特殊な趣味がある、そう言われて何想像しました?
では、どうぞ
すりすり。衣擦れ音だけがやけに目立つ暗室、茜色の光には幻想的な模様を作り出す力はあっても、世を照らし出す力は比較的乏しいらしい。
弱々しくも確かな寒気が背筋から一息に走り出す。やはりこの体、全然違う。たとえ日の出前でも寒さを気にしないはずなのに、こうも敏感に感じてしまうのだから。感覚が鋭敏になることには得もあるが、その二倍は損もある。所詮一日二日この体でいるだけなのだから、意地でも我慢する他ないのだけれど。
「う~~っん、はぁ……変身成功、今のところ問題なし。服もばっちり、すっごく可愛い。こりゃそこらじゅうの野獣がうはうは寄って来るレベルだな。怖い怖い、殺しちゃわないか怖いよ……」
変身直後は多少なりと感覚の齟齬がおきる。半日もすればある支障ない程度にはなり、一日二日で完全に馴染む。それまでに襲われたとなれば、それはもう私の所為で周りがすんごいことになる。具体的に言うと跡形もなく吹き飛ぶ可能性がある。それが何よりも怖い、本当に……
「さっそく行きますか、感覚ならしに普通に歩いていきましょう」
尚、単なる見せびらかしでもある。正直なところ、周りが度肝を抜き、唖然として此方を見ている様が面白くて仕方ないのだ。はまってしまったと言ってもいい。
目立ちたがるような性質はなかったはずだが、性格もほんの少しばかり変わっているのかもしれない。
「おぉ、今日も相変わらず暴れてるなぁ……少しは落ち着けないのかい『狂乱』」
背に掛ける『私』の愛刀『狂乱』、鞘にでさえ触れると脈打つかのように伝わる
「呪いが強くなっている可能性も否めんが……見たくない現実からは目を逸らす。それが私の流儀」
ただの現実逃避、本当にそうなら後々するだけ無駄になるから、今くらいはさせてくれ。
我が愛刀は非常に心強いが、逆にそこが難点。小回りが利かない――最低攻撃力が低いと言ってもいい。だからといって
まぁ実際のところ、これは冒険者にとって基本中の基本。武器は一つではなく、数多もつこと。両袖の内側に短刀、ロングスカートの内には片腿にベルトでニ十本の針を仕込んでいる。
『
「準備完了、さぁ、死地へ赴こうか」
灯りの無い、廃れて尚居住機能を失わなかった壁の中のとある一室。その扉を押し開く。
射し日さえも消え行った世界に行く。
「お願いだから、起こる問題は小さなものにしてくれよ……」
問題が起こることが前提なあたり私らしい。言ったあとに、呆れるものだ。
* * *
かっ、かっ―――等間隔で打たれる音がただひたすらに私の緊張状態を煽る。その間にはカリカリ、サーサッサーと聞き慣れない音が色合いを異ならせながら滞ることなく鳴っていた。
「……どうしてこうなった」
「黙って、動かないで。ほんの少しでもずらしたくないの、お願い」
殺意まで
熱心に一つのことへ打ち込んでいるアキさんに対して私はナンダ、何故ドレスに着替えたうえに、もう三十分もただ座らせられているのだろうか。
「へくちゅっ」
「……ごめん、でも動かないでって言ったよね」
「さ、寒いんですって。女性の体ってどうして発熱量が低いんですかね……あ、はいはい大丈夫ですって。姿勢くらい憶えてますから」
腕から肩まで全て曝している漆黒のドレスは、風などがなくとも非常に冷え、動くことができないのなら尚更寒さを感じてしまう。
いつになったら終わるのかすらもわからないまま、完全に同じものへと戻した姿勢のまま、何もできない暇つぶしに思案へ耽った。その間も顔の眉一つすら迂闊に動かせない。彼女の意識が逸れた隙に目を開いて周りを見るのがやっとだ。
さて、事の発端へ振り返ろう。いわずもがな彼女に会った時だ。
黄昏の館に着いてまもなく、私は彼女に捕まった。抵抗することも無く連れられると、彼女の部屋へとぶち込まれた。するとようやく彼女は言葉を発し、
「脱いで」
と一言だけ。それきりごそごそとクローゼットを漁り始めた。
恥じらいは勿論あった、だがしかし、今まで伸ばしに伸ばした彼女からの『お願い』を今日までも無下にしてはイケナイと、仕方なく脱いだ。じゅるりっと傍で聞こえた音に悪寒を感じながらも、警戒心全開で『狂乱』片手に下着姿で物陰に半身隠して待っていると、ふと彼女は私にドレスを差し出して、
「着て」
また一言告げただけ。この人単語で会話するのではないだろうかと疑いながら、恥ずかしくてもじろじろ見られながら着替えると、驚くべきことにサイズが丁度。いつ採寸されたんだ。
ごごごと音を立てて引かれた椅子に顎をしゃくられて「座れ」と、もう言葉すら発すこと無く示された。諦めて座ると、彼女は黙々見慣れないモノを出し始めた。聞くと『画用紙』だの『鉛筆』だの知らないモノばかり――
私の対面に膝を揃えて座った彼女は、やっとのことでまともに話し出した。
「セア、私は貴女に惚れました」
訳の分からない切り出しで。
心なしか丁寧な口調で、真剣みがしかと伝わるその顔に、私は数秒、時を忘れていた。
ふるふる頭を振って平静を取り戻すと、大きく肺の空気を吐き出した。感情を零へ還元すると、すぐに落ち着きは取り戻せる。
「説明、求めます」
「
ぺろり、妖艶な舌なめずりを見せられて、ぞくぞくする高ぶりと
その趣味とは何だ、アレか、あっちなのか、それとももっとすごい――!? と期待もとい恐怖を感じてると、案外それはあっけなく崩されてしまった。
「ビビっと見た瞬間に思ったの。『この人を描きたい』って」
「そういう趣味かよ……」
確かに、そりゃ少し変わっている。数十年前の一大ムーブを期に大流行したが、今やもうその波も潰え、殆ど絵を描く人なんていない。今時絵で食べていけるほど、価値重要度が高くないのだ。
趣味ならば今でも絵を描くことを納得できる。今言われた通り、私はどうやら人物画のモデルとされるらしい。これがアキさんからのお願いだ。まだマシだと思っていたが―――
―――今に至ってみると、全然そんなことはない。
あぁ、早く終わらないかなぁと、眉一つ変えず願い始めた。
そしてはやニ時間が過ぎると、
「―――できた」
「あぁ~っ、やっと解放されるぅ、腰きつい腿痛い眠っちゃそぅ……」
「ちょっと、そんな年取ったみたいな言動やめてよ。せっかくの美しさが台無しになるじゃない。どうしてそんなことも考えられないの、馬鹿なの? あと腕上げると落ちるよ?」
「うわっと、早く言ってくださいよ……」
本当に落ちるところだった、あぶないあぶない。解放されたことに気が抜けていたよ。アキさんは女性、さっきなんてもう下着姿を曝した……でも、また違う恥じらいがあるのだ。
彼女は物憂げに己が書いた絵を眺めていた。できたと自分で宣言したのに。
「まだ納得できない所でも?」
「……セアの美しさを、全部表現できない」
「はははっ、そうですか。見せて頂いても?」
「――見る権利は、あるもんね。いいよ、ごめんね下手クソで」
謙遜しながら、彼女は一枚の厚い紙をなげやりに手渡してくる。端整な顔が溜め息に歪み、むすっとした彼女は乱暴に立ち上がって、自分のベットへ思いっきり飛び込んだ。軋む音が鳴り、それきり彼女は動かない。窓の外にポツンとある
そこまで見届けて、やっと渡された紙へと目を落とした。
「――――」
ただ無言で、じっくりと眺める。白黒の絵。
『鉛筆』というのは素晴らしい、ペンで描くのとは異なり、ひっそりとあるかのような柔らかさが表現されている。全体的に黒の系統色だが、明暗ははっきり見て取れた。難しいであろう陰の表現も感じ、彼女が絵を描くことに生半可な気持ちでないことが窺える。
紙には、目を瞑りお行儀よく座るドレスを着た女性がいた。本がまばらに詰められた棚、木目がはっきりみえる壁や床。下に敷かれるカーペットから首から下げるネックレス、薬指にはまる指輪の紋様まで繊細に、細やかに、たった一色に秘められた鮮やかさをもって表現されていた。そこには確かに、切り取られら世界があった。
私にはこれのどこに納得ができないのか、理解に及ばない。なら満足とはどうしたらなれるのだろうか、訊いてみたいものだ。だがそれを言うのは憚られた。
決して下手なんて言葉が当てはまらないこの絵。ならなんて言葉が当てはまるかいったら―――ダメダ、思い当たらない。
静かに、その紙をあるべき場所へ戻した。彼女はそこにおいて描いていたから。
「あの、もう着替えて良いですかね」
「うん、いいよ……」
疲れきった声が返された。それだけ彼女はこのたった一枚の絵に尽力したのだろう。
絵を、それに写された彼女の想いを想像しながら、のんびり着替えを進める。
来た時と変わらない姿へ戻った時には、彼女が私の着ていたドレスを片付け始めていた。
「―――はぁ」
「……今一噛み切れないですねぇ。何ですか、気に入らない所があるなら抱え込まずに声に出してくださいよ。不満なんて何時までもい自分の内に秘めていたら、いつか一気に爆発して大変なことになる。少しずつ空気を抜いてやったほうが得策です。ほら、挑戦してみなさいな」
やるせない思いのやり場に困っていると言わんばかりのアキさんに、妙な苛立ちを覚えて底冷えした声で言い放つ。クローゼットのドアの奥に隠れて見えない彼女、だがびくりと震えたことは確かだった。
がくんと音を立てて閉まる戸、下を向いた彼女はその戸に手を当てたまま数秒硬直していた。するとすぐにぱっと顔を上げて、意を決したかのような張りのある声で堂々発す。
「セア、ちょっと氷像になってくれないかな」
「アホか」
まさかだよ、信じがたいよその発言は流石に……!
ほんの少しの失望を隠せないでいると、また更に彼女は畳みかけて来た。それこそ怒濤の如く。
「じゃあ脱いで」
「もう嫌だよ御免ですよ!」
「なら新しい意見を頂戴よ!」
「んなのあるわけ無いでしょう!? 光景を模写する程度しかできない私にどうこう口出しなんてできませんし、人それぞれにある画風も鑑みれば評価なんてそもそも難しいでしょうが!」
「知らないよ画風なんて! 満足いかないものを最上へと引き伸ばそうとして何が悪いわけ!?」
「何も悪くありませんよ伸ばそうとすることくらいは! ですが、だいったい、この絵のどこが悪いって言うんですか! 精密で綺麗で、こんなにも素晴らしいというのに!」
「そんなこと無い! 全然素晴らしくなんかないし、高評価されるほどの良さなんてどこにもない! だってこんな絵、二度見ればすぐにわかっちゃうじゃない―――」
叫びちらす様から一転、黙して彼女は己が描いた世界を取りに行く。悲しそうな顔をして目を落とし、愛想を尽かしたかのように目線を世界から逸らした。現実へと戻った彼女が、鼻で笑って絵を投げた。
足元へ滑り込んだ『画用紙』を拾い上げ、
「――心がどこにも、無いって」
「――――」
何も、言えなかった。理解すらできるはずもなかった。
素人が何を言ったところで変わらない、変えられない。彼女にとっては慰めどころか侮辱に値するだろう、私の言葉なんて。
だから、ただだんまりを決め込んだ。
「一度目は思ったよ。『凄い、こんなに綺麗なのは初めて描けた』って。でもね、二度見たら思っちゃった、見つからないの、心が。ねぇ、貴女には見える? セア――ううん、シオンさん」
いわば上辺だけの存在に尋ねるのではなく、彼女は本当を聞いて来た。包み隠さず、嘘なんて望んでいない。何も言わずにただ絵を眺めているだけの私を、彼女は許してくれない。強欲にも私を逃がす事なんてしてくれない。
まっすぐに射貫く彼女の目線が私を突き刺す。迫られる解答に、何も言えぬ私。
「ごめん、せっかくモデルになってもらったのに、その程度しかできなくて。私、
「……そうやって、自分の持つものを蔑ろにしてしまうのですね」
「えっ?」
思い余って口から漏れてしまった本音。それは今の自分から出た声とは思えないほど鋭く、それこそ刃のように研ぎ澄まされていた。静かで、怯えるには十分すぎる声音。不意打ちの彼女は、たじろぎ、腰を抜かしてあっけにとられた目を見せる。
悪く思いながらも反省はしない。ここまで来たら、もう全部言ってやる。
「私に、絵に宿る心なんて理解できません。見つけることもできませんし、判別すらできない。ですが、その人が込めた気持ちくらい、理解できないほど、私は鈍感では無くてね。どうしてそこまで心に拘りますか? 心が全てですか、それが無ければ空っぽになりますか。そんなことない。この絵には貴女が詰めた思いがあって、真剣に作り上げた一コマの世界があって……貴女が言った、その程度。ヘタクソなんて卑下しないでください。これにだって価値がある。己が描く世界に、責任を持ってください」
投げ返した紙は、尻餅をつき私を見上げる彼女の手元へ計算通りすべり込む。力無く彼女はそれを掴み上げて、
――くしゃ
音を立てた紙が勿体なくも、握られ破れる。だが私は、ソンナ終りも間違っていないと思った。
彼女の責任の取り方は、世界を壊す事だった。
「――もう一度、お願いしてもいいかな」
「ふふっ、そうですか。壊して終わりではなく創り直しますか。面白いです、いいですよ」
なんせ私にだって彼女を急き立てたという責任がある。人にああだのこうだの言っておいて、自分は何もしてあげません、なんてことは筋が通ってない。
やる気に満ちている、だがしかし引き締まった好い顔の彼女はせっせと準備を始めた。
「……なに」
早速クローゼットからドレスを取り出したのは、止めたけど。
吐息がもう白くなる。肌を刺すような寒さを着込んでも感じるのに、ドレス一枚なんてもう地獄も同然だ。
「お願いです、寒くない格好にしてください、本当に……」
部屋に一つ、白いため息が生まれた。
何故、協力している私がこうも呆れられないといけないのだろうか、不思議だ……。