やがて我が身は剣となる。   作:烏羽 黒

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  今回の一言
 週一ですら苦しいのはどうしてでしょう……?

では、どうぞ


面倒は私を異様に執着しているようです

 初恋だった。無縁と思い続けていたその想いが芽生えた瞬間――そう、彼女に遇ったことは。

 一目惚れしていた。不格好で、ファッションに関してみてもそれほど女らしくもないけど、溢れ出て来る魅力は私を搦めとり、縛り付けた。嫣然(えんぜん)と微笑まれれば息苦しく鳴るほどの緊張に襲われ、一つ透き通った声を聞くだけで、もう全身が震えあがってしまう。

 彼女は宛ら美の女神。始めはそれを信じては疑わず、気さくに話しかけてくれても堅い言葉での返答ばかり。でもその正体が彼だと知った時には、この世界の異常さに驚きを通り越してただ呆れていた。

 その恋が奇怪なものだという自覚はあった。そして彼が――シオンさんが誰を好きかというのも知ってしまったし、諦めもつくだろうと、()()()()()()()()を終えた帰り道でとぼとぼ思っていたのに……一晩明かしても尚、その想いが消えていることも無くて、それどころか強くなっていて。

 

 そんな時に思い出したのが、ずっと好きだった絵。幼いころからの取り柄。

 

 鉛筆をもったらもう止まらなかった。ひたすらに紙へ思いをぶちまけ、叶わないであろう世界を描いていく。その手つきに迷いはなく、時折紙を濡らす原因にさえも、不思議はなかった。

 そうやって、諦めもつくかと思っていたのに……また、彼女は現れた。

 正気を保つだけで精いっぱいだった。底しれぬ嫉妬(怒り)が、噴出する溶岩の如き勢いで私を包み込んで―――それからのことは正直よく憶えていない。気づいた時にはシオンさんを押し倒していて、あまりの恥ずかしさと背徳感に無言で立ち去ってしまった。

 はや数分して、私が『シオンさん』ではあなく『セア』と会う約束をしたことを思い出し、泣いて叫んで転がり回って、小指をぶつけたその痛みさえも吹き飛ばすほどの悦びがふりかかった。純粋に考えて、アレが今までの人生で最大の幸福。

 

――そして、眼前に立てかけてある、一枚の紙。その中の小さな一コマの世界。

 

 それもまた、私を幸福へと至らせる。何度も何度も、どう見たって、その評価は変わらない。

 満足できる、彼女を納めた『世界』を創り出せた。彼女の魅力なんて、疲労の所為で一番でき悪く表しているし、所々が大雑把で、率直に言って汚い。でも、私はこれが最高だと思えた。

 

 完全じゃない。不完全でもいいんだ。下手な完全は、不完全よりも見劣りする。

 私に完全を描ける技術なんて無かった。ならば端から、不完全な世界でいいじゃないか。

 

 こんな暴論、この人は理解してくれるだろうか。許してくれるだろうか、納得がいかないと怒ったりしないだろうか―――否、考えるだけ無駄。セアは物を否定してないことがもう判明している。

 今はこんな、あどけない顔で、浅くか細い呼吸をして、ゆったり眠る可愛らしい子供にしか見えないのに、実は頑固で意思が固い。どんなに頑張っても、彼女は絵に対しての意見を抽象的かつ客観的に、つまりは私情を一切交えず他人として評価していたのだ。そこを曲げてくれれば、ささやかな欲が満たせたのだけれど。

 

「でも……寝顔描いたら。流石に怒られるかなぁ」

 

 絵の中央に居座る、首を前に若干投げ出している女性。今までは意図的に目を瞑ってもらっていたけど、自然体の方が遥かに現実味があった。思わず、作品を途中で破り捨てて、新たに書き始めてしまうほどに。

 私と同じで疲れているのか、セアは椅子に座ったまま眠ってしまった。だが下手に姿勢が崩れず、滅多に動くことも無かったので、モデルとしての役目は完璧に果たしていた。

 随分と彼女のことを縛り付けてしまったし、窮屈だったろう。解放を求めて眠っていたのなら、その意に沿わなければ。と、椅子から降ろしてベットまで何とか移動させると、脳内に不埒な考えが過ぎったが、頭をふって即座に切り捨てた。その代わりと言っては何だが、今は膝枕をしている。単なる自己満足に他ならない。

 

 だって、アイズさんの方を、彼女は望んでいるだろうし、『彼も』それを望むはず。 

 

 でも、今は身勝手な行動も許して欲しい。こうして隙を曝している方が悪いのだ。

 微睡に思考があやふやとなる。うたうたしながらも、目下にある彼女の美しい造形に目が奪われ続けていて、そのあまりにも非現実的な容姿に、私は夢か現か判断できずに――こっっそり、彼女に重なるように横たわった。

 

「少し、五分だけ……片付けはそれから……」

 

 誰にかもわからず言い訳しながら、脱いだ靴を放り投げ、彼女の慎ましやかな胸に飛び込む。

 至福の感触に包まれながら、私の意識は誘われたのだろう――――

 

 

   * * *

 

 私は、世の全性転換者に問いたい。

 自分が女であるときにおいて、朝起きたら猫人(キャットピープル)の美少女を抱き枕にしていた事実が発覚した時、一体どんな心境でいるのが正しいのでしょうか。

 興奮しますか? 悦びますか? 夢だと思ってまた目を閉じますか?

 私はもうどうしようもないので、諦めて現実を認めることにしました。

 

「そう、なぜなら私は何もしていないし、されていない」

 

 これはきっと何かの突発的な事故なのだ。よって、彼女に明確な意識がない今、私は不必要な誤解を受けないためにも、早々にこの場から身を退くべきである。

 幸い、来た時と変わらない格好だ。スカートのまま寝転がるなんて、なんて馬鹿なことをしているのだろうか。椅子に座っていた気がするけど……どこかで齟齬が発生したのだろう。例えばアキさんにベットへ連れ込まれたとか。……はっ、無いな。無い無い、そんなのありえない。

 

「ぅん……」

 

 すっと抜けたものを本能かナニカで感じ取ったのか、小さく呻く彼女に軽く謝罪を申してから、愛刀を背に携えた。うっすらと群青の光が空に広がる時間帯、いつもより些か遅いか。だが仕方ない、一日目なのだから。

 

 誰もいないと殺風景に思える赤絨毯の廊下、踏み心地を味わいながら階下へ。中庭から聞こえてくれる風切り音、配慮からか抑えられた気合。感じる気配に思わず足はそちらへ進んでしまうけど、ぐっと堪えて右へと逸れた。窓先から見えた金髪の彼女、自己鍛錬に勤しみ、こちらに見向きもしてくれない。少し寂しいけど、今日この時においては都合が良くて――自分の面倒臭さには厭き厭きするな。

 

「無断で立ち去るのは本来良くないのだろうけど、いっか。ファミリア単位の用があったわけじゃないし」

 

 それに、私にだって自己鍛錬の習慣というものがある。理由なく欠かすわけにもいかん。できるならやるのは当たり前。いつもより遅れているけど、今日は昼頃まで一切予定なんてない。体ならしに好きなだけ潜れる。

 

「う~ん、ダンジョンにでも行こうかねぇ。久々に感じるが、あそこにでも――」

 

 

    * * *

 

「ねぇオッタル、私そろそろシオンに会いたいわ。連れて来て頂戴」

 

 子供のように頬を膨らませた優雅に足を組む美の象徴の様はうらはら。どちらが本物かは誰も知れないが、今それを気にするほど無礼(ぶれい)千万(せんばん)な者はおらず、ただ一人後ろに控えているだけ。

 ただその従者さえも、その発言に若干頬を引きつらせていた。揺るぎない彼の精神も、このごろ程度と頻度が酷くなってきた女神さまの我が儘に摩耗され続けている。

 

「フ、フレイヤ様、それは流石に難しいかと。あの者は行動原理が予測不能です。確実な特定は不可能と思われます」

 

「それを何とかして頂戴。特定が無理なら偶然とかでも……ふふっ、ほら、見つかった」 

   

 ふくれっ面女神は腕を組み立ち上がると、愛おしいものを探すかのようにおっとりとした足取りで、支配者が見下ろすかの如き光景に視線を巡らせる。

 普段の無愛想な面持ちへと戻る従者のことを気に留めす、だが彼女は見つけた、二の腕を摩って苦そうな顔をする少女に気を注いだ。物騒な大太刀を背負う様は相変わらずよく目立つ。

 すたすた足早に、彼女は窓辺へ消えてしまって、その先はもう目で追えない。

 

「オッタル、何があったかは知らないけど、どうやらシオンはセアの状態でいるみたいなの。一応女性よ、手厚く歓迎しなさい。殺されない程度に本気を出すことは許可するわ」

 

「ご命令とあらば――」

 

 彼の【猛者(おうじゃ)】とて無茶に対してはげんなりともするし、嫌になることだってある。が、それを遂行してこそ主の一番手たる所以だ。今はその無茶もされど楽に完遂できよう。一番の難関である場所の特定さえできれば、後は比較的容易いこと。彼もとい彼女は案外素直で誠実な性格だ。一言声を掛ければついて来るだろうと踏んだ。

 

 彼女の面倒臭さを知らないまま、【猛者】は己が強さが通用しない戦いへと身を投じる。

 それはある種、独壇場で―――

 

   

    * * *

 

「だーかーらー女性に付きまとうのは男としてどうなんですかねぇ! 私、今あなた方に構っている暇はないんです! とっとと帰れ、ド変態!」

 

「変態……」

 

「そうだよ、何が都市最強だ! 都市最悪の変態の間違いですよ絶対! そうやって恥じらいの一つも表情に出さないから余計腹立たしい!」

 

 彼我の距離5M程で身を隠すように腕を抱く、そこはかとなく主神(フレイヤ)様に似た銀髪女性。甲高い声で怒鳴り侮辱し、罵倒を続けるその女を連れてこいと命を受けた彼は、人目を遠ざけられるダンジョン内で襲撃したのだが――

 

「貴方馬鹿なんですよね! 実はただ戦えるだけで、人のことを考えるのが苦手なんでしょう!? デリカシーの欠片も無ければ人の胸を触っておいて尚……! 謝罪の一つもない……」

 

「男が何を言うか。その程度のことをいつまでも――」

 

「その程度!? 今その程度って言いやがったなふざけんな! 一度女になってみればわかるんだよ! 恥ずかしいものは恥ずかしくて、アイデンティティなんてものも変わるの! わかったかあんぽんたん!」

 

「あんぽんたん……」

 

「返事はハイかイイエにしろ!」

 

「ハイ……」

 

 どうやら、己が不徳で相当怒らせたようなのだ。何をそこまでと不審で仕方ない事柄が、今明確になった。

 要するに、男ではなく女として扱えと言う訳だ。面倒極まりない。

 だがこうして言いくるめられている事実、彼もとい彼女の言うことは正しいと思っている自分が存在しているのだろう。

 奇襲は半ば成功したのだ。否、本来成功したはずだった。だがしかし、

 

――振り返った彼女に思わず、フレイヤ様を重ねてしまった。

 

 剣が鈍り、足が緊張。だが初速から始まる加速がそう止むはずもなく、体当たりという形になったらもう手遅れ。吹き飛ばしてしまうと覚悟した瞬間、彼女に受け止められてしまった。

 それで終わればいいものを、まだ続く。

 顔が突っ込んだ先は慎ましやかな胸の間、それにオカシナ声を上げた彼女は体重移動を見誤り、自分を背から倒してしまう無様を曝す。体重を傾けていた所為でもとろとも地へと衝突し、だが衝撃は非常に柔らかいものだった。

 その時点で気づくべきだったのだろう。が、自分にはそのような経験がない。

 悪魔のような経験はまだまだ続く。 

 体を起こそうとついた片手。乗せていたのは地面ではなく胸だった。

 あぁそう胸だ。柔らかく、確かに性別を知らせるその部位。繰り返される、忌まわしきその部位。

 それから真面(まとも)に受けた鞘での打撲による痛みは、奥歯を一本砕いた。 

 

「……あぁっ、もういいや。オッタルさん、猛省しなさい。そしたら、(ゆる)してあげます。ただし、貴女ならさっきのヤツは未然に防げたはずです。本当に気を付けてください。何なら次は無いという意気で」

 

「シオン・クラネル。お前もそれは変わらないはずだ。何故あそこで態々バランスを崩した」

 

「そ、それは……い、色々事情があるんですよ色々! 女の子の私情を追求するのは失敬ですよ!」

 

 そんなの、私だって知るもんんか……! いじけたように彼女は口を尖らせた。

 自分でも理解していない謎の高揚感と緊張感、突撃され、胸に飛び込まれた瞬間時感じたものはそのようなもの。何故なのかなんてわかるはずもない。勝手に身体が動かなくなって、気づいたら胸をあんないやらしい手つきで揉みこまれていて――あとは脊髄反射の賜物だ、しっかり砕いた感触がある。

 どうせ後で万能薬(エリクサー)でも飲んでおけば問題ない。全く人にどうこう言っておきながら、対して私は反省する気は無い。

 

「そ、それでっ? 態々私を辱めに来たわけでは無いのでしょう。大方、あの暇神(ひまじん)に何か命じられたのでしょうけど。本題は?」

 

 上擦った声で話題を切り替えにかかるが、全く誤魔化しになっていないのはあえて突っ込まないでそっとしておいた。これ以上やっかみ合うのは面倒だ、という判断は間違っていない。

  

「フレイヤ様がお呼びだ。来い」

 

「断る」

 

「……来い」

 

「だから断る」

 

 (うずくま)って、今まで弱々しい様だった彼女は立ち上がるともういつも通り。威勢よく真正面か断固拒否を示す。内心それを振り切って彼女を連れて行きたいのだが、彼はどうしかたそれを憚った。これ以上の彼女に手を出せばどんな仕返しを受けるのか試すほど危険を知らない訳では無い。

 

「人の気を知らん奴に来いと言われて付いていく馬鹿がどこにいる。二・三時間したら行ってやりますから、そうあの暇神に伝えておけ。あと、紅茶と茶菓子を甘めで用意しておいてくださいね」

 

「強情だ。フレイヤ様に呼ばれておいて――」

 

「ほぅ、いいのかねそんな反抗して。――私が本気で拒絶すればぁ、貴方は命令を全うできずにぃ、主神からの信頼を失うぅ。さぁて、立場が理解できたかなぁ、ほれほれ、言ってみな。今の状況で、どっちが上の立場ですか」

 

 くっ、唇を噛ませるほどの屈辱を味合わせる。彼女は言い寄られることに対して非常に弱い反面、責めるのは上手くとことん強い。両極端だが要するに言い寄られなければいいだけのこと。

 

「――必ず来い、さもなくば、お前の大切なものを潰す」

 

「やれるもんならやってみやがれ。ま、約束は守るもんでね、しっかり行きますよ」

 

 それだけは破らない。まるで戒めのように、彼女は何かへ笑った。

 土埃を払った彼女は踵を返して、目的地へと歩みを進める。彼女の言葉にただならぬ「信頼」を感じた彼は、ただの一つも疑念を残さず己が主神の下へと向かい始めた。

 そう、彼は疑念を残さなかった。あり得るはずのない、主神命令の未遂行という、彼にとっての大失態についてさえ。

 

 

「……行った、よな。もうほんっと、危なかったぁ。ここが見られるわけにもいかないし、仕掛けてくるまで待っていたのは正解だった。でも、あとで()()()()の所に行くのかぁ。今度は何要求されるんだか」

 

 あの神は自由奔放、天井不在の超自分勝手。厄介極まりないから正直なところしょっちゅうかかわるのは御免なんだが、好かれてしまったのだから仕方ないか。神の執着は長いというし、まだ神ヘラでない分良かったと考えよう。あの神の執着は異様だ幼い時からよく言われている。

 

「ふぅ、とりあえずはそんなこと一切合切忘れて、存分にはっちゃけますかね」

 

 十二階層と端っこで、今の時間帯ともなれば人なんてめったにいない。壁に一つ風穴が開く程度の音、目立つことなんて無いだろう。だから彼女は盛大にぶち壊した。試し切り程度の感覚で『狂乱』が壁に筋を描く。たとえ大太刀であっても剣先が空を斬った感触はなく、最終的には強硬策で終わる。盛大に舞上がった砂埃が吹き飛ばされたそこには、手をフルフルして若干涙目になる女性が。

 

「こ、こんなに硬かったっけ……?」

 

 首を傾げながら、己が創った孔を通る。まだ壊して間もないのに、修復は既に始まっていた。

 異様なその光景に、異常が当たりまえの異常者は、全く頓着せず。

 

 

 

 

 


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