ニーベルンゲンの星   作:つぎはぎ

2 / 7
歩みのきっかけ

 朝露が葉に滴る夜の終わり、朝の始まり。陽光が山の向こうから顔を出し、朝露が光を反射して森の中は光の粒で満たされていく。

 その森の中、疾走する二つの影があった。いや、詳しく言うと()()()を疾走しているのは一つ。もう一つは、森を()()()()()()()()疾走している。

 虚空を舞う十数の木々、同時に大地が削られ、地形が変わっていく。先行する影を追うために障害物を全て粉々にしていく所業に声を荒げる者はいない。

 影はやがて互いの距離を詰め、そして交差させる。交差する度に火花と血が散り、影が通った後には血が残る。幾度の交差が重なり、やがて先に走っていた影が反転した。反転した影は追いかけてくる影へ突進する。迫りくる影は唸りを上げ、踏み込みと同時に大地に亀裂を走らせる。

 そして、交差し───盛大に血飛沫が舞った。

 影は唐突に止まり、血飛沫を上げた影、いや巨大な魔猪は地面へ横たわった。死骸と変わった魔猪へと近づいたのは先ほど魔猪に追われていた影。いや、青年。

 

「朝飯調達、完了」

 

 鍛えられた肉体は細くはあるが、ひ弱さなど一切感じさせない逞しさがあった。色素が薄い髪と銀色の瞳が剣のような鋭さを帯びており、手に持った無骨な槍は歴戦の戦士の雰囲気を醸し出している。

 

 青年の名はフェーデ。

 

 このヒンダルフィアル───人外魔境たる牝鹿の山嶺に生きる唯一の人間であった。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

 フェーデは狩ったばかりの魔猪を担ぎ、ヒンダルフィアルの山頂へと登った。山頂には今も昔も変わらぬ、蒼い炎が山頂を塞いでいた。人を簡単に炭へと変える灼熱を前に、フェーデは顔色変えずに告げた。

 

「“去れ”」

 

 指を僅かに文字を綴るように動かし、それと同時に呟くと炎の壁は縦に別れた。

 人一人分が通れる程の道が分かたれ、そこを悠々とフェーデは通る。彼が炎を通り過ぎると何もなかったように炎はまた山頂を囲む。

 山頂には炎と同じように変わらず館がそびえていた。炎に囲まれている山頂の内部は驚くほどに涼しい。そこだけ世界が違うと思ってしまうほどに空気が澄んでいた。けれどフェーデはそれを気にしない。既に十年近く住んでいる館なのだから、それが当たり前と認識している。

 館の周りは盾の垣根がかつてあった。けれど今は全て無くなり、館は炎にしか囲まれていない。

 フェーデは館の外に猪を置き、一人中へ入っていった。

館の中は何もない。あるとしたらフェーデが自室として使っている部屋にある小物と、この館の主である彼女だけである。

 館の中を歩き、やがて一番奥にある部屋へ辿り着いた。部屋の前に立ち、軽く息を吐いてフェーデは立ち入った。

 

 部屋の中には寝台に死んだように眠る女と、その女を囲むように咲き誇る花々だった。色彩溢れた部屋に入ったフェーデは小さく笑って、眠る彼女へ口を開いた。

 

「目覚めたか、ブリュンヒルデ」

 

『ええ、おはようございます。本日もヒンダルフィアルに朝が来たのですね、フェーデ』

 

 何処となく響く声は眠る彼女───ブリュンヒルデの声。未だ眠り続ける戦乙女は、声だけでフェーデに微笑んだ。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

 その昔、ワルキューレであり自動機械であった大神の娘がいた。その娘の役割は勇猛たる戦士の魂を見定め、館へ導き、そしてもてなすことであった。

 全てはいずれ来る神々の終焉(ラグナロク)の為、大神の元に戦士達を集める。それが彼女が生まれた意味であり、意義であった。

 

 しかし、彼女の役割は無くなってしまった。

 

 それは父である大神が定めた勝利の約束を反故にしてしまったからである。父が祝福した戦士は本来ならば勝つはずであった。だが大神の娘はその戦士の敵に加担してしまい、その戦士を敗北させてしまった。

 大神である父は、娘に罰を降した。まずその身に宿る神性を剥ぎ取り、死に近い眠りを齎す戒めのルーンを刻み、ヒンダルフィアルの山頂にある『炎の館』へと閉じ込めた。

 

 戒めのルーンは呪いと同様に絶大だった。

 

 永劫に近い眠りと永遠に燃え盛る炎に囲まれた館。その中にいる己が娘に大神は予言を託す。

 

 ───恐れを知らぬ男がお前を目覚めさせ、愛を告げにくる。

 

 正直な話、娘は永遠に眠り続ける運命なのだと覚悟していた。愛を告げにくる戦士がこの館へ来れるのかどうかすら怪しい。きっと神々の終焉(ラグナロク)が訪れるその日も、この身は眠り続けることになるのであろうと戒めのルーンに絡まれ続けていた。

 

 

 

 だが、目覚めは突然のことだった。

 

 館へ訪れたのは幼い少年だった。

 少年は目覚めた私の声に怯え、必死に剣の切っ先を見えぬ敵に定めようと震えていた。

 

 これは、違う。恐れを知らぬ戦士ではない、ただの子供で剣を持っただけの幼子だ。何故この館にいるのか分からなかったが彼が訪れたことによって私の肉体は目覚めず、意識だけ目覚めた。

 神性は薄れたが父より授けられた原初のルーンを使い、会話を交わして少年はようやく落ち着いた。話を聞くと、少年は王族を傷つけてしまいここまで逃げてきたようだった。

 この時の私は思わず苦笑を隠せなかった。まさか一流の戦士でさえ辿り着けることが困難なこのヒンダルフィアルを逃げ場とし、しかも炎を超え、盾の垣根を突破してくるのだからこれは数多の戦士を見定めた戦乙女として驚きを超えて笑うしかなかった。

 

 そして、少年はこの館へ住み着いた。

 

 帰る場所も帰るべき家族もいない。外は敵しかおらず、安全な場所はこの人外魔境のみ。

 普通の少年ならば死ぬしかなかっただろう。だが少年には盾の垣根を切った剣と、私がいた。

 私は彼に原初のルーンを教えた。教えたのはただ、少年が生きていけるようにと同情の念があったから。原初のルーンを覚えた少年はこの館とヒンダルフィアルの山を行き来できるようになった。

 そして、少年は山からその日の糧を得れるようになると。

 

「ブリュンヒルデ、狩りを教えてくれ」

 

 私に狩りの仕方を教えてくれと頼みにきた。どうやら木の実や水だけで物足りないから、技を覚え狩りをしたいらしい。

 だが私は悩んだ。狩りを教えるのは簡単だ。しかしこのヒンダルフィアルの獣達は麓の獣とは違い、世から切り離された神秘を濃く継ぐ魔獣だらけだ。彼が狩りに行けば、逆に狩られるのが目に見えている。

 

 だから私は彼に槍や剣、弓に魔術と様々な知識を教えた。生半可な技がダメならば一流の戦士に近いものにすれば良いと考えた。

 

 眠る私は口伝でしか技術を教えられない。

 だが、彼は口伝だけで私が教えた技を習得した。この時に、いや、前から彼の才覚が並々ならぬものだと気づいていた。原初のルーンを口伝で、しかも僅か数日で発動させた。この時点で、彼の才は破格のものだと理解した。彼の才覚は多岐に渡り、私が教えられる限りのことを習得し、さらに教えられた以上のものへと昇格させた。

 

 年月が幾星霜と流れるに連れて少年の背は高くなり、背中は逞しくなる。たどたどしかった槍の腕も今は必殺となり、剣の腕も館を囲んでいた盾の垣根を全て両断するに至る。

 最初は脅威であったヒンダルフィアルの獣も、今ではただの食料としてしか見ていない彼は、いつの間にか少年から青年へと成長した。

 

 彼の名は、フェーデ

 

 英雄となり得る破格の才を持つ私の小さな英雄であり、私の───

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「ブリュンヒルデ、しばらく麓に降りようと考えている」

 

 今朝狩ってきたばかりの魔獣を捌き、朝食として頬張るフェーデは意識だけ目覚めた眠れる戦乙女、ブリュンヒルデに話しかけた。

 眠る女に話しかける姿はいようとしか見えないが、彼等を見るものは誰もいない。フェーデが此処に住み着き、十年以上に経った今では当たり前となった光景である。

 

『ええ、構いませんがどうしたのですか?』

 

「一応、狩ってきた獣の皮が不必要なほど溜まってきているからな。町までいって売りさばいてこようと考えている」

 

 ちなみに獣といっても魔獣である。ヒンダルフィアルの獣は等しく魔獣である。

 

『何日ぐらいで帰れそうなのですか?』

 

「…早くて、二日だ」

 

『そう、なのですか。貴方ならば大丈夫かもしれませんが。…お気をつけて』

 

「ああ、分かっている」

 

 そうしてフェーデは食事に意識した。獣の肉を頬張る姿を眺めながら、ブリュンヒルデは彼に声をかけず、いや、かけれずに見つめることしかできなかった。

 それは彼を苦手意識を抱いているのではない。むしろ好意を抱いているといってもいい。だが、その好意は女が男に向けるものではなく、姉が弟に向けるものだった。

 

「終わった。片付けてくる」

 

『ええ、いってらっしゃい』

 

 すぐに食事は済んだ。器を持って部屋を出て行くフェーデの背中が見えなくなると、ブリュンヒルデは物憂げに吐息をついた。

 

『…ああ、お父様(大神)。どうか、お願いします』

 

 花によって鮮やかに彩った寝台に眠る戦乙女は眠り続ける。父より授けられた予言により目覚めるその日まで、眠ることしかできないが、彼女は祈る。

 

「どうか、私を目覚めさせてくれる人が…フェーデ()ではないように」

 

 

 

 

 

 最近、どうも会話が続かない。

 フェーデは鬱屈とした息を漏らしながら山を下っていく。彼の背には大量の獣の皮が入れられており、手には槍、腰には剣を吊るしていた。

 幼少の頃、この剣を手に入れたことから全てが始まったと言っても過言ではない。王族の少年に奪われかけ、幼少の無鉄砲が原因で故郷を離れ、この人外魔境こそが第二の故郷となった。

 

 振り返れば、あの時の選択に全くと言っていい程に悔いはない。

 

 確かに兵士たちの追跡で疲れ、死にかけたがあの時の苦しみなど今と比べれば大したことなどない。

 

「ふっ!」

 

「きゃがっ!?」

 

突然死角から襲いかかってきた狼を、避けながら腰の剣を抜き、斬り捨てる。狼の体躯は熊と互角であり、毛並みなど重圧で矢を通すことが難しいと思わせるほど毛深い。そんな獣達が跋扈するこの山は人が住むには難しすぎる。

 最初は一匹狩るだけでも一年の時間が必要だった。獲物の行動を一から知り、気配を悟られないように息を殺し、罠の準備に余念なく手間を惜しまなかった。

 

 そんな獣達を今では一太刀。呆気なさすぎるほどに、簡単に切り裂く。

 

「…全て、ブリュンヒルデのお陰だ」

 

 そう。麗しくも儚い主神の娘、戦乙女ブリュンヒルデ。

 父より下された呪いにより来る日まで炎に囲まれた館で眠り続ける女。

 フェーデはブリュンヒルデにより授けられた知識により、今日まで生きてこれた。

 原初のルーン、狩りの基本、槍や剣の振るい方、料理の作り方、多岐にわたる知識を眠り続ける彼女により与えられ彼は成長した。

 それに対し感謝の言葉にすれば尽きることなどなく、行動にすれば深く強く終わりの時まで抱きしめ続けるだろう。

 

「本当に…困る」

 

 そう、本当に困るし、ままならない。何故自分には力がない。

 

 

 

  何故お前は、自分を求めてくれない。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「お前を目覚めさせるにはどうしたらいい」

 

 その一言は、何気なく発していた。

 フェーデは自身の力に過信していた。

 かつてのありえないほどの豪運に恵まれてこの魔境に踏み入れなんとか生き抜いたものの、今では魔境の獣達に遅れをとることなどなくなった。

 風の様に駆けるものも。鋼の様な肉体を持つものも。大火の様に攻め立てるものも。全てこの手で屠って来た。

 自信を持ち、敵無しだと思い始めた時ふと思い出した。

 

『私を目覚めさせられるものは、恐れを知らぬ者です』

 

 まるでその事を避けたい様に、ぼそっと短く語った師であり、姉であり、家族である戦乙女から語られた事を。

 恐れを知らぬ者。如何なる脅威をそよ風の如く流し、勇猛果敢と立ち誇る勇士。

 その者こそが死んだ様に眠る彼女を目覚めさせられる者と聞き、今の自分ならどうだと胸を張った。

 幼少の頃自分ならまだしも、今ならば不可能ではない。力ある自分になら彼女の瞼を開かせ、世界を彩ることができると思った。

 

 その自信は見事に打ち砕かれた。

 

 

 

『いえ、貴方にはできません』

 

『私は一生このままでいい』

 

『その様なことは二度と仰らないで』

 

『私、困ります』

 

 

 

 暖かな声音、あやす様に、咎める様に。そんな母のような彼女からは考えられない拒絶の波長。

 呆然とししばらく硬直したあと、震える唇で聞いた。なぜだと。

 ブリュンヒルデは答えてくれなかった。拒絶の理由を、それだけは決して話してくれることはなかった。

 

 自分が勇敢ではないからか? 自分の中に恐れがあるからか? 力が足りないからか?

 

 自問自答は終わらない。いくら考えても彼女の心中を察することなど彼にはできなかった。

 

 

 

 それが半年前、半年経った今でも彼の自問自答は続く。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 

「どうしたんだい、お兄さん。浮かない顔だねぇ」

 

「なんでもない、気にしないでくれ」

 

「といってもねぇ、そんな女に振られたような顔でぶすっとされても困るんだがねぇ」

 

「・・・・・」

 

 ライン川より南にあるニヴルング族の国。そこはかつてフェーデがブリュンヒルデに出会う前の故郷であった国。この国には山で狩った獣の皮を売るに来る時だけ訪れるようにしている。

 幼少の頃の思い出もあり、あまり長居はしたくないしそまそも足を踏み入れたくもなかったが他の国に訪れるにも距離がありすぎる為、仕方なく最初の故郷へとこうして戻って来ているのだ。

 現在、昔から獣の皮を売っている衣服屋の女主人の元に訪れ持って来たものを鑑定してもらっているのだが、フェーデはずっとしかめっ面で待っていた。

 

「あら、正解かい」

 

「振られてはいない」

 

「なら相手にしてもらえなかったんだね。御愁傷様。ほらよ、今回の分さね」

 

 不承不承と渡された布袋を受け取ると、思いの外ずっしりと重かった。その重みにフェーデは首を傾げる。

 

「多いな、目利きはある方では?」

 

「ああ、あんた知らないのかい」

 

 女主人が指を指す方向に首を曲げると、フェーデが僅かに眉を顰めた。指差す方向には国の王が住む場所、すなわち城が見えた。

 

「城がどうした」

 

「ギューキ王が御触れを出したのさ、巨人を討伐する為のね」

 

「…巨人?」

 

 日常では聞き慣れない単語に聞き間違えたのかと思ったが、ああと頷く女主人の姿に間違えではないと理解した。

 

「ああ、この国を出てライン川を上流へと沿って上がり、最初に見える山の麓にね巨人が現れたんだよ。その巨人が旅人や近くの村々を襲うもんだからね王が宣言したのさ。無辜の民を救う為に勇気ある者よ、山の麓にある古い砦に集え、如何なる身分を問わず、討ち果たした者は後世へと永遠に語られるであろう、とね。殺した者は体重と同じだけの金を与えるんだとさ」

 

「…気前がいいことだ」

 

 名誉と富、巨人を殺す事で得られる魅力は大きい。

 周りをよく見渡すと、それらしい連中がよく見える。武装を整えた柄の悪そうな連中が意気揚々と騒いている。

 

「寸鉄も十分だがいい毛皮はそれだけで身を守る鎧となる。だから、あんたが持ってくる毛皮は貴重なのさ」

 

「いい時に売りに来たということか、感謝する」

 

「あら? 行っちゃうのかい?」

 

 受け取った革袋を懐へしまい、さっさとフェーデは去っていく。

 

「兄さん腕っ節強そうなのに! 一攫千金だよ〜!」

 

「金に興味はない」

 

 そうして止まることなくフェーデは去っていく。

 街の中央にある人だかりができている大通りを縫うようにフェーデは進んでいく。

 

  ───巨人殺し

 

 思い浮かぶのはそれだけだった。神話の時代から神々と幾度と争い、時には交じり、語られる人ならざる者。腕を振るうだけで人の身を二つと裂く膂力は想像にしづらい。そんな相手を越えたならば、それは間違いなく英雄。

 

 恐れを知らない、英雄だろう。

 

 フェーデの足が止まる。

 

「ライン川の上流を上がり、最初に見える山の麓」

 

 そこで英雄となるべく猛っている戦士達が集っている。一度瞳を閉じると浮かばれるのが眠り続ける戦乙女の姿。

 

 次に目を開けた時、映ったのは自身の手のひらだった。

 

 

 

 ───巨人を殺した、その事実はあいつの心を動かせるには充分じゃないのか?

 

 

 

 拳を握りしめ、フェーデの足は早くなり、やがて駆け出した。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。