やがて我が身は剣となる。   作:烏羽 黒

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  今回の一言
 完全なベル君専用回。

では、どうぞ


脱兎の如く

「な、なに、アレ……え、ぁ……神様!」

 

 暗転した空の下、足を一度は止める。だが弾かれたかのように走り出した。逃げるのではない、助けに、だ。自分があんなものに対抗できるはずがない。だがしかし、神様を逃がすことくらいならできるはずなのだ。神様は神様であっても、下界では只人と変わりない。あんなバケモノに襲われてはひとたまりもなくすぐに殺されてしまう。

 何故モンスター、しかも『竜』のようなものが地上にいきなり現れたのかは分からない。だが、考えるよりも先に動くべきだと、そう思った。

 走って走って走って走って、耳を塞ぎたくなるような悲鳴ばかりを振り払い、頻りに飛んで来る何やらをひたすらに避けて、ただ愚直に走って探した。

 簡単に人が死んでいく。その人がどんな人であろうと、瞬く間に、無差別に、無慈悲に。どうしようもなく絶望が蔓延しても、ただあの人だけは生きていてくれと願って、走った。

 

 地獄に染まるメインストリート、そこでふと、だが確実に聞き慣れた鈴の音を捉えた。

 確認するまでもなく、その方へ走る。

 

「神様!」

 

「あ、ベル君!? 無事だったんだね! 本当に安心したよ……シオン君は……どっかいっちゃったらしいけど、とにかく! 逃げるんだ。今はそうするしかない」

 

「それは……そうするしかないですが……でもシオンは――」

 

「あのシオン君だぜ? 最悪、今の状況も案外シオン君の所為だったりするかもしれないんだ、心配するだけ無駄ってもんだよ」

 

 流石にそれはない、と否定したくはあったが、妙に賛同している自分が確かにいた。仮にこれが人為的なものだとしたら、その可能性が非常に高いと少し考えて思い至る。方法は皆目見当がつかないが、どうせ常識外な能力でも使ってやるのだろう。仮に犯人がシオンであるときの話だが。

 

「ですが神様、逃げると言ってもどこへ……」

 

「避難誘導に従えばガネーシャの所に行くんだけど……多分難しい。一斉に向かってるし、何よりもあんな中でボクは生き残れる気がしない」

 

 その通りだ。今は脇道に逸れて隠れているから、あの巨大な『竜』にも見つからずにいるが、出だ瞬間に殺されかねないし、たとえ見つからなかったとしても、あの人混みだ。逃げるのは困難を極める。メインストリートに出たら、貧弱な僕たちは人波に()まれてしまうだけ。だがしかし、裏路地を使って向かったとしても土地勘の薄い僕だと迷いかねない。

 どうしようもなくピンチなのだ。一体どうするべきなのか。

 

「だからさ、ベル君。君だけでも逃げてくれ。ボクは足手まといになってしまうからね。でも君だけなら、屋根でも伝って逃げられるだろう?」

 

 絶句した。満面の、曇りなきいつもの笑顔での言葉に。

 神様は冗談なんかでこんなことを言ってない。みれば判る、本気だ。

 

「君は死んではいけない……いや、死なないで欲しいって言うボクの短絡的な願いだけどさ。君は生きていてくれ。ボクは神だ、どぉせ死にはしない。だからさ、ボクのことなんて放っておいて、逃げてくれ」

 

「そんなっ……無理です、できません……!」

 

「いや、できる。そう言ってくれるのは本当はとっても嬉しいさ。でもさ、やっぱり自分の一つだけしかない命を大切にしてくれ。シオン君みたいに生き返ったりはできないだろう?」

 

 ぎゅぅ、優しく包まれた。耳元で(ささや)かれる。

 その心地よい声が、この失いたくない温もりが、二度と感じられなくなる。本当は逃げたいと思っている己が本能に任せれば、それは現実となるだろう。

 いやだ。抗うように縋りついた。

 

「……最後に、こうしてもらえただけでボクは満足さ。もういいんだ、逃げてくれ。ボクのことなんて考えず、ただ自分が生きるために、逃げてくれ」

 

「―――――」

 

「あ、ごめん。やっぱりボクのことは考えておいてくれ。ベル君に忘れられたみたいで……それは、嫌だからさ。わがままでごめん。でも、そうしてくれ」

 

 すぅっ、離れていく。優しさが、温かさが、全てがこうも簡単に。

 『嫌だ、絶対に神様を見捨てたりなんかしない!』

 『こうもいわれたし、もう、逃げてもいいよね……』 

 弱音(本能)意地(理性)がせめぎ合って起こる二律背反状態で、脳が焼き切れそうなほど永遠と続くループ。悪魔のような甘言に従えば、どれだけ楽だろうか。子供の駄々のような矜持(プライド)に従えば、どれだけ楽だろうか。

 わからない、どうすればいいかなんてわからない……! 何も、わからない……

 

「じゃあ、ベル君……! また、会おうぜ!」

 

「―――ッ!」

 

 もう、わからなくたっていいじゃないか。

 目の前に助けたい人がいる、一緒に居たいと願える人がいる。

 なら、もう考える必要なんてない。

 大切な人を泣かせるなんて、男として失格だ。それにもう……大切な人を、失いたくない!

 

「ぅわ!? ちょ、ベル君!?」

 

 立ち去ろうとした神様を掴まえ、強化された力で易々と持ち上げる。

 二度目の『お姫様抱っこ』。何故こうも絶体絶命のピンチに限ってチャンスが訪れるのか。

 

「黙っててください。何も言わないでください。これは僕の意地です、どういわれようが、もう知りません」

 

 返答なんてない。だけど勝手に続けよう。

 

「僕と一緒に来てもらいます。拒否権なんてあげません。勝手に連れて行きます。文句なら後にしてください」

 

「だからベル君! ボクのことなんて―――!」

 

「嫌なんだよ、もう、失うのは。怖いんだよ、独りなるのは……」  

 

「ぇ……」

 

 神様を抱え、ただ歩いている。拒否しようとした神様の言葉を遮り、全くかみ合わない言葉が漏れた。それが何かなどすぐわかる。僕の抑えきれない感情が、零れ始めた。

 身勝手な、感情の吐露。

 

「お祖父ちゃんが居なくなった……でもシオンが慰めてくれた。安心できた、辛かったけど乗り越えられた。だけどシオンも死んだ。あの時、怖かった。僕の周りにいた人が、前触れもなく死んじゃった。何にも比べられない、絶望だった。でも生き返ったから僕は僕を保てた。でさ、次は神様が? そんなの……耐えられるわけないだろッ……!」

 

「――――!?」

 

 驚いたのか、竦んだのが触れているから良く判る。 

 

「……ごめんよ、ベル君。だからさ、一つ言わせてくれ」

 

 下から声が届いた。目は向けようとは思えない。だって、今は酷い顔をしていそうだから。

 向けずとも声は、感情は、想いは、伝わって来るから。

 

「さっきの言葉は忘れて、一緒に行こうぜ、どこまでも!」

 

「……はい!」

 

 強く、大袈裟なまでに強く、(うなづ)いた。

 清々しいまでの前言撤回に、場違いにも笑みが零れてしまった。

 だがしかし、緊張を呑んだかのような神様の息遣いに、ふと笑顔は失われる。

 

「……おいおい、嘘だろ。あいつ、明らかにこっちに……」

 

「え?」

 

 歩みを止め、振り返った。目が合う。黒い『竜』の底なしの目と、僕の目が。

 一歩退く。その何倍をも『竜』は進む。

 二歩退く。捕捉したかのように、大口を開く。

 三歩退く。その時にはもう、走り出していた。『竜』の炎が迫る。

 

「ベべべべべベル君!? 頑張ってくれぇェ!?」

 

「わかってますってぇぇ!?」

 

 まさに兎の如く跳びはねながら背を向け『竜』からひたすらに逃げる。

 第七区間で逃げ回るのは、流石に危険と踏んだ。障害物が少なすぎるし、何よりもまだ【アポロン・ファミリア】や推測で【ソーマ・ファミリア】、他にもいくつかのファミリアが残っている可能性がある。今の状態で襲われたら本当にどうしようもなくなってしまう。

 早々に脱するベき場所だが、今すぐに横へ逸れても人波に呑まれてしまいそうだ。被害を増やすわけにもいかないし、だからと言って奥に行くまで逃げ切れる自信もない。どうすれば……

 

「むむっ、そうだよベル君! ボクは今とってもいいことを思いついたぞ!」

 

「神様喋らないでください舌噛みますよ!?」

 

「大丈夫さ! それよりもベル君、早々に西南へ向かうんだ! これで仕返しができる……」

 

「どういうことですかそうわぁ!?」

   

 何か企む神様から聞き出そうとしたが、迫る無数の脅威を避けることを優先してしまう。なぜ執拗に僕を狙うかは解らないが、それを考えるほど余裕はない。

 

「アポロンのホームはそこに在る!」

 

「え、それって―――」

 

「そうさ! なすり付けよう!」

 

「酷くありません!?」

 

 残忍なことを軽々と面白そうに口にする神様をみて、思わずアポロン様に同情してしまった。だがその方法が有効的だとは簡単に気づく。そこまで逃げられればの話だが。

 散々やってくれたのだ。ならばこれくらいの仕返し問題なかろう。そう納得して、地を蹴る足に力を込めた。

 

「ベル君! ボクは今、とても幸せな気分だよ!」

 

「よくこの状況でそんなこと言えますねぇ!?」

 

 呆れを通り越して尊敬するレベル。清々しい笑みを浮かべて万歳しているのは今すぐに止めてもらいたいのだが、こうして気分が良いのならそれを害することは無駄でしかない。

 というかそろそろ追い付かれそうで、本気で不味い。

 

「―――あぐっ……!」

 

 横目で見た後ろ。吠声(ほえごえ)の後に迫りくる咆哮(ブレス)。避けきれないことは自然と判った。だから考える間もなく神様だけを助けようと横へとぶ。無事で済んだ、神様は。

 

「だ、大丈夫、です……これくらい」 

  

 嘘だ、全然大丈夫じゃない。痛い、堪らなく叫び散らしたいくらいに『熱い』。

 やせ我慢なんて何時まで持つだろうか。でも、持たせなくては。

 

「ベル君……! でも、背中が……」

 

「気に、しないで下さい。これくらい、へっちゃらですよ……!」

 

 不敵な拙い笑みを頑張って浮かべた。止まってしまった足を再度進める。

 焼けた背中は放っておけ、走ることに関りなんてない。

 ただ走れ、唯一の強みを生かせ、今はその時なのだ。

 歯を食い縛り、ひたすら走ればいい。

 

「神様、次は!」

 

「あぁ、まっすぐ行って右だ! その五本先で左だった気がする!」

 

「あやふやですけどわかりました!」  

 

 第七区画を脱出し、第六区画へと突入する道順を神様に指示してもらいながら進む。速度は落ちるが、障害物が多い分頻繁に攻撃されることはない。もう、攻撃を食らうことはないはずだ。

 

「あそこだベル君!」

 

「そうみたいですね!」

 

 一際大きい建物へとたどり着く。掲げられる弓矢と太陽のエンブレム。いつぞやの門前払いを受けた記憶が蘇るが、それは一旦無視だ。

 騒ぎ立てられる正門へと強引に突入する。背後から迫る『竜』の存在で、阻む人は存在しなかった。

 

「ぁ……ベル君、うぇ、上!」

 

「どうかしまし―――」

 

 また攻撃か! 内心踏鞴を踏みながら跳ねるように顔を天へと向けると、そこは馬鹿みたいに澄んだ蒼穹が広がっていた。太陽がまるで、僕たちに幻想を見せて遊んでいたかのように。

 茫然(ぼうぜん)と空を眺めて、遅れて気付く。もう既に包囲されていて、逃げ場が消えてしまった事に。

 

「や、やぁヘスティア。こここ公然でお姫様抱っこを見せつけるとは、いいい良い度胸じゃなないかぁ?」

 

「……アポロン、言動がいつも以上に気持ち悪いぜ? っとベル君、別に下ろさなくてもいいんだ。ボクはこのままがいい」

 

「は、はい」

 

 気が付いて下ろそうとしたが、がしっと首を掴みホールドされて、もうそのままでいるしかなくなる。小恥ずかしが仕方なるまい。解けそうにも無いから。

 さてどうしたものか。そうな悩む間もなく二の句が告げられる。

 

「ででででだへへヘスティアぁ? こここんな状況でぇどどうするつつつもりだぁ?」  

 

 顔をまさに頭上の青空を写したかのように蒼白とするアポロン様は、相変わらずの上から目線である。僕から見てもちょっと可笑しいと思うその言動は今すぐにでも直してもらいたいのだが、それも無理そう。神様は一度突っかかっただけでもうどうでも良くなったかのように気にせず思案している。

 

「……どうしようかベル君。アポロンに意趣返しのつもりが追い込まれてしまったぜ?」

 

「な、何も思いつかなかったんですか……」

 

 長々と考え込んでいたのにもかかわらず薄すぎる内容。僕に意見を求める始末だ。

 というか僕に意見が無いことくらい察して欲しい……そもそも指示をしたのは神様だし……っと、責任転換は良くない良くない。

 

「ふふふふっ、ままままさか戦争遊戯(ウォーゲーム)でも受ける気に、」

 

「それだ!」

 

「それだじゃないですよ神様!? 受けちゃってどうするんですか!? アンナに嫌がってたでしょう!?」

 

「問題なーい! もうボクたちに手を出したんだ、容赦なんてしてやるもんか! シオンく~ん! 一瞬で潰してしまえ!」

 

「完全に人任せですよねそれぇ!?」

 

 というかここで潰したらギルドから僕たちも刑罰食らうし!?

 僕の声に出せなかった叫びなど知る由も無く、意気揚々と神様は喧嘩を買った。昨日は「潰しちゃ悪い」とか「絶対大事になるからなぁ……」とかぼやいていたのにも拘らず。

 もう大事になってしまっているから気にする意味も無いと思ったのか。別に僕たちの所為では無いのだが、疑われ仕舞いそうでちょっと怖い。

 

 ふと神様が自分の意思で降りて、近くにいた犬人(シアンスロープ)から有無を言わせず手袋をはぎ取った。何をしているのかと思うと、それを振りかぶり―――全力でぶん投げた。

 弱々しいながらもしっかり照準は定まっており、一直線に向かった先は、アポロン様の蒼白顔。げっ、と思いながらも遮ろうとは思はなかった。

 

「いいだろうアポロン! ボクたち【ヘスティア・ファミリア】は君たちとの戦争遊戯(ウォーゲーム)を受諾する!」

 

『うおぉっしゃぁぁぁ!』

 

 どこからともない叫びが広がった。とても興奮したような、愉しんでいるかのような、そんな声が。

 驚いてきょろきょろとしていると、周りに先程までいなかった男性が――いや、男神様たちがしっちゃかめっちゃかに動いていた。

 ……もしかして、ずっと待機していたのだろうか。だとするのならばあの騒ぎの中、よくもそんな行動ができるものだ。眷族が心配ではないのか。流石娯楽を求めてやまない(ひと)たちだ。

 

「一週間、それだけ期限を与えてやるさ。ボクは慈悲深い神だからね。精々その日々を楽しむなり、好きに過ごすと良い。君の最期のオラリオ生活となるだろうからね!」

 

 大仰に、たいそうな自信を籠めて、そう言い放った。

 呆れを隠せない僕は頭を抱えて天を仰ぐ。もぅ、どうしようもない。

 あとはシオンに任せるとしよう。

 あの異常が極まった兄ならば、何もかも解決してくれるはずだ。

 

 


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