一話ごとの文字数差がかなりある。
では、どうぞ
『乾杯!』
軽快に音が重なる。賑わっている酒場でも、その音だけはどうもよく聞こえるものだ。それは僕たちだけではなく、随伴するように周りも杯をぶつかり合わせていたからかもしれない。
酒場の空気に引き込まれて、一緒になって僕も瞬く間に気分は向上した。人と人との距離が近い、賑わっているお蔭か狭く感じる酒場――『
「シオン遅れちゃったね。何もなしにすっぽかすことはない筈だから、もう少し待てば来ると思うよ」
「別にリリは、ベル様さえいてくれれば良いのですが。だってあの人、怖いですし……」
「おいおい、遠目から見た感じ、そんな印象は全くなかったぞ? どう見たって女だし、もっといえばありゃなんだ。【剣姫】と親し気だし、精霊と仲良くしているし……何者だよお前の兄貴は」
「うーん、異常者?」
ぶるぶると震え、失笑を目を背けながら浮かべるリリに、ヴェルフがいつもの調子で反論する。それはまぁ、あの光景を見てしまえば抱く当たり前の疑問だろう。自分の兄が何者かなんて、ただ一つのこの回答しかない。僕だっていまだに疑問なのだ、何故シオンがアイズさんとあんなに親しいのか。
アレでシオンはかなりモテた。いや、モテている。嫉妬するほどにそれは凄いものだ。だけどシオンはそれに気づかないし、気づかされたとしても全て切り捨てていた。ちょっとイラつく。ほんのちょっとだ、ほんの。
「でさ、ヴェルフ! 【ランクアップ】おめでとう!」
「これで晴れて
「おぉ……ありがとな」
口元を弱く綻ばせ、薄いながらも喜びを隠せないでいることが伝わる。今朝本人から直接、ファミリアにこの一方が届けられた。本当に朝早くのことで、まだシオンが帰って来ていない時間帯。無事【鍛冶】の発展アビリティも習得し、夢へ一歩前進―――いいや、ヴェルフからしてみればまだスタート地点に立てた、くらいなのだろう。これからも頑張って行って欲しいのだが――――
「―――あの、さ。やっぱりこれで、パーティって解消だよね?」
場に合わない落ちた声音で、おずおずと返答を怖がるように聞いてしまった。何を言っているかわからないように、ヴェルフは首を傾げたが、あっと気づくと屈託のないいつもの笑いを浮かべ、
「安心しろよ。用が済んで、はいサヨナラ、なーんてするわけないだろ? お前は一応、俺の命の恩人なんだぜ?」
頬のあたりを指で
それに思わず笑みが零れ、いつもはヴェルフに対して何かと突っかかるリリも、どこか嬉しそうに笑みを零した。それは三人で交わされて、大きな笑いへと変わっていく。
賑やかで、楽しい、そんな時間が過ぎて行く。
事の
そう、たった一時のことであった。
「――――おい! どこぞの『兎』が一丁前に有名になって舞い上がってやがるぜぇ!」
嘲りを含んだその声が
誰のことだろうかか。問うまでもない。何を言いたいか。解らない、でも、判る。
「いいご身分だよなぁ
態と張られた声は、馬鹿みたいによく聞こえる。近隣の場所にいるのだから尚更。それはまさしく、僕をそしるためだけに用意したような内容で、用意されたような位置関係であった。
自然と集まる視線、一風変わる酒場。隣へ向かう大半の目線の中には僕のものまで含まれる―――高らかに叫んでいた男と、目があった。
弓と太陽のエンブレム。それがファミリアの証であり、そこにいる七人は皆所持していた。
盛大にジョッキを傾けゴンッと音を下品に鳴らすと、せせら笑いながら、不必要に僕を追い込める。
「あ、でも逃げ足
アッハハハハハッ、
だが何よりの要因は、僕にそれだけの勇気が、
反応を窺うように、僕を
失意、何故か周囲からそれを明瞭に感じた。何を、僕は求められたのだろうか。
小さな音がした、チッ、と。
「オイラ知ってんだ! 『兎』が
「構うな、飽きるまで言わせておけ」
「そうです。ベル様、気にしてはいけません」
少しだけ、椅子から体が離れた。そこで止められたのは、リリとベルの小声で投げかけられた言葉のお陰。言外に僕を気遣うその二人の言葉。ちくりっと、胸に針が刺されたかのような、鋭い刺激が僕を襲う。
だが二人にも確かに、侮辱による怒りが募っていた。
「威厳も尊厳もねぇ主神の率いるファミリリアなんぞたかが知れてるだろうなぁ! きっと、
沸騰した。そしてすぐに負荷に耐えきれず、爆発する。それまでの時間なんてかからなかった。
だが、異変に今になって気づく。
「―――――」
身体が、どころか眼球の一つすら、舌の先すら、瞼すら、まったく動いてくれないことに。椅子に打ちつけられたかのように、僕はただその場に硬直した。動け動けと叫んでも、言うことを聞いてなどくれない。
心底意外そうな顔を
「だって考えてみろよ! 同じ眷族の『
事実だ。だが彼らがシオンを―――兄を侮辱することをどうにも許容できなかった。シオンはどうでもいいと言うだろう。当たり前だと言うだろう。でも、許せんかった。『本当の家族』を侮辱されたことがこれほどの
「もっと言えばよぉ、あの女みてぇな奴、どっかの人形姫みたいで、薄気味わりぃよなぁ!」
瞬間、体に自由が戻された。だが、僕は動かない。否、動けなった。
暴風が叩きつける、破壊音が重く響く。
目線の先に、高身長の頼もしい背中を有した、自らの兄が居た。
* * *
「へぇ、面白いじゃん。その有様でも反応はできた、うん、素晴らしいことだ」
「……こんなにして、よく言ってくれるね……結構自信あったんだけど」
青光りする程の艶めいた黒髪に血や木くずをちりばめ、力を無理にですら入れることのできない状態となる少女を見下しながら褒め称える。すっぱりと二つに分かたれた金属棒―――その片方を手に持ち、気力だけは
たった二合で方は付いた。弾き合い、
「おい、そこのLv.3。さっさと仲間連れて失せろ、そしてついでにワん吉も失せろ」
「誰が何だとゴラァァッ!?」
「吠えるな。いいから失せろ、さっきから敵意ビンビン出しやがって、
「チッ」、舌打ち一つでその後続く荒々しい音。硬貨が慣れたように投げられ、椅子が蹴飛ばさた。真横を通り、さっさと外の闇へ消えてしまう。ふふっ、大人びた声が
「貴女……実はマゾヒストなのですか? もしくは狂っているのか。この状況で笑える奴は、
口元と声だけで笑う少女に、嘲るかのような目に好奇心を秘めて見つめる。それに彼女は怒ったのか、顔を赤くし―――だが言い返すことはなかった。
「ヒュアキントス、帰ろ……私、動けないから運んで」
「あ、動くのでしたら
「ぁ、そう、だね――――やっぱり、優しいのは変わらないね」
間を持って発せられた言葉は、口籠り聞き取れない。うっすら浮かぶ微笑みに、何故か思考に針を刺されたかのような、そんな刺激が訪れた。
……この人、どこかで
「ありがと、ヒュアキントス」
「気にするな。それよりも大丈夫なのか」
「全然大丈夫じゃない。久しぶりにボコられたぁ……うぅ、もう! 帰って寝る!」
子供かよ、そう言いたくなる。だが、私は何もすることなく、ただ判然としない思考を手繰り寄せるように、ひたすらに探し彼女の見つめる。
視線に気づいた彼女は、仲間を拾い集めてもう去ろうとしていた入り口で、ふと私へ振り返る。目を合わせ、にこやかに微笑んだ彼女。
「またね、しーちゃん」
何か深い感情の籠ったその言葉。続いたのは
「……は?」
アホ面を浮かべている内にそそくさと去ってしまって、その言葉の――――その呼び方の意味を、訊くことが出来なかった。
だが、違和感が段々と、形になる。
オラリオで親し気に私のことを呼べて、且つ愛称を持つ人。
一人、いる。明瞭ではないが、僅かに浮かぶ顔はそこはかとなく似通っている。
すっかりぐちゃぐちゃに汚れて、静かになった酒場。居たたまれない気持ちになるのをあえて差し置き、ベルたちが囲むテーブルの椅子に、音なく腰を落ち着かせた。
ぱんっ! やけに響く掌を打ち合わせた音が、場の注目を集め、発す言葉はそれ以上に影響力を持っていた。言うに言われない強制力。
「ご飯にしましょうか」
一斉に、だが各々に違って、動き進む。
* * *
賠償金と謝罪を残して、食事を終えた酒場から去り程なくした今、勿論説教中である。
ベルも手を出しそうになっていたし、まさに一触即発の雰囲気の中で禁忌に触れたのがあの肉塊だ。結局爆発したのは当事者ではなく介入者である私。説教されているのも私だけである。
だがこの場に居るのは六名。酒場に居た私含む四名と、ホームで待機していた二名だ。廃教会でまさに
事情説明はちょいちょいで行われた。後半に向かうにつれてもはや尋問や質疑応答の類にしか感じなかったが、憤激されていることには変わりない。
「んで、再開したのにもベル君に言われるまで気づかずに幼馴染をぼこぼこにして帰って来たって? 前から言いたかったけどさぁ……シオン君ってかなり最低だよね?」
「自覚はある、そして否定する気は無い」
そもそもの話、私より最低な人間を探すなんてそんなのダンジョンを
それはもう
「ですが、幼馴染と言っても彼女が村を出たのは五年ほど前のことです。仲良しな姉と一緒に向かったはずですが……別れたか、それとも、」
死んだか。ありえなくはない、むしろ可能性はかなり高い。
あの左目……私と違って、
「まぁいいや。んで、どうする? 私、今振り返って結構不味いことした気がしますよ」
手を出したのは、どう考えても【アポロン・ファミリア】。あの美男美女(笑)が集う外道が主神の自己満足系ファミリアだ。
太陽のエンブレム、そしてLv.3団員が一人はいる。更に言えばヒュアキントスという名前。二つ名は興味がなく知らんが、確か団長ではあったはずだ。もうこれで、確定である。
あそこは非常に面倒くさいファミリアで有名だ。主神が気に入った団員を他ファミリアから難癖付けたり、罠に嵌めたりして引き抜くクソの集まり。というのは表面の表面で。表面の裏では団員すらも脅しを受けて仕方なくやっている人が多い。
「あれは罠だ。まんまと嵌っちゃいましたけど、それは過ぎたことです。問題は、もうあいつらは私たちの中、恐らくベルを狙っていることでしょう。逸材ですからね」
「おい待てよ、だったらお前が狙われねぇか? クソ
「相変わらず減らねぇ口だな没落貴族。常識的に考えて見ろよ、こんな危険分子を取り込みたいなんて思ってるファミリアは都市最強ファミリアの両翼しかないだろうが」
「はぁ?」
スカーフを首に巻いた赤髪青年。口の利き方が如何せんなっていないこの男は酒場で相容れない存在と判明した男だ。相手方もそれに気づいている。
まず私の性別について議論され、そこから人格に移り、果てには……あぁ、考えるのすら嫌になるわ。
「シオン君はまず常識を知るべきだね」
冷たい目とにこやかな微笑みでその時は一時、終止を打たれた。
* * *
「クソッ……クソッ、クソォッ!」
殴り付く。二度、三度、殴る、殴る、ぶつける。自分の嫌な感情を。
「ふざけるな! アポロン様は何故、あんな奴等を……分からない、判らない解らない。どうしてなんだッ……」
独りただ与えられた現実を責めていた。命ぜられた使命に従わなければならないこの嫌な現実を。
彼らを得なければ、アポロン様からの信頼は途端に失せるであろう。だがしかし、自身の心は、本心は主神の命令に足踏みしていた。どうしても、従いたくない想いがあったから。
「シオン・クラネルッ……」
四年以上も前から嫌と言う程聞いて来た、忌まわしき人物の真名を噛みしめる。隣で毎日のように、尽きず飽き足らず、話す想い人の話を聞くときに、必ず出て来るその名。
ぷちっ、血が出た。あまりにも強く噛んでしまった。
件の名の主がこの都市に来たのは、つい最近知ったことだ。風のように颯爽と、通りすがるほどに気安く広がったこの名。それは勿論知ることになる。
私も、彼女も。
「アイツさえ、来なければ……」
彼女はそれを知ってから、一層変わってしまった。遠かったものが近づき、手を伸ばしてしまえば届きそうなほどだからこそ、つい求める想いが高まる。
求め、求めて――――それがアポロン様にも伝わり、彼はこう団員に言い放った。
『
「何が丁度良いだ……人の気も知らずして、よく言ってくれる……」
それは初めて彼が口にした、主神への陰口であった。
だがこれに抗えない。彼の神からの強制力は、もう心の根底まで届くほど。
無情なまでに、自分は無力であった。
「あ、ヒュアキントス……って、大丈夫?」
愛しき人が、振り返るとそこには居た。
心優しくて、
「あぁ、何もできない自分の無能さに、呆れていただけだ」
「そんな責めることでもないと思うなぁ……あれはしーちゃんが強すぎるのっ。後悔したって、あの領域にはたどり着けないんだから」
嬉しそうに、楽しそうに、幸せそうに。そんな顔を見せるのは、『こんな』話をしている時だけ。他の男の話をしている時にしか、想い人の最高の表情が見られ無いとは、まさに皮肉だ。
ヒューマンにしては露出度の高い服を着た彼女を
だが彼女を
「ねぇねぇ、しーちゃん……あ、シオン・クラネルのことね。でね、しーちゃん――――♪」
いつもこうやって、名を聞くのだ。
何度も何度も、しつこく、さながら、
「
ぽつん、
リアがあの男に会ってから、いいや、会えると知ってから、ずっとこの調子だ。
「ん? それってどういう事?」
「気にするな」
話の出鼻を
公式Lv.3冒険者、【アポロン・ファミリア】副団長、リナリア・エル・ハイルドは、またも彼の名を口にする。嫌悪に苛まれながらも、ただ、耳を傾けた。
彼女の声を、聞きたくて。
『あぁァァッァッッ!?!? あぁ、ぁぁっ……!』
聞きたくなくて、苦しみたくなくて。――――結局、己が為に、彼女へ寄り添う。
そう、願った。