荒波のように高低差が激しい平野を越え、速くに過ぎる雲の下を歩き、早三日が過ぎた。
「・・・・・」
「・・・・・」
時には森の中を進み、時には川を進み、時には襲ってくる野盗達を突き破り、穏やかな時間を過ごしながら歩み続けた。
「・・・・・」
「・・・・・」
有難いことに、この旅には頼もしい相手が増えた。それゆえ、退屈することなく時間を消費することができた。
「いやぁ、それは無理があり過ぎるでしょう」
「どうしたグラニ?」
今、其処には二人しかいないにも関わらず、第三者の声が聞こえた。それは幻聴ではなく、二人と共に旅するもう一頭、つまりシグルドが乗馬している馬から発せられた。
並外れた知恵と人語を理解する頭腦を有する灰色毛の駿馬、グラニ。彼が喋ったのだ。
「お二方、もう少し会話という娯楽を楽しんでみては? この馬の身でも貴方は些か寡黙すぎると分かる」
「…当方に、洒落た会話は難しい」
「右に同じく。苦手ではないが、困るな」
「馬の私が一番のお喋りとは泣けてくる話ではありませんか」
やれやれと首を振るグラニに対しシグルドとフェーデは沈黙でしか返せなかった。
互いに話すことが少ないのだ。フェーデは狩りでしか、シグルドは武人肌の人間であるために剣でしか物を長く話せない。ここ三日で話したことをピックアップすると。
『槍が獲物なのか?』
『槍が一番得意だ。だが、剣も扱える』
『見事な剣だな』
『昔、とある商人から買い取った』
『そうか』
『お前の剣も見事なものだ』
『父が手にし、とあるお方に折られたのを当方が打ち直した』
『鍛治師か?』
『養父が鍛治職人であった』
『なるほど』
『名のある剣士なんだな』
『鍛錬を怠らず、皆の期待を応えてきただけだ』
『お前程の男、自分は見たことがない』
『当方も、貴公ほどの槍捌きを繰り出せる者を見たことがない。名のある武人と見たのだが』
『唯の狩人だ。功名心に駆られてはいるがな』
と、まあ無味な会話が繰り返されている。一度話せば、しばらく長い間が続くために沈黙が苦手な者にとってこの二人といれば心が折れてしまうことが目に見えてしまう。
そもそもフェーデとシグルドが共に移動しているのは、互いに巨人の噂を聞きつけたからだ。
「功名心に駆られたことに自らを卑下することはない。戦士として、より強大な者に挑むことは本能であり、矜持でもある」
「それは昔、よく言い聞かされた。だが、自分の場合は」
チラリと、女の顔が過ぎる。
「…お前もそういうことがあったのか?」
「以前、乞い願われてとある
「それは、当たり前じゃないのか?」
殺しあいにて、他所の心配などできるはずがない。それこそ余念に気を逸らしていてはすぐに死んだとしても文句など言えない。
「そうだ、当たり前だ。敵は強大、命を賭けるからこそ自らが得た栄光は何よりも輝きに満ちる。功名心とはそれすなわち、空想だ。空想に貴賤がないように、功名心にも貴賤はない。恥じることがあるとすれば、栄光に身を浸した後の振る舞いに、傲慢が生まれることだろう」
だからこそ、戦士は高潔であらんとしなければならない。そう語るシグルドは会って数日であるフェーデにも流暢になっていることに気づけた。
「随分と、こだわっているんだな」
「……こだわり?」
「いや、悪い」
言い方が悪かったと頭を下げる。
「自分には、お前のような思想はない。あるとしてもそれは全て受け売りに過ぎない」
今から昔に繋がる全ては常に生きる為にあったものだ。生きる為に強くなる、弱いままではいけない、常に強くなる事を忘れるべからず。それがフェーデの思想、いや、掟だった。
ブリュンヒルデに教わった礼儀は自律。例え憤怒に身を燃やしても相手を辱めることだけはしてはならない。その振る舞いは自らを堕落させる。だからこそ感情を自ら律し、己を見失ってはならないという認識にしか過ぎない。
「だからこそ、お前のように長く語れるものがあるのは、すこし羨ましい」
自分にはない、その無いものこそがブリュンヒルデを拒絶させたのではないか。
そう思うと、欲しくなってくる。自らの思想を。
「……そうか、こだわりか」
「? どうした」
「いや、貴公の言葉に少し納得しただけだ」
小さく笑うシグルドにフェーデは首を傾げた。フェーデの目には入ってはいなかったが、グラニも沈黙と口を閉じていた。
「当方は戦士だ。生まれた時から此れ迄も戦士と生きてきた。そして、これからも戦士として生きていくだろう。ならばこそ、こだわっているのだろうな。戦士の在り方というものを」
グラニの手綱を握り直し、表情をいつもの鉄面皮へと戻した。
「あともう少しで目的の砦へと着く。少し早足で行こうと思うが、大丈夫か」
「問題ない。あと少しならば、自分は走ろう。それこそグラニを超える勢いで」
「というわけだグラニ。お前は?」
「ほほぅ? この私に挑むとは面白い。父に恥じぬ疾走をご覧あれ!!」
嘶きと共にグラニは疾走を始めた。それと同時にフェーデは並走を開始する。
風を追い抜く駿馬の走りを負けじとついていくフェーデ。凹凸が激しい平野を息乱れずついていく彼にシグルドはほぅ、と感嘆の息を吐いた。
「見事」
「……ふ!」
短く笑い、走るスピードを上げる。そんな彼を見て、グラニもまた足を早めた。どちらが先にバテるか、と思い始めた時。
峻険な山々とその麓に朽ち果てた砦が見えてきたのだった。
○ ○ ○ ○ ○
「人が多いな」
第一印象はそれだった。かつては隣国の王が建てたとされる砦は戦争により崩れ、今では無人の廃墟と化していたと聞くが、砦内部は賑わい立っていた。
屈強な男達があちこちでテントを建て、テーブルを持ってきてそれぞれ料理や酒で楽しんでいた。また、商人までも出張ってきているようで武器や防具、また食材を売り出している。
「死人が出ていると聞いたが?」
「聞いた話だと巨人は夜に姿を現わすそうです。見渡す限り、此処には非戦闘員はいないようなのであの商人達も自ら戦えるものか、もしくは傭兵を雇っているのでしょう」
フェーデの疑問に答えたのはグラニだった。自分よりも馬の方が見る目があるとはどうなのだと自らの至らなさに若干凹んだが顔には出さなかった。
「まだ日の入りには早い。夜に戦いが待っているため、今のうちに腹を満たしているのだろう」
比較的に朽ちていない馬小屋にグラニを入れ、彼用の食事である干し草を用意するシグルドは周りを見渡していた。
「この様子だと、まだ巨人は姿を現していないようだ」
敵の襲撃があれば、このように騒いではいない。敵に備え、武器を点検しているか、罠を設置しているだろう。
「…改めて思うが、巨人か」
「おや、信じられませんか?」
「そうじゃない。神秘の色濃い存在に疑いはしていないが」
「脅威がどれほどのものかということか」
巨人。種類によっては神よりも先に産まれ、世界が大神により造られる前に人間に代わりこの世を闊歩していた生命だ。
時に神と混じり新たな神を産んではいるが、気性は荒いと聞く。
背丈は、体重は、皮膚の硬さは、急所は。それを考えていくと目の前にいる男達の陽気さはあまりいいものだとは思えない。
「…大丈夫なのか、こいつら?」
「ああん、なんだてめぇ?」
呟いた一言は偶然にも近くにいた大男に聞かれてしまった。
「てめえ、人に難癖つけるとはいい度胸じゃねえか?」
「…悪かったな、つい口に出た」
例え、騒いでいようと彼らを貶した一言を放ってしまったことに謝罪したのだが、目の前の大男はそれで怒りを収まり切らなかった。
「ちっ! 見ねえ顔だがどこのもんだ!? 俺は長い間いろんな戦争に顔だしているがてめえの顔は見たことねえぞ!」
「山で、獣を狩っていた者だ」
「あん? なんだ狩人かてめえ!? ぐはははははっ!!」
正直に話した瞬間、大男は笑い出した。それに釣られ、みんなの目も集まった。
「おいおい、ひよっこかと思えば剣もまともに振るえないお坊ちゃんかよ!! なんだ!? お嬢ちゃんの気を引きたくてこんなところまでおつかいにきたのか!? ぐははははっ!!」
「くっ!」「ぷはっ!!」
「・・・・・」
明らかな嘲笑に周りにも失笑が広がる。
「いいかお坊ちゃん。剣の振り方を教えてやろうか? まずはな、腰の剣の柄をしっかり握ってな?」
「───待て」
「あん? なんだてめ」
失笑と嘲笑が集まる最中、凛とした声が響いた。
その声に眉を顰めた大男だったが、すぐに口を閉じた。
大男の顎の下、そのすぐ直下にフェーデの拳があった。慌てて後ろへと下がると、その拳を掴む手もあった。
「止めるな、シグルド」
「貴公の憤りは正しきものだ。それを当方が止めるのは貴公を侮辱していることと同じになるだろう。だが、堪えてくれ」
顎を割り、侮辱の報復をしようとしたフェーデの瞳は極めて暗い炎が灯っていた。その瞳に透き通るような氷の瞳が見通す。
「此処は戦場の場となる。如何なる身分、出自だろうと戦場では皆平等の戦士。不和は敵の刃よりも身に入り込む」
「なら、こいつの嘲笑は不和の種とならないとでも言いたいのか。自分の怒りは過ちで、こいつは正しいと?」
「最後まで聴け。確かに戦場では皆平等の戦士。しかし、それはあくまで立つ者としてだ。しかし、
つまり、実力は戦場でこそ示せ。
ここで安い挑発に乗っても要らぬ恨みを買うだけだ。なら、本来力を示す場で見せつけてやればいい。自らの価値を。
「…ふん」
「すまないな」
怒りを一旦収めた。理不尽な罵声に落ち着いて返せるほど、彼もできていない。だが、それでも収めてくれたことにシグルドは感謝する。
「おい、てめえ!! 勝手に話を…!!」
「どけ、貴様ら!!」
集まっていた者達を掻き分け、立派な鎧をつけた兵士がやってきた。周りと比べると、明らかに整った装備に国に従事するものだと分かる。
「おお、貴方様はまさか!!」
「…貴公は?」
「も、申し訳ありません! 私はこの度の巨人討伐の指揮を申すようにギューキ王から命じられた者です! まさか、このような些事に貴方様が赴かれるとは…!!」
指揮官である兵士はシグルドの姿を見ると感動したように体を震わしている。シグルドは変わった様子もなく、淡々と兵士の話を聞いていた。
「嘆く民あらば、我が剣を振るうのが使命。そこに大小など関係ありますまい」
「おぉ…流石『戦士の王』! 悪辣なる魔獣の頂点を殺した
───竜殺し?
周りがざわめき、熱が篭り始める。皆が先ほどまで喧嘩になりかけの様子に注目していたが、そんなことも忘れて全員がシグルドを見つめていた。
だが、フェーデだけが違う意味でシグルドを見ていた。
「おいシグルド。竜殺しとは───」
「ささ、こちらへ。貴方のようなお方がこのような場所は不相応でしょう」
フェーデの声を遮り、指揮官がこの砦で唯一整い、綺麗な天幕へと誘った。だがシグルドは首を振り、拒否の意を示した。
「否、先ほど当方が言葉にした通り、戦場では皆同等の戦士。この身は常に戦いに挑む姿勢にならなければならないため、控えさせてもらおう」
「そ、そうなのですか。ですが不都合があればいつでも言いつけてください」
ペコリと頭を下げると、そそくさと下がっていた。けれど、指揮官が去ると次は周りの男達がシグルドへと群がってきた。
「あ、あんたがあのシグルドなのかよ!」
「まじか! 生きる伝説、最強の英雄に会えるなんて…!」
「お、俺あんたを目指して戦士になったんだ!」
シグルドに集まる戦士達、その熱狂にフェーデは味わったことのない近寄りがたさを体験した。これは違う意味で近寄りたくない、というか近寄ってはならないという感覚だ。
竜殺し、その意味を聞こうと思ったのにシグルドは集まってきた者達の対処で忙しそうだ。ならば、違うものに聞けばいい。
「グラニ」
「まあ、気になりますか」
静かに干し草を食べていたグラニは、慣れた様子でシグルドを見ていた。
「最初にあなたのシグルドの対応を見て、そうなのかなと思ってたのですが本当に知らなかったのですね」
「シグルドのことか」
「ええ、彼の名はこの土地で知らぬ者がいないほどですから」
知らないのは辺境の地に住む者か、さらなる遠い土地に入るものだけだろうと、補足した。
「聞いて名の通り、シグルドは『竜殺し』。幻想種の頂点たる生命体、竜を殺せし最強の戦士。そして、竜の心臓を喰らい神々の智慧を手に入れた大英雄ですよ」