【完結】これがわたしの聖杯戦争   作:冬月之雪猫

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第三話『初戦』

第三話『初戦』

 

 心地良い眠りを元気いっぱいな声に妨げられた。

 

「リン! 朝だよ! ご飯作ろうよ!」

 

 アーチャーこと、アリーシャがエプロン姿でベッドの横に立っている。

 

「……わたし、朝は食べない主義だから」

 

 布団を頭まで被る。朝は弱い方だから、そっとしておいてほしい。

 

「そんな事言わないで、一緒に作ろうよ―」

「パス」

 

 アリーシャが黙ってしまった。一秒、二秒……、一分。

 チラリと布団から顔を出して様子を見てみると、下唇を噛んで泣きそうな表情を浮かべているアリーシャの顔があった。

 

「分かったわよ! 着替えてから行くから準備しておいて!」

「わーい!」

 

 しまった! アイツ、嘘泣きだ!

 大きく溜息を吐いて、観念する。演技に騙されたとは言え、一度吐いた言葉を違える事は矜持に反する。

 身支度を整えてキッチンに向かうと、アリーシャがエプロンを差し出してきた。

 

「よーし、作るわよ!」

「おー!」

 

 やると決めたらテンションが上がってきた。

 誰かと一緒に料理を作る。考えてみたら、そんな経験は学校の調理実習くらいのものだ。基本的に学校では他人と距離を置くようにしているから、そういう時に楽しいと思った事はない。

 これは……、いいものだ。

 

「昨日買ったいわし! 夕飯用にって思ったけど、今使っちゃいましょ」

「オッケー!」

 

 二人で肩を並べながら包丁を握る。我が家の台所は広々としていて、二人居ても楽々動き回る事が出来る。

 

「まずはエラより下で頭を切り落としてっと」

 

 昔はこの作業が苦手だった。既に死んでいるモノとはいえ、生き物の首を切り落とす作業はとても残酷に思えた。

 

――――いい? こういうのは慣れよ。

 

 いつか、母に言われた言葉を思い出す。身も蓋もない言葉だったけれど、真理でもあった。

 魔術の鍛錬と同じだ。生き物の死も、積み重ねる業も、魔力を通す痛みも、一人っきりの孤独も、結局は慣れる。

 

「梅肉煮もいいよねー。丁度、材料も揃ってるし」

「なら、わたしの方は蒲焼きにしてみるわね」

 

 こうして誰かと一緒の時間を過ごす事にも直ぐに慣れる。この甘酸っぱい戸惑いも直ぐに掻き消えてしまう。

 ……それは少し勿体無い気がした。

 

「違うの作るの?」

「その方が楽しいでしょ?」

「……うん!」

 

 わたしは楽しんでいる。この少々頓珍漢なところがあるサーヴァントとの時間を。

 完成した料理はいつも作っているモノよりも美味しく感じた。

 

「この梅肉煮、美味しいわね。折角だから、弁当に入れていくわ」

「弁当……? 今日も出歩くの?」

「学校よ」

「……学校? え? 行くの?」

 

 意外そうな表情を浮かべるアリーシャ。

 

「当たり前でしょ。昨日はサボっちゃったけど、聖杯戦争中でもわたしは生活のリズムを崩すつもりはないのよ」

「……わたしはどうしたらいいの?」

 

 どうしよう……。まさか、聖杯戦争中にサーヴァントと離れるわけにもいかないし……。

 

「……あっ、そう言えば、サーヴァントは霊体化が出来る筈よね?」

「霊体化……? あっ、うん。出来るみたい」

 

 そう言うと、アリーシャはパッと姿を消した。

 

『うわー、変な感じ』

「とりあえず、これで問題無さそうね」

『……服が脱げちゃった』

「まあ、当然よね。カバンに貴女の着替えも入れておくわ。帰りにまた商店街に寄る事になると思うし」

 

 夕飯は何を作ろうかな?

 

『はーい』

「それじゃあ、学校に行くわよ」

『ラジャー!』

 

 ◆

 

 学校に到着した瞬間、わたしの浮ついた心は一瞬にして冷えた。

 

『……リン』

 

 アリーシャの不機嫌そうな声を聞いて、少し落ち着く。

 空気が淀んでいるどころの話じゃない。結界が仕掛けられている。それも、とびっきり悪辣な類のモノ。

 

「……学校が終わったら調べるわ」

『わかった』

 

 学校に他のマスターはいないと踏んでいた。だって、わたし以外に魔術師は一人しかいない。その一人もマスターになれるほどの魔力を持っていない。

 おそらく、これを仕掛けた人間は外部の魔術師だ。しかも、三流。第三者にアッサリ看破されるような結界なんて、張ったヤツの程度も知れる。

 魔術師である以上、わたしも綺麗事を並べる気はない。けれど、これを仕掛けた人間には相応の報いを受けさせる。

 わたしの領域(テリトリー)で好き勝手されて、黙っているなんて性に合わないもの。

 

 二時限目の音楽を終えて、音楽室から帰る途中、重たそうに資料を運んでいる一年生の女の子と出くわした。

 

「手伝うわ、桜」

「え? あっ、遠坂先輩」

 

 遠坂先輩。この他人行儀な言い回しにも慣れてしまった。

 彼女が意地悪をしているわけじゃない。わたしと彼女はたしかに他人なのだ。だから、この呼び方は何も間違っていない。

 一方的に寂しさを感じているわたしの方が身勝手なのだ。

 

「……世界史のプリントね。まったく、葛木のヤツ! 女生徒をこき使うなんて!」

 

 とりあえず、わたしの担任であり、桜に仕事を押し付けた下手人である葛木に八つ当たりをしながら桜の持っている資料を半分奪った。

 

「せ、先輩?」

「手伝うわ。桜のクラスまで持っていくの?」

「……ううん。葛木先生のところまでです。誤字が見つかったからって」

「あー、なるほど」

 

 葛木宗一郎とは、そういう男だ。以前、中間試験の問題に誤字が見つかったとか言い出して、試験を中止にした前科がある。

 試験は後日改めて行うって、いつもの淡々とした口調で言った。あの時の事は今でも語り草になっている。

 わたしがその時の話をすると、桜はクスクスと微笑んだ。

 

「葛木先生らしいですね。先生、物を教える立場の人間に間違いは許されないって人ですから」

「度が過ぎてる気もするけどね。融通が利かないっていうか……まあ、そこがいいところでもあるんだけど」

 

 学年が上がるごとに葛木先生の評価は比例して上がっていく。

 最初は近寄りがたく見えても、本人が真っ直ぐだから割りとすぐに慣れる。すると、先生が実はすごく頼りになる人だと言う事も分かる。

 

「それにしても、先輩は葛木先生の事が好きなんですね」

「え?」

「先輩がそういう風に誰かの事を話すところ、はじめて見ました」

「そうね……。もう少し柔軟性があってもいいと思うんだけど……」

 

 そう思っているけれど、葛木は今のままでもいいのではないかとも思っている。

 うちの学校にはひたすら人に親しまれる先生がいて、とことん恐れられる先生がいる。そのバランスは実に絶妙で、だからこそ生徒達は素直に教師を信頼出来る。

 

「……っと、もうここまで来てたか」

 

 いつの間にか、職員室の前まで来ていた。資料を桜に返しながら、彼女の顔を見つめる。

 

「……ねえ、最近はどう?」

「あっ……はい、大丈夫です。元気ですよ、わたし」

「そっか……。慎二のヤツはどう? アイツは限度ってものを知らないから、もし何かするようならいつでも相談しなさい」

「心配いりませんよ、先輩。兄さん、この頃はやさしいんです」

 

 笑顔でそう言われて、それ以上は踏み込めなかった。

 

『今の子って、リンの友達?』

 

 別れを告げて、廊下の隅まで行くと、アリーシャが不思議そうに訪ねてきた。

 

「……似たようなものよ」

『ふーん、リンにも友達っていたんだ』

「失礼ね! わたしにだって友達の一人や二人、いるわよ」

『そうなんだ!?』

 

 心底意外そうな声。

 

「……あとで覚えてなさい」

 

 眉間に皺を寄せながらわたしは教室に向かった。

 

 一日が終わり、生徒達がいなくなるまで待ってからわたしは行動を開始した。

 結界の起点は様々な箇所にあり、それを追うごとにわたしの顔から表情が抜け落ちていく。

 最悪だ。結界はふつう、術者を守るためのもの。内と外を遮断したり、内部の人間の行動を制限するなど、タイプは千差万別。その中でも、もっとも攻撃的なものが内部における生命活動の圧迫だ。

 学校に仕掛けられている結界もこのタイプ。おそらく、一度発動すれば抵抗力のない人間は瞬く間に昏睡してしまうだろう。

 

「……これはマスター(わたし)を狙ったものじゃない。おそらく、この学校の生徒をサーヴァントの養分にする為に仕掛けられたものね」

 

 すっかり空が暗くなった頃、最後の締めとして屋上に出る。アリーシャは不愉快そうな顔で実体化した。

 彼女の目の前には七つ目の起点がある。魔術師だけに視える赤紫の文字は見たこともないカタチであり、聞いたことのないモノで刻まれていた。

 

「わたしには手に負えない……。貴女はどう?」

 

 この結界の構築に使われた技術はまさに桁違いだ。わたしの力では精々呪刻から魔力を消し去る事くらいで、術者が魔力を注げば簡単に復元されてしまう。一時しのぎにしかならない。

 

「うん。この程度なら問題なく破壊出来るよ」

 

 彼女は当たり前のように言った。彼女は近代の英霊の筈だ。だけど、この結界は明らかにそれ以前のもの。下手をすると神代の技術が使われている可能性もある。

 それを破壊出来ると彼女は言った。

 

「……記憶、戻ってるの?」

「ううん。だけど、これを壊したいと思ったら、壊せるって答えが脳裏に浮かんだ。方法も少し集中すれば思い出せると……、リン!」

 

 突然、アリーシャがわたしを抱えて屋上の出入り口まで跳んだ。

 

「おっ、中々やるな! 気配は隠していたつもりなんだが?」

 

 給水塔の上にソレはいた。群青の装い、獣の如き真紅の眼光。一目見て、尋常ならざる存在である事がわかった。

 

「これ、貴方の仕業?」

「いいや。そういう小細工はアンタ等魔術師の領分だろう。なあ、お嬢ちゃん」

 

 男の視線はアリーシャに向けられている。

 

「違うね。これは外道の領分だ。どんな理由があろうと、リンもわたしもこんなモノを仕掛けたりはしない」

「……ああ、違いない。嬢ちゃん、魔術師(キャスター)か? なら、そっちの流儀に合わせてやるぜ」

 

 男は給水塔から降りて言った。

 

「……どういうつもり?」

「遊んでやるって言ってんだよ。それとも、ガチでやり合うか?」

 

 男の意識が切り替わった瞬間、猛烈な吐き気に襲われた。濃密な殺気が直後の死を予感させる。

 そんなわたしの前にアリーシャが立ちはだかった。召喚直後、錯乱したり、怯えたりしていた彼女がわたしを守る為に立ち向かおうとしている。

 そのおかげで頭が冷えた。

 

「……いける?」

「無理」

「……えっ?」

 

 アリーシャは突然わたしの方へ後退した。その直後、わたしの体は宙を舞った。

 

「えっ?」

 

 気付くと、景色が一変していた。

 

「うち……?」

 

 そこはわたしの家のリビングだった。それが意味する事に気付くまで、たっぷり一分も掛かってしまった。

 

「空間転移!?」

 

 魔法の一歩手前にある魔術だ。現代において、これを実践出来る魔術師は稀であり、彼女が下準備をしていた様子もない。

 令呪によるバックアップがあったのならまだしも……。

 

「貴女……、何者なの?」

「……何者なんだろうね。ただ、あの状況だと勝てないって思ったの。だから、逃げなきゃって思って、そうしたら……、逃げ方が分かった」

 

 魔力を持って行かれた感覚はある。けれど、空間転移を使ったにしては妙に少ない。よほど、効率的な術式を使ったのか、それとも……。

 記憶喪失中の段階で、ここまでの魔術を行使出来るのなら、記憶が戻ったら一体……。

 しかも、彼女のクラスはアーチャーだ。キャスターではない。このあり得ないレベルの魔術すら、彼女にとって本来の武器ではない。

 

「頼もしいかぎりね……」

 

 もし、彼女が牙を剥いたら、わたしでは勝てない。おそらく、令呪を使う事さえ出来ない。

 はじめは頼りないカードを引いてしまったと思ったけれど、とんでもない。アリーシャはとびっきりのジョーカーだわ。

 使い方を誤らない限り。

 

「……とりあえず、夕飯作る?」

「……うん!」

 

 ◇

 

「さて、帰るか」

 

 友人に弓道場の掃除を頼まれていた少年は空がすっかり暗くなっている事に気付いて慌てた。

 校庭を横切り、急いで帰宅する。何事もなく、何も見る事なく、街の異常に気付く事もなく、いつも通りの日常へ帰っていく。

 

 ◇

 

 ――――まだ、召喚してないんだ。

 

 遥々異国からやって来た少女は不満を口にする。

 忠告はした。だけど、少年は行動を起こさない。

 

「……まったく、仕方ないな―」

 

 雪のように白い髪を持つ、幼い容姿の少女は踊るように街を歩く。

 

 運命の夜はすぐそこに――――。


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