうします? ついてきます?」
「あら、頼もしい護衛が二人に増えたわね、ありがたいわ」
「あくまで自分が行くていを譲らんな……まぁどっちでもいいけど」
ついて行く、ということを嫌うのは女王なりのなにか譲れないアイデンティティーなのだろうか。別段気にする事でもないだろうに。自分が先導する――そうでなければと考える気持ちも、理解できない訳ではないが。
急ぐことも無く、タッタッカタッタッ――やけに響くヒールの音を背に無言で向かった。もどかしい、どこか痒くなるような空気が漂うが、何故だか先に言い出したら負けだと思って何もしない。
もう既に被害が及んだ、燃え盛る家屋の火柱が更に周囲の木造建築物を焼いていく。眼をあぶるほどの紅蓮が続々と広がるさまは既に諦めを宣告していた。私の密かな努力も空しく灰となってしまったようだ。
どうしよう、これは本気で身を隠さなければならなくなった。
世間の責任追及というものは中々に恐ろしく、強力な
―――光を伴い、強烈な音が腹の奥まで震わせた。
「ありゃー、派手にやってんなぁ。こりゃもしかしなくても急いだほうが得策?」
「私ヒールよ? まさか走らせるつもりじゃないわよね」
「なら担いでもらえ」
「貴方に担がれたいわ。お姫様抱っこで大歓迎よ」
「知ってる? お姫様抱っこって、結構腕に負担かかるんだよ?」
慣れないことだから特に。加えて、心的疲労が大きいから特に。
腕に荷重がかかるだけならば正直何ら問題ないのだが、慣れない動きを伴うがゆえ、幾ら私でも疲れるものは疲れる。
「じゃあいいよ、私だけ行くから。追ってきてくださいね、邪魔は駆除しておきますから。――っと、その為に目的の確認。貴女方は、神イシュタルへ
「えぇ、そうよ。それ以外に興味はないわ。今のところは、ね」
「何だその意味深長な言い方は……まぁいい。んじゃ、神イシュタル以外はとりあえず殲滅しておきます。あぁそうそう、人は殺しちゃだめですよ。貴女の眷族たちに言っておいてくださいね」
いくつか言い残して、シオンは颯爽と立ち去ってしまう。返事も何も聞かずに、自由気ままも過ぎるというものだ。しかし、歓楽街の中心で火を噴き出すあの塔を見ればその急ぎっぷりにも納得の理由が付けられる。
思いのほか丈夫に作られていたその塔は、強烈な爆発すらも耐え地に壁をつけようとはしない。だがその根性も時間と共にすり減っていく。それでも塔で続けられる戦闘、彼の判断は正しい。
正当な行動に思わずため息が出る。もう少し、柔らかい生き方をしてもいいのではないかと。そんな意思が込められていた。
隣で控えているオッタルも、珍しく溜め息らしき疲労の籠った息を吐く。最近の主の様子に、強いストレスを感じているよう。従者という者も中々に大変なのだ。
そんな二人の疲れの根源が、シオンにあることは本人の知るところではない。
「……限度という概念を知らんのか、あいつらは――?」
はぁ、こんなところでも溜め息があった。人を困らせる彼でも、困らされる人はいるらしい。難儀なように世はできている。なんとも不合理なことだ。いや、これこそが合理なのだろうか。
「怖いくらいに気配がないな……上でやってるのが全員なのか?」
ファミリアの規模からして、この人数は少し違和感を感じるが……まぁ、詳細なんて知らんからな。とりあえず、妨害の可能性がある障害のみを排除しておけばいいだろう。後はベル――ついでに
「――今降ってったの、命さん?」
格好があまりにも違い過ぎたから一瞬分からなかったわ。
そこに在るべき通路が無く、空しく地へ下った影はまさしく漆黒。振り撒く鮮血を置き去りにするほどの速度での、頭部を下に向けた落下。付け加えると、彼女の見開かれた目にはっきりした意思が見受けられなかった。
「あ、あぶねー。運いいなこの人、この状態で生きているとか、そうでも無ければとんでもない執念だぞ……」
受け止めたときの感触は、有り体に言って『パリッ』、もしくは『カサッ』だろうか。人間らしい柔らかさ、肉独自の質感が完膚なきほどに消えているのだ。
唯一彼女を人間と照明したのは、恐らくサラマンダーの加護を供えていたであろう顔隠しの下。煤で汚れてはいるが、極東人独特の肌色をした、確かに見覚えのある彼女の顔だった。
「しっかし、このままじゃ死ぬな……ティアー、おーいティアー、いるかー」
彼女ならばこの傷に対し、応急処置もできるであろう。ある程度直せば頼もしい治癒術師に後を任せればいい。まぁ、ティアでもなんとかなるならそれに超したことはないのだけれど。
「……来ないな。仕方ない、連れて行くか」
戦闘不能なほどの怪我人を戦場に復帰させるなど鬼以外の何でもないが、これが最善策でどうしようもない。それに、もう最上階以外に行く意味がないことは確定している。
少し負担になるかもしれないが、耐えてほしい。
流石の私でも、気配りしながら一足飛びに飛んで安全でいられる自信はない。
ぴょんぴょんと 数度飛べば静かな地上とは大違いな屋上へ踊り出る。
地獄絵図の戦場、多対一の標本がそこには広がっていた。ひっそりと覗いていれば、彼ら彼女らがこうして戦っている理由がすぐに判明する。
人垣の奥に独りで座り込み、泣き叫んでいる獣人。黄金色に輝く珍しい毛並み、未だその存在を確認したことはなかったが、あれこそが狐を祖とする稀有な獣人、
確かにあの毛並みは魅力的だが、命を懸けてまで欲すほどのものだろうか。ベルが今まさに彼女の為に戦っている理由が今一つ浮かばない。
「っと、そんなことより」
『ティア。五秒後、背後に5M飛べ』
びくんっ、とティアの肩が跳ね上がる、久しぶりに使用したが、こういうときこそ使えるのがこのスキルだ。別に心の中にいる寂しがり屋さんと会話するためにあるスキルではない。
なんてばからしいことを考えている内に気付けば五秒、指示通り彼女は飛んだ。突然の退避に敵は驚いているようだが、一番間抜けな顔をしてたのは現状に混乱するティアである。
なんかゴメン。心中でそう謝意を送りながらも、実際に送ったのは一条の風圧。この高さだ、真っ向勝負なんてする必要がない。吹き飛ばせばいいだけのことだ。
「ちょ、ちょっとちょっとシーオーン! 来るの遅い、何してたのさ……って、あ、命さん、生きてたんだ。てっきり死んだのかとばかり……」
「現在進行形で死にかけだ。さっさと治癒してやれ、護衛はするから」
「りょーかい」
そうして唱えだしたのは、どこだかで聞いた覚えのある呪文。そう、確か潰れた眼球さえも修復してしまう治癒術だ。本当にありがたい、これで無駄な責任を取らなくて済む。
さてさて、これで身一つ。かなり自由になったわけだが……どうするべきか。ベルその他諸々にこの場を任せて、私はさっさと神イシュタルを探しに行くべきか。
二つに一つだな。
「―――流石に、死んだ細胞は元に戻せないかな。修復はしたけど、これじゃあ数日は不自由になるかも」
「あるだけいいもんだろ。んじゃ、後はよろしく。私は元凶を探しに行くので」
「え、ちょ……人の話は聞こうよ……」
繰り返すが、人の話を聞かず、
彼の立ち去ったそこでは、彼の存在に関わらず激化する一方だ。
そんなのしったこっちゃないわ、自分で起こした問題は自分で収集つけろ。彼は誰にも聞かれることのないい訳を零しながら、無駄に広く長く、そして暗い廊下を無音で行く。
背後の戦闘音はうんざりするほど煩いけれど、同じくらいこの廊下を反響するヒールの音は耳障りだ。威厳のない、落ち着きも無い。ただ迷惑な、床を打つ音。
「探す手間が省ける事だけが、唯一の利点かねぇ……」
それも、相手にとってはただの損でしかないのだが。
逃げるような足音を追い詰める。それだけでは面白味に欠けるから、かんっ、かんっ、かんっと足音代わりに
逃げ場のない、追いかけっこであるかのように。
「みーつけた」
廊下を曲がると、焦りのあまりにどたばたと逃げる二つの人影。照明も消えるの中ですら、確実にその二つを捉える。ひとつ違う気配、それが片方こそ神であると告げていた。
か細い悲鳴が上がる。相手からしたらそりゃ恐ろしいことこの上ないだろう。得体の知れぬ音に追いかけられ、その音が人とわかり、しかも自分たちを本当に追っていたと現実を突き付けられたのだから。
逃げる先はただの一本道――しかも、もれなく行き止まりもある訳だ。いいや、行き止まりができている、というべきだろう。何せそこには通路があったはずなのだから。
「残念でした、さっきの爆発でかなぁ、ぶっ壊れちゃったんだよね」
空中廊下。本来は景観的に美しいはずのそれが、あの神には何に見えているのだろう。自分を追い詰める、断崖絶壁だろうか。なんだそれ、チョー怖いな。
盛る小さな炎ですら、絶望の淵に立つあの女神は劫火に見紛うだろう。まるで防御力のない服装で身をさらす淫靡なこの神、あの焔に落としたら一体どうなるだろうか。
「しっかし、勇敢だねぇ。忠ですよ実なシモベさん。そんな女神、庇う理由があるのかつくづく理解できませんよ」
「命を懸けてやらなければいけないこと、それは誰にだってある――!」
震え声ながら良く言った、その感心に場違いな笑みを浮かべてしまう。
この人はしっかりと男をしている。自分の守るべきものを定め、それをいざというときに確かに実行しているのだから。そのありように一体誰が文句をつけられよう、一体誰が否定できようか。
しかし残念なことに、それももうおしまいだ。ふぃにっしゅである。
私の背後から悠然と近づく、もはやその足音一つにすら上品さを感じさせる存在。気配からある種孤独とまで言われる、隔絶した女神。それは一種の分類で目の前の醜悪に顔を歪める神と同じだというのだから、何だか悲しくなってしまう。いや、これは憐れに思っているのだろう。同一視されると同時に必然的に起こる比較という虚しい現象。それが示す内容は酷く無惨で、救いすら自らを苦しめるどうしようもないことばかりだ。
「はぁ、いいところだったのになぁ」
「あらあら、お邪魔してしまったようね、ごめんなさい。でも、あっちの人は私に用があるみたいなの。かまってあげてもいいかしら」
「えぇ、どうぞどうぞ。その方が面白そうです」
これから先を考えているのだろう。変態的に頬を染め、生温かい吐息で妖艶さを醸し出す彼女はどこか楽しそう。その気分を害す方が絶対つまらないだろう。
道を譲ってやると、彼女は自らを誇示するかのように尚中央を歩む。
「タムンズ!」
醜悪な声の叫び、苦く顔を歪める男は、それでも自分を貫くためかフレイヤへと立ち向かった。だがその足取りは次第に弱まっていく。彼女に近づけば近づくほど、まるで攻撃する気力を失うかのように、それ自体をためらうかのように――いや、全てを忘れて彼女に見惚れるかのように。
彼女の目と鼻の先、それほどまで近づいただけで彼は膝から
――奇声を上げ、男は完全に堕ちた。
「うっわ、えげつねぇ。人の『魅了』を打ち消す『魅了』とか。貴女神辞めて悪魔になった方がいいんじゃないの?」
「流石に私も傷つくのだけれど……まぁいいわ。先に此方をどうにかしたいもの」
勝手に『魅了』しておきながら放置するあたり彼女の鬼的性格が窺える。もう、だからこうやって敵作っちゃうんだよ。
武器も意地も、何もなくしたその敵さんは、
フレイヤ、ふれいや、ふれいや、ふれいや――――何度も何度も零すその名には、丁寧に一つ一つ憎悪が込められていた。長い長い、ひたすらに長い間苦しめられた気持ちが、溢れ出てしまっているかのように、ただの一つとして同じ
「イシュタル。私は寛大よ、今までのようなある程度のことは見逃してきたわ。宴で私のワインに媚薬を混ぜたことも、
え、なに、この二人の争いってそんなにねちっこいものだったの? 初耳の事実があんまりにもしょーもなくて逆に驚いている今日この頃です。
というか、そんな噛みしめるように言って……本当に気にしてないの?
「でもね、今回ばかりはダメよ。だって、あの子に手を出しちゃったのだもの。知っているでしょう。恋する乙女から相手を盗ったら恐ろしい報復が待っていることくらい」
「小ッ恥ずかしいな……」
「だ、黙りなさい。今はそう言う雰囲気じゃないの……! んっ、少し逸れたけど、要するに私は今あなたのことが許せないの。理解していただける?」
無理だよなぁ……そんなこと態々聞くなんて鬼畜だぜ、本当に。
これから先、何が起こるかはもう大体見当がついた。赤の他人である私が想像できるのだ、張本人たる神イシュタルが、これから自分の身に何が起ころうとしているかを察知できない訳がない。
「や、やめ――」
「嫌よ」
抵抗虚しく、慈悲を求めて伸ばされた右手は空を切った。フレイヤの応えは、慈悲ではなくヒールの尖端を頬に突き刺す勢いの回し蹴り。何のために彼女がヒールを履いていたのか納得できたきがした。
上体が後ろに倒され――支えてくれる床もない彼女は抗う術を持たず落下するのみだった。誰一人として彼女を救えない、救わない。全てが敵となった錯覚に苛まれながら、彼女は『死ぬ』のだろう。
「さようなら、イシュタル」
フレイヤは、彼女の死にざまを見届けることなくそこに背を向けた。もう興味を失ったかのように、ゴミでも払い落とすかのような簡単さで。
彼女の背後に屹立したのは、存在を掴み難い、だが確かにそこに存在する六角柱。膜のように輝くそれを見届け、これこそが『強制送還』という残酷な現象なのだと理解した。
「少し、見ていくか……」
ふと、その柱を見てそんな気になった。見ようとして、足を止める。
そう、私はそうしているはずなのだ。
だがどうしてだろう。足が震える、ろくに体重を支えられない。驚くほどあっさりと崩れ、ずとんとお尻を付いてしまう。まったく足に力が入らなくなってしまった。
遅く理解した。動こうとしないんじゃない、認めがたいことに、動けない
理由なんてわからない。だがなんだ、ひどく痛い。苦しい。不快だ。この光景が憎たらしくて仕方ない――心の底から湧いて出て来る感情を表すならばそうだろう。
理解不能に苦しめられているのか。否、違う。その程度じゃあ脳をこんな激痛が走ることはない。耐えられなくて、反射的に無様な悲鳴を上げてしまうまでのこんな痛みを――
―――私は、知っているのか?
ひどくあっけなく、その痛みは瞬間的に消えた。正体を知らせることなく、消えた。
何もすることができなかった私は、無様にそこで転がるしかなかった。