シグムント、フンの国、ヴォルスング家の長男。
かの英雄は義理の弟に裏切られ、兄弟と国を失った。しかし妹とその息子の助力を経て、復讐を果たした。
その後、彼は戦火の中でその命を散らすこととなる。そのシグムントの腰には常に最強の魔剣が差さっていた。
魔剣グラム
それは、シグムントの妹シグニューの婚姻の儀の夜だった。薄汚れた外套を身に纏う老人が暗闇から姿を現した。その老人は館の広間にあったリンゴの木に剣を突き刺すとこう言い放った。
―――この剣は、引き抜いた者の手に委ねよう
数多の勇者がその剣に挑んだ。だが、誰も抜けなかった。あまりに深く突き刺さった剣は地面と一つになっているのではないかと錯覚してしまうほどに強固だった。
こんなの誰にも抜けれるはずがない。
誰かがそう言い放った。
無理だと思った。
シグムント以外。
そうシグムントは見事その剛腕で木から剣を引き抜いたのだ。
その剣の威光はまさに神威のような獰猛さを潜めていた。振るだけで敵を両断し、突くだけで山をも穿つ。
神々しさと禍々しさを併せ持つその鋭き鋼鉄は―――魔剣だった。
オーディンより授かった魔剣を手に、シグムントは戦場を駆け抜けた。幾たびの戦場で不敗、無双、最強の名を欲しいままに暴れつくした。
そのシグムントの死後、魔剣グラムは息子の手に渡った。
息子の名はシグルド。父の息子たちの中でも最も優れ、強く、賢き、戦士の王として崇拝されし英雄。父同様にオーディンに期待された稀代の勇者。
母の元から離れ鍛冶師レギンの養子として幼少期を過ごした。レギンの元で多くの武術と学問を学んだシグルドは戦場へと赴いた。敵は父の敵であるフンディング家の者たち。彼は魔剣と卓越した剣術で勝利を勝ち取り、父の敵を討った。
シグムントを超えし、最強。魔剣に相応しき益荒男。そんな彼に、新たな試練が待ち受けていた。
それが竜。最強の怪物を殺すことだった。
〇 〇 〇 〇 〇
「それで…? あいつはやり遂げたのか?」
「ええ、まあ。あのお方は見事竜を殺してみせました」
気づけば陽は落ち、あたりは篝火の光で満ちていた。昼とは打って変わり、周りの戦士たちは各々武器の点検に勤しんでいる。グラニとフェーデは馬小屋で英雄シグルドについて語っていた。
「竜を殺し、その心臓を喰らったあのお方は神々の智慧を手に入れました。永らく仕えてきましたが、もう褒める言葉がないぐらいに難行を越えてきたところを目にしましたよ」
もはや呆れると苦笑いするグラニ、まあ馬の表情など分からないからそんな雰囲気がするだけなのだが。
「あいつはそれほどの大物だったのか」
「怖じ気つきました?」
「いや」
たしかにすごい。最初の夜に見たあの剣の瞬きが、今でも忘れられないほどだ。あれ程の男そうはいない。
だからこそ、語られた英雄譚は嘘偽りがないことを理解できる。
「本音を言えば、感謝している」
「感謝?」
だが、萎縮するのとはまた別だ。
幼き頃に幾度ともなく味わった敗北感と苦渋の味。あの思いがあったからこそ自分は強くなることに貪欲になれた。
今は、嫉妬と羨望を味わっている。
なぜそれほどに強いのか、なぜそれほどに覇気を纏えるのか。羨ましい、ほしい―――強くなりたい。
「自分は、振り向いてほしいから名誉を欲した。しかしそれは
力と名誉があれば英雄。それが最低条件だとフェーデは思っていた。だが違う。
シグルドは力、名誉とはまた違う部分で英雄として君臨している。竜殺しという異名に恥じぬあり方を確立させている。
「自分は、未だ何かを見失っている。あいつが自分を拒むのは見えていない何かがある。…それを、多分気づけた」
ないから拒まれた。だから得るために求める。しかし得たものが決して正解なのだとは限らない。それは不要なもので、逆に足枷になりうるものになる可能性もある。その可能性への配慮が全く頭に入っていなかった。
これならばブリュンヒルデが拒むのも当然かもしれない、と重い息を溢れる。
「…ずっと思っていたのですが、あなたはもしや、女性絡みでこの討伐に参加を?」
「そうだが」
「…ほほーーーん?」
「…なんだその顔は」
馬面のくせにやたらいやらしい顔をしている。まあ、馬だが。
「いやあ、あなたも存外俗物なんですねぇと、思いまして」
「…………いやあいつとはそういう関係じゃない」
この馬がなにを言っているか理解した瞬間、即座に否定した。
だがグラニはその反応が面白いのか鼻をわざと鳴らした。
「恥ずかしがることはないですよぉ? 人間なんて年がら年中発情期になってるもんでしょうに。馬でもたまらん!と思うときもありますし、むしろガンガン発情しましょう。というかそんなにいちいち相手に気遣っているから振り向いてもらえないんじゃ? ヘタレですか? ヘタレ」
「よしコロす」
「あ! まって!! そんな長いものヒトの大事なところに突き刺そうとしているんですか!? いくら欲求不満だからってそれはないんじゃ!? …ちょちょちょ!!? 冗談ですってだから下げて、それ下げて!! 熱した石は普通に拷問!!」
「…何をしているんだ」
木の枝を器用に使い、焚き火の囲いとして使われている石を掬ってグラニに押し付けようとしていた。そこにシグルドが帰ってきて、呆れたように一人と一匹を見ていた。
「あ! 助けてください! 私けっこう危機的!?」
「…どうせフェーデをからかったのだろう。たまには罰を受けろ」
「そんな!? っあつ!?」
喜劇のように戯れる彼らを見て、ひっそりと笑うシグルド。フェーデはじりじりとグラニに熱した石が近づけるが、ある程度仕返しが済むと石を捨てた。
「それで、話は聞き終わったのか」
「ああ…、全くわからない」
この砦の警備を務める指揮官に巨人の話を聞きにいっていたシグルド。巨人の出現は耳にしたがことの詳細に詳しく知らない為に情報を集めたのだが。
「夜に現れて、暴れる。それぐらいしか聞けなかった」
「…なんだそれは」
フェーデも眉を顰めた。山で生きてきた者にとって、獲物の動向はまず知るべきことだ。巣から餌場、動き回る範囲に相手の足跡から位置の特定など知るべきことで先手を打てるのだから。
「相手は何処から現れ、何処に去ることも分からなかったのか?」
「突然現れた、しか語らなかった」
「・・・・・」
口を固く閉じ、空を見上げ始めたフェーデ。呆れて何も言えなくなったかとシグルドは思ったが、フェーデは地面へと膝をつくと指で地面に文様を描きだした。
「それは?」
「ルーン魔術だ」
「…! 魔術師だったのか?」
「違う、生き抜くために教えてもらった」
ルーンを刻むと適当に散らばっていた石を集め、山になるように積み始める。
「相手は巨人。伝承では馬鹿でかい図体に短気な性格、極めて図太い生命力に剛力。それが、痕跡も残さないとはおかしすぎる」
尤もだ。だからこそシグルドも頭を抱えた。自身が打ち倒した竜もあまりにも大きすぎる存在感ゆえに目を離せられなかったというのに、ましてや巨人という存在が何処にいるのかも分からないというのは不可思議すぎる。
「このルーンは探索のためのもの。砦の中に人間以外の生物が侵入してきたら、この石がそいつに張り付き追尾する」
「便利だな」
「上手くかかることを祈れ」
ふぅ、と息を吐くと白い息が広がる。夜になるにつれ、辺りは凍えるほどに冷たくなる。もうすぐ春になるというのに、未だ気温は暖かくならない。この夜の冷たさは未だ慣れるとは思えない。
「…で、しばらくは哨戒か」
「相手はいつ姿を現わすか分からない、気を抜くことは…」
「おい、竜殺し!!」
会話を打ち切ったのは数人の男達を引き連れた大男だった。その男はフェーデをわざわざ人前で嘲笑った男であり、フェーデはそいつの顔を見た瞬間顔を顰めた。
「何用だ?」
「まさかお前みたいな奴がここにくるとはな、そいつはそれほどの大物ってわけか?」
「…それは分からん。少なくとも多くの民が犠牲になっているとは耳にした。ゆえに、当方はここに赴いただけのこと」
「はっ、さすがかのシグムントの御子息様ということか」
一言一言が頭にくるような口調にもシグルドは表情は変えない。相手に対し侮蔑する視線も、媚びるような視線も送らず毅然と相対する。
「再度問おう、何用だ」
「特段用ってわけじゃない、かの竜殺しの面を拝もうって思っただけだ」
───大男は、俗にいう傭兵という部類にあたる者だ。
戦士であることに間違いないし、腕にも覚えがある。幾度も戦場へと赴き、事情背景関係なく目の前に迫る敵を葬り去ってきた。
長年死線を潜り抜け、自信もある。ある程度の名を売り、今では手下もでき、傲慢に命令を下せるほどだ。尤も手下達は金払いがいいから付き添っているだけで、大男も了承済みでそれを容認している。
そんな自分の前に、自分より強く、名がある戦士がいるとなると見定めておきたいと思うのは必然だった。
名のある英雄の息子達の中でも最も優れた男、神に目をかけられた戦士、この時代において誉れある名を残すであろう竜殺し。
大男が実際シグルドを目にして感じたことは、その名に恥じぬ覇気であった。
なるほど、これならば竜を殺したという大言壮語は真実であろう。そう思うほどの圧倒感が無条件に押し寄せる。
「俺と組まねえか?」
「・・・・・」
だからこそ、手を組むことを提案した。確かに目の前の英雄は自分より遥か格上だ。持って生まれた才能は羨ましいが、いずれ超えてみせると野心の牙が震える。
戦士として育ち、多くの強者を殺してきた。この先も、さらに敵を打ち倒し、名を挙げる。それが大男の夢であり、野望だ。
竜殺しを利用し、巨人を打ち倒した暁にはさらなる名誉を承り、それを踏み台にさらなる名誉を。
なんて明るい未来予想図。その為にも是が非でも巨人を殺そうと心が震える。
「どうだ? 隣の狩人のお嬢さんより俺の方が役に立つ。あんたも竜殺しなんて立派な名があるんだ、取り巻きは選んだ方がいいぞ」
「・・・・・」
「…おい、聞いているのか」
話しかけているのに、目の前の竜殺しはこちらを目にかけていなかった。今気づいたのだが、竜殺しの目は下へ向き、地面に
一気に頭に血が昇る。巫山戯るな、自分は石ころよりも価値がないと言いたいのか?
「おい!!!」
叫ぶと同時に白い息が
その前に、竜殺しに腹を蹴られた。
○ ○ ○ ○ ○
最初に気づいたのはフェーデだった。
からり、からりと崩れ落ちる石の山。何かに引き寄せられるように落ちていき、周りへと散らばり始めた。
幾つあったはずの石は一定方向に転がるのではなく、フェーデ達の周囲に広がるように転がり、動きを止めた。それはまるで、
フェーデのすぐ後にシグルドは気づいた。
相手の大男が口を開くたびに、濃い白い吐息が吐き出されている。今宵は寒い、だがそれは珍しいことではない。
この季節では珍しいことではない。だが、今宵は
その事実に気がつくと同時に足元に気配を感じ、見下ろすと石が転がっていた。その石に覚えがある。さっきの会話だ。フェーデが先んじて張ったルーンによる探知だ。
横にいるフェーデも気づいたのか、周囲を見渡していた。
壁は僅かに湿っている。棚に置かれている槍の切っ先に雫が垂れている。周りの人達が呼吸する度に白い息が充満する。雑草には霜が張り付き、誰かが雑草を踏む度に薄い硝子が割れた音がする。
魔剣を握る。前の男はまだ気づいていないのか、未だ喋っていた。
感覚を最大限に広げ、その範囲内に感じる全てを拾いとる。
頭上に、巨大な何かが堕ちてくるのを感じた。
咄嗟の判断で目の前の男を蹴り飛ばし、後方へ飛び去る。その直ぐ後に、鉄槌の様なものが振り落とされる。地面が揺れ、大地が隆起する。
「な、なんだ!?」
「何が起きた!?」
衝撃により皆が目覚め、騒ぎ始める。
その喧騒に目をくれず、鉄槌の正体を見上げた。
「…本当に突然現れたな」
「ああ」
隣に立つフェーデだけが、自分と同じくらい落ち着いている。自分と同じように
あまりにも巨大で、かの邪竜よりも身の丈は遥か巨大。肌は青白くも、太い血管に流れる黒い血が不気味さを引き出している。むき出しの汚れた歯も、充血した目も、全てが敵意と殺意を宿している。
城の中心に現れた者は、霜の巨人だった。